一三 喰われもの④
一部、グロ表現があります。ご注意ください。
眼前の光景に、唖然とするしかない。
じつに不可解。じつに理不尽。
つい先刻、李鷹によって葬られたはずの男が、平然として立っているとは。まるで午睡でもしていたものを、騒がしさに目を覚ました、とでも言うように。
『なんだこれは。内と外が······ひっくり返った······??』
相手のあまりの異様ぶりに、桃霞でさえ青ざめていた。
悍ましいさを見せつけた外見青年は、こちらの驚愕に構うつもりもないらしい。確かめるように首を回しながら、話をつづける。
「そもそも君ら、何? 俺たちの問題に勝手にたち入って。現代の忌まわしい若僧に······とくに君だよ」
ジロリとむけられた琥珀の視線に、盈秋は息をのんだ。
「なんなんだ、君は? なぜ君のような只の童子が、こんな処にいるのかな」
そんなことこっちにだって判らない、と盈秋は心のなかで反発した。
なにかの因果か。親の代からの宿縁か。
だがそれでもひとつだけ。ひとつたけ言えることはある。
前回も。そして今回も。降ってわいた災難がきっかけだったとはいえ、最後に首をつっこむと決めたのは、紛うことなく自分自身だということだった。
「······決めたから」
「は?」
「私が、李鷹を手助けしてあげるって決めたんだから!」
「······あっそ」
出来もせぬくせに。そんな考えが透けてみえる態度で、布帛は鼻を鳴らす。
ギラリと、おなじく琥珀の眼光で、腰をあげた桃霞が布帛を射すくめた。
『盈秋を嗤うな』
「嗤う? 俺がなにか言ったかな」
『口にせずともわかる。人の助けになりたい盈秋の想いは正しい。正しい想いを嗤うのは間違ってる』
「あん?」
布帛の表情がより険しくなる。
李鷹と相対していたときは、それでもまだ顔馴染みの情が残っていた。
だがふたりにはその限りではない。あいては年端もいかぬ童女だから、という、およそ人間らしい感情を、この仙人はとっくに置き忘れてきたらしい。
「······正しい人間······正しい想い、か。じゃあさ、なにか? 俺たちの想いが間違ってると? わかった風なこと言ってくれるよ······」
『去れ。さもないと容赦しない』
ピクリ、と布帛の貌がわずかにひき攣った。
「······李鷹ならまだしも。影鬼どもにさえ及ばない、君のような若僧が? なにを出来ると?」
『お前は、民草の及ばぬ天下の脅威。──倒す、桃霞が』
チッ、と舌打ちが聞こえた。布帛はあきらかに苛立っているようだった。毛氈帽をのせた頭を片手でぼりぼりやった。
「······勝手な御託ならべてんじゃねぇ。否定してんのはそっちだろ」
圧力が膨らむ。ゾワリと肌をつたう汗は、はてしてこの暑気によってもたらされたものなのか。
どちらにしても、熱され、蒸された風は、それを払う役には立ちそうもない。
「······まあいいさ。どのみちその心算だった。俺達の事が現代の仙に筒抜けになるのは勘弁だから。
わるいけど、君にも消えてもらうよ?」
いって、さもそんざいに偃月刀の刃先で桃霞を指ししめす。
ただちに影鬼らが反応した。
一気に間を詰め、真正面から桃霞へと集団で殺到する。
桃霞も応じるようにひと声吠えると、抉れるほどに地面を踏みこみ、一気に加速した。
疾い。
瞬きの間に間合いを侵食すると、相手の攻勢をまつ気はないとばかり先手をとる。
勢いそのまま跳び膝が入り、爪で薙ぎ伏せ、掌底で崩し、蹴りあげる。相手に得物を奮わせる間も与えず、影鬼らはまとめて夏の陽炎と変じた。
「!?」
相手の暴れぶりに驚愕したのは布帛の方だった。
その瞬間の硬直をも桃霞は見逃さない。一足跳びに躍りかかる。
──入る!
その刹那、横合いから影鬼の一体が、まるで身を呈して庇うかのように身を投げだしてきた。
「ぬァァァァアアアーーーーーッッ!!」
だがそんな些事が何だというのか。
勢いをのせた蹴りは突き刺さる。前を塞いだ影鬼を霞へと変えるだけでなく、陰に逃れんとした布帛へも追撃の回し蹴りが叩き込まれた。
あまりの破壊力のためか。布帛の身体はあえなく崩れとんだ。
「──やった? 凄いよ姐様っ!」
まさに獅子奮迅。姐分の活躍に、盈秋は顔を輝かせる。
ムフー、と鼻息を荒くした桃霞は、いい汗かいたとばかりに額を拭い、ニカリと勝利の顔で笑った。
「やったね、姐様っ」
盈秋は、彼女が無事にすんだことにホッと息をつきつつ、傍へと寄ろうとした。
だが──
ボヨン。
異様な物が視界へとはいった。それまではなかった、そして自然にはあり得ないだろうものが。
白い──珠? なんだあれは。
まるで白毛の生えた団子のようなものが。
てんてんと、布帛の倒れた場所に無数に転がっていた。大きさは、大人の掌に余るくらいか。
その得体のしれぬ何かは、みずから動いたわけではないようだった。ただ成り行きで転がっていた。
「······ねぇ、姐様······それ、なに?」
盈秋は目を釘付けにされながら、口籠るように問う。
『ん?』
いわれて桃霞もやっと気付き、足元に転がるそれを見つめた。沓先でかるく転がしてみる。とくに変わり映えのある反応はなかった。
『なんてことない。ただの毛玉。アイツの残骸』
「······でも、それおかしくない?」
盈秋は息を潜めてさらに言った。
「······だって。李鷹が彼を破ったときは、あの蒼黒い靄になったのに?」
言われてみれば。
桃霞もふと不安にかられて、無数に散らばる毛玉を警戒の色で見つめた。
そんな最中にも、彼女へと、残った影鬼らがワラワラとしのび寄ってきていた。気付いた桃霞はやむなくとび退る。
影鬼らは彼女を追おうとはしなかった。
皆して白毛玉の散らかる所へ群がると、地面に膝をつき、手にした得物まで置きすて、転がるその毛玉へと手を伸ばした。
つぎの瞬間。
「うッ!」
盈秋は口許を抑えて目を背けた。
喰っている! 影鬼らが布帛の残骸と思しきモノを、我先にと争って喰っている!
肉を千切り、咀嚼する悍ましい音が、それは間違いのない事実だと告げてくる。
『うう、コイツら······』
なにかされた訳でもないのに、桃霞が一歩、二歩と後退る。
完全に気圧されていた。たちどころに無数あった毛玉団子は、影鬼らの腹のなかへと消えていく。
やっと動きを止めた影鬼の群れがゆっくりと立ちあがり、こちらを捉えた。まるで、まだ食い足りぬとでもいうような、狂気じみた光をたたえた視線に、盈秋はかるく悲鳴をあげた。
そのうちの一体。唯一たち上がることも、こちらへ振り返ることもなかった影鬼の一体から声が発せられた。
──痛いなぁ。おもわず死んじゃったじゃないか──
ああ、声。またあの声だ。
ゆっくりと立ち上がった背中が、見る間に塗り替えられていく。
「そんな。また······なんで?」
そこには、先程とまったく変わりなくたたずむ布帛の姿があった。愕然とするふたりに、布帛は呆けをみるような瞳をむけた。
「何でかって? 俺には容易いことさ。ほら、こんなことだって出来る」
バッと派手に袖をふり仰ぐ。
と、なんと。あの毛玉肉を喰った影鬼のすべてが、たちどころに布帛の姿へと変じた。
「なっ!?」
「ッ! アアアアァァーーーーーッッッ!!」
恐怖にかられたか。桃霞が弾かれたように飛び出し、布帛らへと襲いかかった。
「「「アハハハハハハ!!!」」」
ひとり、ふたり、と、瞬く間にひき裂かれ霞となって散っていく。にもかかわらず、我知らぬこととばかり、まったく同音の哄笑が別々の口から溢れでる。
そうして最後のひとりとなった布帛は、いとも容易く桃霞の拳を受けとめた。
「俺を殺そうなんて無駄だよ。だってもう、死んでるから」
間髪入れず、軽々と偃月刀を振りまわす腕力を、桃霞の腹へと見舞った。
桃霞の身が、重みのうえでそれに代わる筈もない。凄まじい衝撃で地面に叩きつけられると、はずんみで吹き飛ばされ、地面を転がってやっと止まった。
「姐様ぁッッ!!」
悲鳴にもにた盈秋の声が響き渡った。
碧陽の鬼仙・布帛は、ほかの四人とは違い、器物をその基とした仙ではない。
彼の基は羊。つまり、彼のみが生ある獣の昇じた仙人である。
限られた生命である以上、彼は経緯として、これまで数多くの死を経験してきた。
何度も、何度も、何度も。
数えるのも億劫になるほど死んだ。
毛を、肉を、骨を、血を。まさしく全身全霊を、碧陽の民のために捧げてきたのだ。
個、などというものはとっくに削げ落ち、ないまぜになって、もう自分という存在の基がなんであったのかさえ、彼のなかでは散漫となっているだろう。
ゆえに。
彼は、犠牲を怖れない。みずからを犠牲とすることに、疑問さえ持たない。
誰かのためになるのなら、己が身を一滴たりと惜しむことなく与えることに躊躇しないだろう。
布帛とは。
真の意味で個にあらず、また、個をさす名称ではない。
幾星霜を城郭のために捧げきた、羊どもが魂魄のより合わさった姿である。
「······虎、ね。地においては常に強者。つねに喰らい、奪う存在。たいしてこちらは、常に奪われる側だ。いつも糧となり、犠牲となってきた。
けれど。死後までもその関係が続くとは限らない」
いつしか一帯の空は、曇天に占められていた。
夏の通り雨か、ぽつぽつと雨粒が地面に湿りをあたえ始めている。
自然界において絶対である力の理を超えた、摩訶不思議な逆転現象が起こっていた。
弱いは、強い。
一部、修正いたしました。




