一二 喰われもの③
冒頭、流れがすこしだけ遡ります。
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「追いかける!? 盈秋っ!」
ちゃっかりと居候させてもらっている、雑役らの溜まり場で、桃霞は声を荒げた。
周囲の視線があつまるなか、盈秋が慌ててその口を抑える。目を白黒させながら、それでも抗議の視線をむける姐様に、落ち着いて、と唇の動きだけで促す。
「······ふぅ。はい、姐様。何か言う前にこれ持ってて」
ズイ、と手に乗せたなにかを、桃霞へとつかませた。
「何これ」
目の前に垂らしてみる。
麻紐に、なにか、穴があけられた薄緑の石ころみたいなものが通されている。だいぶ変色してしまっているようだが、いや待て、この臭いは······
「うえっ! なにこれ、アイツの臭いがするっ」
いかにも汚らわしい、とばかり、その飾りを身から離した。
「そこは我慢して。しょうがないの。だってそれ、李鷹の翼の破片だもの」
以前、曹軍との前哨戦があった折。
北岸に沸いた影鬼どもを、李鷹がおのが痛みとひき換えにして一掃した。そのときに砕け散った破片だ。
地に落ちたものはみな融けてしまったが、盈秋が手早く拾いあつめた物はどうしてか、消えることなく手許に残っていたのだった。
うう〜、と唸り、不快の意をしめす。けれども、真剣そのものな盈秋の眼差しに、とりあえず不満の言葉は呑みこむ。
彼女は、「私も、ほらね」と、みずからも襟元に落としていたものをひき上げてみせた。
「本当に効くのかどうか、確実とは言えない。けど、私の勘が正しければこれで大丈夫なはずなの。これがあればきっと、姐様も本気で暴れられる」
「······本気で?」
訝しげに、爪の先にさげられた物を見つめた。
「そう。このさき李鷹だけじゃ、きっと手に負えない時が必ずくる。絶対に。そのときには姐様に頼るしかないの。だから──それをどうか私だと思って······ねっ、お願いっ」
拝みたおす勢いで頭をさげた。こう来られては、桃霞もうなずく他ない。
それでも抗議の意思をこめて、
「······盈秋。ちょっと母上に似てきた」
と、ちょっと嫌味を滲ませると、
「えへへ。そうかなぁ」
と照れくさそうにされた。
べつに褒めてない、と桃霞は思ったが、口には出さずにおいた。
▽
『それにしても盈秋、よく気付いた。えらいっ』
桃霞からのお褒めの言葉に、盈秋ははにかんだ。
「おかしいな、と思ったのは、あの遺跡で矢を射掛けられた時だよ」
思いだす。碧陽の遺構にて、影鬼たちの矢が視えない幕をすり抜けた。そして、自分の投げた石が影鬼どもを怯ませたことを。
はじめは生命なき物だからだ、と思った。
盈秋は、足元にあった石くれを拾いあげる。
「ここいらの石でも、ちゃんと当たってはいたの。もちろん、遺跡のもの程効き目はなかったけれどね。河辺の──それも毎年氾濫する、とても入れ替わりの激しい場所のものなのに。
そして、李鷹と布帛の激突。布帛は自分の武具が、現代で鍛えたものだ、といったでしょ」
たしかにそう言っていた。
『けど、奴は仲間が鍛えた、みたいなこといってた。仙人格がしたことなら、なにか仕掛けがあったかもしれない』
姐からの問いかけに、盈秋は同意する。
「うん。そこはなにか特別な仕掛けがあったのかも知れない。けれど、それでも布帛はいった。『現代で』鍛えたものだ、って」
その一言を聞いた瞬間、解けそうで確信を得なかった疑問が、一気に晴れた。
「つまりね、鍵となるのは【刻の力】なんじゃないかって。
彼等の······布帛や鍼欄たちの生きていた夏王朝の時代から在った存在にしか、彼らに影響を与えられないんじゃないかって思ったの」
影鬼のはなった矢は、当時のものだったから天蓋を通りぬけた。
投げた石も、当時から在ったものだから、影鬼の幕をすり抜けた。
布帛の偃月刀は、現代で拵えたものであっても、当時からいた布帛自身が握ったから、効果をもった······
実際の因果など、細かなことを正しく解ったわけではない。仙人や妖のあれやこれやを此方側の知見で理解することは困難であろうし、言い様を変えれば無理ともいえる。
だが少なくとも、実際の効果はあった。いまはそれだけで充分だろう。
狙いは過たず、これでどうにかなった。あとは李鷹と合流するだけだ。
「さ、あとひと踏ん張り。行きましょう、姐様」
励まして李鷹の翔んでいった方へ視線をあげ、今しも踏み出さんとしたが。
「ッ?······うそ。これは······!?」
いつからだったのだろう。驚いたことに、ふたり揃ってまったく気付けなかった。
また霧だ。
不快なあの霧が、意思の有在を訝るほどに。
するりと心の裏に滑りこむようにして生み出されていた。足先をしずかに浸していたそれは、みる間に膝を埋め、一面を覆い返してしまった。
「そんな······だって、彼は倒れたはず······」
たしかにこの目でみた。布帛は、李鷹によって正常な刻の流れに『還され』た。
もしや彼はまだこの世に留まっているのか。ならば尋常ならざることだ。
いかに仙人、妖の類いとて死ぬことはあるはず。厳密にはともかく、肉体を失えば、それは地上においての活動を封じられるはずだろう。すなわち死だ。
だが、これは。この雰囲気は。下手には動けない。
「気をつけて、姐様······」
近くにいるはずの桃霞へ注意をうながす。
だが返事はなかった。
「······姐様?」
霧は十重二十重に濃く、彼女の周囲をとりまいている。違和感にはっとして、盈秋は振りむいた。
「──ねェ!姐様ッ!?」
まさか、という焦りで声が大きくなった。それでも返事はない。手探りでその姿を捜し求めるが、かえってくるのは虚ろな、湿った空っぽの手応えだけだった。
まさか。
いつの間にかはぐれたのだ。そんな馬鹿な。ついさっきまで、桃霞姐様は目と鼻の先にいたではないか。
盈秋は襟元から背筋へと、ゾオッとうす寒い霧に忍ばれた思いがした。これはまずい。何がおかしい。堪えきれず駆け出したくなった。
泣きべそをかく寸前で踏みとどまりながらも、何者かの陰を、ゆらめく河霧のむこうに動くものを探す。
「······あ」
ホッ、と安堵の息がでた。向こうから誰かやってくる。
次第に濃くなる陰はひとり。背丈からみても大人ではない。とすれば、間違いはあるまい。そう思った。
「姐様っ?」
小走りにより、そっと袖をとろうとする。だが。
「──」
自らの手が意思に反して、すんでのところでピタリと止まった。
あきらかに異質なものを感じた。
冷たい、それでいてつき纏うような、嫌な空気。まるで墓穴のなかに手を突っ込んだような······。
霧が過ぎる。
これまででもっとも間近にみる、影鬼の姿だった。
まだ童だった。なんと無表情な、蒼い顔だろうか。本当に、魂の抜け落ちた死者の顔だった。とても元はおなじ人であったことが信じられないほどの──
「やっ!」
やっと硬直が解けたときにはすでに遅かった。
影鬼の手が、流れんとする彼女の袖にかかりかけた。
駄目だ、掴まれるっ······
自分の思いつきは、起死回生の一手だったはずだ。そして抜かりなく、事は進んだ。窮地は脱した。そのはずだったのに······
『──盈秋ッッッ!』
間一髪。靄の奥から突撃してきた桃霞が、体当たりするように彼女をかっ攫う。胸元へ抱きとめるように強引に救いだす。余勢を活かし、そのまま距離をとった。
危なかった。
今さらながらに心の臓が高まり、耳元で脈動の音がうるさく響く。
「っ······ありがとう、姐様」
ようやく息がはいったところで、またも息を呑んで盈秋は顔色を変えた。
自分を庇ったためか。桃霞の左二の腕辺りで袖が裂け、血まで滲んでいる。
「姐様っ!」
『心配ない、かすり傷』
霧が晴れる。ふたりは周りを囲む影鬼どもへ向き直った。
「······まだこんな数が潜んでいただなんて」
推測にはなるが。これはあの布帛が、倒れる前に仕込んでいたものか。
どう転んでもよいように、二重三重に備えを怠らない。周到さが厄介だった。せっかく桃霞姐様が奮戦してくれたというのに。
また、あの視えない幕が周囲とこの場と外界とを隔絶し始めている。けれど。
「······やるしかないの、姐様」
『当たり前。盈秋の身は桃霞が護る!』
そう。もうやられっぱなしではない。盈秋が拵えてくれたコレがあれば、きっと──
──おっかしいな。君たちが彼らに対抗できる筈はないんだけどね──
不意の声がわって入った。盈秋は目を見開き、我が耳を疑った。
そんな筈はない。だってこの声は······
群れが左右に分かれ、ひとり影鬼が歩みでてくる。
何処といってまわりの者と変わりのない。だがその声は、あきらかにその個体から発せられたものだ。
──ああ、窮屈だ──
喉元で詰まったものがごろごろするような、不快な声をだった。影鬼はみずからの口許へ両手をつっこんだ。そのまま、なんの躊躇もなくグイグイと横へひっ張り続ける。
ミリ、と嫌な音がした。
「ひっ」
直視に耐えず、盈秋はおもわず顔を伏せてしまった。
グジュグジュと聞くもおぞましき音がつづいて、とてものことに目をあげられない。
「······ふぅ······あー、しんど」
やっと音がやみ、明解さをました声が聴こえた。
盈秋は顔をあげ、そして──まったく望んでいなかった正解をみた。
そこに飄々と立っていたのは、間違いもなく。
「そんな······布帛!!?」
微修正いたしました。




