第88話 どこへ聞けばいい?
出かける予定がある朝は、いつもより少しだけ慌ただしい。
俺が何かを指示しているからではない。
リゼは自分の装備を確認し、レイナは持ち物を並べ、ヴィオラはその横から必要そうな物を勝手に拾っている。
「それは置いていきなさい」
レイナが言った。
ヴィオラの手には、小さな布袋があった。
「使うかもしれないよ?」
「何に使うのです?」
「何かを入れる」
「その何かが決まってから持っていけばよろしいでしょう」
「袋って、何かが決まる前に持っていく物じゃない?」
「中身の決まっていない袋を増やさないでくださいませ」
言いながら、レイナはヴィオラの手から布袋を回収した。
今日、街へ行くのはリゼ、レイナ、ヴィオラの三人だ。
目的は買い物ではない。
俺たちが地下から持ち帰ってしまった汚水や、魔物の体液が付いた布。それをどう処理すればいいのか、相談できる相手を探す。
汚水そのものは持っていかない。
まずは、どこへ聞けばいいのかを調べるだけだ。
「服装まで変える必要があるのか?」
三人を見ながら、俺は尋ねた。
前にも街へ行っている。
その時と同じ格好でも、それほど問題はないように思えた。
「今日は買い物ではありませんもの」
レイナがリゼの上着へ手を伸ばし、襟元を整える。
「衛生や魔物の汚れについて相談するのです。あまり物々しい格好では、相手を警戒させるかもしれませんわ」
リゼの剣は残してある。
ただし、普段より身体の前へ出ない位置に固定されていた。すぐに抜けないわけではないが、最初から戦うつもりで歩いているようには見えない。
「護衛だと分かれば十分か」
リゼが腕を動かし、剣の位置を確かめる。
「ええ。今日は前へ出るより、後ろで周囲を見ていただく方がよろしいですわ」
「分かった」
リゼは短く答えた。
それだけで役割が決まる。
レイナ自身は、街へ馴染む落ち着いた服装だった。
飾りは少ない。
けれど、布の重ね方や袖の留め方が整っていて、俺が同じ物を着ても絶対にこうはならないだろう、という上品さが残っている。
「レイナは相談する人?」
「主に条件を確認しますわ。処理できる物、できない物、必要な費用。こちらから何を説明しなければならないかも聞いてまいります」
「ヴィオラは?」
「話しかける人」
ヴィオラが自分を指差した。
前よりも身軽な街着で、腰の小袋も目立たない位置へ移している。
「それ、役割として成立してるのか?」
「最初に知らない人へ声をかけるのって、意外と面倒だよ」
「それは分かる」
「でしょ?」
ヴィオラは笑った。
三人とも、以前にも街へ行った。
街用の服装も初めてではない。
それでも今日は、それぞれが自分で役割を決め、その役割に合わせて立ち方まで変えている。
戦うためではなく、聞くために周囲を見るリゼ。
品物ではなく、相手の説明を見極めようとしているレイナ。
軽い雰囲気のまま、三人の中で最初に他人の懐へ入るヴィオラ。
俺がそうしろと言ったわけではない。
三人が必要だと思い、自分で選んでいる。
分かりやすい変化ではなかった。
前にも似た姿を見ている。
だからこそ、以前ほど強い衝撃ではなく、じわりと熱が生まれた。
『《淫獄石》を120個獲得しました』
『所持《淫獄石》:600』
「……増えた」
「何がですの?」
レイナがこちらを見る。
「いや、何でもない」
「今、明らかに何かを見ましたわね」
「見てない。確認しただけ」
「それ、夜斗が石を見る時の言い方だよ」
ヴィオラに即座に見抜かれた。
「何で分かるんだよ」
「何回も見たから」
言い返せない。
「今回は少ないね」
「増えた数まで聞くな」
「見慣れたから?」
「その言い方もやめろ」
リゼが小さく息を吐いた。
「遊ぶのはそこまでだ。確認するぞ」
その一言で、空気が戻る。
今日の目的は相談先を探すこと。開示範囲は記録へまとめ、想定外の質問は持ち帰る。
「相談先を見つけても、今日は話を進めすぎない」
俺が言うと、レイナが頷いた。
「承知しておりますわ」
「ダンジョン入口の利用規則も、聞ける場所が分かれば十分だ。場所を特定されそうなら答えなくていい」
「無理に聞き出そうとされたら戻る」
リゼが続ける。
「つけられた場合もね」
ヴィオラが共用の《帰還石》を持ち上げた。
「これが反応するところまで近づく前に、ちゃんと周りを見る。反応があっても、夜斗はすぐ開けない」
「分かってるならいい」
「心配?」
「するに決まってるだろ」
三人の返事が、一瞬だけ止まった。
「……何だよ」
「別に?」
ヴィオラだけが笑っている。
俺は視線をそらし、《淫獄》の入口を開いた。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
リゼが最初に外へ出る。
周囲の安全を確認してから、レイナとヴィオラが続いた。
最後にヴィオラが振り返る。
「ちゃんと帰るから、待っててね」
「分かってる」
入口を閉じる。
三人の姿が見えなくなると、急に部屋が広くなったように感じた。
◇
待っている間も、生活は続く。
ファステは食事の準備をしている。
千代は地下から持ち帰った物と、これまでに分かったことを整理している。
ナーヴァは壁へ背を預け、目を閉じていた。
縁は好きな場所を選ぶように部屋の中を歩き、俺の近くを通り過ぎてファステの方へ向かった。
「縁、少し待ってくださいね」
ファステが声をかける。
食事の時間ではないと分かったのか、縁は邪魔にならない場所へ座った。
俺は入口の反応を待ちながら、千代がまとめた記録へ目を落とした。
見ても汚水は減らない。
処理方法も浮かばない。
「同じ所を三度読んでも、新しい答えは出てこぬぞ」
向かいに座った千代が言う。
「分かってる」
「ならば茶でも飲め」
ファステが淹れてくれた紅茶が、手元に置かれている。
冷めてはいない。
俺が何度も紙へ目を落としているせいで、まだ口をつけていないだけだ。
「待つのが下手じゃな」
「最近は前より上手くなったと思ってた」
「上手くなった者は、自分が上手くなったか確かめ続けたりはせぬ」
「厳しくない?」
「事実じゃ」
紅茶を一口飲む。
温かかった。
外の三人が今どこにいるのかは分からない。
誰と話しているのかも、何を聞かれているのかも分からない。
《帰還石》には、居場所を見る機能も、声を届ける機能もない。
俺ができるのは、反応を待つことだけだ。
「外へ出た三人が気になるのか」
目を開けないまま、ナーヴァが言った。
「気になるよ」
「ならば共に行けばよかっただろう」
「俺が行かなくてもできることだから、任せた」
「気にしながら残る方が面倒ではないか」
「面倒だな」
「理解できぬ」
「俺も全部は分かってない」
ナーヴァが片目だけを開いた。
「分からぬことを続けるのか」
「必要なら」
「やはり妙な王だ」
前より、その言葉に敵意はなかった。
「それに、俺が行ったところで、汚水の処理方法に詳しいわけじゃないからな」
「役に立たぬのか」
「言い方」
「違うのか?」
「……詳しい三人が行った方が上手くいく、って話だよ」
全部自分でできるわけではない。
自分が行けば、必ず正しい判断ができるわけでもない。
それを認めるのは、以前より少しだけ楽になっていた。
だからといって、待つ時間まで楽になったわけではないけれど。
「帰還反応はまだか?」
ナーヴァが尋ねる。
「まだ」
「先ほども確認していたな」
「してない。たまたま見ただけ」
「何もない場所をか」
「……お前までそういうこと言うようになったの?」
返事はなかった。
ただ、口元がほんの少し動いたような気がした。
縁がファステの近くから離れ、今度は俺の方へやってくる。
足の横で丸くなった。
「お前は待つの上手いな」
声をかけると、耳だけが動いた。
◇
《帰還石》の反応が来た時、俺はすぐに立ち上がった。
「来た」
けれど、入口はまだ開かない。
反応を受けても、決めた短い時間を置く。
追跡者がいるなら、三人がその場を離れるための時間。
向こうに異常があるなら、入口を開かずに済ませるための時間。
短いはずなのに、待っている間は長く感じる。
「まだか?」
ナーヴァが言う。
「まだ」
「戻ったのであろう」
「帰還石を持った誰かが接続地点へ来た、ってことしか分からない」
「面倒な道具だ」
「便利な呼び鈴だよ。安全確認まではしてくれないだけで」
決めた時間を待ち終え、《淫獄》の入口を開く。
最初に見えたのはリゼだった。
周囲を確認し、こちらへ頷く。
「問題ない」
その後ろからレイナとヴィオラが入ってくる。
「ただいま」
「戻りましたわ」
「おかえり」
三人が入ったあと、外を確認して入口を閉じる。
何も起きなかった。
追ってくる者もいない。
それを確認してから、全員で共用部屋へ移った。
「それで、どこへ聞けばいいかは分かった?」
俺が尋ねると、三人がそれぞれ腰を下ろした。
「候補は見つかった」
リゼが答える。
「最初は、前に補修用品を見た店へ行ったよ」
ヴィオラが説明を始める。
「いきなり知らない場所を探すより、前に話した相手へ聞く方がいいと思って」
「店員へは何て聞いた?」
「魔物の汚れが付いた装備を、普通はどう洗うのかって」
「グールのことも話したのか?」
「グール系だと思う、ってところまでね。断定はしてないよ」
実物を見たとはいえ、詳しい種類まで確認できたわけではない。
そこを勝手に確定しなかったらしい。
「すると、『どこの入口だ』と尋ねられましたわ」
レイナが続けた。
「答えたのか?」
「いいえ。わたくしから、それを伝える必要があるのかと確認しました」
「店員は?」
「入口によって管理する者が違うこともあるため、聞いただけだと」
「量も聞かれたよ」
ヴィオラが言う。
「でも、今は正確に答えられないって返した。汚水の量まで言ったら、どこで何をしてるのかって話になりそうだったから」
「それでいい」
知っていることまで隠し通す必要はない。
けれど、相談先が正しいかも分からない段階で、こちらの事情をすべて話す必要もない。
「店では、処理方法まで分からなかったのか?」
千代が尋ねる。
「少量なら洗浄剤を扱う店か、薬を扱う場所へ行けと言われた」
リゼが答えた。
「ただ、処理後の水については分からないそうだ」
「そこで初めて、別の相談先を教えられましたの」
「どこ?」
「魔法学校ですわ」
「学校?」
思わず聞き返した。
「近くの地下入口が今はグール系の区画へつながっているので、学校でも似た汚れの扱いを教えているそうです」
「学校で、そんなことまでやるのか」
「実際に魔物と関わる者がいるなら、洗い方も必要なのでしょうね」
ファステが言った。
確かに、魔法を撃つだけが魔法使いの仕事ではないのかもしれない。
「一人の話だけで決めず、薬を扱う店でも聞きましたわ」
レイナが続ける。
「そちらでも、最初に傷の有無を確認されました」
「負傷者はいないって答えた?」
「ええ。現物も持ってきていないと伝えました」
「持ってこなかったのは正解だと言われたよ」
ヴィオラが少し得意そうに言う。
「よく分からない物を街中へ持ち込むなって」
「それは、本当に持っていかなくてよかったな……」
「普通の泥と混ぜないこと。肌へ触れさせないこと。飲み水から離すこと。応急的には、今している対応で間違っていないそうですわ」
「だが、洗った水をそのまま流すことは勧めない、とも言われた」
リゼの言葉に、俺は隔離してある汚水の方を見る。
「理由は?」
「腐敗した肉や体液に何が残っているか、判断できないからだそうです。病気なのか、魔力の残りなのか、それ以外なのかも、その方には区別できないと」
分からないから、流さない。
そこは俺たちの判断と同じだった。
「そっちでも魔法学校を勧められた」
ヴィオラが言った。
「二人が同じ場所を挙げたので、所在地までは確認しましたわ」
「中にも入ったのか?」
「いや」
リゼが首を振った。
「外から確認しただけだ」
「中には杖を持った人や、箱を抱えた人が出入りしてた。肩に鳥みたいな生き物を乗せた人もいたよ」
「使い魔でしょうか」
ファステが少し興味を示す。
「店の人も、そうかもしれないって。門には杖と、翼のある小動物みたいな印があった」
「なぜ入らなかった?」
ナーヴァが尋ねた。
「相談先を見つけるところまでが、今日の目的だったからだ」
リゼが答える。
「何をどこまで説明するか決めていない。現物が必要か、費用がかかるかも分からない状態で入る必要はない」
「また来ればよいと判断しましたの」
レイナが続ける。
「一度で全部を済ませる必要はありませんもの」
そこで止まれた。
学校まで見つけたのだから、ついでに中へ入りたくなってもおかしくない。
俺なら、気になって少し迷ったかもしれない。
「入口の規則についても、聞ける場所は見つけた」
リゼが言った。
「管理している人間へ相談できる窓口があるらしい」
「そこには行ったの?」
「場所まで行って、外にいた案内役へ一般的なことだけ聞いたよ」
ヴィオラが答える。
「地下入口の利用について聞きたいって言ったら、最初にどの入口か聞かれた」
「それも答えなかった?」
「うん。その前に、何が必要なのか知りたいって返した」
「次に、探索者の登録があるかと尋ねられましたわ」
「……登録」
俺たちは誰も、そんなものを持っていない。
「何て答えた?」
「今は答えられないって」
ヴィオラは悪びれずに言った。
「嘘はついてないよ」
「相手は怒らなかった?」
「少し怪しまれたとは思う」
リゼが答えた。
「だが、一般的な説明は受けられた。入口によっては管理者への申告が必要で、自由に使える場所もあるらしい」
「特定の入口について詳しく知りたければ、入口の場所や身元を説明する必要があるそうですわ」
「それ以上は聞かなかった?」
「聞いてない。今日はそこまで」
ヴィオラの返事は軽い。
けれど、その内容は軽くなかった。
相談先は見つけた。
でも、勝手に話を進めなかった。
答えられないことを、もっともらしい嘘で埋めなかった。
相手が信用できるとも、危険だとも決めつけなかった。
魔法学校を見つけても、中へ入らなかった。
管理窓口でも、目的を広げなかった。
分からないことを、分からないまま持って帰ってきた。
リゼは周囲の危険を見ていた。
レイナは必要な条件を整理していた。
ヴィオラは相手へ近づきながら、踏み込ませてはいけない場所では止まった。
その場に俺はいなかった。
全部、三人だけで判断してきたんだ。
街へ出る前とは違う。
今は、その結果を三人の口から聞いている。
それぞれが自分のやり方で俺たちの秘密を守り、俺のところへ報告を持って戻ってきた。
その事実が、出発前より深く胸へ刺さった。
安心だけではない。
三人が俺の知らない場所で自分の役を選び、それでも俺との関係を切らずに帰ってきたことへ、熱が混ざる。
『《淫獄石》を280個獲得しました』
『所持《淫獄石》:880』
「また出た?」
ヴィオラがすぐに聞いた。
「何で分かるんだよ」
「顔」
「そんなに分かりやすい?」
「分かりやすくはないですけれど、もう長く一緒におりますもの」
ファステまで穏やかに言った。
「今回は何個じゃ?」
「二百八十」
「出発前と合わせて四百か」
千代が即座に計算する。
「相談先を見つけただけなのにね」
「それで増えたわけじゃない」
俺は三人を見る。
「勝手に答えず、勝手に進めず、ちゃんと持って帰ってきたから……だと思う」
「それが夜斗の好みなんだ?」
「言わせるな」
ヴィオラが笑い、レイナが小さく息を吐く。
「ともかく、次は魔法学校へ何を伝えるか決める必要がありますわ」
「現物を持っていくかも決めないとな」
リゼが言う。
「入口の規則も別に調べる必要がある」
「問題、増えたね」
「相談先が分かった分だけ減っただろ」
「でも、質問も増えたよ?」
「……増えたな」
処理方法はまだ分からない。それでも相談先と、次に決めるべきことは持ち帰れた。
待っていた俺にも、次の仕事ができた。




