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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第七章 「最低危険度の地下」

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第71話 最低なら、どこまで行ける?

「最低危険度なら、どこまで行けると思う?」


 朝食のあと、俺は共用部屋に広げた簡易図を見ながら尋ねた。


 描かれているのは、地下入口と、その周囲。


 石段。


 固定された小さな前室。


 そこから先へ続く一本道。


 俺たちが自分の目で確かめた範囲は、そこで終わっている。


 道の先にあるのは、現在グール系の魔物がいるという区画。


 セリナから聞いた話では、危険度は最低。


 資源価値も低い。


 探索者には人気がなく、それでも魔物が外へ出ないよう巡回は続けられている。


「どこまで、とは?」


 リゼが聞き返す。


「距離。入口から何歩とか、何分とか」


「先の構造が分からないのに、距離だけ決めても意味は薄いな」


「いきなり否定された」


「決めるなら、距離より条件だ」


 リゼは簡易図の一本道を指でなぞった。


「見通せない曲がり角。分岐。足場の変化。生き物の痕跡。そういうものがあれば、予定より近くても戻る」


「確かに」


「そもそも、最低危険度という言葉に引かれすぎじゃ」


 千代が俺の向かい側から言った。


「安全ではないと、すでに聞いておろう」


「分かってるよ」


「ならば、“どこまで行けるか”ではなく、“どこまでなら戻れるか”と考えよ」


 言葉を少し変えただけに聞こえる。


 でも、意味はかなり違った。


 先へ進むことを基準にすれば、限界まで行きたくなる。


 戻れることを基準にすれば、限界へ近づく前に止まれる。


「最低なら、どこまで戻れる?」


 俺が言い直す。


「変な聞き方になったね」


 ヴィオラが笑う。


「でも、最初よりはいい」


「褒められてる?」


「少しだけ」


 俺は簡易図の前室へ印をつけた。


「目的は、ここから先がどうなってるかを確認すること。攻略はしない」


「確認の範囲は?」


 千代に問われ、考える。


「まず、固定された前室から先へ入る。入口近くの構造と、生き物がいるかを見る」


「おることは分かっておろう」


「グール系がいるらしいことは聞いた。でも、俺たちはまだ見てない」


 セリナが嘘をつく理由はない。


 街で得た情報も、おそらく正しい。


 それでも、現在の区画に何がいるのかを、俺たちは自分たちの目で確認していなかった。


「一体見つけたらどうする?」


 ヴィオラが尋ねる。


「見つからずに観察できるなら、まず観察」


「向こうが気づいたら?」


「距離と退路次第だな」


 俺はリゼを見る。


「そこは私が判断する」


「戦う?」


「避けられるなら避ける。追ってくるなら倒す必要があるかもしれん」


「勝てる?」


「グール系というだけでは分からん」


 リゼは即答しなかった。


「一体なら戦える可能性は高い。だが、個体差もある。見えている一体が全てとも限らない」


「倒した瞬間に、後ろから二体来るかもしれないね」


「そういうことだ」


 ヴィオラが楽しそうに言い、リゼが真顔で頷く。


 楽しそうにするところではない。


「じゃあ、戦えるかどうかを確認するのも目的にしない方がいいか」


「そうだな」


「敵を見つけた時点で即撤退ではないの?」


 レイナが不安そうに尋ねた。


「地下用の撤退条件では、新しい生物の痕跡を確認したら戻ることになっていたはずですわ」


「そうだった」


 以前決めた十個の条件。


 光源。


 分岐。


 生物の痕跡。


 人の声や人工的な音。


 空気。


 水。


 崩落。


 俺の判断。


 予定時間。


 そして、《淫獄》への入口が開くかどうか。


 あの時は、中に何がいるのかさえ分かっていなかった。


 今は、グール系区画へつながっている可能性が高いと知っている。


 条件を緩めるべきなのか。


 それとも、一度決めたものをそのまま守るべきなのか。


「生き物がいると分かっている場所へ行くのに、痕跡を見つけたら帰るのでは、ほとんど進めぬな」


 千代が言った。


「でも、都合が悪くなったから消すのも違うよな」


「消す必要はない。目的に合わせて、より具体的にすればよい」


「具体的に?」


「姿の見えぬ生物の新しい痕跡を発見した場合は、何がいるか分からぬゆえ戻る。グール系と確認でき、退路が確保されている場合は、リゼの判断で観察または対処する」


 千代が続ける。


「ただし、複数の痕跡。複数方向からの音。数を確認できぬ状況。そのいずれかがあれば即座に戻る」


「条件をなくすんじゃなくて、今分かったことに合わせるのか」


「知らぬ時に決めた規則を、一字一句変えぬことが慎重さではない。知った後も考え直さぬのは、ただの怠慢じゃ」


 厳しい。


 でも正しい。


「地下用の撤退条件を更新しよう」


 俺は記録へ書き足した。


 戦うための変更ではない。


 全員で戻るために、今の知識へ合わせる変更だった。


     ◇


「次は、噛まれないための準備です」


 ファステが卓上へ厚手の布を広げた。


 地下へ行く三人の手足は、できる限り露出させない。


 リゼの装備はもともと実戦向きだが、袖口と足首に隙間がないか改めて確認する。


 ヴィオラも身軽さを失わない範囲で、腕と脚を覆う。


 俺は二人ほど動かないので、さらに厚めにしてもよさそうだった。


「暑い」


「地下は冷えていたのでしょう?」


「今は地上だから」


「現地へ着くまで我慢してください」


 ファステに袖口を締め直される。


 以前なら、この距離と手つきだけでも大きく反応していたかもしれない。


 今も、何も感じないわけではない。


 でも、同じような装備調整は何度か経験している。


 ファステが俺の安全を考えてくれている意味も、すでに知っている。


 胸の奥に残るものはあったが、表示は出なかった。


「動かしにくくありませんか?」


 ファステが尋ねる。


「少し」


「でしたら、こちらを緩めます」


 袖を少し調整する。


 今度は腕を曲げても布が突っ張らない。


「これなら大丈夫」


「手袋も必要だな」


 リゼが言った。


「倒したあと、何へ触れるか分からない」


「魔物の体液って危ないの?」


「分からん」


「分からない物へ素手で触れるな、という話じゃ」


 千代の言葉に、俺は頷く。


 グール系。


 名前からして清潔な印象は一切ない。


 噛まれた時にどうなるかも不明。


 体液へ触れただけで問題があるのかも分からない。


 街には専門知識があるのかもしれないが、俺たちはそこまで聞けていなかった。


「倒しても、触らない。持ち帰らない」


「今回はそれでよい」


「素材が売れるかもしれないよ?」


 ヴィオラが言う。


「資源価値が低いって聞いただろ」


「低いだけで、ゼロとは限らない」


「価値が分からない物を、家に持ち込むな」


 俺が答えると、ヴィオラは肩をすくめた。


「分かってるよ」


「本当に?」


「今回はね」


 信用していいのか迷う返事だった。


     ◇


 光源は松明と予備を用意し、火種をリゼとヴィオラへ分けた。


 俺の分も用意しようとしたが、リゼに止められた。


「お前は入口を開く役目がある。荷物を持ちすぎるな」


「火種くらい持てるけど」


「転んで全部失う可能性を増やす必要はない」


「俺への評価が低い」


「戦力としては最初から数えていない」


「もっと柔らかく言えない?」


「入口操作と撤退判断に集中してください、夜斗様」


 ファステが言い換える。


「内容は同じなんだよな」


「役割があるだけよいではないか」


 千代が慰めにならない慰め方をした。


 松明を持つのはヴィオラ。


 先頭のリゼは、できるだけ両手を空ける。


 俺は二人の間。


 以前と同じ順番だ。


 ただし、戦闘が始まった場合は状況に応じて変わる。


「戦闘中も俺が真ん中でいいの?」


「通路の幅次第だ」


 リゼは床へ線を引き、三人の位置を小石で示した。


「狭ければ私が前。夜斗が中央。ヴィオラが後方を確認する」


「後ろから来たら?」


「ヴィオラが先に知らせる。私は夜斗を連れて戻る」


「私が戦う案は?」


「時間を稼ぐだけにしろ」


「信用がないなあ」


「お前は戦闘員ではない」


「リゼほどではないだけだよ」


 ヴィオラは否定したが、自分の小石を前へ動かそうとはしなかった。


 自分の得意分野を分かっている。


 痕跡を見る。


 不自然な配置に気づく。


 相手の意図を読む。


 地下でそれがどこまで通用するかは分からない。


 だからこそ、戦えるつもりで動かない方がいい。


「通路が広い場合は?」


 俺が尋ねる。


「三人で固まりすぎない。ただし、互いの姿が見える範囲から出ない」


「暗い場所では、距離の感覚も違いそうだね」


 ヴィオラが松明を持ち上げる。


「明るい場所で決めた間隔が、そのまま使えるとは限らない」


「現地で確認して、駄目なら戻る」


「それでいい」


 リゼが頷いた。


     ◇


 持っていく縄には、一定の間隔で小さな布を結んだ。


 暗い中でも、触れれば位置を確認できる。


 一本道の間は、入口側から伸ばして帰路の補助にする。


 ただし、縄だけを頼りにはしない。


「切られたら終わりだからな」


 リゼが結び目を引いて強度を確かめる。


「誰が切るんだ?」


「分からん。だから、これ一本で帰れると思うな」


「壁へ印も付ける?」


 ヴィオラが尋ねる。


「固定前室の先がどんな材質か分からない。勝手に傷をつけてよい場所かも不明じゃ」


 千代が答えた。


 そもそも、あの入口へ無断で入ってよいのかさえ、まだ完全には分かっていない。


 探索者が利用する入口だとは聞いた。


 だが、登録が必要なのか。


 管理者への申告が要るのか。


 最低危険度なら自由に入れるのか。


 街や国によって規則が違うのか。


 肝心な部分は不明なままだ。


「今さらだけど、やっぱり勝手に入るのはまずいかな」


 俺が言うと、全員の手が止まった。


「可能性はある」


 リゼが答える。


「でも前にも入った」


「知らずに入口周辺を確認したことと、制度があると知ったうえで奥へ進むことは同じではありませんわ」


 レイナの指摘は正しい。


「じゃあ中止?」


 ヴィオラが尋ねる。


 簡単に決められる話ではなかった。


 現接続先がグール系であること。


 最低危険度であること。


 入口の先が中期的に変わること。


 どれも重要な情報だ。


 《淫獄》の比較的近くにある以上、完全に無視するのも危険だった。


 魔物が外へ出る場所でもある。


 周囲の状況くらいは知っておきたい。


「今回は、入口近くの安全確認だけにする」


 俺は言った。


「採取もしない。持ち帰らない。設備へ触らない。何かを壊さない。人が来たら接触せず戻る」


「規則に触れぬとは限らぬぞ」


 千代が念を押す。


「うん。だから、これ以上続けるかは、今回の結果と、入場の規則を調べてから決める」


「今回だけは入る?」


「近くに何がいるかを確認する。家の周辺に関わる危険だから」


 少し都合のいい線引きかもしれない。


 慎重に考えたからといって、何も間違えなくなるわけではない。


 それでも、知らない規則を無視したまま攻略を続けるつもりはなかった。


「妾は反対まではせぬ」


 千代が言う。


「されど、目的を増やすな。入口付近の危険確認のみじゃ」


「分かってる」


「財宝を見つけても?」


 ヴィオラが聞く。


「触らない」


「珍しい物が落ちてても?」


「触らない」


「高そうでも?」


「触るな」


「分かったよ」


「今ので不安が増えたんだけど」


     ◇


 帰還後は入口近くの土間で止まり、身体と装備を確認する。地下へ持ち込んだ物は生活用品と混ぜず、負傷や汚染の疑いがあれば隔離する。


「水はどれくらい使える?」


 リゼが尋ねる。


 ファステと千代が、現在の備蓄を確認する。


「三人分の手足と装備を簡単に洗う程度なら」


 ファステが答える。


「ただし、大量の汚れが付いた場合は足りなくなる可能性があります」


「水袋を一つ、帰還後用に残しておくか」


「地下で飲む分を減らしすぎるなよ」


 俺が言う。


「分かっている」


「布も全部使い切らない方がいいな」


 レイナが購入済みの布を用途別に分ける。


「傷へ使う物と、汚れを拭く物を同じにしてはいけませんわ」


「洗えば使える?」


「安全だと確認できない間は、分けるべきです」


 地下へ行く三人より、留守番する三人の方が、帰還後のことを細かく考えていた。


 ファステは洗浄と応急処置。


 レイナは布と衣類、装備の状態確認。


 千代は隔離場所と消耗品の管理。


 行かないから仕事がないわけではない。


 むしろ、俺たちが戻ってきた瞬間から三人の仕事が始まる。


「帰ったあとまで含めて探索なんだな」


 俺が呟く。


「当然です」


 ファステが答えた。


「無事に戻られるだけではなく、無事な状態で生活へ戻っていただかなくてはなりません」


「重い言葉だ」


「それくらいに考えてください」


「はい」


 素直に返事をした。


     ◇


 準備を続けていると、庭にいた縁が近づいてきた。


 床へ広げた縄の匂いを嗅ぐ。


 前脚で布の結び目へ触れようとしたため、ヴィオラが少し持ち上げた。


「これは遊び道具じゃないよ」


 縁は動く縄を目で追った。


「余計に遊びたそうになってない?」


「動かしたからだな」


 リゼが言う。


 縁がもう一度前脚を伸ばす。


「だめ」


 俺が言うと、耳がこちらへ向いた。


 言葉を理解したのか、声の調子へ反応しただけなのか。


 縁は縄から離れ、俺の近くへ歩いてくる。


 足元で一度止まった。


 それから、床に置いていた俺の手袋へ鼻先を寄せる。


「連れていかないぞ」


 返事はない。


 縁は手袋の横へ座った。


「分かっているのでしょうか」


 ファステが微笑む。


「まさか」


「地下の変化は分かるかもしれないのに?」


 ヴィオラが言う。


「それもまだ確定してないだろ」


「連れていけば役に立つかもしれないよ」


「連れていかない」


 俺は即答した。


「能力があるかもしれない、だけで危険な場所へ連れていく理由にはならない」


「分かってる。確認しただけ」


 ヴィオラも本気で主張したわけではないらしい。


 縁は留守番。


 地下で感じ取れるものがあるとしても、それが危険を避ける能力なのかは分からない。


 反応できることと、安全に行動できることは別だ。


「こいつが入口を見て固まったら、俺たちまで動けなくなりそうだし」


「お前は気にしすぎるからな」


 リゼに言われた。


「もう少し柔らかく言ってくれない?」


「縁を置いていく判断は正しいと思う」


「そこじゃなくて」


 俺が手袋を取ろうとすると、縁は逃げなかった。


 鼻先を少し引いただけで、近くへ座ったままだ。


 俺はゆっくり手袋を持ち上げる。


「ちゃんと帰ってくるから」


 言ってから、自分でも妙な気分になった。


 縁に約束してどうする。


 それでも縁は耳を一度だけ動かし、俺の足へ身体を寄せた。


     ◇


 夕方までに、装備と帰還後の処理は整った。目的は入口付近の構造と生物の確認だけ。持ち帰らず、分岐や複数の気配へは踏み込まない。


 そして。


「一体倒せそうでも、三人で帰れないと思ったら撤退」


 俺が確認する。


「ああ」


 リゼが頷いた。


「倒せるかどうかは、基準にしない」


「戦わずに戻っても失敗ではない」


 千代が付け加える。


「入口近くの状況が分かれば、目的は果たしておる」


「何も見つからなかったら?」


 ヴィオラが尋ねる。


「何も見つからなかった範囲が分かる」


「慎重な人は、成果の作り方も慎重だね」


「無理に成果を増やして危険も増やすよりいいだろ」


「それはそう」


 明日、地下へ入る。


 前室より先へ進むのは初めてだ。


 怖くないわけではない。


 最低危険度という言葉を聞いても、その感覚はあまり変わらなかった。


 むしろ、知るほど怖いものが増えている。


 グール。


 噛みつき。


 汚染。


 地下の暗さ。


 管理者の規則。


 帰還後の処理。


 準備すればするほど、倒す以外の問題が見えてくる。


 それでいい。


 知らないまま進むより、怖がる理由が分かっている方がまだましだ。


 一体倒せるかではない。


 奥まで行けるかでもない。


 明日確かめるのは、もっと単純なことだ。


 今の俺たち三人が。


 どこまでなら、全員で帰ってこられるのか。

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