第90話 現場を見ないと分かりません
シリーズ作品になっています。もう一つの物語もぜひ読んでみてください。
朝の共用部屋。
卓上には、昨日ミネットから渡された質問が並んでいる。
汚水ができた時のこと。
今ある量。
保管している場所。
今後も増える可能性。
千代は質問を三つに分けていた。
「確認すれば答えられること。すでに確認できぬこと。知っておるが、今は外へ話しておらぬこと」
三つの欄へ、昨夜持ち帰った答えが振り分けられていく。
「確認できることから始めますか?」
ファステが立ち上がる。
「容器は開けない方がいいよな」
「当然だ」
リゼが答えた。
俺たちは、汚水を隔離している場所へ移る。
今から確認できるのは、容器の数。それぞれにどのくらい入っているか。使用済みの布がいくつあるか。
あとは、外から見える範囲で色や沈殿に変化がないか。
「臭いは?」
「蓋を開けねば分からぬなら、今日は確認せぬ」
千代が言った。
「外まで出てきてたら?」
「それは漏れておる可能性を先に疑うべきじゃな」
幸い、近づいただけで分かるような臭いはない。
容器の外側も濡れていない。
ファステが、生活用の水や食料からどのくらい離しているかを説明する。レイナは蓋や容器の外側を見て、前に確認した時との違いを探していた。
「今のところ、外から分かる変化はなさそうですわ」
「“なさそう”は、確認したことに入る?」
「外から見える範囲では、と付ければよかろう」
千代が記録する。
便利だ。
何でも言葉を付ければ正確になる。
「水温は?」
ヴィオラが質問の一つを指す。
「覚えてない」
「洗ってから容器へ移すまでの時間は?」
「正確には覚えてない」
「最初に使った水の量」
「それも覚えてない」
「順調に埋まるね」
「全部、覚えてないで埋まってるけど」
今から容器を見ても、あの時の水温は分からない。
グールらしき魔物に付いていたものが血だったのか、唾液だったのか、それ以外だったのかも確認できない。
「次から記録すればいい?」
「次を増やす前に、処理方法を決めるべきじゃ」
「狩りをせねば次はないぞ」
壁へ背を預けていたナーヴァが口を挟む。
「今はそれでいいんだよ」
「よくない。我は腹が減る」
「今日明日で死ぬほどじゃないだろ」
「死なねばよいというものではない」
それはそうだ。
でも、汚水を増やし続けるわけにもいかない。
「今後も増える可能性あり、じゃな」
千代が書き足した。
「我が原因のように書くでない」
「原因の一つになる可能性はあるだろ」
「血を浴びずに狩ればよい」
「絶対できる?」
昨日と同じ質問をすると、ナーヴァは少し黙った。
「……獲物による」
「それも書いておこう」
「なぜだ」
確認できる欄を埋めた後、知っていて話していない情報が残った。地下での戦闘と汚水の発生は説明に要るが、《淫獄》やナーヴァ、《帰還石》まで明かす必要はない。
「地下で出たことまでは、話してもいいと思う」
俺は言った。
「実際に戦った後の汚れだってことも。そうじゃないと、何を洗った水か説明できない」
「入口の場所は?」
ヴィオラが尋ねる。
「まだ言わない」
「どこで洗ったか聞かれたら?」
「それは……」
《淫獄》で洗った。
正直に答えれば、《淫獄》について説明することになる。
「答える必要がある理由を聞く。その上で、話していいか決める」
「今日は、その場で決めるのか?」
リゼが聞いた。
「地下で出たことまでは話す。《淫獄》のことは持ち帰る」
「なら、最初から線を決めておけ」
千代は紙を二つに区切り、地下での戦闘と汚水の現状を開示側へ、《淫獄》、ナーヴァ、《帰還石》を非開示側へ書き込んだ。
「地下入口の近くで洗ったって言えば?」
俺が言うと、ヴィオラが首を傾げた。
「実際は違うよね」
「近くではあるだろ。つながってるし」
「それを聞いた相手は、地下か地上のどこかで洗ったと思うんじゃない?」
「……思うかも」
「相手が勝手に勘違いしただけ、ってことにする?」
「それは嘘と変わらないか」
「相手が誤解しておると気づいたなら、その誤解を利用するでない」
千代に言われた。
「秘密を話さないのも面倒なんだな」
「嘘をつく方が、あとでもっと面倒になるよ」
ヴィオラは軽く言う。
たぶん、経験があるのだろう。
何の経験かは聞かないでおく。
◇
今日、魔法学校へ行くのは、俺、リゼ、千代、ヴィオラの四人になった。
俺は、話す範囲を決める。
リゼは、戦った時と装備を洗った時のことを説明できる。
千代は、保管している物と記録を把握している。
ヴィオラは、相手がなぜ質問しているのかを見る。
レイナとファステは《淫獄》へ残り、汚水と生活区域が混ざらないよう管理を続ける。
昨日持っていった少量試料も、今日は動かさない。
「我を連れていけば早いであろう」
出発前、ナーヴァが言った。
「何が?」
「現場のことなら、我も見ておる」
「お前を連れていったら、竜だって説明するところから始まるだろ」
「人の姿で行けばよい」
「街で何か起きた時、力を使わずにいられるか?」
リゼが尋ねる。
「必要なら使う」
「だから今回は留守番」
「なぜだ!」
本人は不満そうだったが、勝手についてくるとは言わなかった。
「今日も、その場で決めないことを決めておくぞ」
入口を開く前に、千代が言った。
「《淫獄》を説明しないと話が進まない場合。入口の正確な位置や身元を、理由も分からぬまま求められた場合。現地へ行く約束を求められた場合。いずれも一度持ち帰る」
「分かってる」
「昨日もそう言って、“たぶん”と答えたのであろう」
「ミネットと会ってた?」
「そなたの話を聞けば分かる」
俺は反論せず、《淫獄》の入口を開いた。
◇
魔法学校の門へ着くと、昨日と同じ案内役がいた。
俺たちの顔を覚えていたらしく、近づくと向こうから声をかけてくる。
「昨日の試料についてですか?」
「うん。聞かれたことを整理してきた」
「試料はお持ちですか?」
「今日は持ってきてない」
案内役が、俺たちの荷物を見る。
「それなら、先にそう言ってください」
「持ってきた時は開けるなって言われて、持ってこなかったら先に言えって言われるの?」
「危険性の分からない物を持っているかどうかは、先に確認する必要があります」
「当然であろう」
千代まで向こうの味方をした。
「別に隠してたわけじゃないんだけど」
「次からは、聞かれる前に伝えよ」
次も来る前提になっている。
しばらく待つと、昨日と同じようにミネットがやってきた。
その視線が、最初にリゼの荷物へ向く。
「試料は持ってきていません」
今度は聞かれる前に言った。
「分かりました」
「先に言えた」
「はい?」
「何でもない」
ミネットは少し不思議そうにしたが、すぐに手元の記録へ目を落とした。
「昨日の試料について、学校で確認しました」
「預かれる?」
「私の判断だけでは預かれません」
「それは昨日も聞いた」
「昨日は、私が預かるべきではないと判断しました。今日は、学校で扱う場合にも発生状況と安全条件の確認が必要だと分かりました」
「同じじゃない?」
「誰が、何を決められないのかが違います」
俺には同じに聞こえる。
だが、千代は納得したように頷いた。
「見習い個人の判断ではなく、学校で扱う場合の条件も必要ということじゃな」
「はい。ただ、学校がこうした物の処理依頼を受ける場所なのか、管理されている地下入口の担当者へ先に相談すべきなのかまでは、まだ分かりません」
ミネットと千代の間では、話が通じている。
「つまり、何も進んでない?」
「私が勝手にできないことと、学校でも条件なしには扱えないことが分かれました」
「ほら、進んでおる」
「二人とも細かくない?」
「必要です」
「必要じゃ」
同時に言われた。
昨日会ったばかりなのに、そこだけ息が合っている。
「こっちも、話せることを整理してきた」
俺が言うと、ミネットが記録を開く。
「あの水は、近くにある地下入口の中で、グール系の魔物と戦った後にできた」
ミネットの手が止まった。
「実際に遭遇したのですか?」
「うん」
「入口からどのくらい進んだ場所ですか?」
「正確な距離は分からない」
「入口直下ですか。奥へ進みましたか。床は石ですか、土ですか。装備を洗ったのも地下ですか。魔物を倒した場所と洗浄場所は同じですか。周囲に別の死骸や水はありましたか?」
「一つ話したら、質問が倍になった」
「場所で条件が変わると、昨日説明しました」
「聞いたけど」
「では、順番にお願いします」
ミネットは待っている。
逃げられそうにない。
入口からは、ある程度奥へ進んだ。
床は石だった。
魔物を倒した場所には、別のグールらしきものもいた。
周囲に使える水があるかは確認していない。
「装備はどこで洗いましたか?」
「地下では洗ってない」
「では、地上まで汚れた装備を運んだのですか?」
「地上とは少し違う」
「違う?」
そこで止まる。
《淫獄》へ持ち帰った。
その一言を言えば、どうやって、どこへ、という質問が続く。
「そこから先は、今日は話せない」
ミネットは俺を見る。
ヴィオラも、リゼも、千代も口を挟まない。
「分かりました」
ミネットは記録へ何かを書き足した。
「話せない情報として分けます」
「聞かないの?」
「聞いても話せないのでしょう?」
「そうだけど」
「では、今はほかの質問をします」
気にならないわけではないはずだ。
少しだけ、こちらを見る時間が長かった。
それでも、話せないと言った場所を無理に開こうとはしなかった。
次に千代が、保管している汚水の量を説明する。
容器がいくつあり、それぞれどのくらい入っているか。
使用済みの布がどれだけ残っているか。
正確に量った数字ではなく、外から確認できた範囲だ。
「私が課題で一度に扱う量より、かなり多いです」
説明を聞き終えたミネットが言った。
「全部一度に処理できる?」
「できません」
早い。
「少し考えても無理?」
「考えれば私が一度に扱える量が増えるのですか?」
「増えないと思う」
「では、できません」
できないことを言う時だけ、答えが速い気がする。
「同じ水は、今後も増えますか?」
「入口へ行かなければ増えない」
俺が答えると、リゼが続けた。
「だが、必要になれば再び利用する可能性はある」
「その場合、今ある水だけを処理しても、同じ洗い方をすればまた増えます」
「じゃあ、洗い方も変えないと駄目?」
「汚水を増やしにくい方法は考えるべきです」
「その場で洗えば、汚れた装備を持って帰らなくて済む?」
前にも一度考えた方法だ。
ミネットは、できるともできないとも言わなかった。
「現場に、安全な水はありますか?」
「確認してない」
「洗った水を流してよい場所は?」
「分からない」
「装備を外している間、別の魔物が来ても安全ですか?」
「それも、やってみないと分からない」
「やって確かめないでください」
「今のは、言い方」
「入口を管理する方がいるなら、洗浄水を流してよいか確認も必要です」
「やっぱり簡単じゃない?」
「現場を見ていないので、簡単かどうかも分かりません」
また、分からない。
ただ、今度の分からないは、昨日とは少し違った。
試料を見れば、何が混ざっているか調べる手がかりになる。
でも、どこで、どのくらい、どうやって処理するかは、試料だけでは決められない。
保管している量は、ミネットが課題で扱う量より多い。
今後も増える可能性がある。
洗った場所と保管場所については、俺たちが話していない。
発生した地下入口の規則も分からない。
「あと何を見れば分かる?」
俺が尋ねる。
「発生した場所です」
「場所を聞くだけじゃ駄目?」
「今のお話だけでは、洗浄できる広さがあるか、水を運べるか、汚染物を隔離できるか、作業中の安全を保てるかが分かりません」
ミネットは、開いていた記録を閉じた。
「現場を見ないと分かりません」
現場。
地下で魔物を倒した場所。
装備を洗った《淫獄》。汚水を保管している場所。
どこまでを見せれば、ミネットの言う現場になるのだろう。
「じゃあ、見に来る?」
口にしかけて、止めた。
今ここで決めない。
出発前に決めてきたことだ。
「現場を見せるかは、今ここでは決められない」
「はい」
ミネットは、それ以上何も聞かなかった。
「もっと聞いてこないの?」
「見せると決まっていない場所を、先に聞き出す必要がありますか?」
「ないけど」
昨日から、言い返せないことが多い。
「もし見せると決めたら、来られる?」
「分かりません」
「そこも?」
「学校の課題に関係する可能性はあります。でも、学校の外で扱うなら、私だけで決められないと思います」
「誰に許可を取るの?」
「それを確認します」
教師なのか、別の責任者なのか。
そもそも許可という形になるのかも、ミネットは決めなかった。
「入口を管理している方への確認も必要かもしれません。同行する方や、準備する道具も、場所が分からなければ決められません」
「行きたい?」
ヴィオラが尋ねた。
「見たいです」
そこは即答だった。
「でも、行ってよいかは確認します」
「興味があるのに?」
「昨日も同じ話をしませんでしたか?」
「したね」
「興味があることと、勝手に行ってよいことは別です」
「今日は本当に別が多いな」
「混ぜると困るものが多いので」
ミネットは真面目に答えた。
「地下へ入ったことはあるのか?」
リゼが尋ねる。
「学校で管理された場所や、用意された試料を扱ったことはあります。でも、あなたたちが入った場所は知りません」
「戦える?」
「戦闘のために同行するなら、ほかの方を選んでください」
これも早かった。
「汚染物について分かることはあります。でも、地下を安全に案内できるわけではありません」
ミネットを連れていけば、全部分かるわけではない。
むしろ、守る相手が一人増える。
「順序を決めよう」
千代が口を開いた。
「まず、こちらがどこまで情報を開示するか決める。次に、地下入口の利用規則を確認する。ミネット殿には、学校から現地へ出られるかを確認してもらう」
「それが全部できたら?」
「現地調査を行うか検討する」
「まだ検討なんだ」
「危険な場所へ人を増やすのじゃ。当然であろう」
「分かりました。私も、今日伺った範囲で確認します」
現場を見なければ分からない。
でも、見に行けるかも分からない。
答えへ近づいたはずなのに、間に必要な確認が増えていた。
◇
学校を出て、帰還地点へ向かう。
「現場、見せてもいいと思った?」
ヴィオラが聞いた。
「まだ分からない」
「見せる必要があることと、見せて安全なことは別だ」
リゼが周囲を見ながら言う。
「ミネット殿だけの問題でもない」
千代が続けた。
「学校と、地下入口を管理する者も関わる可能性がある」
「あいつが悪い人には見えなかったけど」
「悪い人に見えないことと、秘密を守れることも別だね」
「今日、別が多くない?」
「混ぜると困るものが多いんでしょ?」
ミネットと同じ返しをされた。
帰還地点の周囲を確認し、《淫獄》への入口を開く。
戻ると、最初にナーヴァがこちらを見た。
「現場を見せればよい」
「まだ何も話してないだろ」
「顔を見れば分かる」
「そんなに分かりやすい?」
「汚水を持ち帰った時と同じ顔をしておる」
どういう顔だ。
「ミネットは、現場を見ないと処理方法を決められないって」
「ならば見せればよい」
「お前は話が早すぎる」
「見なければ分からぬと言われたのであろう」
「ですが、ミネットさんはここをご存じないのですよね」
ファステが尋ねる。
「知らない。《淫獄》のことも、ナーヴァのことも」
「我を見れば、その見習いも理解するだろう」
「何を?」
「我が竜であることを」
「そこは見れば分かるよ」
「ならば問題あるまい」
「その後が問題なんだよ」
ミネットへ現場を見せる。
言葉にすれば、それだけだ。
でも、どこを見せるのか。
地下で魔物を倒した場所だけなら、地上から普通に入口へ向かえばいい。
汚水を保管している場所を見せるなら、《淫獄》へ入れる必要がある。
そもそも、住民ではない人間を《淫獄》へ入れられるのかも分からない。
「試しに連れてくればよい」
ナーヴァが言った。
「人で試すな」
「入れなければ、その時考えればよい」
「入れた後に出せない方が困るだろ」
「面倒な場所だな」
「お前も住んでるんだけど」
千代が、今日の記録を卓上へ広げた。
「地下だけを見せても、装備を洗った場所は見せられぬ」
「何を現場と呼ぶかから決めないと駄目?」
「そうなるな」
また、問題が増えた。
◇
夜。
共用部屋には、ミネットが昨日書いた質問と、今日千代が増やした記録が並んでいた。
現場を見せるなら、場所だけでは済まない。誰が暮らし、どう出入りしているかまで、秘密の一部を見せることになる。
問題は、やっぱり減っていない。
ただ、次に確かめる場所だけは見えた。
「まずはこちらじゃな」
千代が、地下入口の相談窓口についてまとめた記録を置く。
「学校じゃなくて?」
「現場へ入ってよいか分からぬまま、現地調査の話を進めるでない」
「また許可からか」
「今度こそ、先に聞け」
「その前に、我の食事はどうする」
離れたところから、ナーヴァが言った。
相談窓口へ行く予定は決まった。
でも、その予定を待ってくれない問題も、まだここにいた。




