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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第七章 「最低危険度の地下」

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第74話 三体は、話が違う

 地下へもう一度入ると決めたのは、前の探索から数日後だった。


 すぐに戻らなかったのは、怖くなったからではない。


 怖くなかったと言えば嘘になる。


 ただ、それ以上に、使った物をそのままにして次へ進むことができなかった。


 汚れた水は、蓋をした容器へ隔離したまま。


 使用済みの布も、生活用品とは分けてある。


 リゼの剣と装備は手入れを終えたが、補修用品は減った。


 次も同じ量を使えば、生活道具の修理へ回す分まで少なくなる。


 その状態で、何度も地下へ入るつもりはなかった。


 今回の目的は一つだけ。


 固定前室の先にある通路を、前回より少しだけ確認する。


 グールを倒しに行くわけではない。


 素材も取らない。


 何か価値のある物を探すわけでもない。


「戦闘になりそうなら戻る」


 出発前、俺は全員の前でもう一度言った。


「一体でも?」


 ヴィオラが聞く。


「避けられない位置にいるなら戻る。前みたいに、戻ろうとして気づかれた場合だけ対処する」


「二体なら?」


「見つけた時点で即撤退」


「三体なら?」


「何で増やした?」


「確認」


「二体以上は全部同じ。数えずに戻る」


 千代が記録を見ながら頷いた。


「複数の音を聞いた時点でも同じじゃ。姿を確かめようとするな」


「分かってる」


「前回戻れたことを、今回も戻れる保証と考えるでないぞ」


「それも分かってる」


 固定前室より奥では、《淫獄》を開けなかった。


 原因は分からない。


 どこまで進めば開かなくなるのかも、俺たちは十分に確認していない。


 分かっているのは、前室なら開くこと。


 変動する領域へ入った直後では開かなかったこと。


 だから、何かあれば必ず前室まで歩いて戻らなければならない。


「入場の規則もまだ分かっておらぬ」


 千代が続ける。


「今回以上の探索は、規則を確かめてからじゃ」


「うん。今日は近くの危険確認だけ」


 都合よく目的を広げない。


 何か見つけても追わない。


 今日決めた範囲を越えない。


 それが守れないなら、最初から行くべきではなかった。


「全員で戻ってきてください」


 ファステが言う。


「何も持ち帰らなくて構いません」


「むしろ持ち帰るなと言っておる」


 千代が付け加えた。


「汚れた物は増やさないでくださいませ」


 レイナも続く。


「俺たち、行く前から成果より注文の方が多くない?」


「帰ってくることが成果だからだろ」


 リゼが答えた。


 それでいい。


 今日も、先へ進んだ距離を成果にはしない。


 三人で家へ戻ること。


 そのために、行く。


 ◇


 地下入口の周囲に、人影はなかった。


 管理標識にも、俺たちが見て分かる変化はない。


『危険度』


『最低』


 相変わらず、その二つだけが読める。


「本当に最低なんだよな」


「何度読んでも変わらん」


 リゼが周囲を確認する。


「行くぞ」


 石段を下りる。


 固定前室へ到着。


 最初に《淫獄》への入口を開き、帰還できることを確かめる。


 問題なく開いた。


 一度閉じ、縄を準備する。


 松明。


 予備の火種。


 水。


 応急処置用品。


 汚れた物を分けるための布と袋。


 装備にも問題はない。


「音は?」


 俺が尋ねる。


「今は聞こえない」


 リゼが答える。


 ヴィオラも耳を澄ませた。


「静かだね」


「静かだから安全、ではない」


「分かってるよ」


 リゼが先頭。


 俺が中央。


 最後尾にヴィオラ。


 前と同じ順番で、固定前室から先へ入った。


 境界を越える。


 ここでは《淫獄》を開けない。


 数歩進んだだけなのに、背後の前室が急に遠く感じられた。


 振り返れば見える。


 松明の明かりも届いている。


 それでも、あそこまで戻らなければ帰れない。


「前回の個体は?」


 ヴィオラが小声で尋ねる。


「見えない」


 倒した場所には、黒い跡だけが残っていた。


 グールの身体がない。


 誰かが運んだのか。


 自分で動いたのか。


 別の魔物に食われたのか。


 最初から、完全には倒せていなかったのか。


「……帰る?」


 俺が尋ねる。


「まだ新しい気配はない」


 リゼは床を確認する。


「だが、警戒は上げる。前回の死体が消えたことも情報だ」


「確認しに行かないよな?」


「行かない。今日見るのは、前回進んだ範囲と、そのすぐ先だけだ」


 黒い跡にも触れない。


 避けて進む。


 前回グールを発見した場所を越える。


 そこから先は、俺たちが初めて見る範囲だった。


 通路は、緩やかに右へ曲がっている。


 完全な曲がり角ではない。


 前室はまだ見える。


 だが、壁の出っ張りによって、奥の見通しは悪くなっていた。


「ここまで」


 俺が言う。


「まだ前室は見えるけど?」


「奥が見えない。曲がった先へ行けば、戻る前に何かと出会うかもしれない」


「妥当だ」


 リゼが立ち止まる。


 ヴィオラは床と壁へ松明を向けた。


「右側の壁、少しへこんでるね」


 通路の脇に、浅い窪みがある。


 人一人が身体を寄せられるほどの深さ。


 横穴というほどではない。


 扉もない。


「何のためだろう」


「調べない」


「触るとも言ってないよ」


「入り込むなよ」


「分かってる」


 ヴィオラが窪みから距離を取る。


 床には細い擦れ跡があった。


 前回見たグールの足跡に似ている。


 だが、同じ個体のものかは分からない。


「新しい?」


 俺が尋ねる。


「判断できん」


 リゼが答えた。


「湿気で跡が残りやすい。いつ付いたものかは分からない」


「なら、ここで終わり?」


「ああ。構造は少し分かった」


 前室から一本道。


 緩やかに下る。


 その先で右へ曲がる。


 壁には浅い窪み。


 見つけたのは、それだけだ。


 十分だった。


「戻ろう」


 三人で向きを変える。


 その瞬間だった。


 ズ……。


 曲がった先から、音がした。


 俺たちの動きが止まる。


 ……ズ……。


 一つ。


 少なくとも、聞こえたのは一つ。


「戻る」


 俺が言った。


 姿を確認しない。


 数えない。


 そのために決めてきた。


 三人で前室へ向かう。


 リゼは最後尾へ回り、音のする方へ身体を向けたまま後退する。


 俺とヴィオラが先に戻る。


 だが、数歩進んだところで、別の音がした。


 前方。


 前室との間。


 暗がりの壁際から、何かが石床を擦る。


「止まれ」


 ヴィオラが俺の肩を掴んだ。


 浅い窪み。


 さっき見たものとは別の窪みが、通路の反対側にもあった。


 そこから、灰色の腕が伸びてくる。


 グールが一体、壁へ身体を預けるようにして現れた。


「前に一体」


 ヴィオラが言う。


「後ろにも一体」


 リゼが答える。


 後方の曲がりから、最初のグールが姿を見せた。


 二体。


 確認した時点で撤退。


 もう撤退を始めている。


 問題は、前室へ続く道に一体いることだった。


「前を抜ける」


 リゼが俺たちの横を通り、前方へ出る。


「私が道を開ける。ヴィオラ、後ろを見ろ」


「分かった」


「夜斗は前室だけ見て進め」


「分かった」


 前方のグールが顔を上げる。


 俺たちを認識した。


 口を開き、濁った声を漏らす。


 ゆっくりだった動きが変わる。


 床を蹴り、こちらへ踏み込んできた。


 リゼが迎え撃つ。


 一撃目。


 伸ばされた腕を刃で逸らす。


 グールの爪が石壁へ当たり、乾いた音を立てた。


 リゼは横へ動かず、正面から押し返す。


 ここで避ければ、後ろにいる俺たちへ届く。


 剣の柄を使い、グールの胸元を打つ。


 相手の上体がわずかに反った。


「今だ。前室へ走れ!」


 リゼの声。


 俺は前へ出る。


 倒れてはいない。


 まだグールが道を塞いでいる。


 その脇を通れるほど、通路は広くなかった。


「無理だ!」


「通れる!」


 リゼがグールの身体を壁へ押しつける。


 できた隙間は、人一人分。


 俺は身体を横へ向け、そこを抜けた。


 手も壁も、グールにも触れないようにする。


 すぐ後ろからヴィオラが続く。


「後ろ、近い!」


 振り返りそうになる。


「前を見ろ!」


 リゼに怒鳴られた。


 前室はすぐそこだ。


 俺とヴィオラが境界を越える。


「リゼ!」


「開ける準備をしろ!」


 リゼはまだ通路にいる。


 押さえていたグールが腕を振り回す。


 刃がその手首を弾く。


 後ろから来た二体目も近づいている。


 足音が重なる。


 ズ……。


 ズ……。


 さらに。


 別の音がした。


 リゼの後方。


 曲がり角より奥から、三つ目の影が見えた。


「三体目!」


 ヴィオラが叫ぶ。


「数えるなって言っただろ!」


「見えたんだから仕方ないでしょ!」


 三体。


 一体なら、リゼが倒せた。


 三体は、話が違う。


 一体目を倒している間に、二体目が届く。


 二体目を止めても、三体目が来る。


 しかもリゼは、俺たちの退路を守りながら戦っている。


「倒さなくていい! 戻れ!」


「分かっている!」


 リゼが目の前のグールの膝を蹴った。


 相手の身体が崩れる。


 頭ではなく、脚。


 倒すためではない。


 通路を空けるための攻撃だ。


 グールが片膝をつく。


 リゼは横を抜けて前室へ走る。


 二体目が腕を伸ばした。


 爪がリゼの背中へ届きそうになる。


「リゼ!」


 ヴィオラが持っていた松明を横へ振った。


 炎そのものではなく、光と熱がグールの顔へ近づく。


 グールの動きが一瞬だけ鈍った。


 その間に、リゼが境界を越える。


「全員入った!」


 俺は《淫獄》への入口を開く。


 前室なら開く。


 灰色の境界が現れた。


「ヴィオラ、先に!」


「夜斗が先!」


「どっちでもいい、入れ!」


 リゼが通路の境界に立つ。


 膝をついたグールが起き上がる。


 二体目も迫る。


 三体目は、その後ろ。


 俺は《淫獄》へ飛び込んだ。


 続いてヴィオラ。


 振り返る。


 リゼはまだ前室にいる。


 最初の一体が境界を越えようとしていた。


 リゼは剣を振らなかった。


 片脚を踏み込み、グールの胸を蹴り返す。


 倒すためではない。


 距離を作るため。


 グールの身体が後ろの二体目へぶつかる。


 リゼが《淫獄》側へ下がった。


「閉じろ!」


 入口を閉じる。


 灰色の境界が消えた。


 伸ばされたグールの腕も。


 腐った臭いも。


 重なる足音も。


 全部が途切れた。


 ◇


「そこから動かないでください!」


 ファステの声が飛んだ。


 前回と同じだった。


 違うのは、俺たち三人がすぐに返事をしなかったことだ。


 息が切れている。


 走った距離は短い。


 それでも、前室までの数歩がひどく長く感じられた。


 レイナとファステが前回と同じ手順で負傷を確認する。俺に傷はなく、ヴィオラも袖がわずかに焦げただけで、皮膚までは届いていなかった。


「リゼ」


 ファステが呼ぶ。


 リゼはまだ剣を握っていた。


「大丈夫だ」


「背中を見せてください」


「爪は届いていない」


「確認します」


 レイナが仮設の仕切りを準備する。


 リゼは剣を指定された布へ置き、装備を外した。刃の汚れは少なく、靴には最初の一体を蹴った跡がある。背中にも傷や爪痕はなかった。


「本当に届いていなかったようです」


 ファステが言う。


 その声に、全員の緊張が少しだけ緩んだ。


「三体いたのか?」


 千代が尋ねる。


「見えたのは三体」


 ヴィオラが答える。


「曲がりの先に、ほかがいたかは分からない」


「数不明じゃな」


「ああ」


「なぜ三体を確認するまで残った?」


 問いは厳しかった。


「残ってない」


 俺は答える。


「最初の音を聞いた時点で戻り始めた。戻る途中で、前室との間に一体出てきた」


「退路上に?」


「壁の窪みにいた」


 ヴィオラが簡易図を引き寄せる。


「行きでは見落とした。姿勢を低くして動かなければ、松明の光でも分かりにくい」


「ならば、前へ進む時に通り過ぎておった可能性があるのか」


「そうなる」


 知らないうちに、グールを背後へ残していた。


 それだけで身体が冷える。


「二体目は奥から。戻っている間に、三体目も見えた」


 リゼが説明する。


「交戦は?」


「道を空けるために一体目を押し返した。倒してはいない」


「三体とも、まだあそこにいる?」


 ファステが尋ねる。


「少なくとも、倒したとは考えない方がいい」


 リゼの答えに、ファステの顔が曇る。


 倒さなかった。


 だから、今回の後処理は前回より軽く済むかもしれない。


 でも、地下の危険はそのまま残っている。


「一体なら倒せる」


 俺は土間へ座り込まないよう、壁へ背を預けた。


 まだ服を替えていない。


 清潔な場所へ触れない方がいい。


「三体は無理?」


「私一人なら、地形次第で戦えるかもしれん」


 リゼが答える。


「だが、二人を前室へ戻しながらでは難しい。退路に一体、後方に二体以上。あのまま残れば挟まれていた」


「倒すことに集中したら、俺たちを守れない」


「ああ」


「俺たちを守ったら、全部は倒せない」


「そういうことだ」


 単純な足し算ではない。


 一体倒せるなら、三体でも時間をかければ倒せる。


 そうはならない。


 守る相手。


 通路の幅。


 退路。


 暗さ。


 どこに何体隠れているか分からない状況。


 条件が一つ増えるたび、リゼの負担は何倍にもなる。


「俺たちが邪魔だった?」


 聞くと、リゼは少しだけ考えた。


「戦闘だけを考えればな」


「正直」


「だが、私は一人で行くつもりはない」


 リゼは俺を見る。


「一人なら、後ろに何がいるかを確認する者もいない。負傷しても助けを呼べない。《淫獄》を開くこともできない」


 俺がいなければ、前室へ戻っても《淫獄》には帰れない。


 ヴィオラがいなければ、後ろから来る相手への気づきが遅れた。


 戦えないから不要ではない。


 ただ、三人で動くなら、三人で帰るための戦い方が必要になる。


「松明を振ったのは危なかったですわ」


 レイナがヴィオラの焦げた袖を見る。


「必要だったよ」


 ヴィオラが答える。


「一瞬でも顔を逸らせれば、リゼが戻れると思ったから」


「自分の服へ燃え移る可能性もありました」


「次はやらない方がいいね」


「次?」


 俺が反応すると、ヴィオラは肩をすくめた。


「同じ方法は、って意味」


「地下へ次に入るみたいに言うな」


「入らないの?」


 すぐには答えられなかった。


 今日の目的は、入口近くの構造確認だった。


 前回より少し先へ進み、通路が右へ曲がることを知った。


 壁の窪みに、グールが隠れられることも。


 複数個体が前室の近くまで来ることも確認した。


 情報は増えた。


 同じくらい、進む意味は減った気がした。


 ◇


 装備の隔離と身体の確認を終える。


 今回はグールを斬っていないため、汚れた水の量は前回ほど多くなかった。


 それでもゼロではない。


 リゼの靴。


 剣の一部。


 ヴィオラの焦げた袖。


 地下へ持ち込んだ縄と布。


 見た目に汚れていない物まで、すぐ生活用品へ戻す気にはなれなかった。


「前回より少ないですね」


 ファステが言う。


「でも、また増えた」


 俺は仮保管している容器を見る。


 前回の汚水。


 今回の汚水。


 使用済みの布。


 処分方法は、まだ決まっていない。


 倒さなくても、地下へ入るだけで汚れは持ち帰る。


「探索を重ねるほど、処理できない物も増えるな」


 千代が記録する。


「しかも今回は、得た物は情報のみじゃ」


「情報は大事だよ」


 ヴィオラが言う。


「否定しておらぬ。情報を得るために、何を消費したかを比べておる」


「割に合った?」


「それを決めるのは、今後この情報をどう使うか次第じゃ」


 千代の答えはすぐに出なかった。


 俺も同じだった。


 複数のグールがいる。


 壁の窪みに隠れる。


 前室近くまで来る。


 知れてよかった。


 でも、もう一度同じ場所へ入れば、次は四体かもしれない。


 五体かもしれない。


 前室の中まで来ているかもしれない。


「最低危険度でも、入口近くに三体」


 俺が呟く。


「珍しいことなのかも分からんな」


 リゼが言う。


「今日は偶然まとまっていただけかもしれない。普段からあの数がいる可能性もある」


「街の人は、何で最低って判断してるんだろう」


「魔物の種類、数、区画全体の広さ、過去の記録。基準はいくつも考えられる」


「俺たちは、その基準も知らない」


「ああ」


 最低という表示だけを見て、自分たちでも大丈夫だと思いかけていた。


 でも、あれは俺たち向けの評価ではない。


 この世界で入口を管理する側が付けた評価だ。


 訓練を受けた探索者。


 複数の戦闘員。


 治療や衛生の知識。


 専用の装備。


 そういうものを持つ人間を基準にしているのかもしれない。


 今の俺たちにとっての最低ではなかった。


 ◇


 ようやく身体と装備の確認が終わり、俺たちは共用部屋へ移った。


 ファステが水を出してくれる。


 紅茶ではない。


 今はただの水がありがたかった。


 俺の手は、まだ少し震えていた。


 カップを持って初めて気づいた。


「今さら?」


 ヴィオラが尋ねる。


「向こうにいる間は、震えてる暇なかったから」


「怖かった?」


「怖かったよ」


「私も」


 ヴィオラはあっさり言った。


 いつもどおり笑っている。


 でも、松明を持っていた手には、強く握っていた跡が残っていた。


 リゼも無傷だ。


 それでも、疲れていないわけではない。


 土間で装備を外した今、普段より深く椅子へ身体を預けている。


 戦闘装備を整えたリゼ。


 身軽な旅装で状況を見ていたヴィオラ。


 危険の中で前と後ろから俺を守り、同じ家へ戻ってきた二人。


 そして、帰還後の役割を迷わず引き受けたファステ、レイナ、千代。


 今はそれぞれ、自分のカップを手にしている。


 無事に戻った安心と、普段とは違う五人の姿。


 それまで積み重ねてきた関係が、危険から日常へ戻った瞬間に重なり、俺の性的な好みへ強くつながった。


『《淫獄石》を780個獲得しました』


『所持《淫獄石》:5,910』


「今なんだ」


 ヴィオラが表示を見る。


「地下で出なくてよかった」


「逃げている途中に780個って出たら、確かに邪魔だね」


「そういう問題だけじゃない」


 戦っていたからではない。


 追われたからでもない。


 三体のグールへ興奮したわけでも、危険を楽しんでいたわけでもない。


 全員で家へ戻った。


 二人が俺を守り。


 三人が俺たちを迎え。


 今、六人で同じ場所にいる。


 そこまでそろって、初めて刺さった。


「性癖クリティカル?」


「そこまではいかないと思う」


「780個だよ?」


「前の1,500を基準にするな」


「十分多いですわ」


 レイナが呆れたように言う。


「無事に帰られた直後ですのに、何を考えていたのです?」


「自分でも説明しにくい」


「成人女性に守られて帰宅し、さらに成人女性に世話をされる状況」


 千代が淡々と整理する。


「やめて。言葉にされると本当にひどい」


「だいたい合っているね」


 ヴィオラまで頷いた。


「違うとは言い切れないけど、もっと関係性とかあるから」


「自分で補足したな」


「失敗した」


 少し笑いが起きた。


 地下では、一度も笑えなかった。


 その違いだけで、帰ってきたのだと実感できた。


 足元へ縁が近づいてくる。


 俺の匂いを確かめるように鼻先を寄せ、足へ身体を預ける。


 ようやく近づくことを許されたからか、いつもより強く押しつけてきた。


「ただいま」


 小さく言う。


 縁は返事をせず、その場で丸くなった。


 ◇


「次を決めよう」


 少し休んだあと、俺は言った。


 千代が記録を開く。


「今回分かったことは?」


「通路は前室から緩やかに下って、右へ曲がる」


 ヴィオラが答える。


「壁には浅い窪みがある。グールが身を隠せる程度」


「行きでは気づかなかった」


 俺が続ける。


「一体でも動かずにいたら、見落とす可能性がある」


「奥にいたのは、確認できた範囲で三体」


 リゼが言う。


「それ以上は不明。前室近くまで来る可能性がある」


「三体への対処は?」


「三人で帰還しながらでは難しい」


「倒せない?」


 千代の問いに、リゼは少し考えた。


「地形と位置次第では倒せるかもしれん。だが、全員を守り、退路を維持しながら確実に勝てるとは言えない」


「ならば、今の我らにとっては対処困難じゃ」


「ああ」


「次も入る?」


 ヴィオラが俺を見る。


 今度は、迷わなかった。


「入らない」


「もう?」


「もうじゃない。二回入った」


 一回目は、一体を倒して帰った。


 二回目は、三体に退路を塞がれかけた。


 前回より準備した。


 条件も具体的にした。


 目的も狭くした。


 それでも危険は、こちらの予定どおりにはならなかった。


「今の俺たちで、これ以上続ける意味が薄い」


「地下そのものを諦めるのか?」


 リゼが尋ねる。


「違う。いったん保留」


 必要なものが多すぎる。


 複数方向を守れる戦力。


 安定した照明。


 治療と衛生の知識。


 汚水や汚染物の処分方法。


 消耗品を継続して補える金。


 深部から前室まで戻る手段。


 そして、入口を利用するための規則。


「少なくとも、今の接続先を攻略する理由はない」


 俺は言った。


「価値の低い区画へ、分からない規則のまま入って、処理できない汚れを増やす。三体に囲まれかけても、得られるのは情報だけ」


「情報も、今回は十分に得た」


 リゼが頷く。


「入口近くにも複数いる。今はそれでいい」


「二月ほどで接続先が変わる可能性もある」


 千代が言う。


「それまで待つと決める必要はない。されど、急いで進む理由もなかろう」


「攻略、終わり?」


 ヴィオラが尋ねる。


「始まってもないよ」


「そう?」


「入口の近くを見ただけだ」


「三体に追いかけられたけどね」


「だから終わり。今は」


 永遠に入らないとは決めない。


 状況が変われば、もう一度考える。


 必要な物が揃えば。


 知識が増えれば。


 接続先が変われば。


 入口の規則が分かれば。


 その時、自分たちで選び直せばいい。


 一体なら、倒せた。


 三体からも、逃げ切った。


 でも、それを成功の理由にして次へ進む必要はない。


 全員で帰ることを基準にするなら。


 今日は帰れたからこそ、次は行かないと決められる。


 最低危険度は、俺たちの最低ではなかった。


 そして三体は。


 一体を三回繰り返すだけの相手ではなかった。

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