第99話 毒見役?
「腹は痛くない?」
「痛くない」
「気持ち悪くもない?」
「ない」
「本当に?」
「昨日から何回目だよ」
ヴィオラが指を折る。
「私は三回目」
「皆の分を合わせたら、もっと聞かれてる」
「じゃあ、そろそろ聞かなくても平気?」
「それは分からない」
「夜斗も慎重になったね」
慎重にもなる。
昨日、俺たちはナーヴァが狩った大型魔獣の肉を食べた。
最初に俺が十分に焼いた一切れを試し、時間を置いた。
目立った異常がないことを確認してから、次の食事で皆も少しずつ食べた。
今のところ、誰にも変わった様子はない。
「全員、昨夜から目立った異常なしじゃな」
千代が、机の上の記録へ書き足した。
「では、もう普通に食べてもよいのでしょうか」
レイナが、まだ残っている肉を置いた場所へ視線を向ける。
「普通の量がどのくらいかも、まだ分からぬ」
「昨日食べた量までなら大丈夫だったんじゃない?」
ヴィオラの言葉に、千代は首を振った。
「今回の個体。今回の部位。今回の量。今回の調理法。その条件で、確認した間に目立った異常がなかった、じゃ」
「長い」
ナーヴァが言った。
「食えた、でよかろう」
「短くして意味が変わるよりよい」
「皆、食った。そして何も起きておらぬ」
「次に同じような獲物を狩っても、本当に同じ種類とは限らない」
リゼが指を一本立てる。
「同じ種類でも、弱ってるかもしれない。病気かもしれない。別の魔物の体液が付いてるかもしれない」
二本目。
「食う部位が違えば、そこだけ毒がある可能性もある」
三本目。
「持ち帰るまでに傷むこともある」
四本目。
「もうよい」
「お前が簡単にまとめようとするからだ」
ナーヴァは面倒そうに腕を組んだ。
「では、次に狩った時も、また何日も待つのか」
「初めて扱う物や、状態が違う物なら、確認した方がよいと思います」
ファステが答える。
「ずっと同じ物を狩れるとも限りませんし」
「そのたびに誰かへ見せ、少し焼き、待つのであろう」
「そうなるかな」
俺が答えると、ナーヴァは本当に不思議そうな顔をした。
「次も我が先に食えばよかろう」
全員の視線が、ナーヴァへ集まった。
「我に効く毒など、そう多くはない」
「またナーヴァが先に食べるの?」
「そう言っておる」
「何のために?」
「食えるか確かめるためだ」
ナーヴァにとっては、考えるまでもない答えらしい。
「そなたらが先に食うより安全であろう。我が食い、何も起きなければ、その後でそなたらが食えばよい」
一瞬、合理的に聞こえた。
実際、今回の肉もナーヴァは俺たちより前に食べている。
大型魔獣を一体食べても、目立った異常は出なかった。
俺たちより身体が強く、毒にも強い可能性は高い。
「それでは、わしらが食える証明にはならぬ」
千代が言った。
「我が倒れれば、そなたらは食わなければよい」
「お前が倒れなかった時が問題なんだ」
リゼが返す。
「人間には毒でも、お前には効かないかもしれない」
「ならば、我が食う意味がないではないか」
「意味がないわけじゃない」
俺は、探索者組合で聞いた話を思い出す。
「ナーヴァにも効くほど危ない物なら、俺たちが食べる前に分かる。でも、お前が平気だったからって、俺たちまで平気とは決められない」
「分かる範囲が違うということじゃ」
千代が記録へ一行加えた。
ナーヴァが食べられる物。
人間が食べられる物。
この世界にいる、ほかの種族が食べられる物。
同じとは限らない。
「それでも、何もせぬよりは早い」
「それだと、ナーヴァが毒見役になるね」
ヴィオラが言った。
「毒見?」
「ほかの人が食べる前に、毒がないか確かめるために食べる役」
ナーヴァは少し考えた後、頷いた。
「我には適した役ではないか」
「適してるって、自分で言うんだ」
「そなたらより頑丈で、毒にも強い。食う量も多い。ほかに誰が適しておる」
言っていることは間違っていない。
少なくとも、本人は嫌がっていない。
「本当に嫌じゃないの?」
「なぜ嫌がる。食うだけであろう」
「危険かもしれない物を?」
「そなたらが食うよりは安全だ」
ナーヴァは誰かに命令されたから言っているわけではない。
自分の力を使う方法として、自分で選んでいる。
本人がいいと言っているなら、それでいいのか。
すぐには答えが出なかった。
「ナーヴァ様がお召し上がりになりたい物を、先に召し上がるのはよいと思います」
ファステが、ゆっくりと言った。
「ですが、危険かどうかを確かめるためだけに、召し上がっていただくのは違う気がします」
「ナーヴァ様が強くても、危険な役を当然にはできません」
ナーヴァの反論が止まった。
ほんの一瞬だった。
だが、ナーヴァが言葉を返せないのは珍しい。
「我は、傷つくとは限らぬ」
「傷つかないとも分かっていません」
「使える力を使わぬ方が不自然ではないか」
ナーヴァの強さへ頼る場面はある。だからこそ、危険な物が見つかるたびに食べさせる役へは固定しない。
「ナーヴァが食べたい物を、自分で先に食べることまでは止めない」
俺は、考えながら言った。
「でも、俺たちが安全を調べたい物を、毎回お前へ食べさせる決まりにはしない」
「我がよいと言っておる」
「お前が選んで食べるのと、俺たちが危険を押しつけるのは違う」
「我より、そなたらの方が傷つきやすい」
ナーヴァは、まだ納得していない。
「だからって、お前が傷ついていいことにはならない」
「我は傷つかぬ」
「絶対?」
ナーヴァの口が止まった。
「絶対に、どんな毒でも、どんな物でも?」
「……我に効くものは少ない」
「ない、とは言わないんだな」
「知らぬ物まで、ないとは言えぬ」
以前なら、言い切っていたかもしれない。
少なくとも俺が初めて会った頃のナーヴァなら、自分を傷つけられるものなどないと言った気がする。
今は、知らないものを知らないまま断定しなかった。
「元の世界でも、誰かに心配されたことはないの?」
俺が聞くと、ナーヴァは眉を寄せた。
「我を心配する者などおらぬ」
「一人も?」
「恐れるか、逃げるか。それだけだ」
声は、いつもと変わらなかった。
寂しそうにも、悲しそうにも聞こえない。
ナーヴァにとっては、それが普通だったのだろう。
恐れられるほど強い。
逃げられるほど危険だと思われている。
だから、ナーヴァ本人が傷つく可能性を考える者はいない。
「ここでは、同じにはせぬ」
千代は記録へ「本人の選択」と書き加えた。リゼとヴィオラも、ナーヴァが動けなくなれば困ると、それぞれの言い方で告げる。
「役に立つかどうかとは関係なく、心配しますわ」
レイナの言葉で、ナーヴァは黙った。
組んでいた腕を解く。
視線を少し横へ逸らし、人の姿の指先で自分の髪に触れた。
何かを言いかけて、やめる。
「どうした?」
「何でもない」
「珍しいな。言い返さないの」
「言葉を選んでおるだけだ」
「照れてる?」
ヴィオラが聞いた。
「焼くぞ」
返事は早かった。
ただし、ナーヴァはヴィオラを見ていない。
「照れてるね」
「ヴィオラ、今はやめておけ」
リゼが止める。
ナーヴァはしばらく黙った後、千代の記録へ目を向けた。
「危険な物を食う役にはならぬ」
千代が頷く。
「だが、我が食いたい物を先に食うことはある」
「それは自分で決めていい」
「そなたらに必要で、我にも確かめる意味があるなら食う」
「その時は、先に相談する」
「面倒だな」
「面倒でも」
「分かった」
完全に納得した顔ではない。
それでも、俺たちの考えを拒絶はしなかった。
千代は、ナーヴァを毒見役にはせず、本人が食べたい物を先に試す場合も、ほかの種族の安全とは分けて記録するとまとめた。
ナーヴァも、記録を覗き込んでいる。
いつもの尊大な態度へ戻ろうとしているのに、さっきまでの戸惑いがまだ残っていた。
軍勢を焼き尽くせる竜。
危険な役を引き受けることを当然だと思える強者。
そんなナーヴァが、自分まで心配されるとは思っていなかった。
視線を逸らし、髪に触れ、言葉に詰まった。
それを隠すために、いつもより少し強い声を出した。
強者としての姿は変わらない。
その内側から、人の姿をした成人女性の無防備な戸惑いが、一瞬だけこぼれた。
俺たちの前でだけ見せるようになった反応。
心配されたことそのものではない。
揺るがないナーヴァが、どう受け取ればいいか分からずにいる姿と、その落差が、俺の欲望へ深く刺さった。
『《淫獄石》を1,200個獲得しました』
『所持《淫獄石》:3,820』
「また増えたのか」
ナーヴァが、表示を見た俺へ顔を向けた。
「増えた」
「また我か」
「そう」
「今の反応で増えたんじゃない?」
ヴィオラが楽しそうに言う。
「説明しなくていい」
「今の我が、そなたの欲望に触れたということか」
「言い方をもう少し選んで」
「事実であろう」
ナーヴァは、さっきまで視線を逸らしていたことなどなかったように、俺をまっすぐ見た。
今度は、からかっている。
「決まりがまた増えたな」
「お前を便利な毒見役にしないための決まり」
「我は便利だぞ」
「知ってる。でも、それだけじゃない」
ナーヴァは答えなかった。
ただ、千代が書いた記録から離れもしなかった。
強いから、守らなくていい。
傷つかないように見えるから、危険なことを全部任せていい。
そんな者はいないはずだ。
俺たちにとっては、たぶん当たり前のことだった。
ナーヴァだけが、まだ少し不思議そうにしていた。




