第82話 名前が長い
巨大な竜の喉奥に、赤い光が残っていた。
一つでも嘘をつけば、次は焼く。
そう言われた直後に、
「さっき焼けなかっただろ」
と返した俺が悪い。
全面的に悪い。
「ごめん」
もう一度謝った。
ナーヴァの喉奥にある光は消えない。
「謝罪すれば、挑発が消えるとでも?」
「消えないけど、これ以上増やしたくはない」
「ならば黙れ」
「説明しないと何も解決しないだろ」
「どちらか一つにせよ!」
千代に怒鳴られた。
黙るか、説明するか。
迷った末、俺は余計なことを言わずに説明する方を選んだ。
「まず、俺も別の世界から来た」
巨大な金色の瞳が細くなる。
「この世界へ来た時に、《淫獄》っていう領域と、住民を召喚する力を手に入れた」
「その力で我を連れ込んだと?」
「そう。ただし、誰が来るかは選べない」
「我を狙って呼んだのではないと申すか」
「名前も知らなかった」
「では、なぜ我の名を知っている」
「召喚が終わった後に表示された」
俺にだけ見える召喚結果を指す。
ナーヴァからは何も見えないらしい。
「証明になっておらぬ」
「分かってる。でも、今説明できるのはそれだけだ」
元の世界へ戻す方法も知らない。
召喚された者へ服従を強制するつもりもない。
ここへ残るか、外へ出るかも、本来は本人が決める。
一つずつ話した。
「言葉では何とでも言える」
ナーヴァは信用しなかった。
当然だ。
俺だって、突然知らない場所へ連れてこられた後で、連れてきた相手から自由だと言われても信じない。
「俺の話が信用できないなら、ほかのみんなへ聞いてくれ」
ナーヴァの視線が五人へ動く。
最初に見られたファステが、静かに頭を下げた。
「私は、夜斗様からお仕えするよう命じられたわけではありません」
「しかし、その男を主として扱っている」
「私がそうしたいと思っているからです」
ファステの返答に迷いはなかった。
次に、ナーヴァの視線がリゼへ向く。
「私は夜斗を守ると自分で決めた。離れたいと言えば、こいつに私を止める力はない」
「言い方」
「事実だ」
そのとおりなので、反論できない。
「わたくしも、こちらへ残ることを自分で選びましたわ」
レイナが続ける。
「少なくとも、夜斗さんはわたくしたちを所有物として扱ってはいません」
「説明が不完全で、己の力を把握しておらぬことは事実じゃ」
千代は俺に厳しかった。
「そこまで言う?」
「意図して偽りを申しているわけではない、という話じゃ」
「補足が遅い」
「ですが、頼りないのと悪い王なのは別だからね」
ヴィオラまで加わる。
「それ、かばってる?」
「一応」
一応らしい。
ナーヴァは五人の顔を順番に見た。
「全員が同じ虚偽を教え込まれている可能性もある」
「疑い深いな」
「戦場で疑うことをやめた者から死ぬ」
そう言われると、何も返せなかった。
「以前召喚された一人は、今も外を旅してる」
「外へ出したと?」
「本人が出ると決めたから」
「逃亡ではなく?」
「また来たくなったら来るって言ってた。帰ってくるとは約束してない」
セリナが今どこにいるのか、俺たちも知らない。
呼び戻す方法もない。
「本当に縛ってるなら、そんな状態にはしないだろ」
ナーヴァは答えなかった。
納得したわけではない。
だが、喉奥に残っていた赤い光が、少し弱くなった。
第二撃を放っても、また止められるかもしれない。
今すぐ俺たちを焼くより、情報を得る方が先だと判断しただけだろう。
それでも、炎が飛んでこないだけで十分だった。
◇
ナーヴァを囲む空間が揺れた。
「また何かする気か?」
リゼが剣を構え直す。
「我ではない」
巨大な竜が不快そうに翼を動かす。
翼そのものは、歪んだ空間の中に収まっている。
しかし、先ほどまで安定していた輪郭が、少しずつ揺れ始めていた。
ナーヴァの巨体を収めるために生まれた、現実の大きさを無視する空間。
《淫獄》全体が広がったわけではない。
召喚地点の周囲だけへ、別の広さが重ねられている。
その境界が、呼吸するように縮んだり戻ったりしていた。
「これ、消えたらどうなる?」
「妾に聞くな」
「俺の家なんだけど」
「ならば、そなたが答えよ」
「分からないから聞いてる」
空間が消えた瞬間、ナーヴァが共用部屋へ物理的に押し込まれる。
そんなことになれば、俺たちより先に家が壊れそうだ。
「その姿、小さくできない?」
ヴィオラが尋ねた。
ナーヴァの瞳が細くなる。
「我へ姿を変えろと命じるか」
「命令じゃなくてお願い。家が壊れそうだから」
「《淫獄》自体が壊れないとしても、生活用品はどうなるか分かりませんわ」
レイナが器を見た。
「話を続けるにも、その姿では距離がありすぎる」
千代も加わる。
ナーヴァは、揺れる空間を見回した。
俺たちのためではない。
自分が不安定な場所へ収められている状況を嫌ったのだろう。
「離れろ」
低い声が響く。
俺たちはすぐ距離を取った。
ナーヴァの赤黒い鱗が光る。
巨体の輪郭が炎に包まれた。
「また撃つんじゃないだろうな!」
「黙れ」
炎は外へ広がらなかった。
巨大な身体をなぞるように収束していく。
角。
翼。
長い首。
分厚い脚。
鋭い尾。
すべての輪郭が縮まり、一つの人影へ集まった。
光が消える。
そこに立っていたのは、一人の女だった。
長身。
人の姿になっても、細く弱々しい印象はまったくない。
鍛えられた身体。
赤黒い長髪。
頭部には竜の角が残っている。
金色に近い瞳も変わらない。
首元と腕の一部には、赤黒い鱗が見えた。
身にまとっているのは、焼け焦げた戦装束。
煤と乾いた血も、ドラゴン形態の時と同じように残っている。
翼と尾は見えない。
消したのか、どこかへ収めているのかは分からなかった。
ナーヴァが人型へ変わるのに合わせて、召喚地点を囲んでいた歪みも縮んでいく。
最後には何事もなかったように消えた。
共用部屋の広さは、元のままだ。
『生活環境を微細調整しました』
「今のも微細なの?」
「召喚時の歪みが消えただけかもしれぬ」
千代は慎重だった。
人型になったナーヴァが、俺を見る。
「何を見ている」
「本当に人になれるんだなと思って」
「人になったのではない。形を変えただけだ」
「じゃあ、ドラゴンなのは変わらない?」
「当然だ」
人型になれば怖くなくなるかと思った。
そんなことはなかった。
巨体ではなくなった分、鋭い視線が近い。
赤黒い髪と鱗、強靱な身体、焼け焦げた戦装束。
見た目だけなら、俺の好みへかなり刺さりそうな要素が揃っている。
だが、少し前に焼き殺されかけた記憶の方が圧倒的に強かった。
《淫獄石》の表示は出ない。
当然だと思う。
「それで、名前」
俺は召喚結果を見直した。
「ナーヴィナル・ドラゴ・クァトリオム・ナーヴァ」
本人が、滑らかに名乗る。
「もう一回」
「ナーヴィナル・ドラゴ・クァトリオム・ナーヴァ」
「途中から分からなくなった」
「貴様、表示されているのではなかったか」
「読めるのと覚えられるのは別だろ」
ヴィオラが指を折りながら繰り返そうとした。
「ナーヴィ……ドラゴ……クァ……」
「諦めるのが早い」
「長いよ」
ファステとレイナは覚えようとしている。
リゼは最初から、最後の部分だけを聞いていたように見えた。
千代は一度で覚えた顔をしている。たぶん本当に覚えている。
「最後のナーヴァで呼んでいい?」
俺が尋ねる。
「我が認めぬと答えれば、毎回すべて呼ぶのか?」
「努力はする」
「できぬ者の答えだな」
「否定できない」
ナーヴァは不満そうだった。
それでも、拒絶はしなかった。
「では、ナーヴァと呼ぶ」
「好きにせよ」
黙認された。
たぶん。
「向こうでは何て呼ばれてた?」
続けて聞く。
「名は今言った」
「正式な名前じゃなくて、周りから」
ナーヴァは少し黙った。
「《厄災》」
嫌な言葉が出た。
「《破壊神》」
さらに悪化した。
「《化け物》」
「全部怖い」
「敵や、焼け残った者どもが勝手に呼んでいただけだ」
「焼け残った者って言い方がもう怖いんだけど」
正式な二つ名は、表示にある《戦場を焼き尽くした竜》。
厄災や破壊神は、ナーヴァの周囲が勝手に付けた恐称らしい。
「大きなトカゲを見たら、そう呼びたくなる気持ちは――」
ヴィオラが言い切る前に、室内の温度が上がった。
「ヴィオラ」
「何?」
「今すぐ謝った方がいい」
ナーヴァがヴィオラを見る。
「次にトカゲと呼べば焼く」
「さっきも焼こうとしただろ」
一瞬。
全員が俺を見た。
「夜斗」
「夜斗様」
「そなたは学習せぬのか!」
「ごめん!」
今日二度目だった。
幸い、今度はナーヴァの口が光ることはなかった。
「分かった。ナーヴァと呼ぶ。トカゲは禁止」
「当然だ」
「ドラゴンは?」
「種族を呼ぶことの何が悪い」
「そこはいいんだ」
基準が少し分かった。
ヴィオラは反省しているようにも、していないようにも見える。
たぶん、次からは本人に聞こえないところで言うつもりだ。
◇
召喚表示を確認すると、ナーヴァの名前はすでに《住民》として登録されていた。
「ナーヴァは、表示上だと《住民》になってる」
「我が貴様に従うと決めた覚えはない」
「俺も、登録されたら従う仕組みだとは思ってない」
「住民とは、王の所有物ではないのか」
「違う」
そこだけは、すぐに答えられた。
「少なくとも、この《淫獄》では違う。登録されたからって、俺の命令に従う義務はない」
「先ほどの炎を止めたのは、服従を強いる仕組みではないのか?」
「分からない」
「またそれか」
「俺も初めて見たんだよ」
攻撃を防いだのか。
《淫獄》全体を守ったのか。
俺たちを守ったのか。
召喚された住民同士の致命攻撃だけを拒絶したのか。
何も分からない。
「試すために、もう一度撃つのはなしだからな」
「命じるか?」
「頼んでる。全員死にたくないし、家も燃やされたくない」
「我を閉じ込めるつもりは?」
「ない」
「ならば、今すぐ外へ出せ」
即答され、今度は俺が黙った。
「それは、ちょっと待ってほしい」
「先ほどと言っていることが違う」
「永久に閉じ込めるつもりはない。でも、外の状況を何も説明せず出すのは危ない」
「我に危険だと?」
「周りが」
ドラゴン形態で外へ出られたら、それだけで大騒ぎになる。
街の人間に見つかる可能性もある。
第二接続地点の近くで巨大な竜へ戻られれば、水場も使えなくなるかもしれない。
何より、ナーヴァが出たいのは外界ではない。
元の戦場だ。
今の俺には、そこへつなぐ方法がない。
「ここを出ても、さっきまでいた戦場には戻れない」
「それを確かめず、我を留めると?」
「だから、まず一日だけ待ってほしい。外のことも、《淫獄》のことも説明する。そのうえで出るなら、止めない」
「一日」
「その間に、元へ戻す方法が分かるとは言わない。でも、何も知らないまま外へ出すよりはいい」
ナーヴァは俺の目を見る。
嘘を探しているのかもしれない。
「拒めば?」
「今すぐ出すか、みんなで相談する」
「王である貴様が決めぬのか」
「俺一人で決める必要がないから」
ナーヴァは、また五人を見る。
誰も俺の後ろで命令を待ってはいない。
リゼは剣を持ったまま状況を見ている。
千代は次の言葉を考えている。
ファステとレイナは縁と生活空間を守っている。
ヴィオラはナーヴァの反応を観察している。
「今すぐ外へ出ることは、妾も勧めぬ」
千代が言った。
「この世界の人間社会も、そなたの力をどう扱うかも分からぬ。まず情報を得るべきじゃ」
「閉じ込めたいからではない」
リゼも続ける。
「お前が外で暴れれば、私たちの居場所まで危険になる。互いの安全のためだ」
ナーヴァはしばらく黙った。
「一日だ」
やがて答える。
「それ以上、我を欺いて留めるならば――」
「焼く?」
「分かっているではないか」
「もう三回くらい聞いたからな」
休戦。
信頼ではない。
服従でもない。
一日だけ、ナーヴァがここへ留まる。
それだけが決まった。
最低限の規則も伝える。
住民を攻撃しない。
縁を攻撃しない。
生活用品を燃やさない。
外へ出る時は、勝手に入口を探さず相談する。
元の世界へ戻る方法が分かれば、隠さず共有する。
ここへ残ることを強制しない。
「最後の二つは、規則というより俺たちの約束だな」
「我はまだ約束した覚えはない」
「じゃあ、こっちからの約束」
ナーヴァは答えなかった。
拒絶もしなかった。
縁は、まだ毛を逆立てている。
ただ、ドラゴン形態の時より身体は少し起きていた。
低い姿勢のまま、ナーヴァを見ている。
ナーヴァも縁へ視線を向けた。
「それは何だ」
「俺たちも知らない」
「またか」
「名前は縁。今は一緒に暮らしてる」
「獣か?」
「たぶん」
「食料か?」
「保留中」
「夜斗様」
ファステの声が少し低くなった。
「冗談。今は食べない」
「今は?」
レイナまで反応する。
「言い方を間違えた。食べさせない」
ナーヴァの視線が縁へ向いたままなので、俺は一応付け加えた。
「縁は食べるなよ」
「その程度の肉で、我の腹が満たせると思うか?」
否定の方向が少し違った。
その直後。
低い音が響いた。
全員が止まる。
リゼが剣へ力を込めた。
縁の耳も立つ。
音は、もう一度鳴った。
今度は出所が分かった。
ナーヴァの腹だ。
「……腹、減ってる?」
「減っておらぬ」
即答だった。
「今、かなり鳴ったけど」
「戦場から移された影響だ」
「空腹を認めたくないだけでは?」
ヴィオラが言う。
ナーヴァの周囲の温度が少し上がった。
「食事でしたら、用意してあります」
ファステが間へ入る。
召喚された相手が空腹だった場合に備え、簡単な食事を用意していた。
六人なら、全員で少しずつ食べられる量。
ファステがそれを示す。
ナーヴァは食事を見下ろした。
少しの沈黙。
「これは一口分か?」
「……一食分です」
ファステの声が、わずかに固くなった。
「誰のだ」
「皆様の分です」
「これが、全員分?」
「はい」
ナーヴァが食事を見る。
俺たちを見る。
もう一度、食事を見る。
「少なすぎる」
「俺たちには普通なんだよ」
「これで生きているのか?」
「今まで何とか」
俺も食卓を見る。
ナーヴァを見る。
ドラゴン形態だった時の巨体を思い出す。
嫌な予感がした。
「ちなみに、ナーヴァはどれくらい食べる?」
「獲物による」
「例えば?」
「大型の獣なら数体」
共用部屋が静かになった。
「一日で?」
「一度で」
ヴィオラが俺を見る。
「URだね」
「食費まで?」
名前は、ナーヴァでいいらしい。
敵ではないとも、まだ言い切れない。
ただ、一つだけ分かった。
URは、食費まで規格外らしかった。




