本能と理性
◇
「……馬鹿な、こんなことが現実にあってたまるか……!」
統合作戦司令官の引きつった口元から、呆然とした絞り出すような声が思わず漏れ出していた。
中央作戦会議室の大型スクリーン一面に映し出されているその圧倒的な光景は、その場に集まった一国の知性を代表する誰一人として、到底理解も許容もできるような代物では到底なかった。
ドォォォォォォン!!
地響きを伴う轟音とともに、目も眩むような純白の閃光が、荒廃したアスファルトの地面を一直線に雷のごとく駆け抜けていく。
その光の恐るべき軌跡上に運悪く存在していた大型の鋼殻獣たちが、十頭、二十頭と弾け飛ぶように次々と爆散して命を散らしていく。
それは高温の爆炎による破壊などでは断じてない。
近代兵器による無差別な重砲撃などでも決してない。
ただ一人の人間が、全身全霊を込めて振るった純粋極まる一振りの斬撃。
ただそれだけの事実によって、かつて戦車の主砲すら易々と弾き返していた鋼鉄よりも遥かに強固な怪物の甲殻が、まるで水に濡れた脆弱な紙細工のように無残に切り裂かれていたのである。
「映像をその場で固定して止めろ!」
「該当領域を限界まで拡大投影だ!」
現場の異常性を察知したオペレーターの手が、慌ただしく混乱しながら操作卓のキー配列を狂ったように叩きつける。
そこに鮮明に映し出されたのは、至高の神気を纏った一人の青年。
白銀に光り輝く身の丈ほどもある大剣を、まるで竹刀でも扱うかのように軽々と片手で振り回す隊長・海斗の姿であった。
『ガアアアァァァッ!!』
凄まじい風圧とともに、特級危険種とされる狂乱個体がその丸太のように太い巨腕を頭上から力任せに振り下ろして襲いかかる。
しかし海斗は、迫り来る死の巨腕に対して避ける仕草すら一切見せようとはしなかった。
「……邪魔だ。」
静かで、冷徹なまでに落ち着き払った一言。
次の瞬間──。
ズバァァァァァッ!!
振り下ろされた猛威たる巨腕ごと、狂乱個体の巨大な上半身が一刀両断ののちに真っ二つへと両断された。
その白銀の刃が巻き起こす絶大な斬撃の勢いは留まることを知らず、背後に控えていた十数頭の鋼殻獣の群れまでを一括してまとめて豪快に切り裂いていく。
「一撃……だと……!?」
防衛大臣は椅子から立ち上がり、あまりのショックにそのまま開いた口が塞がらず立ち尽くす。
「我が国の特殊部隊すら全滅に追い込んだ、あの災害級に匹敵する狂乱個体を……たった一撃の斬撃で切り捨てたというのか……!?」
その海斗のすぐ目と鼻の先の隣では、副隊長の圭が白銀の槍を風のように旋回させていた。
煌めく白銀の光線が綺麗な円を描いて空間を切り裂いたその瞬間、周囲を取り囲んでいた十数頭の鋼殻獣の巨体が同時に浮力を失って宙へと高く舞い上がった。
さらに、後方で歩兵用小銃を構えた精鋭隊員が、静かに引き金を引く。
パンッ!
戦場の狂騒の中ではあまりにも乾いた、たった一発の銃声。
ただそれだけの小規模な攻撃に過ぎなかった。
しかし、その銃口から解き放たれた一弾は、眩い白銀の光線と化して一直線に地平線へと伸びていき、その直線上の進路に存在していた魔物たちを何十頭も容赦なく貫通し、そのまま遥か彼方にそびえ立つ高層ビルの巨大な壁面までをも容易くぶち抜いて消え去っていったのである。
「銃弾が……巨大魔物の群れを何頭も貫通しただと……!?」
先端科学の研究者が、自身の信じてきた科学知識を根底から否定されたかのようにガタガタと全身を震わせる。
「あれは装甲車を撃ち抜くような対物ライフルなどでは決してありません!」
「どこにでもある、ただの歩兵用のアサルトライフルです!」
「そんな馬鹿なことが……こんな現象が物理的にあってたまるか……!」
会議室に集まった誰一人として、目の前で起きている現実を理解することができなかった。
現代人類が誇る最強の近代兵器の数々をもってしても擦り傷一つすら付けられなかった最凶の魔物たちを、生身の人間たちがまるで作業のように簡単に屠り去っている。
そのあまりにも非現実的な光景は、彼らがこれまで積み上げてきた常識という概念そのものを根底から完膚なきまでに破壊し尽くしていた。
◇
一方その頃、白銀の攻防が激しく繰り広げられる戦場を遥か高みから見下ろす崩落した高速道路の上。
月詠霞は、心底退屈そうに小さな可憐な手で口元を覆いながら欠伸を漏らしていた。
「ふぁ……。」
懸命に戦う海斗たちの圧倒的な無双ぶりをそんなどこか冷めた目で見つめながら、彼女は小さく可愛らしく呟く。
「……うーん、ちょっとばかり彼らに与える力を調整し間違えて、強すぎる力を与えすぎちゃったかしらね。」
彼女の立ち尽くす周囲の空間だけは、まるで外界の地獄絵図とは切り離された全く別の聖域であった。
戦場を覆い尽くす激しい金属音や咆哮といった殺伐とした轟音すら、彼女の領域には一切届かない。
澄み渡った白銀の神気が周囲の空間で静かに美しく揺らめき、不可侵の神聖な空気を作り出していた。
『グルルル……。』
しかし、あの超大型個体《黒鋼帝》だけは、配下の魔物たちが討ち取られていく中でも一切動こうとはしなかった。
その山のように巨大な頭部に嵌め込まれた恐ろしい黄金の瞳で、高速道路の上の小さな少女・霞のことだけをただじっと見つめ続けていたのである。
「……。」
霞もまた、その視線に気付いて可憐な瞳をそっと怪物へと返した。
「あなた。」
「ふふ、他の有象無象の虫ケラどもに比べたら、少しは賢い頭脳を持っているみたいじゃない。」
本能のままに目の前の餌へと突撃してくる愚かな普通の魔物たちであれば、とうに彼女に向かって襲いかかっていたはずだった。
だが、この黒鋼帝だけは違っていた。
怪物としての卓越した本能によって、明確に理解していたのである。
目の前に静かに佇むあの小さな存在だけは、何があろうとも絶対に敵に回してはならない絶対的な天敵である、と。
しかしそれと同時に。
長年自らの絶対的な縄張りとして支配してきた領域に侵入してきた異物を容赦なく排除しなければならないという、刷り込まれた魔物としての本能も確かに存在していた。
絶対的な恐怖と、抗えぬ駆逐の本能。
その二つの巨大な感情の間で繰り広げられる、怪物ゆえの激しい葛藤。
そしてついに──。
『グオオオオオオオオオッ!!』
黒鋼帝が、天を仰いで世界を揺るがすほどの激しい大咆哮をあげた。
あまりの音圧に大気が目に見える波動となって震え上がり、周囲に残されていた廃ビルの強化ガラスが一斉に爆発するように粉々に砕け散っていく。
足元の大地が波打つように酷く歪み、巨大な瓦礫の山が空中へと高く跳ね上がる。
その怪物の山のような超巨体が、ついに意思を決して前へと動いた。
一歩。
ズシン。
二歩。
ズシン。
ただ歩を進めるというその単純な動作だけで、分厚いコンクリートの道路が陥没し、地響きが周囲一帯に激しく轟きわたる。
「……お。」
霞はそれを見て、薄桃色の口元を少しだけ楽しそうに緩ませた。
「ふふ、やっとその重い腰を上げてこちらに来る気になったのね。」
黒鋼帝は、その巨体に見合った山のごとき巨大な拳を空高くへと豪快に振り上げた。
城砦の如く巨大なその腕。
あの桁外れの質量と破壊力が上空から振り下ろされれば、かつて人間たちが築き上げた何十階建ての高層ビルすらも一瞬で塵芥へと粉砕してしまうほどの絶大な威力を誇る。
遠く離れた中央シェルターの作戦会議室からも、その絶望的な光景に耐えかねた悲鳴が次々と巻き起こる。
「危ない、逃げろ!!」
「早くそこから離れるんだ!!」
「お願いだ、あの小さな女の子だけでもどうにかして逃がしてくれ!!」
画面越しにしか届かない声だと知りながらも、誰もが祈るような心地でスクリーンに向かって必死に叫び声を上げていた。
しかし──。
渦中の霞自身は、迫り来る死の巨拳を前にしても一歩たりとも動こうとはしなかった。
それどころか。
ただ面倒くさそうに、心底呆れた様子で小さくため息を漏らしてみせる。
「はぁ……。」
「身体が大きいだけで、何の芸もない単純な攻撃ね。」
黒鋼帝の山のような巨拳が、空気を爆ぜさせながら直撃の軌道を描いて落ちてくる。
超重量の圧力が空気を激しく圧縮し、周囲の空間が爆発する。
凄まじい破壊の音。
そして──
ドゴォォォォォォン!!
一瞬にして周囲の視界を完全に遮るほどの、絶大な土煙と粉塵が空高くへと舞い上がった。
中央シェルター内。
作戦会議室に集まっていた全員が、あまりの惨状に息を呑み、絶望に打たれて完全に言葉を失う。
「直撃……してしまった……。」
誰かが、今にも泣き出しそうな痛々しい声で呟いた。
あれほど小さく儚い少女なのだ。
あの山が崩れてきたかのような超絶的な打撃を受けて、無事で済むはずなど到底あり得ない。
ゆっくりと、しかし確実に風に流されて土煙が晴れていく。
その破滅の中心。
そこに存在していたのは──。
煌々と輝く白銀の美しい結界の中で、着ている服の裾一つすら一切乱れることなく、涼しい顔で凛と立ち尽くす霞の姿であった。
彼女はただ、可憐で白く細い片手を軽く前方へと差し出しているだけ。
黒鋼帝のあの山のように巨大な黒鉄の拳は、彼女のそのあまりにも小さな手の中央で、まるで目に見えない壁にぶつかったかのようにぴたりと完璧に受け止められて止まっていたのである。
「……え?」
会議室の誰かが、自身の目を疑うように呆然とした声を漏らす。
「止め……た……?」
「あの化け物の全力を……たった片手で……!?」
「あり得ない……こんなことがあり得ていいはずがない……!」
会議室の中にいた国家の中枢たる人間全員の思考が、完全にキャパシティを超えて停止した。
目の前の光景を理解できず、誰もが思考の泥沼へと沈み込んでいく。
当の霞は、そんな静寂の中で心底困り果てたように首を可憐に傾けてみせた。
「ねえ、あなた。」
「……それ、本気でやってるの?」
その可憐な声は、本来であれば戦場の狂騒の中に消えてしまうほどに小さいものだった。
しかし、その言葉は黒鋼帝の脳裏へと直接叩き込まれるように、はっきりと届いていた。
次の瞬間──。
怪物《黒鋼帝》の山のごとき巨体が、狂ったような恐怖によってわずかに、しかし確実にガタガタと震え始めた。
その身体に宿る本能の全てが、最大の絶叫をもって告げていた。
目の前で自分の全力を軽々と片手で受け止めているこの存在は、弱々しい人間などではない。
自分と同類の凶悪な魔物などでも決してない。
──自分という存在が逆立ちしても決して敵うはずのない、この世界を統べる絶対なる「神」なのだと。




