母は怖し
シュマからエンジュが倒れたと言われたと同時、俺は走り出していた。
言葉の意味が最初理解できなかった。勝手に走り出す身体に思考が追いつかない。
倒れた? 誰が? エンジュだと? わからない。だって少し疲れた顔をしていたが嬉しそうに大量の記録媒体抱えて笑っていたじゃないか。
我武者羅に走り続け、いつの間にか着いていたエンジュの家。
ドアをノックしようとする手が動かない。俺はここまで臆病だったか? 今まで恐怖など感じた事はなかったはずだ。
だが確かに俺は今恐怖を感じている。ノックをしてしまえば本当の事になってしまう。俺の聞き間違いで、本当は何ともないエンジュが顔を出すんじゃないのか? そんな馬鹿みたいな思考に頭が埋め尽くされる。
「⋯⋯⋯⋯」
俺が固まっていると、中で歩く気配。確かめるような静かさで開いていくドア。チラッと脳裏を掠めるエンジュの笑顔。暖かなキノコ茶の香り。
「⋯⋯何だイオド、来てたんならさっさと入れよ」
顔を出したのはシュマだった。俺がドアの外でまごついてる気配でも感じたのだろう。
表情は固く、いつもの飄々とした雰囲気は今は見られない。
「⋯⋯エンジュは、無事なのか?」
「取り敢えず入れよ」
室内はエンジュが読み漁っていただろう記録媒体が散乱していて、夜通し目を通していたんだろうと容易に想像できる有様だった。
「過労だとよ。俺が気づいてやれりゃよかったんだがな。こいつのことだ、探索の後休まずに読み込んでたんだろうぜ」
ベッドには寝息を立てるエンジュ。顔色は極めて悪く、元々白い肌が青白くなり目の下には濃いクマができてしまっている。
そして室内には俺とシュマ以外にも訪問者の姿があった。
台所で何かを作っている後ろ姿はセレンだな。
もう一人はエンジュを見守るようにそばに座っている見慣れない、白髪混じりの編み髪を腰まで垂らした妙齢の女性は一体⋯⋯?
「彼女は俺たちがいた孤児院の院長、ウェス母さんだ。セレンが連絡を入れたみたいでな、忙しいだろうに来てくれた」
シュマがウェス母さんと呼んだ女性はこちらには視線を向けず、エンジュを見つめ続けている。俺の訪問に気付いてるはずだが声をかけられない。少なくない拒絶の雰囲気を感じる。
「エンジュが倒れていたのを見つけたのはセレンだ。個人的な探索にエンジュもどうかと誘いに来たらということらしい」
そうか、セレンがな。驚いただろうな。
「ウェス母さん、こいつがエンジュと探索してるイオドだ」
シュマの紹介に背筋を正して挨拶する。
「何度かエンジュと探索をしている。イオドだ。忙しい中来てくれたみたいでエンジュも喜ぶと思う」
俺の挨拶にウェスはチラッとこちらを見て椅子から立ち上がると、向き直った。
「⋯⋯貴方がイオドなのね。最近よくその名前を耳にするわ。シュマの紹介通り私はウェス。この子達の親代わりみたいなものよ。⋯⋯貴方はこの娘の相棒ということでいいのかしら?」
「俺はそのつもりだし、エンジュもそう思ってる筈だ」
俺の返答にウェスの、ただでさえ冷たい視線がより一層温度を下げた気がする。
「相棒だと言うなら、何故もう少し気に掛けてやらなかったのです? この娘の身体が弱い事は当然知っていましたよね? 兆候はあった筈ですし一旦集中すると周りが見えなくなる性格もある程度は理解してるでしょう。⋯⋯相棒はただ一緒に行動するだけの間柄を指す言葉ではありませんよ。おままごとがしたいなら別の人間とおやりなさい」
「———っ!」
ウェスの言う事は全くもってその通りで、何も言えない。俺は疲れた顔をしたエンジュを認識していた。ここで休むよう一言でも声をかければよかった。
大量の記録媒体を抱えたエンジュが寝食を忘れて没頭することも予想していた。これくらいで倒れるとは思っていなかった。その認識が甘かった。僅かにズレた認識の積み重ねの結果が、苦しそうに寝込むエンジュの姿だ。
「お、おい母さん! 流石に言い過ぎだろ。拾い手なら体調の自己管理も自分の責任だろうが。思い至れなかった俺たちもイオドも落ち度はあるがままごとは言い過ぎだぜ」
シュマは擁護してくれるが、俺はウェスは間違ったことを言ってないと思う。気づけた筈だったんだ。
「⋯⋯待って。イオドだけを責めないで⋯⋯! 私は守ってもらうだけのお姫様じゃない。私とイオドの冒険をおままごとだなんて言わないで!!」




