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婚約破棄から始まるオムニバス  作者: m


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㉔ルシエラの場合

蛇足的な続き、ではあるけれど。


「君との婚約は無かったことにしてもらいたい」



 その瞬間、観客は皆、その言葉を告げられた令嬢役の少女を見つめていた。

 

 少女の表情は、観客側には背を向けていて見えない。

 けれどその肩先のわずかな震えと、決して俯くことのない、真っ直ぐに伸びた背筋に、観客は皆、ヒロインの受けた衝撃と矜持を感じとっていた。


 その瞬間ルシエラは、今宵の劇の成功を確信したのだった。



 

 黒のミニドレスを身に纏った友人が、ガラス戸を押し開けて店に入ってきたのに目を留めて、ルシエラは軽く右手を挙げた。


「こっちよジャッキー」


「ルシエラ!ごめんなさい、待たせちゃったわ」


「いいのよ、お仕事お疲れ様」


 息を整えながら近付いてきたジャッキーの金髪の巻き毛が、汗で額に張り付いている。

 夕方まで降り続いていた雨はもう上がったとはいえ、外は秋にしては幾分か、蒸し暑いままのようだった。

 

「最後のお客様がなかなか帰ってくださらなくって、ヤキモキしちゃったわ」


 春に一緒に学院を卒業した後、ジャッキーはその容姿と元々の興味が高じて、この通りの少し先にある美容品店に勤め始めていた。

 元々華のある美人だったのが、学生の頃よりも一層、その化粧とセンスが洗練されてきている。


「大変ね、一日中お客様のお相手でしょう?」


「そうなのよ、『お似合いですわマダム、お美しいですわマダム……』まるでそう喋る機械にでもなったみたいよ」


 そう言って肩をすくめる友人の美しい化粧の下に、隠し切れない隈がのぞいている。


「分かるわ。私も毎日、タイプライターと指がいつかくっ付くんじゃないかって、思ったりしているもの」


 ルシエラは今、この通りの反対側にある速記事務所で、タイピストとして働いている。

 まだ新人なので、ジャッキーのように直接顧客と接する機会は少ないが、日がな一日、タイプライターを叩き続けて終わる毎日なのだった。


 さっき化粧直しは済ませたが、自分だって、友人とさほど変わらない、疲れた顔をしていることだろう。



「それで?大成功だったんでしょう?“劇作家”ルシエラ様の劇場公演は」


 互いに注文した料理が運ばれて、一通り無言で食べ進め、ようやっと気力が回復してきたところでジャッキーがそう切り出した。

 さっきまで齧り付いていた付け合わせのラディッシュを、今はきちんと切り分けながら話しかけてくる。


「いい出来だったわ。でも学生演劇が一本当たったくらいで、作家になんてなれる訳ないわよ」


「そうかしら?そんなの分からないじゃない。ああでも、どうして私、仕事だったのかしら……!見たかったわ、オルコット家の末裔、ルシエラ・バウンズリー作『婚約破棄された令嬢の、その弟の手記』」


「新歓公演で一度見たじゃない。基本的な筋は、今回も変えていないわよ」


 去年の夏、ジャッキーと共に母の実家であるオルコットの叔父の屋敷へ訪れた際、高祖母の弟であったキール・オルコットの手記を見つけたのがそもそもの切っ掛けだった。

 そこには、ルシエラの知らぬオルコット家の歴史の一端が、書き手の真面目な性格を反映してだろう、淡々と、そして整然と綴られていた。

 

 中でも目を引いたのは、キールの姉である高祖母の、一人目の婚約者との婚約破棄の顛末だった。

 滞在中ずっとジャッキーと、その“婚約破棄”劇と、その後の、王家の一員であった高祖父とのロマンスについて、叔父を巻き込んで大いに盛り上がったのは言うまでもない。



 休暇後、ルシエラは手遊びに、その手記を元にした劇の脚本を書き上げた。

 手記の作者であるキール高祖叔父様に敬意を込めて、彼が姉の婚約破棄を回顧する、という主軸で展開する群像劇を。


 唯一の読者であるジャッキーに、面白いと太鼓判を押されたその脚本を、卒業する時に、生徒会の後輩に贈呈したのはほんの冗談のつもりだった。


 毎年、生徒会が主導して行う「新入生を歓迎する会」の目玉である劇作品の選考は、代替わりしたばかりの生徒会の者たちにとって悩みの種だったからだ。 

 後輩達へのささやかなエールのつもりで、ここ数年マンネリになっていた演目の参考にでもなればいいと思ってのことだった。


 そうして新入生やその保護者、在校生と、ルシエラやジャッキーという一部の卒業生達が見守る中で上演された劇が、ルシエラ作の「婚約破棄された令嬢の、その弟の手記」だった。


 それは予想以上の出来栄えで、万感の拍手でもって幕を閉じ、ルシエラは思わぬ披露目となった自作脚本と後輩達の活躍に、胸を撫で下ろしたのだった。



 けれどその劇が、市の演劇コンクールのオープニングを飾る招待作品に選ばれたのは、誰にも予想もつかぬ展開であった。

 そしてその為にルシエラは、思いもかけず、原本の脚本家として、諸々の修正に追われることとなったのだ。


 丁度その頃、仕事を始めたばかりのルシエラにとって、その修正作業はなんとも過酷なものだった。


 夜毎に疲れた身体に鞭打って、同じく突然のイベントにてんやわんやな後輩達と打ち合わせを重ね、ようやく先日、市の一番の劇場で行われたオープニングセレモニーの日を、なんとか迎えたところだった。



「ねぇルシエラ、プログラムの、ヒロインの“元”婚約者の名前、“エドマンド”って、あのエドよね?」


 そう問いかけるジャッキーに、ルシエラは思わずにやりと笑う。


「そうよ」


「あの休暇中、ルシエラ以外の女と旅行に行っていた例の?」


「そう、その“エドワード”よ。お祖母様の元婚約者様のお名前がね、キール叔父様の手記のどこにも、その家名すら残っていなかったから」


 高祖母に婚約破棄を突きつけた、とされているその人物の名は、手記のどこにも記されていなかった。

 ある日の茶請けに出た菓子のことや、姉夫婦の初めての喧嘩の仲裁など、瑣末なことまで丁寧に記されているにも関わらず。 


(キール叔父様の、『オルコットの歴史に、その名は一字たりとも遺さない』、という気概を感じたわよね)

 

 元婚約者も当然貴族だったろうが、優秀な王宮官吏だったらしい高祖叔父と、元王子の高祖父を敵に回して無事だったのかどうか……気になるところではある。



 脚本を書くに当たって、登場人物達の名は全て、少しずつ変えている。

 だから高祖母の元婚約者の名前に、去年、休暇が終わってから別れた恋人の名をもじって付けたのは、ルシエラなりの、学生時代への感傷というか、まぁ洒落のようなつもりだった。

 

 学院の劇場よりも広い舞台で、一人名残惜しげに退場していく“エド”の姿は、たとえ役名だけでも、少しばかり胸のすくものだった。



「そんなことよりもねジャッキー、今日はもっとすごいニュースがあるのよ」


 今日彼女をこうして呼び出したメインは、劇場公演の結果報告ではなかった。 

 しかしある意味、これも劇の副産物と呼べるかもしれない。


「驚いて頂戴、なんとオルコットの叔父様が、結婚、するのよ……!」


「……ええっ?!あの?あの叔父様よね?」 


「そうよ、あの泣きながら、自分の代でオルコットを終わらせるって言っていた、あの叔父様がよ!」


 言いながら自分で、声が大きくなってきたのが分かって、ルシエラは慌てて周囲を見渡して口を噤んだ。  

 カフェは丁度夕食時で、ルシエラ達と同じように勤め帰りの客で賑わう店内に、その声は掻き消されていったようだった。


「公演の時にね、叔父様、差し入れのために大量のビスケットを抱えていらしたのよ」


 高祖父母の物語が上演されることを、叔父は当初から、思いの外面白がってくれていた。

 そして今回、その公演を観るために、あの町どころか、オルコットの地所からも滅多に出ない出不精の叔父がやってくると聞いて、ルシエラも母も驚いたのだった。


 それはもう勤め人として働きに出ているルシエラに、母から小遣いが支給されるくらいの快挙だった。



 そうしてやって来た叔父が、クロークに預けるはずの荷物を抱えて席を探して右往左往していたところを、手助けしてくれたのが馴れ初めだったのだと言う。


 抱えた包みを見た相手に、「オルコットのビスケットは子供の頃からよく食べていた」と言われ、礼を言って名乗ったら、創業者一族だとバレるのは当然の流れだった。


「自分のところのビスケットが繋いだ縁だなんて……なんて言うか、オルコット家って本当に物語みたいね……」


 呆けた顔でしみじみとジャッキーが呟いている。


 あの日、楽屋に来てくれた叔父にそんなロマンスが生まれていようとは、当日に会っていたルシエラにだって思いもよらぬことだった。



 昨年の休暇中、およそ一年ぶりに会う姪とその友人をもてなす為に、叔父が開けてくれたのは、秘蔵のプラム酒だった。

 高祖父が、屋敷を建て替える前からすでにあったという中庭のプラムの古木は、キール叔父の手記にもその記述が残っているくらい、一族にとっては馴染みの木であるようだった。

  

 そして叔父が酒に弱いことを、ルシエラは知らなかった。


「こんな田舎のただっ広い屋敷を、ルシーに遺したって困るだろう?だから、いいんだ」


 熟成されて度数の増したプラム酒で、ベロベロに酔った叔父は泣きながら、この屋敷の主人は、自分で終わりだと語ったのだ。


 母よりも年下だとは言え、一回り以上年上の男性のそんな様子に、ジャッキーともども、ルシエラは呆気に取られ、そして狼狽え、最終的には匙を投げたのだった。


 そして翌日、二日酔いで土気色をした叔父は、昨夜年下の姪の前で泣き崩れたことなど、綺麗さっぱり忘れ去っていた。


 何となくルシエラは、この叔父が長く独身でいる訳を、色んな意味で悟ったような気がするのだった。



(でも実際、本当に継ぐとなったら、私……投げ出してしまうかもしれないわ)


 大人になって、こうして改めて訪れてみて思う。

 何も知らないまま、気軽に相続するには、この屋敷にも土地にも……色々なものが詰まりすぎている気がする。


 この地で一人、唯一の跡取りとして生きてきた叔父の人生とは、どんなものだったのだろう。

 子供の頃、広くて怖いばかりだった屋敷は、大人になってみても同じように、広く果てしない屋敷なのだった。


 それでも、屋敷を取り囲む、どこまでも続く麦畑は美しかった。

 プラムの木陰で飲む、レモネードの冷たさと、ジャムを載せたビスケットの美味しさも。


 そうして過ぎたオルコットでの夏は、叔父の秘密を握った者同士、ジャッキーとの友情を、より一層、特別なものにしてくれたのだった。



「……それでね、劇場での出会いの切っ掛けは私だからって、来春の結婚式での、ブライズメイドを頼まれたのよ」


「あら、いいじゃない!当日のメイクは任せてくれていいわよ。以前からずっと、ルシエラの金色の瞳に似合うメイクを温めていたのよ」


 結婚する叔父と同じ金色の瞳は、オルコットの血筋に、かつて王家の血が混ざったという証だった。

 けれども単にその虹彩の美しさを、ルシエラ自身は気に入っている。


「貴女も一緒にやるのよジャッキー。叔父様達のご指名よ。なんたってオルコットは叔父様一人だし、参列者も少ないんだから。一緒に歴史的な瞬間を見届けて頂戴」


 あのオルコットの屋敷で結婚式が執り行われるのは、まだルシエラが産まれる前、今は亡き大伯母様が最後らしいから、もう数十年ぶりのことらしい。

 すでに爵位も土地の大半も手放したとはいえ、オルコットはあの土地の旧家だ、きっと地方の新聞社くらいは取材に来ることだろう。


「まぁ光栄だわ!じゃあこれで、ビスケットの刻印に“オルコット”が刻まれる未来は繋がったのね」


 叔父達を結びつけた、オルコット印のビスケット。

 高祖父であるエリオス王子が、妻であるシエラのために興した、オルコットの輝かしい歴史そのものの菓子。

 

 叔父達に子供が産まれるのかは分からないが、それでも、もしかしたら。

 あの地に、まだオルコットは続いていくのかもしれない。


 あのプラムの中庭で、子供達の笑い声が響く日々が、まだ。



「ルシエラ、とりあえず今日、オルコットの叔父様に乾杯しましょう」


 ジャッキーがメニューを取り上げて、ウエイターに合図した。


「ごめんなさいジャッキー、実は今日、私そんなに持ち合わせが……」


 月末ともなれば、新人タイピストの僅かばかりの給与など、風前の灯だった。


「いいのよルシエラ。今日は貴女のお祝いでもあるんだから。それにね、最後のお客様のチップ、ちょっと気前が良かったの」


 そう言ってチャーミングに片目をつぶって見せて、近寄ってきたウエイターに、シャンパンを二つ注文してくれる。

 程なくして運ばれてきたシャンパンは、手頃なカフェの見慣れた安っぽいテーブルの上ででも、美しく輝いて見えた。


「ねぇ、最初は何に乾杯しようかしらね?」


「それは勿論、」


 二人向かい合って、笑い合う。


「「オルコットに!」」



 オルコットが繋いできた未来に、どうかこの先も、幸あらんことを。


 弾けたシャンパンの泡は、ルシエラの瞳のように金色に輝いていた。



叔父様は超スピード婚。


もうあれで終わりだ、と思っていたのですが、予想外に続いてしまいました。

オルコットに、乾杯。



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