第84話 帰れるなら、行っていい?
朝から、ナーヴァが石を見ていた。
共用棚の上に置かれた、小さな《帰還石》。
昨日までは、ただの石にしか見えないと言っていた物だ。
今日も見た目が変わったわけではない。
少しくすんだ色をした、手のひらに収まる程度の小石。
それをナーヴァは、腕を組んだまま睨んでいる。
「気になる?」
俺が尋ねると、金色の目がこちらを向いた。
「ただの石にしか見えぬ」
「昨日も聞いた」
「昨日見ても今日見ても、ただの石だ」
「明日見てもたぶん同じだぞ」
「ならば毎日見る意味はないな」
ナーヴァはそう言ったが、石から離れようとはしなかった。
ヴィオラが横から覗き込む。
「持ってみる?」
「なぜ貴様の許可が要る」
「要らないけど、勝手に持ったら怒られるかもしれないよ」
「怒らないよ」
一応、俺が訂正する。
ただし、あれは外出時に使う共用品だ。
誰かが持ち出したまま忘れると、次に使いたい人が困る。
「それは今まで使ってた分だから、ナーヴァには別のを作る」
ナーヴァの眉がわずかに動いた。
「別の物があるのか」
「作れる」
「昨日は一つしか見せなかったではないか」
「一つしか作ってなかったからな」
必要にならなかったので、増やしていなかっただけだ。
《帰還目印》として登録する小物の数には、今のところ上限らしい表示がない。
何個か試しに登録してみたが、問題なく反応した。
だから、ナーヴァ用も作れる。
「何個でも作れるみたいだよ」
「ならば最初から全員へ持たせればよかろう」
「使わない時まで増やすと、どれが誰のか分からなくなるだろ」
「印を付ければよい」
「……それはそうだな」
正論だった。
ヴィオラが笑う。
「もう一個、生活が改善したね」
「新しく来た奴に言われて改善するの、少し悔しいんだけど」
「我を誰だと思っている」
「食料庫を一日で空にできる竜」
空気がわずかに熱くなった。
「事実でも言い方があるだろう!」
怒るところはそこらしい。
◇
ナーヴァ用の石は、本人に選ばせることにした。
俺が用意したのは、庭や外で拾った小石が入った箱だ。
形も色もばらばら。
特別な力はない。
登録するまでは、本当にただの石でしかない。
「どれでもいいぞ」
「王が選ばぬのか」
「持つのはナーヴァだし」
「性能に違いは」
「たぶんない」
「また、たぶんか」
「試してないことを断言するよりいいだろ」
ナーヴァは不満そうに箱を見下ろした。
しばらく迷った末、赤みを帯びた黒い石を一つ摘まみ上げる。
角の取れた、平たい小石だった。
「これにする」
「やっぱり赤黒いのが好きなんだ?」
ヴィオラが尋ねる。
「燃え残った物の色だ。悪くない」
選ぶ理由が物騒だった。
俺は石を受け取り、意識を向ける。
《淫獄》の薄い表示が浮かんだ。
『《帰還目印》として登録しますか?』
迷う理由はない。
実行する。
指先の石が、ほんの一瞬だけ鈍く光った。
すぐに元の小石へ戻る。
『《帰還目印》を登録しました』
「できた」
ナーヴァへ返す。
彼女は石を手のひらで転がし、裏表を確認した。
「何も変わっておらぬ」
「見た目はな」
「これで、我の居場所が分かるのか」
「分からない」
「方角は」
「分からない」
「我の声は届くのか」
「届かない」
「危険に遭っているかは」
「分からない」
「……何が分かる」
「登録した接続地点の近くまで戻ってきたこと」
ナーヴァが露骨に顔をしかめる。
「役に立たぬ」
「呼び鈴だからな。鍵でも通信道具でもない」
自動で入口が開くわけでもない。
俺が反応に気づき、安全を確認したうえで開く必要がある。
落とせば反応しない。
壊れた場合にどうなるかも、まだ試していない。
複数の石が同時に反応した時、誰が持っている物か見分けられるかも分からない。
便利になったとはいえ、何でも解決してくれる道具ではなかった。
「まず、ナーヴァが持っても反応するか確かめる」
「我は住民として登録されたのであろう」
「表示ではな。でも実際に使えるかは別だ」
「疑り深い男だ」
「昨日、俺たちを焼こうとした奴と初めて外へ出るんだぞ。慎重にもなる」
「敵陣と誤認しただけだ」
「その誤認一回で全滅しかけたんだよ」
言い返すと、ナーヴァは黙った。
否定はしないらしい。
◇
最初の試験場所には、第二接続地点を選んだ。
水場から少し離れた、安全確認用の場所。
普段は水を運ぶ時に使っている。
外へ出るのは、ナーヴァとリゼだけだ。
俺は《淫獄》に残って、帰還反応を確認する。
「我に護衛など要らぬ」
入口を開く前から、ナーヴァは不満そうだった。
「お前の護衛ではない」
リゼが装備を確認しながら答える。
「周囲の確認役だ」
「我一人でできる」
「この世界で、人間の足跡と危険な獣の痕跡を区別できるのか?」
「……見れば分かる」
「それを、できないと言うんだ」
ナーヴァの目が険しくなる。
それでも、昨日のように熱が膨らむことはなかった。
気に入らなくても、話を聞く程度にはなったらしい。
「今日は竜の姿になるなよ」
俺が念を押す。
「なる必要などない」
「狩りもしない」
「分かっている」
「遠くまで行かない」
「しつこい」
「石をなくさない」
「貴様は我を何だと思っている!」
「今日初めて外へ出す竜」
「子供扱いするな!」
「はいはい、二人ともそこまで」
ヴィオラが間へ入った。
「そのままだと、試す前に日が暮れるよ」
誰のせいだと思っているのだろう。
俺は接続先を選び、第二地点へ入口を開いた。
先にリゼが外へ出る。
周囲を見る。
地面。
木々。
遠くの水音。
しばらくして、こちらへ合図した。
「問題ない」
ナーヴァが入口の前へ立つ。
ほんの一瞬だけ、その足が止まった。
昨日までいた戦場とも、《淫獄》とも違う場所。
風が吹いている。
木の葉が揺れる。
遠くで鳥の声がする。
人型のナーヴァが、初めてこの世界の空を見上げた。
「……静かだな」
それだけ言って、外へ踏み出した。
俺は二人が周囲を確認したのを見届け、入口を閉じた。
景色が途切れる。
《淫獄》の壁へ戻る。
向こう側に何があるのか、俺には見えない。
ナーヴァがどんな顔をしているのかも分からない。
「閉じたね」
ヴィオラが言った。
「試験だからな」
「すぐ開けたくならない?」
「なる」
即答した。
ファステが少し困ったように笑う。
「ですが、決めた時間まではお待ちになるのですよね」
「待つよ」
帰還反応は、安全の証明ではない。
誰かに追われているかもしれない。
負傷しているかもしれない。
石を持った本人以外が近くにいる可能性もある。
だから、反応が来ても即座には開けない。
しばらく待つ。
何も起きない時間は、やはり長い。
やがて、視界の端に表示が浮かんだ。
『外界接続地点:二――帰還反応』
共用の石を使った時と、ほとんど同じ表示。
ただ、意識を向けると、登録したばかりの赤黒い小石が反応元だと分かった。
「来た」
「ナーヴァの石か?」
千代が確認する。
「たぶん分かる。さっき登録した石だ」
複数同時に反応した場合まで見分けられるかは不明だ。
だが、少なくとも一つずつなら識別できるらしい。
それでも、すぐには入口を開けない。
決めた時間を置く。
外ではリゼが周囲と尾行の有無を確かめているはずだ。
◇
「なぜすぐに開けぬ」
入口が開いた直後、ナーヴァはそう言った。
「帰還反応は安全の証明じゃないから」
俺の代わりにリゼが答えた。
「石が知らせるのは、持ち主が範囲へ入ったことだけだ。周囲に何がいるかまでは伝わらない」
「面倒だ」
「もう聞き慣れてきたな、それ」
ナーヴァとリゼが《淫獄》へ入る。
二人とも無事だ。
後ろに誰かがいる様子もない。
入口を閉じて、俺はようやく息を吐いた。
「問題なく反応した」
「……確かに戻れたな」
ナーヴァが手の中の石を見る。
「だから言っただろ」
「一度で信用すると思うな」
「思ってない」
答えると、ナーヴァはわずかに口を閉じた。
怒るかと思ったが、何も言わない。
代わりに、石を俺へ差し出した。
「返す」
「それはナーヴァ用だ」
「試験は終わった」
「狩りに出るなら持っていてほしい」
ナーヴァの目が細くなる。
「我を追跡するためか」
「できないって説明しただろ」
「隠している可能性がある」
「だったら、持たなくてもいい」
手を伸ばしかけて、止める。
ナーヴァが俺を見た。
「持たぬまま出てもよいのか」
「俺は困る。でも、無理やり持たせても意味ないだろ」
「なぜだ」
「捨てられたら終わりだから」
石を持つかどうか。
戻るかどうか。
最終的には、ナーヴァ本人が決める。
「それは帰れと命じるための物じゃない。帰りたい時に、俺が気づくための物だ」
「我が帰らなければ?」
「何も反応しない」
「探しにも来ぬのか」
「場所が分からないから、探しようがない」
何かあったと判断できる場合なら、できる範囲で探すかもしれない。
だが、ナーヴァが自分で帰らないと選んだのか、それとも帰れなくなったのか。
《帰還石》だけでは区別できない。
「役に立たぬ石だ」
ナーヴァはまた言った。
それでも、今度は返さなかった。
赤黒い小石を握り、自分の腰元へしまう。
その動きを見たヴィオラが笑った。
「気に入った?」
「失いたくないだけだ」
「気に入ってる人の言い方だね」
「焼くぞ」
少しだけ空気が熱くなる。
「ほら、そういうところ!」
ヴィオラが俺の背中へ隠れた。
「だから俺を盾にするな!」
◇
第二地点での試験は成功した。
次は、地下入口の固定前室。
だが、こちらは同じようにはいかない。
誰かが管理している場所だ。
巡回者もいる。
入口の利用規則は分からないまま。
勝手に入ってよい場所かどうかさえ、俺たちは確認できていない。
「短時間だけだ」
出る前に、千代が条件を確認した。
「標識にも、設備にも触れぬ。変動領域へは入らぬ。巡回者の気配があれば試験そのものを中止する」
「分かっている」
俺が答える。
「そなたではない。主にあの竜へ言っておる」
ナーヴァが不機嫌そうに腕を組んだ。
「我は獣ではない」
「知っておる。獣より危険だから言っておるのじゃ」
「貴様、随分と言うようになったな」
「焼かれぬと分かれば、この程度は言える」
正確には、《淫獄》がどこまで守ってくれるかは分からない。
昨日の一撃を止めたことしか確認できていないのだが。
「今日は帰り道の確認だけ」
俺はナーヴァへ念を押す。
「奥へは行かない。狩りもしない」
「食料は」
「明日以降」
「今日でもよかろう」
「よくない」
今度は俺も譲らなかった。
これまでの巡回記録から、比較的人が来る可能性が低そうな時間を選ぶ。
もちろん、記録は二回分しかない。
この時間なら絶対に安全だとは思わない。
接続前に耳を澄ます。
気配はない。
足音もない。
俺は外界接続地点の一つを選び、入口を開いた。
冷たい空気が流れ込んでくる。
石造りの前室。
変化はないように見える。
リゼが先に進み、周囲を確認する。
ナーヴァがその後へ続いた。
俺も最後に外へ出る。
入口はまだ開いたままだ。
「ここが狩り場か」
ナーヴァが前室の奥を見る。
「この先」
リゼが答えた。
「石段と、この前室までは固定されているらしい。奥につながる場所は、しばらくすると変わる」
「今は何がいる」
「グール系」
「食えぬ物か」
「食べるなよ」
「分かっている」
返事が少し早くなった。
俺たちが警戒していると分かったのだろう。
前室の先。
変動する領域との境界。
そこから奥は暗い。
以前、三体のグールに退路を塞がれかけた場所だ。
見える範囲に動くものはない。
音も聞こえない。
ナーヴァが境界へ近づく。
リゼが腕を出して止めた。
「今日は入らない」
「敵がいるのだろう」
「いる」
「ならば、我が確認した方が早い」
「今日は帰り道の確認だけだ」
俺も言う。
ナーヴァが振り返る。
「貴様らは、同じ言葉を何度繰り返す」
「ナーヴァが聞かないからだよ」
「聞いている」
「聞いたうえで進もうとしてるだろ」
「進んではおらぬ」
確かに、境界は越えていない。
止められて、止まっている。
昨日までのナーヴァなら、俺たちの制止など無視していたかもしれない。
そう考えると、これでも変化なのだろう。
「ここまでは《淫獄》を開ける。でも、この先では開かなかった」
俺は前室の壁へ触れた。
「奥へ行くなら、自力でここまで戻ってくれ」
「理由は」
「まだ分からない」
「次は、その石がここでも反応するか試す」
ナーヴァが腰元の《帰還石》へ触れる。
「先ほどと同じではないのか」
「接続地点が違う」
「本当に細かい男だ」
「今さらだろ」
リゼとナーヴァを前室へ残し、俺だけ《淫獄》へ戻る。
周囲に異常がないことをもう一度確認してから、入口を閉じた。
すぐに表示が出る。
『外界接続地点:一――帰還反応』
反応している。
赤黒い小石。
ナーヴァ用に登録した物だ。
俺は決めた時間を待ち、もう一度入口を開いた。
向こう側にいるのは、ナーヴァとリゼだけ。
追われている様子もない。
二人を中へ入れ、入口を閉じる。
「成功だ」
「これで、我が前室まで戻れば気づくのだな」
「石を持ってればな」
「失わぬ」
「本当に頼むぞ」
「我を子供扱いするな!」
今日、何回目だろう。
でも、子供扱いしているわけではない。
俺たち全員の帰還に関わるから、何度でも確認しているだけだ。
◇
「戻れるだけでは足りぬぞ」
試験結果を聞いた千代は、すぐに次の問題を出した。
分かっていた。
分かっていたけれど、できれば少しくらい成功を喜ばせてほしい。
「地下から帰る時には、血や体液が付着している可能性がある」
「我はその程度で害されぬ」
ナーヴァが言う。
「そなたが無事でも、家へ持ち込まれれば困る」
「……なるほど」
今度は早く納得した。
俺たちはすでに、一体のグールを倒したあとの処理で苦労している。
血。
泥。
正体不明の体液。
洗えば汚水が生まれる。
布も水も補修用品も減る。
ナーヴァが平気だからといって、そのまま共用部屋へ入れられるわけではない。
「帰還する前に、前室で身体と装備を確認する」
千代が順に挙げる。
「大きな死骸や、正体の分からぬ物は持ち込まぬ。汚染が疑われる場合は、戻ったあと土間へ直行。必要ならば洗浄と隔離じゃ」
「面倒だ」
「知ってる」
俺とナーヴァの声が重なった。
ヴィオラが笑う。
「ちょっと似てきた?」
「似てない」
「似ておらぬ」
また重なった。
今度はファステまで小さく笑っていた。
「食料が目的でしたら」
そのファステが口を開く。
「狩った獲物を持ち帰らず、その場で召し上がる方がよいのではないでしょうか」
全員が止まった。
俺はナーヴァを見る。
巨大な竜が必要とする量の肉。
それを解体して運び、保存する。
考えただけでも無理だ。
だが、その場で食べるなら運ばなくていい。
保存する必要もない。
《淫獄》へ大量の肉や血を持ち込む危険も減る。
「それだ」
俺が言った。
「最初からそうするつもりだ」
ナーヴァが当然のように答えた。
「早く言って」
「聞かれなかった」
「昨日から食料で困ってたんだから言ってくれよ!」
「狩りとは、獲物を狩って食うことだろう」
ナーヴァにとっては説明するまでもなかったらしい。
俺たちとは、前提が違いすぎる。
「でも、何でも食べていいわけじゃないぞ」
「まだ条件を増やすのか」
「グールは禁止」
「分かっている」
「腐ってる物も駄目。変な臭いがする物も、見たことのない体液が出る物も避ける」
「我の身体に毒は効かぬ」
「この世界の魔物にも同じことが言えるとは限らない」
「我は竜だぞ」
「この世界で初めて食べる物に当たらない保証にはならない」
ナーヴァの目が細くなる。
それでも、今回は反論が続かなかった。
「食べられる獲物がいなかったら?」
「探す」
「見つからなかったら?」
「さらに探す」
「決めた範囲を越える前に戻る」
「我は飢えたままだぞ」
「だからって帰れなくなったら、次の狩りもできないだろ」
ナーヴァが黙る。
一日で全部解決する必要はない。
ファステが覚えたように。
俺たちが何度も失敗しながら覚えたように。
次があるなら、今日は戻ってこられる。
「狩り一つに、どれだけ条件を付けるつもりだ」
「帰ってきてほしいから」
「……またそれか」
「大事だからな」
ナーヴァは何かを言いかけた。
だが、結局は小さく鼻を鳴らしただけだった。
「帰還の試験は済んだ」
「うん」
「ならば明日は狩る」
「狩れるか確認してから」
「同じことだ」
「全然違う」
「細かい」
「慎重と言ってくれ」
「臆病だ」
「それも否定しない」
ナーヴァが、ほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのかと思ったが、すぐにいつもの不機嫌そうな顔へ戻る。
「その確認が終わるまでは、貴様らを焼かぬ」
「休戦を続けてくれるってこと?」
「そう言っている」
「最初からそう言ってくれればいいのに」
「貴様は言葉が多い」
「ナーヴァが少なすぎるんだよ」
◇
夕食のあと。
縁が少し離れた場所からナーヴァを見ていた。
昨日ほど毛を逆立ててはいない。
耳も伏せていない。
だからといって近づきもしない。
いつでも逃げられる距離を残しながら、様子を見ている。
ナーヴァも縁へ視線を向けた。
「まだ我を警戒するか」
「昨日焼こうとしたからだろ」
「あれは敵陣と誤認して――」
「知ってる」
同じ説明も、もう聞き慣れた。
ナーヴァが俺を見る。
「ならば言わせるな」
「縁は知らないだろ」
「説明すればよい」
「通じると思う?」
ナーヴァは縁を見る。
縁もナーヴァを見る。
しばらくして、縁が顔をそらした。
「無礼な獣だ」
「嫌われた?」
ヴィオラが楽しそうに聞く。
「焼くぞ」
「それをやめないと好かれないと思うな」
「なぜ我が好かれる必要がある」
そう言いながら、ナーヴァはもう一度だけ縁を見た。
◇
夜。
ナーヴァは自分で選んだ《帰還石》を手に取っていた。
赤黒い、小さな石。
朝はただの石だと言っていた。
今も、見た目は変わらない。
それでも彼女は捨てず、自分の手元へ置いている。
「なくすなよ」
「しつこい」
「帰ってこられなくなったら困る」
ナーヴァが石を持ったまま、俺を見る。
「……誰が困る」
「俺」
答えると、ナーヴァは黙った。
怒りもしない。
馬鹿にもしない。
ただ石を握り、そのまま自分が休む場所へ戻っていった。
狩れるかどうかは、まだ分からない。
食べられる獲物がいるかも分からない。
地下入口の規則も。
奥に何体の魔物がいるかも。
何一つ解決していない。
それでも。
行く前に、帰る方法だけは作れた。
明日は、あの竜が初めて自分の意思で狩りへ出る。
そして、戻ってくるかどうかも――あいつが決める。




