第二基地を楽園に
重厚な幾重もの鋼鉄の隔壁が、重々しい音を立ててゆっくりと左右へ開いていく。
三年間閉ざされていた防壁の向こうから射し込んできたのは、やわらかな太陽の光と、地下全体を心地よく包み込む白銀の神気だった。
薄暗い通路で身を固めていた政府幹部や自衛官、そして配給所に集まっていた数千人の生存者たちの視線が一斉に注がれる。
光の中から姿を現したのは、神具を携えた十人の精鋭部隊。
そしてその中央には、片手で自分の背丈ほどもある超巨大な魔石を軽々と抱えた一人の可憐な少女──月詠霞がいた。
その圧倒的な存在感を前に、配給所にいた人々や自衛官たちは息を呑み、思わずその場にひざまずいていく。
「……お初にお目にかかります。私はこの避難拠点の責任者を務めております、神宮寺と申します」
最前列にいた内閣総理大臣・神宮寺隆一が、深々と頭を下げた。
「我が国を長年苦しめてきた《黒鋼帝》を倒し、私たちを救ってくださったこと、心より感謝申し上げます」
一国のトップが深く頭を下げる光景にも、霞は特に驚く様子もなく、フンと可愛らしく鼻を鳴らした。
「ふん……まあまあ礼儀正しいじゃない」
霞は抱えていた超巨大魔石を、ズスンと床へ無造作に置いた。それだけで、地下施設の中に温かな神気が心地よく広がっていく。
「言っておくけれど、勘違いしないで頂戴ね。私はあなたたちを可哀想に思って助けたわけじゃないわ。……あなたたちが、ちゃんと私を敬える人間かどうかを確かめに来ただけよ」
霞は扇をパッとお開くと、ツンとした態度で神宮寺を見下ろした。
「私の名前は月詠霞。この世界の絶対神よ。元・総理大臣だからって特別扱いなんてしないわ。私を神様として敬って、しっかり敬意を払いなさい。そうすれば、お腹いっぱいのご飯と安全な暮らしを用意してあげるわ」
傲慢で高飛車な言い草だが、そこに悪意がないことは誰の目にも明らかだった。何よりも「お腹いっぱいのご飯と安全」という言葉は、極限状態にいた五千人の生存者にとって、何よりの救いだった。
神宮寺はホッと胸を撫で下ろし、穏やかな笑顔を浮かべて深く頷いた。
「ええ、もちろんです。肩書など、今の私たちには何の意味もありません。霞様を私たちの神として仰ぎ、心からの敬意をお払いすることをお約束いたします」
『感謝いたします、霞様……!』
『ありがとうございます……!』
総理の言葉に続くように、広場にいた人々から温かい歓声と感謝の声が上がった。
霞はみんなの言葉を聞くと、どこか誇らしげにフッと不敵な笑みを浮かべた。
「ふふっ、良いお返事ね。それじゃあさっそく──」
霞は言葉を区切ると、広大な地下施設の天井や周囲の壁を見渡した。
非常灯が頼りなく点滅し、薄暗く冷え切った空間。設備自体は日本最大級の規模を誇るだけあって立派なものの、電力も資材も底をつき、崩壊寸前といった惨状だ。
「……うーん。5000人も一気に私の基地へ引っ越させるのも移動だけで面倒だし、ここ、せっかく設備だけは立派なんだからそのまま使いましょう」
「えっ? ここを、ですか?」
神宮寺が驚いたように目を丸くする。
「そうよ。電気が足りないなら魔力で動かせばいいし、壊れている設備は魔石のエネルギーで動かせばいいわ」
そう言うと、霞は先ほど床に無造作に置いた《黒鋼帝》の超巨大魔石へと視線を向けた。赤子の背丈ほどもあり、深紅と黄金の光が重厚に脈動する結晶体。
「ちょうど今倒してきたあの大物の魔石があるじゃない。災害級のコアなんだから、蓄えられている魔力量も規格外よ。これひとつあれば、この巨大シェルターの全設備を動かしても……そうね、何十年かは余裕で保つわ。地下で生活を立て直すには十分すぎる時間でしょう?」
「な、何十年も……!?」
作戦会議室にいたエネルギー技術者や科学者たちが、その言葉に目を見開いて息を呑んだ。
霞は指先を魔石へ向けて軽く示すと、魔石に秘められた莫大なエネルギーを施設のメインシステムへと接続させた。
ポンッ!
小さな音とともに、魔石から溢れ出した眩い光線が回路のように分岐し、地下施設全体の配管や主電源回路へ向かって勢いよく駆け巡っていった。
次の瞬間──。
ブワッ……! ガコンッ!
暗かった地下空間が一斉に明るい光で満たされた。
途絶えていた電力が瞬時に復旧し、停止していた大型の空気清浄プラントが心地よい重低音を立てて全開稼働を始める。冷え切っていた室内に温かな風が吹き抜け、換気口から新鮮な空気が送り込まれていく。
「全階層の主電源、完全に復旧しました!」
「メインサーバー稼働! この巨大魔石の出力……驚異的な安定性です!」
「水質浄化プラントおよび温水循環システム、正常稼働を再開!」
オペレーターたちの歓喜の悲鳴が地下基地中に響き渡った。
さらに霞は、稼働を停止していた地下農業区画の方向へと歩みを進める。海斗たち精鋭部隊もその後ろに続いた。
「栽培プラントも全滅していたみたいけれど……これもこの魔石のエネルギーを活用すれば解決できるわ」
霞は魔石からのエネルギー供給ラインを農業用のプラント設備へと繋ぎ直した。
すると、途絶えていた人工太陽光の照射設備が眩い光を取り戻し、停電で止まっていた自動給水・養分循環システムが勢いよく稼働を始める。
長らく電力が絶たれて乾燥しきっていた土壌に、魔石の高濃度なエネルギーを帯びた水と養分が万遍なく行き渡っていく。すると、カラカラだった土が一瞬で水分を帯びた瑞々しい黒土へと戻り、枯れていたプラントに残留していた種子が一気に活性化。枯れかけていた芽もみるみる活力を取り戻した。
「な、なんだこれは……! 止まっていた最新式の自動栽培システムが、魔石の電力だけで完全に、いやそれ以上の効率で稼働している……!?」
農業担当の研究員が思わず膝から崩れ落ち、信じられないといった様子で実ったばかりの野菜を震える手で触った。
「システムが本来の性能を取り戻しただけよ。魔石の力でシステムが常時最高効率で回るから、枯れることもないし育つスピードも劇的に上がるわ。これで5000人分の食料問題は解決ね。……それと、海斗」
「はい、霞様!」
「私たちの基地からお米や新鮮な肉、それに調味料を運んできなさい。今日からここは『霞様特区・第2基地』として復旧させるわ。まずはみんなに温かいご飯をお腹いっぱい食べさせてあげて」
「ははっ! 直ちに厨房部隊を手配いたします! 本日の献立は特製の米と肉料理にいたします!」
海斗が眩しい笑顔で敬礼し、隊員たちに指示を出しに走っていく。
絶望に暮れていた5000人の人々は、急に点灯した明るい照明と温かい温風、そして魔石によって完全復活したプラントと目の前で起きる「生活の劇的な改善」に、涙を流しながら笑顔を取り戻していった。
「神宮寺総理大臣」
霞は少し誇らしげに胸を張り、神宮寺を振り返った。
「今日からあなたには、この第2基地の管理責任者を命じるわ。政治の腕を活かして、みんなが快適に暮らせるようにしっかり働きなさい」
「……はい! ありがたき幸せにございます、霞様!」
神宮寺は感涙を浮かべ、深く頭を下げた。
壊れかけていた国家の中枢シェルターは、可憐な女神の気まぐれと、討伐したばかりの超巨大魔石がもたらす圧倒的なエネルギーによって、これから何十年も安心して暮らせる「第2の楽園」へと生まれ変わっていくのだった。
◇
「では、基地の引継ぎと初期配給の準備にとりかかるわよ。」
霞が扇をパタンと閉じると、後ろに控えていた海斗がすぐさま一歩前へ出た。
「霞様、地上との輸送ルートの確保および、本基地からの救援物資の第一便が到着いたしました!」
「早いわね。さすが海斗たちだわ。」
地下避難拠点の巨大な搬入口が開き、霞たちの本拠地から送られてきた大型の輸送車両が次々と滑り込んでくる。車台に積み上げられているのは、精米されたばかりの白い米や、新鮮な肉、野菜、各種調味料、そして清潔な衣類や医療品だった。
配給所にいた人々は、車から積み下ろされる圧倒的な物資の量を目の当たりにし、言葉を失っていた。
「あ、あれ……全部お米……?」
「お肉もあるぞ……! 本物のお肉だ……!」
「嘘でしょう……こんなにあるの……?」
幼い子供の手を引いていた母親が、溢れ出る涙を拭おうともせず、呆然と積み上がっていく食料を見つめている。
「さあ、ボーッとしてないで配給の準備をしなさい!」
霞が神宮寺たち政府幹部に向かって、ちょっぴり偉そうに指示を出す。
「今日からは乾燥クラッカー二枚なんて寂しいご飯は禁止よ! お米をたっぷり炊いて、温かいお肉のスープを全員に腹いっぱい食べさせてあげるの!」
「は、はいっ! ただちに全厨房設備を稼働させます!」
神宮寺総理をはじめ、官房長官や自衛官たちまでもが、普段のスーツや制服の袖を捲り上げ、率先して物資の搬入と調理の準備へと駆け出していった。
やがて──。
地下シェルターの広大な食堂エリアには、何年間も誰も嗅ぐことのなかった香ばしい炊きたてのご飯の匂いと、濃厚な肉スープの湯気が立ち込め始めた。
「さあ、順番に並んでね! おかわりはいくらでもあるから慌てないで!」
海斗や精鋭部隊の隊員たちが、笑顔で子供たちや老人たちの金属皿に、山盛りの白いご飯と具だくさんの温かいスープを注いでいく。
小さな手で温かいスープを受け取った少年が、恐る恐る一口口に含んだ。
「……おいしい……! お母さん、すごくおいしいよ……!」
「よかったね……本当によかった……!」
母親は子供の頭を抱きしめ、涙をぽろぽろとこぼしながらご飯を口へと運んだ。食堂のあちこちから、泣きながらご飯を食べる人々の声と、数年ぶりに戻ってきた人々の明るい笑顔が溢れ出していく。
その様子を、少し離れた階上から見下ろす一人の少女がいた。
霞は手すりに寄りかかりながら、フンと可憐に鼻を鳴らす。
「まったく……たかがお米とお肉くらいで、大袈裟なんだから。」
「霞様。」
隣に並んだ圭が、優しく微笑みながら声をかけた。
「素直にお喜びになればよろしいのに。霞様のおかげで、この者たちは今日から餓死の恐怖から解放されたのですから。」
「別に、私は信仰が欲しかっただけよ。……まあ、あんなに嬉しそうに食べるなら、わざわざ助けてあげた甲斐もあったというものけれどね。」
霞は少し照れくさそうに頬を緩めると、くるりと背を向けた。
「さて、神宮寺総理。これからここを『第2基地』としてしっかり管理してもらうわよ。まずは防衛線の再構築と、生き残りの生存者たちの捜索・保護の計画を立てなさい。」
「ハッ! この神宮寺隆一、全霊を賭して務めを果たします!」
神宮寺は力強く敬礼を捧げた。
絶望の底にあった日本政府中央地下避難拠点。
その場所は今、一人の我が儘で可憐な女神の手によって、人々の笑顔と活気に満ちちた「第2の楽園」として、新たな歴史を刻み始めたのだった。
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