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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第七章 「最低危険度の地下」

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第73話 一体なら、倒せる



 地下から戻った俺たちは、まだ家の中へ入れていなかった。


 正確には、《淫獄》へは戻っている。


 灰色の入口も閉じた。


 もうグールの足音は聞こえない。


 それでも、俺とリゼとヴィオラは土間の一角に立ったままだった。


「そこから動かないでください」


 ファステが水の入った容器を運びながら言う。


「動かないと洗えなくない?」


「必要な時はこちらからお願いします。ご自分の判断で清潔な場所へ触れないでください」


「はい」


 ヴィオラが素直に返事をした。


「お前、ファステには素直だな」


「汚れた服のまま追い出されたくないからね」


「追い出しません」


 ファステは否定したあと、少し考えた。


「ですが、必要であれば庭の一角で待っていただきます」


「それ、ほとんど追い出されてない?」


「生活場所へ汚れを広げないためです」


「必要なら従え」


 リゼが言う。


 その本人が、三人の中で最も汚れている。


 剣。


 右手の手袋。


 靴の前側。


 袖にも、ごく小さな黒い点が付いていた。


 地下では見落としていた汚れだ。


 グールの身体を斬った時に飛んだものだろう。


「触るなよ」


 リゼが俺の視線に気づいた。


「触らないよ」


「近づいて見ようともするな」


「そこまで信用ない?」


「少し前まで、未知の地下へ興味を持っていた男だからな」


「興味はあるけど、汚れへ顔を近づけたいわけじゃない」


「夜斗様、口元へ触れないでください」


 無意識に顎へ伸ばしかけていた手を止める。


「……はい」


「やはり見張りが必要だな」


「今のは癖だから」


「癖の方が危険だ」


 反論できなかった。


 ◇


 最初に、身体へ傷がないか確認した。


 俺はなし。


 ヴィオラもなし。


 リゼにも、噛まれた跡や爪で裂かれた傷は見当たらない。


 ただし、服や装備の上から見える範囲だけだ。


「これ、着替えた方がいい?」


 ヴィオラが自分の袖を見る。


 目立つ汚れはない。


 それでも、地下の臭いが染みついている気がした。


「着替えは必要じゃ」


 千代が答える。


「汚れておらぬように見えることと、何も付いておらぬことは同じではない」


「着替える場所へ行くまでに、家の中を通るんだけど」


「だから先に簡易の仕切りを用意しましたの」


 レイナが、大きな布を土間の端へ張っていた。


 完全な部屋ではない。


 視線を遮るだけの仮設の着替え場所だ。


「仕事が早いね」


「帰還後に必要になるかもしれないと、昨日決めたでしょう?」


「決めてたけど、本当に使うことになるとは思わなかった」


「使わずに済む準備なら、それが一番でしたわ」


 レイナの言うとおりだった。


 用意した物を使わずに済めば、それでいい。


 今回は使うことになった。


「先にリゼからです」


 ファステが言う。


「汚れた装備を外してください。ただし、付着している面へ直接触れないように」


「分かった」


 リゼは剣を指定された布の上へ置いた。


 次に手袋を外す。


 汚れた外側へ素手で触れないよう、端をつまんで裏返す。


「靴は?」


「ここで脱いでください。足へ傷がないかも確認します」


「なら、二人は少し離れていろ」


 リゼが俺とヴィオラを見る。


「見ないよ」


「お前ではない」


「私?」


「興味深そうに見るな」


「装備の外し方を見てただけだよ」


「離れろ」


 ヴィオラは笑いながら、俺のいる側へ移動した。


 距離が近くなる。


 けれど今は、それどころではなかった。


 リゼが靴を脱ぐ。


 靴下にも破れはない。


 足首や脛にも傷は見つからなかった。


「大丈夫そうですわね」


 レイナが確認する。


「念のため、あとでもう一度見ます。時間が経ってから痛みが出る可能性もありますもの」


「そこまで必要か?」


「必要です」


 リゼが押し切られている。


 珍しい光景だった。


 ◇


 汚れた装備は、事前に空けておいた土間の一角へまとめた。


 生活道具とは混ぜない。


 汚れを拭うための布も、傷へ使う布とは別にする。


 最初は、少量の水で表面を流した。


 すぐに水が濁る。


 黒っぽい汚れが容器の底へ広がった。


「これ、どこへ捨てる?」


 俺が尋ねると、全員の動きが止まった。


「庭は駄目だよな」


「当然じゃ」


 千代が即答する。


「何が含まれておるか分からぬ水を、植物や縁のいる場所へ流せるものか」


「外へ捨てる?」


「どこへ?」


 リゼに聞き返された。


「《淫獄》の外」


「だから、外のどこだ。水場へ流せば、そこを汚す可能性がある。地面へ捨てても、動物が触れるかもしれん」


「じゃあ持っておく?」


「いつまで?」


「……決めてなかったな」


 帰還後に装備を洗う。


 そこまでは考えた。


 洗った後の水をどう処分するかまでは決めていなかった。


 洗えば汚れが消えるわけではない。


 装備から水へ移るだけだ。


「今は、蓋のできる容器へ分けておくしかありません」


 ファステが言った。


「生活用の水や食料から離れた場所へ置きましょう」


「容器を一つ使えなくなるな」


 千代が記録へ書き加える。


「足りる?」


「少量ならば。されど、探索のたびに増えるなら無理じゃ」


「毎回、外へ持ち出して捨てる場所を探すのも危険だね」


 ヴィオラが言う。


「汚れた水を持って歩くことになる」


「しかも、《淫獄》の入口を開くところからだ」


 人目を避けて外へ出る。


 安全な処分場所を探す。


 そこまで運ぶ。


 何が安全な場所なのかも分からない。


 捨てるだけで、一つの探索になりそうだった。


「倒したの、一体だけだよな」


「そうだ」


「一体でこれ?」


「そうじゃ」


 千代が淡々と答えた。


 地下で敵を倒す。


 それだけを考えれば、リゼ一人で終わった。


 だが、家へ戻った後は六人でも足りないことが出てくる。


 ◇


 汚れた剣も、水をかければ終わりではなかった。


 刃の表面には、洗った後も薄い変色が残った。


「錆びる?」


 俺が尋ねる。


「可能性はある」


 リゼが布越しに刃を確かめる。


「汚れの成分も分からない。水分を残せば、普通に錆びることもある」


「補修用品、買っておいてよかったな」


「全てをこれへ使うわけにはいかんぞ」


 千代が言う。


「量には限りがある。街へ行けば買えると分かっていても、金も時間も必要じゃ」


 リゼが刃の水分を丁寧に拭き取る。


 一度使った布には黒い跡が付いた。


 さらに乾いた布が必要になる。


「布も減る」


「洗って再利用できませんの?」


 レイナが尋ねる。


「汚れを安全に落とせるならな」


 リゼは使用済みの布を見る。


「だが、そのためにはまた水が要る」


「洗った水を捨てる問題も増えるね」


 ヴィオラの言葉に、誰も返せなかった。


 一つの汚れを落とすたび、別の汚れが生まれる。


 水。


 布。


 容器。


 補修用品。


 時間。


 何より、どうすれば安全なのか判断するための知識。


「グールの汚れって、触っただけで危ないのかな」


 俺が言う。


「分からん」


 リゼが答える。


「噛まれれば危険だという話は聞いた。体液が皮膚へ付いただけでどうなるかは知らない」


「傷がなければ平気かもしれないし、駄目かもしれない」


 ヴィオラが自分の手を見る。


「だから、手袋を外した後も洗ってください」


 ファステが水を用意する。


「目や口へ触れる前に、必ず」


「水、足りなくならない?」


「今日の分は足ります」


「今日の分は?」


 ファステが少し黙った。


「同じことを何度も行えば、足りなくなると思います」


 水は、飲むためにも要る。


 調理にも使う。


 身体や衣類を洗うためにも必要だ。


 地下探索の後始末だけへ使い続けられるほど、余裕はない。


「街で洗浄用の物を探す必要があるな」


 千代が言う。


「石けんのような物。消毒に使える物。汚染物を処理する方法。それらの知識もじゃ」


「また買い物が増える」


「必要な物が分かったのなら、成果ではある」


「欲しい物じゃなくて、足りない物ばかり増えてない?」


「それも知るべきことじゃ」


 千代は容赦がなかった。


 ◇


 俺とヴィオラも着替え、使っていた服を分けた。


 目立った付着物はない。


 だからといって、そのまま寝床へ持ち込む気にはなれなかった。


 ファステが衣服の匂いと汚れを確認する。


 レイナが縫い目や破れを見る。


 千代は使った水と布の量を記録する。


 リゼは剣と装備の手入れを続ける。


 ヴィオラは、地下で見たものを簡易図へ落とし込んでいた。


「通路は、前室から緩やかに下がっていた」


 ヴィオラが線を引く。


「見える範囲では一本道。扉や横穴は見つからなかった」


「グールはどのくらい先にいた?」


「正確には分からない。暗かったし、向こうも動いてたからね」


「時間は?」


 千代が尋ねる。


「前室から入って、戻るまでかなり短い。長くても――」


「感覚だけでよい。正確な数字にするな」


「分かってる」


 確認できたこと。


 推測したこと。


 分からないこと。


 混ぜないように分けていく。


 確認できたのは、グール系と思われる個体が一体いたこと。


 最初は遅く歩いていたこと。


 こちらを認識すると、急に動きが速くなったこと。


 腕と爪。


 噛みつこうとする動き。


 頭部へ大きな損傷を与えた後、動かなくなったこと。


 その後、複数方向から似た音が聞こえたこと。


「頭を壊せば倒せる?」


 俺が尋ねる。


「一体だけで断定するな」


 リゼが言う。


「首への攻撃だけでは止まらなかった。頭部への攻撃後に動かなくなった。それが今回確認した事実だ」


「次も同じとは限らない?」


「同じグール系でも違う個体かもしれん。倒れたふりをしていただけという可能性も、完全には消せない」


「触って確認してないもんな」


「ああ。それでいい」


 倒したと思っている。


 だが、安全に死亡確認する方法も知らない。


 知識がないというのは、こういうところにも出る。


「一体なら、リゼが倒せる」


 俺は整理する。


「正確には、今回の一体は倒せた、だな」


「厳しい」


「間違えるよりいい」


「じゃあ、今回みたいな一体なら、リゼが処理できる可能性が高い」


「それならよい」


「でも、複数なら分からない」


「ああ」


「俺とヴィオラを守りながらだと、さらに難しい」


「否定はしない」


 リゼは剣を置き、俺を見る。


「私一人なら、もう少し深く進めるかもしれない」


「一人では行かせない」


 考えるより先に言葉が出た。


 リゼがわずかに目を細める。


「なぜだ?」


「前室まで戻らないと《淫獄》を開けない。怪我して動けなくなったら、誰も呼べないだろ」


「一人の方が見つかりにくい可能性もある」


「それでも駄目」


「夜斗様のおっしゃるとおりです」


 ファステがすぐに加わった。


「お一人でなければ安全とは限りません。ですが、お一人では何かあった時に知らせることもできません」


「戦力としてはリゼが一番強い。でも、一番強いから一人で全部やれ、にはしたくない」


 以前なら、強い人間へ任せればいいと思ったかもしれない。


 けれど、任せることと、押しつけることは違う。


「分かった」


 リゼは短く答えた。


 反論をやめ、また剣へ視線を戻す。


 それだけだった。


 石の表示も出ない。


 何も起きなかった。


 それでよかった。


 ◇


 ひと通りの処理が終わるまで、かなり時間がかかった。


 汚れた水は、蓋のできる容器へ仮保管。


 使用済みの布も別にする。


 リゼの剣は汚れを落とし、乾燥させ、最低限の手入れを行った。


 手袋と靴は、まだ生活用品の近くへ戻せない。


 三人の服も、ほかの洗濯物とは分けたままになった。


「準備してたのに、これだけ残るんだな」


 俺が言うと、千代が記録を閉じた。


「準備したから、この程度で済んだとも言える」


「準備してなかったら?」


「汚れた装備を共用部屋まで持ち込み、普段使う水桶で洗い、使用済みの布をほかの洗濯物と混ぜていたかもしれません」


 ファステが答える。


「想像したくない」


「今後は、さらに手順を改善できます」


「次も行く前提?」


 俺が尋ねると、ファステは少し困ったように俺を見た。


「それを決めるのは、夜斗様たちです。ただ、行く可能性があるなら準備は必要です」


「行くかどうかと、行けるかどうかは別、か」


「はい」


 街の時にも出た考え方だった。


「今日使った物を整理するぞ」


 千代が新しい欄を作る。


 水。


 布。


 火種。


 武器の手入れ用品。


 食料。


 時間。


 負傷者はいない。


 持ち帰った素材もない。


 得たのは情報だけ。


「費用だけ見れば赤字だね」


 ヴィオラが言う。


「売る物がないからな」


「グールの一部を持ってくれば――」


「今回は持ち帰らないと決めただろ」


「分かってるよ。持ち帰らなくて正解だったと思う」


 ヴィオラは仮保管した汚水を見る。


「一滴の汚れでもこれだけ気を使うのに、死体の一部なんて持ってきたら、置く場所がない」


「専用の処理場所が必要になるな」


 リゼが言う。


「それを作る水も道具も、今は足りない」


「そこまでして持ち帰る価値も低いと聞いておる」


 千代が結論を出す。


「倒せるからといって、倒し続ける理由にはならぬ」


 その言葉が、今の状況を一番正確に表していた。


「一体倒せる」


 俺は言った。


「でも、一体倒すたびに水と布と補修用品を使う。汚れた物が増える。処分方法も分からない」


「それだけではない」


 リゼが続ける。


「地下で複数に囲まれる可能性。前室まで戻れなくなる危険。利用規則を破っている可能性もある」


「利益は?」


「今のところ、ないね」


 ヴィオラが答えた。


 最低危険度。


 危険が最低という意味ではない。


 この世界の基準では、ほかより低いというだけだ。


 それに、危険度と価値は別だ。


 危険が低くても、得られる物が少なければ行く意味は薄い。


「次、どうする?」


 ヴィオラが尋ねる。


 全員が俺を見る。


 攻略を続けるか。


 もう一度入るか。


 ここでやめるか。


 俺が決めるべきことだった。


「今日と同じことは繰り返さない」


 まず、それだけ言った。


「一体見つけて倒して帰る。それだけなら、消耗品を減らすだけだ」


「では、中止か?」


 千代が尋ねる。


「まだ決めない」


 俺は簡易図を見る。


 確認できたのは、入口からごく近い範囲だけだ。


 あの音がどこから響いていたのか。


 グールが何体いるのか。


 前室近くへ出てくる頻度。


 外へ出る可能性。


 分からないことは多い。


「もう一度入るなら、目的を変える」


「どう変える?」


「倒すためじゃなく、入口近くの構造と数を確認する。戦わずに見られる範囲だけ」


 リゼが考える。


「前回より危険になる可能性もあるぞ」


「うん。だから、入った時点で複数の音がしたら戻る。一体でも、避けられない位置にいるなら戻る。前室が見えなくなる場所までは進まない」


「一度だけ?」


「次の結果を見て、それ以上続けるか決める」


 千代はすぐには答えなかった。


「入場の規則も確認できておらぬ」


「それもある」


「ならば、本格的に続ける前に必ず調べよ」


「分かってる」


 今回の再進入は、《淫獄》近くの危険を確認するため。


 それ以上の探索を続けるなら、知らない規則をそのままにはできない。


「妾は、条件付きなら反対せぬ」


 千代が言う。


「されど、今日一体倒せたことを成功と考えるな」


「考えない」


「入口から戻れたことを、次も戻れる保証とするな」


「分かってる」


「複数を見ても、数えようとするな」


「それはヴィオラに言って」


「私?」


「興味持ちそうだろ」


「少しくらいは」


「即撤退だからな」


「はいはい」


 軽い返事だったが、ヴィオラも今日の音を覚えている。


 数を確認できない。


 方向も分からない。


 あの状況で残ろうとはしなかった。


 次も任せられると思う。


 ◇


 夜になっても、土間の一角には隔離した装備と容器が残っていた。


 共用部屋では、いつもどおり六人で食事を取った。


 けれど、地下へ入った三人の服は替わっている。


 リゼの剣はまだ土間。


 汚れた水も処分できていない。


 日常へ戻ったようで、完全には戻れていなかった。


 縁は土間へ近づくことを止められ、少し不満そうに庭との境目で座っている。


「明日までには、もう少し離れた場所へ移した方がいいな」


 俺が汚水の容器を見る。


「動かすなら、こぼさぬ方法を先に考えよ」


 千代が言う。


「問題が問題を増やす」


「暮らしとはそういうものじゃ」


「もっと明るい時に聞きたかった言葉だな」


 一体なら倒せる。


 少なくとも、今日の一体ならリゼが倒せた。


 それは間違いなく、得た情報の一つだ。


 でも。


 倒した後に残ったものを見ると、それだけで先へ進めるとは思えなかった。


 戦う人。


 守られる人。


 帰り道を確かめる人。


 待つ人。


 洗う人。


 汚れを分ける人。


 消耗品を管理する人。


 処分方法を考える人。


 一体の魔物を倒すだけでも、必要な役割はいくつもあった。


 今の俺たちには、できることがある。


 同じくらい、できないこともある。


 一体なら、倒せる。


 けれど。


 それは、地下を攻略できるという意味ではなかった。

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