一九 汝、偽りの巫子としれ①
途中、視点が新キャラに切り替わってしまいます。
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おさない掛け声に応え、悍馬は前脚をおおきく持ちあげた。そこにはいない敵を踏み砕くように蹄を振り降ろす。したかと思えば、つぎは背後へおおきく蹴りだした。
これが慣れない馬であれば、たんに暴れているだけと映ったろう。
まるで馬の格闘鍛錬をみているような光景だ。
「よしっ」
あれほど暴れさせたにも関わらず、鞍から落ちることもなく背にしがみつき通した盈秋も、満足のかけ声を発した。
いや、これは立派な馬の訓練だ。軍馬ならばこれくらいの荒々しさは必要である。
盈秋はこの所、馬所の手伝いをまめまめしく買ってでていた。
彼女が馬の扱いに慣れているとしった部隊長は感心し、かるく運動させる役まで任せてくれた。お陰でこうして自身も腕を磨けている。
いつの間にか、すっかり西涼の陣に馴染んでしまっている。
「やっ」
そのままかるく周回させるべく指示をだす。
馬は一定の歩調を刻み、ぐるりと木柵で囲われた中を廻った。その間にも、盈秋は手綱をいっさい握ることをしない。両の腿で馬の胴を締めるように──実際には満足に届いてもいなかったが──してうながした。
もしも馬が暴れればたちどころに投げだされてしまう危険な行為だが、この体勢に慣れることが肝要だ。両手はつねに極力空けておき、得物を振るわねばならないのだから。
盈秋が己の非力をおぎなう突破口として見出したのが、馬術──もっといえば馬上術といってもよかろう──だ。
馬によって体格の不利を覆し、得物によって間合いの不利を覆す。これなら多少武器のとり回しがまずかろうとも何とかなる。そう盈秋は考えた。
武技にくわえて馬術の鍛錬も要求される、本来ならば負担の増える選択だが、さいわい馬の扱いには多少心得はある。
これで絶対何とかしてみせるのだ。
「む?」
陣内のわずかな乱れに気づいた李鷹は、ふと顔をあげた。
多勢の蹄と得物のたてる音がして、陣内へはいって来たものがあるらしい。
視線の先を、一隊の騎馬の集団が粛然と陣中を進んでいく。拵えは漢のものではなく、あきらかに異民族のようだった。
ちょうどその時、懇意にしている部隊長をみつけたのを幸いに、李鷹はこれをつかまえ、訊いてみた。
「もし、あの集団はいったい何です?」
「ん、ああ、お前か。いや何、羌族の連中さ。孟起将軍に味方してくれる連中だよ。律儀に挨拶にでも寄ったんだろう」
「ほうほう」
李鷹は愛想よく頷きながら、乱れずに進む隊をみつめた。よくみると、隊にはつい昨日成人したといってもおかしくないような若い者の姿もちらほらと見られる。
盈秋とあまりかわらない年頃の者まで混じっていた。
「······あんなに若いのに。大変なことだ」
ちいさく呟きながら、李鷹はその背を見送った。
■
羌峨居からすれば、念願叶ってやっと、というのが偽らざる真実の心境だった。
同世代では誰よりもはやく初陣を果たしたこともそうだが、何よりも自分には預けられた使命があった。それを果たせる事がまず、嬉しい。
おのが巫の一族が代々秘めて受け継いできた、ほかのどの部族にも伝わってこなかったこと。
それを自分が果たせるのだから、亡き父、亡き祖父もしれば涙を流して喜んでくれ、また悔しがりもしただろう。
もっとも、はじめは躓いた。困難をきわめた碧陽への旅は、時を逸して空振りにおわっている。が、それも巫女である婆様の予見の範疇だ。彼女の予見はいつだって正しい。
ならば必ずここで出逢える。
一族とともに馬超へと挨拶をおえ、許しを得た峨居は、つよい陽射しもいとわず陣内を捜しまわった。
噂にきく馬孟起の姿をひとめ見れたことも嬉しかったが、やはり、それにも増して喜びを感じるのは、とうとう護り神様にあえる、という事実だ。
容姿は知らない。
いや、誰も知るわけが無かった。なぜといって、数千年も前のことだからだ。
ただこの世の者とは一目で違うとわかる、うつくしい御髪の色に、かわった色の瞳をもつ、ということだけがずっと伝わっていた。
それならば見つけ出すのはいとも容易く思われた。
峨居は、あちらの天幕、こちらの人混みと片っ端から探しまわったが、予想どおりとはいかず、なかなかそれらしい人が見つからない。
兵の屯所ばかりを見たからか? 護り神様のことだ。現世の者にそれと悟られぬよう、身分を隠しておられるのやも知れない。そうであれば、雑役の者らの溜まり場だろうか。
そう思いなおしてそちらへ足を向けることにした。
「あ──」
ひと目みてそれと察した。
夏の陽をはじく赤金色の髪。相反するような深草色の袍をまとってすっくと立つ、どちらかといえば丈のある立ち姿。ここからでは瞳の色は伺いしれないが、間違いない。なによりも直感が告げている。
喜び勇んでかけ寄ろうとした瞬間。
横合いからひとりの童女が彼に声をかけ、歩みよった。
そのままなにやら話しこんでいる。ごく親しそうな雰囲気に、峨居はムッと面を顰めた。
何者だ? えらくあの御方に馴れ馴れしいが。
ふいに脳裏によぎったのは、出立前にさんざん聞かされた、お婆の忠告的予言だった。
「············そうか。アイツが············」
□
今日も盈秋は馬所にいた。
もはやすっかり慣れた手際で鞍をつけてとび乗ると、掛け声でうながして駆けさせ始める。
馬を預かる部隊長も、その危なげない手捌きにもうなにも言うことはなかった。
「おい貴様ッ!」
突如、脇から声があがった。
部隊長が何事かと見ると、ちょうどひとりの男児──それも少年といっていい体格の──が、鞍もつけていない馬へと跳び乗ったところだった。
「なにッ!? お前ッ!!」
つづく台詞をいわぜず、童子はハッ、と掛け声をやると、馬は驚いたのと興奮とでいっさんに駆け出した。
そのまま盈秋の駆る馬へと一気に迫っていく。
背後からかかる、
「危ないぞ!」
の声にふり返った盈秋は、猛然と迫ってくる馬の背に、自分とちかい歳ほどの子がまたがっていることを認めた。
轡と手綱こそあれ、鞍を乗せていないにも関わらず、その手捌きは見事だ。見る間に横にならばれ、せり駆けられる。
「ちょっ······貴方ッ、何ッ!!」
「うるさいッ!!」
ぐるぐると輪を描くように馬同士が牽制しあう。
このままでは怪我させてしまう······!
盈秋はやむなく馬首を返すと、囲いへめがけて駆け戻らせる。
部隊長がしっかりと手綱を受けとめてくれている内に、すばやく鞍からとび降りた。追ってきた童子も馬の背からとび降り、彼を乗せていた馬はやれ災難だったとばかり、仲間のもとへ自ら駆けもどる。
「──おい小僧ッ!!」
「小僧ではありません! 羌峨居です!」
部隊長の怒声にも、童子はまけずに言い返した。盈秋はまだ騒ぐ胸を抑えて、この童子へと目をやる。
羌、と名乗るからには、羌族の出なのだ。
日に焼けた色の肌は、屋外での生活の長いことを示している。
髪の色は自分達と変わらず黒く、恰好は高原で過ごす者──つまり、かつての自分と似たような簡素な衣をまとっている。
ただ一点。
瞳が違った。うすく青い──そう、まるであの空を移したような青。
騒ぎを聞きつけてか、集まってきた中には李鷹の姿もみえる。
「どうした盈秋」
「あ、李鷹。ううん、何でも。ただこの人が······」
そこまでいった時だった。
峨居と名乗った童子は、まるで雷にでも打たれたように立ったまま震えたかと思うと──
「ずっとお会いしとう御座いました! 護り神様ッ!!」
人目もはばからず。
なんと李鷹の前で叩頭し、地面に額を擦りつけたのだ。
「知り合いなの、李鷹」
勢いに呑まれてうっかり訊ね、後からそんな訳はないのにと己をたしなめながら、盈秋はまん丸にした目を李鷹へとむける。
案の定、拝謁された本人も、何が何やらといった表情で戸惑いの色を浮かべている。
「いや······」
なんともめずらしい。あの李鷹が絶句している。が、すぐに人目があるのを思い出したか、ただちにとり繕いの笑みをみせた。
「はは······これ童殿、ご冗談を。まま、どうぞお立ちくだされ」
「いいえ! 間違いございません! その御髪! 瞳の色! 貴方様こそ、我らの伝承にある護り神様ッ!!」
童子は、いっこう李鷹の勧めに従う様子をみせなかった。大声で護り神様を連呼している様に、さすがに、と盈秋も声をかける。
「あの、ここじゃちょっと。せめてどこか別の場所で······ね?」
とたん、童子は一転下から空色の瞳で睨みあげた。
険のある視線には並々ならぬ怒りが感じられ、それが盈秋をたじろがせる。
「黙れこの······盗人がッ!」
「盗人!?」
まったく思慮外の言葉だった。
盈秋は開いた口も塞げずたち尽くした。
羌峨居。
なんとか聞き分けさせて自分たちの天幕へとひっぱってきた童子は、そう名乗った。歳は十三歳とのことで、当然ながら盈秋よりは歳上だ。
「羌······という限りは、お前は羌族のものか」
座したまま、童子をじっと見上げて李鷹が訊ねる。
峨居は、憧れの存在と相対している喜びを顔一杯に輝かせて返事をした。
「はっ。我が一族は代々護り神様をお祀りする『正統な』一族です」
答える最中にも、言葉の一部に強調をふくめ、横に控える盈秋への牽制を忘れない。あからさまな対抗心に、盈秋もさすがにムッとなった。
「······あー、峨居よ」
「はい、護り神様」
「その護り神様、というのは止めろ。······私はそんなものではない」
え、と瞬間、童子は困惑を浮かべた。が、すぐに李鷹の面にある本気の嫌悪を感じてか、殊勝にもうなずいてみせる。
「では、李鷹様とお呼びします」
「それでいい」
李鷹は胡座にくずすと、立ちん坊の峨居へちょいちょいと手招きし、目の前の座にすわらせた。峨居が素直に応じたので、ついでに盈秋も腰をおろすことにする。
「それで峨居よ。そのなんだ。お前たちの伝承ではどう伝わっているのだ。私たちのことは」
「は。『われら碧陽の民の末孫なり。数千の年を経て、護り神様がお姿を現される。その折こそ、ふたたび偉大なる我らが都の再興する刻である』そう伝わっております」
そうか、と李鷹はしばらく沈黙した。
なにかを考えているようでもあり、また、目のまえで瞳を輝かせている峨居への対処に困惑しているようでもあった。
とうとう李鷹はいった。
「······峨居。私は色々あって、お前のいう再興とやらを放棄している。むしろ、それに加担したくないとさえ思っているが。それでも私に従うというのか?」
「ぇ?」
これには峨居も拍子を抜かれたようだった。
考えが追いつかない、というような顔つきであったが、ハッとなにかを悟ったらしく、なぜか盈秋のほうへ鋭い一瞥をくれた。
いちいち刺々しいものが飛んでくる。そのたびにこちらは息を呑むはめになるのだ。この人は心の臓に悪い。
ややあって、峨居は答えた。
「······いえ。それが護り神様のご意思なら。
とにかく、この峨居こそが、貴方様の真のご意思を叶えるものでありますれば」
今日のところは失礼します、といい残して、峨居は自分たちの陣へと帰っていった。
天幕の外まで見送った李鷹と盈秋は、いまだ呆気にとられた感を拭いきれずにいる。
「······あんなに護り神様を連呼しちゃって。どうするの?」
諸人からみれば、李鷹はあくまでも商人──なんなら雑役夫にすぎない。それを大勢の見守るなかで、額を地面にこすりつけまでした。奇異な光景以外の何物でもなかったろう。
「はは······まあなに、この髪色だ。若いものの勘違いでした、とでも言い訳すれば通るだろうさ」
一部微修正いたしました。




