第91話 腹が減っただけだ
「今日は、先に聞くんだよな」
朝の共用部屋で、俺は卓上の紙を見た。
地下入口を使うのに許可は要るのか。
探索者として登録する必要はあるのか。
中で魔物を倒してよいのか。倒した後に何を残してよいのか。戦った跡や、汚れた装備を洗った水は、どこへ相談すればいいのか。
昨日までに増えた疑問を、千代が順番に並べている。
「そのためにまとめておる」
「じゃあ、相談窓口へ行って――」
「その前に、我の食事はどうする」
少し離れたところから、ナーヴァが言った。
昨日の夜と同じ質問だった。
「だから、それも入口の規則を聞いてから――」
「いつまで待てばよい」
「今日聞きに行って、すぐ分かれば今日まで」
「すぐ分からなければ?」
答えに詰まった。
魔法学校へ相談に行った時も、一日で全部は決まらなかった。
地下入口の相談窓口だって、話せばすぐに許可が出るとは限らない。俺たちが入口を使ったことや、どこから入ったのかを聞かれれば、その場で答えず持ち帰る可能性もある。
「……明日?」
「明日分からなければ?」
「その次の日」
「その次も分からなければ?」
「何日先まで聞くつもりだよ」
「我が聞いておる」
聞かれても分からない。
ナーヴァは怒鳴っていない。
暴れてもいない。
ただ、待つ期限を聞いている。
期限を決めずに待てと言っているのは、俺たちの方だった。
「今ある物から、もう少し出せない?」
ファステに尋ねる。
「一度の食事を増やすことはできます」
ファステは、すぐには頷かなかった。
「ですが、ほかの皆さんの必要分を減らさず、ナーヴァさんが満足できる量を出し続けるのは難しいです」
「我は、これでも減らしておる」
「分かっています」
ナーヴァは、ここに来たばかりの時より、出された食事の量へ文句を言わなくなった。
足りないとは言う。
でも、ほかの住民の分まで奪おうとはしない。
「今すぐ死ぬわけじゃないんだろ」
「死ななければよいというものではない」
昨日も聞いた言葉だった。
その時は、話を止めるための言葉に聞こえた。
今は違う。
死なない程度の空腹を、いつまででも我慢させていい理由にはならない。
「街で肉を買うのは?」
「一度なら可能ですわ」
レイナが答えた。
「ですが、ナーヴァさんが満足なさる量を今後も買い続けるとなれば、資金だけではなく運搬も問題になります。続けられる方法とは申し上げにくいですわね」
「ならば狩ればよい」
「そこへ戻るんだよな」
ナーヴァにとっては、最初からそれしかないらしい。
◇
「利用条件を確認してからが筋じゃ」
千代は反対した。
「前回は何も起きなかった」
「起きていないんじゃない。まだ見つかっていないだけかもしれない」
リゼの言葉に、ナーヴァが眉を寄せた。
「何がだ」
「お前が食べた魔獣の残りだ。血も跡も、全部消したわけではない」
「残っておれば、ほかの魔物が食う」
「その前に巡回する者が見つけるかもしれない」
地下入口には、管理用らしい標識があった。
巡回する人がいることも分かっている。
俺たちが入った時には会わなかった。
それは、誰も見ていないことと同じではない。
「禁止だって決まったわけじゃないだろ」
「自由だとも決まっておらぬ」
「禁止だと知らない。自由だとも知らない。便利な方だけ選ぶのは、賭けとしても悪いね」
ヴィオラまで千代の側についた。
「でも、ナーヴァの腹が減るのは待ってくれない」
「だから困っておるのじゃ」
誰かが間違っているなら、止めればいい。
今回は、どちらも間違っているとは言い切れなかった。
規則を先に確かめるべきだ。
でも、ナーヴァの食事を、答えが出るまで不足させ続けるわけにもいかない。
「もう一回だけは?」
俺が言うと、千代がこちらを見る。
「規則を聞く前に、もう一回だけ。前より条件を厳しくする。今回の結果がどうでも、次は聞くまで行かない」
「今回うまくいけば、また同じことを言わぬか?」
「言わない」
千代の視線がナーヴァへ移る。
「そなたもじゃ。今回狩れたからと、次も行けるとは考えるな」
「一度食えば、しばらくは待てる」
「しばらくとは?」
「食った後でなければ分からぬ」
「それも記録するぞ」
「なぜ何でも書く」
「次に同じ話をする時、今日と違うことを言われても困るからじゃ」
ナーヴァは納得していない顔をしたが、反対はしなかった。
一度だけ。
前回より厳しい条件で。
次は、必ず規則を確認してから。
全員が賛成したわけではない。
それでも、全員で決めた。
俺一人が、ナーヴァに押されて決めたことにはしない。
◇
「前回の範囲を越えない。リゼが確認するまで攻撃しない。大きな痕跡を残さない」
「何度言う」
「要点はこれで最後」
第二接続地点へ開いた入口の前で、記録にまとめた条件を確認していた。
ナーヴァとリゼは、もう外へ出られる準備を終えている。
「今回は本当に、なるべく静かに」
「狩りに静かも騒がしいもあるか」
「ある」
リゼが即答した。
そういえば、ナーヴァの考える静かな狩りを聞いていない。
「吠えない」
「吠えぬ」
「獲物を壁へ何度も叩きつけない」
「一度ならよいのか?」
「回数の話じゃない。壁を壊すな」
「獲物を逃がすよりはよかろう」
残りは記録へ目を通させた。
「注文が多い」
「お前の普通が分からないからだよ」
ナーヴァは面倒そうにしながらも、一つずつ聞いている。
勝手に行こうとはしない。
前回のように、何でも食べられるから問題ないとも言わない。
「汚れたら、その場で水へ流すなよ」
「では、汚れたまま戻れというのか」
「戻ってから、まず外から確認する。新しい汚水を増やさない方法を試す」
「面倒だな」
「その面倒を先に決めておかないと、今ある水みたいになるんだよ」
リゼが先に入口の外を確認する。
安全だという合図の後、ナーヴァが続いた。
「獲物がいなくても、奥へ探しに行くなよ」
「聞いた」
「時間も――」
「聞いた。あとは私が見る」
リゼに止められた。
二人の姿が外へ消える。
俺は入口を閉じた。
◇
待っている間、地下入口で聞く質問を見直すつもりだった。
一行読んでは、《帰還石》の反応がないか確かめる。
次の一行を読んでは、また確かめる。
「見ても早くは帰ってこないよ」
「分かってる」
ヴィオラに言われても、見る回数は減らなかった。
卓上では、千代が新しい紙へ今回のことを書いている。
「そこまで書く?」
「規則を確認する前に行かせたのじゃ。何を考えて決めたか、残す必要がある」
「俺が行かせたって書けばいいだろ」
「全員で条件を決めた。そなた一人へ押しつけるのも、責任から逃げることになろう」
記録へ残せば、正しかったことになるわけではない。
あとで失敗だと分かっても、知らなかったことにはできない。
でも、どう考えて決めたかは残る。
ミネットが、覚えていないことを推測で埋めなかったのと同じなのかもしれない。
決めた時間が近づく。
まだ反応はない。
時間を過ぎた。
「遅くない?」
「わずかじゃ」
「わずかでも遅れてる」
「戦っているのかもしれません」
ファステが言った。
「戦い自体は、すぐ終わると思う」
「ならば、食べておるのではないか?」
千代の言葉に、全員が止まった。
「食べる時間、決めてなかった」
ヴィオラが言う。
「今気づく?」
「夜斗も今気づいたよね?」
狩る時間と、戻る時間は考えた。
ナーヴァがどれだけ食べるのに、どれくらいかかるかは考えていない。
急いで食べろとも言っていない。
次から決めればいい。
いや、次は規則を聞くまで行かない。
そう考え直した時、《帰還石》の反応があった。
◇
帰還反応を受け、決めた手順で入口を開くと、最初にリゼが見えた。
立っている。
大きな怪我はなさそうだ。
ただ、装備と髪には細かい土埃が付いている。疲れてもいるようだった。
その後ろには、ナーヴァがいる。
前回より血まみれではない。
それより、妙に満足そうだった。
リゼが周囲を確かめてから、二人が《淫獄》へ入る。
入口を閉じ、外から二人の負傷と付着物を確認する。リゼの報告では、人にもグールにも会わず、前回の範囲を越えていない。ナーヴァも竜化やブレスは使っていなかった。
「食べた?」
「見れば分かるであろう」
見ても分からない。
でも、機嫌を見れば分かる気はする。
「前と同じ魔獣だった?」
「外見と、ナーヴァが確認した範囲では同じ種類に見えた」
リゼが答える。
「絶対?」
「そこまでは言えない」
「じゃあ、同じと思われる、にしておく」
千代が記録する。
「成功?」
「当然だ」
ナーヴァは即答した。
リゼは答えなかった。
「何かあった?」
「条件は守った」
「なら、何でそんな顔してるんだよ」
「守った結果に問題がある」
嫌な言い方だった。
◇
リゼの報告を、順番に聞く。
大型魔獣を見つけた後、ナーヴァは勝手に飛び出さなかった。
リゼが周囲を確認するまで待った。
ほかの魔物を巻き込まず、前回と同じ種類に見える一体だけを狙った。
大きな火も使っていない。
「ちゃんと抑えたんだな」
「我を何だと思っている」
「何度も条件を言わないと、静かな狩りの意味が合わない竜」
「失礼な」
「問題は、その抑え方だ」
リゼが話を戻した。
魔獣は、ナーヴァを見て逃げようとしたらしい。
ナーヴァは前へ回り込み、踏み込んだ。
それだけで、足元の石が大きく割れた。
逃げる進路を塞ぎ、一撃で急所を壊した。
戦いそのものは、すぐ終わった。
「一撃なら、静かじゃない?」
「音の回数だけならな」
「どういう意味?」
「踏み込んだ場所から、周りへ亀裂が走った。獲物を止めた場所も陥没した。首を折った時には、身体が地面へ叩きつけられた」
「叩きつけるなって言ったよな」
「我が叩きつけたのではない。倒れたのだ」
「同じじゃない?」
「違う」
ナーヴァの中では大きく違うらしい。
「火は使ってないんだよな?」
「広がる火は使っていない」
また嫌な言い方が出た。
「広がらない火は?」
「仕留めた後、食いにくい部分へ少し熱を通した」
「焦げは?」
「少しだ」
リゼを見る。
「周囲へ燃え広がってはいない。だが、獲物と接していた石の一部は焦げた可能性がある」
「これで抑えたのか?」
リゼがナーヴァへ尋ねる。
「かなりな」
迷いなく答えた。
「条件、守ってなくない?」
「どれをだ」
千代が、出発前の記録を読み返す。
竜の姿にならない。
大きなブレスを使わない。
無関係な魔物を倒さない。
決めた範囲を越えない。
リゼの確認前に攻撃しない。
人や巡回者がいれば戻る。
そこは全部守っている。
「周りを必要以上に壊さない」
俺が言った。
「必要だった」
「石を割るのも?」
「踏み込まねば逃げられる」
「地面をへこませるのも?」
「獲物を止めねばならぬ」
「焦がすのも?」
「食うためだ」
全部、ナーヴァには必要だった。
「最小限だ」
「お前の最小限、でかくない?」
「大きな獲物を狩ったのだ。当然であろう」
約束を破ったわけではない。
反抗するために、わざと壊したわけでもない。
ナーヴァは前回より考え、待ち、力を抑えた。
それで、石床が割れて地面がへこんだ。
「何を残してきた?」
千代が尋ねる。
「食えぬ骨と、皮と、角だ」
「血も残っている」
リゼが付け足す。
「爪や歯もあったはずだ。腱も、すべては食べていない」
「持って帰れなかった?」
「量が多い。何に使えるかも、安全かも分からない物を《淫獄》へ運ぶ方が危険だと判断した」
「それは、そうか」
汚水だけでも扱いに困っている。
大きな骨や皮まで増やしたくはない。
「残した物、まとめた?」
「通路へ散らばったままにはしていない。可能な範囲で、獲物が倒れた場所へ寄せた」
「それ、見つかったら何だと思われる?」
「普通の探索者が倒して食べた跡には見えないだろうな」
「我は普通の探索者ではない」
「そういう問題じゃない」
見つからなければいい。
そう思いかけた。
でも、それでは昨日までと同じだ。
見つかっていないことと、問題が起きていないことは別だった。
◇
ナーヴァの装束に、小さな汚れが見つかった。
前回のように水で全部洗うことはしない。
直接触れないようにしながら、汚れた部分だけを隔離用の布で拭き取る。
使った布は、前からある使用済みの布とは別にして保管した。
「洗わぬのか」
「洗うと、また水が増えるから」
「布が増えたぞ」
「増えたけど、水を大量に増やすよりは扱いやすい」
「正しいやり方かは、まだ分からぬがな」
千代が言う。
何もしないよりはいい。
前より考えた。
でも、それで安全になったとは決めない。
次に、ナーヴァの体調を確認する。
「痛いところは?」
「ない」
「気持ち悪くない?」
「ない」
「動きにくいとか、変に熱いとか」
「ない」
「本当に?」
「何度聞く」
「今日平気だからと、今後も安全とは決めぬぞ」
千代が念を押した。
「分かっておる」
前なら、竜である自分に問題など起きないと言い返していたかもしれない。
今日は、すぐに受け入れた。
少なくとも、帰ってきた今は目立った異常がない。
分かるのはそこまでだ。
「でも、機嫌いいよな」
「腹が満ちたからな」
「そんなにうまかった?」
「一部はな」
「一部?」
「腹の内側に近い肉だ。柔らかく、脂も悪くなかった」
「それ、人間でも食べられるんじゃない?」
言ってから、全員の視線が集まった。
「いや、食べるって決めたわけじゃない。うまいなら、食料になるかもって」
「ナーヴァが食べられたことと、私たちが食べられることは別だ」
リゼに言われる。
「分かってる」
「今、同じにしかけたであろう」
「考えただけ」
「そなたは、考えたことをすぐ口へ出す」
「確認できるからいいだろ」
ナーヴァが平気でも、人間には危険かもしれない。
同じ魔獣でも、部位によって違うかもしれない。
火を通す必要があるかもしれないし、火を通しても駄目かもしれない。
今日のところは、ナーヴァがうまいと言っただけだ。
「次に狩ったら、残しておけばよい」
「次は規則を聞くまで行かないって、さっき決めたばかりだろ」
「聞いた後の話だ」
「食べるかも決めてない」
「面倒だな、人間は」
それは否定できなかった。
◇
今回の目的だけを確認する。
ナーヴァの食料は、一回分確保できた。
ナーヴァもリゼも、大きな怪我なく戻った。
新しい汚水を大量には増やさなかった。
出発前に決めた条件も、ナーヴァは故意に破っていない。
一度限りの狩りとしては、成功だった。
そう書いてもいいと思う。
でも、地下には割れた石と、へこんだ地面と、焦げと、血が残った。
骨、皮、角、爪、歯も置いてきた。
前回の跡だって、全部消えていたわけではない。
「あれだけ跡を残して、本当に問題ないと思ってる?」
「獲物を狩り、食った。それだけだ」
「管理してる人から見たら、それだけじゃ済まないかもしれないだろ」
「我は腹が減っただけだ」
ナーヴァに悪気はない。
食事が必要だった。
決められた相手と、決められた範囲へ行った。
リゼの確認を待ち、竜にもならず、大きなブレスも使わなかった。
それでも、人間から見れば何かが暴れた跡になる。
「次は、痕跡を残さない条件も増やす?」
「具体的に決めぬ限り、また同じことになるぞ」
「ならば、すべて焼き尽くせば何も残らぬ」
「それをやめろ」
やっぱり先に聞いた方がいい。
◇
夜。
千代は今回の記録をまとめていた。
ナーヴァは満腹になり、いつもより静かに休んでいる。
リゼも大きな怪我はない。
新しい汚水は、ほとんど増えなかった。
今日ここで確認できる範囲では、何も問題は起きていない。
「……そうだといいがな」
リゼが言った。
「何が?」
「何も起きていない、というところだ」
千代の記録には、俺が見ていない地下の様子が残っている。
割れた石床。
陥没した地面。
焦げた跡。
血痕。
寄せて残した骨と皮と角。
巡回する人には会わなかった。
誰かが見つけたという連絡もない。
だから、今は何も起きていない。
少なくとも、俺たちが知っている範囲では。
明日こそ、地下入口の利用規則を聞きに行こう。
今度は、何かが見つかる前に。




