第7話 召喚された令嬢
『所持《淫獄石》:100』
『次回必要《淫獄石》:100』
回せる。
二回目の通常単召喚を、今すぐ。
俺は半透明の表示を見つめながら、昨夜から何度目になるか分からない検討を続けていた。
回す理由はある。
俺たちは人手不足だ。
水も食料も、外へ出なければ手に入らない。ファステは生活面に詳しく、リゼは戦えるが、それでも三人しかいない。
新しい住民が、今の俺たちにない能力を持っている可能性もある。
一方、回さない理由もある。
食料は安定していない。
水も最低限。
寝床どころか家具すらない。
誰が来るか分からず、協力してくれる保証もない。
合理的に考えれば、今すぐ回す必要は――。
「昨日は、まだ回さないと言ってただろ」
出口近くで武器を確認していたリゼが言った。
「昨日は昨日だ。状況は常に変化する」
「何が変わった?」
「一晩考えて、百個を眠らせておくほうが非効率だと気づいた」
「お前の我慢が一晩で終わっただけだろ」
「違う。慎重に検討した結果だ」
「一晩中、何度もその画面を出したり消したりしてたのが?」
見られていたらしい。
ファステも困ったようにこちらを見ている。
「あの、夜斗様」
「何だ?」
「新しい方がいらした場合、食料は足りるのでしょうか」
最も触れてほしくない現実的問題を突かれた。
「……そこなんだよな」
「お一人増えれば、その方にもお食事とお水が必要です」
「ガチャ一回に、食費と生活費まで付いてくるのか……」
「人間を呼ぶんだから当然だろ」
リゼの正論が痛い。
ガチャ画面の向こうから出てくるのは、能力だけを持った便利な駒ではない。
腹も減れば、喉も渇く。
元の場所へ戻せと言うこともある。
その実例が目の前にいる。
「だったら、やはり今は召喚しないほうが……」
「いや、待ってくれ」
俺は表示を消そうとしたファステを制した。
「食料問題は、召喚しなくても解決しない」
「だから人数を増やすのか?」
「新しく来た住民が、解決に役立つ能力を持っている可能性はある」
「都合のいい考え方だな」
「可能性を確認するのも必要だ。それに……」
「それに?」
ファステが首をかしげる。
「ここまで貯まったなら、使わないほうがもったいない」
言ってから気づいた。
最後の一言だけ、合理性とはまったく関係がない。
「本音が出たな」
「違う。百個を使わずに抱えていても、腹は膨れないという意味だ」
「召喚しても腹は膨れないぞ」
「細かいな!」
ともかく。
俺は十分に考えた。
少なくとも、考えたことにした。
「回す」
『通常単召喚を実行しますか?』
『必要《淫獄石》:100』
「通常単召喚、実行」
『《淫獄石》を100個消費しました』
『所持《淫獄石》:0』
百個。
何日も意識し続けた数字が、一瞬で消えた。
「うわ。本当にゼロになった……」
「自分で使ったんだろ」
「分かってる。分かってるけど、消費表示を見ると来るものがあるな」
胸の奥に、妙な空白が生まれる。
だが、それを埋めるように召喚の光が広がった。
◇
初回とは、明らかに違った。
灰色の床へ集まった光が幾重にも重なり、空間全体を淡く染める。
派手ではあるが、色や形を細かく観察する余裕はない。
俺の視線は、光の上に現れた文字へ吸い寄せられていた。
**SR**
「えすあーる……!」
「さっきまで責任がどうとか言ってた顔はどこへ行った?」
「レアリティ確認は状況把握だ」
「嬉しそうだぞ」
「演出に驚いただけだ」
初回はR。
今回はSR。
だから何だ。
レアリティだけで人間の価値を決めるのはよくない。
よくないが、上の表示が出て嬉しくないわけがない。
続いて二つ名が現れる。
**《籠の中の令嬢》**
「令嬢?」
戦闘要員ではなさそうだ。
農業や調理の専門家でもない気がする。
人手不足を解決するために召喚した結果、お嬢様を引いた。
ガチャとは、そういうものなのかもしれない。
最後に名前が表示された。
**レイナ・クロフォード**
文字が重なり、一つの召喚表示になる。
**SR《籠の中の令嬢》レイナ・クロフォード**
光の中心に、人影が生まれた。
◇
最初に感じたのは、場違いな香りだった。
野草でも煙でもない。
柔らかく、上品な香り。
光が薄れると、豪華なドレスをまとった成人女性が立っていた。
整えられた髪。
背筋の伸びた姿勢。
灰色の床へ置くには、あまりにも華やかな衣装。
今まで貴族令嬢など、ゲームや映像でしか見たことがない。
それでも、一目で分かる。
お嬢様だ。
完全にお嬢様である。
女性は驚いたように目を見開いた。
しかし、すぐに表情を整える。
ドレスの裾を乱さず、周囲へ視線を巡らせた。
短い仕切り。
壁際の水袋と食材。
武器を持つリゼ。
身構えるファステ。
そして、たぶん一番頼りなく見える俺。
『レイナ・クロフォードを《住民》として登録しました』
女性――レイナは、静かに一礼した。
「恐れ入ります。ここがどこで、皆さまがどなたなのか、ご説明いただけますか?」
「思ってたより冷静だな」
「取り乱せば状況が改善するのでしたら、そういたしますけれど」
「いや、そのままでお願いします」
物腰は柔らかい。
ただし、俺たちを信用しているわけではない。
笑顔を崩さないまま、逃げ道と危険人物を見極めようとしているように見える。
その完璧な姿勢とドレスを、俺は少し長く見すぎた。
『《淫獄石》を3個獲得しました』
ゼロになった直後に三個。
システムの切り替えが早い。
いや、悪いのは俺の欲望だけど。
「まず、俺は黒瀬夜斗。こっちがファステ・フェルンで、武器を持ってるのがリゼ・アルノール」
「わざわざ武器で紹介するな」
「一番分かりやすい特徴だったから」
俺は、《淫獄》と《住民召喚》について分かる範囲を説明した。
「つまり、私をここへ呼んだのは夜斗様ですの?」
「結果的には、そうなる」
「元の場所へ戻る方法は?」
「分からない」
レイナの笑顔が、わずかに固くなった。
リゼの召喚時と同じだ。
突然連れてこられた側にとって、帰れないかもしれないという事実は軽くない。
「システム上は《住民》として登録されてる。でも、それを理由に俺へ従えとは言わない」
レイナの視線が俺へ戻る。
「では、私をここへ呼んだあなたにも、私の行動を決める権利はないと?」
「ない。少なくとも、俺はそういうつもりで呼んでない」
「……そうですの」
笑顔は変わらない。
けれど、今の言葉へ何かを感じたらしい。
レイナは少しだけ黙った。
◇
「召喚される直前、どこにいた?」
「晩餐会ですわ」
レイナは自分のドレスへ視線を落とした。
「家同士で決められた婚約について、正式にお話しするための席でした」
「婚約?」
「まだ、その方と結ばれることが正式に決まったわけではありません。ただ、私自身の希望だけで断れる話でもございませんでした」
レイナは淡々と話した。
クロフォード家の令嬢として、幼い頃から多くの教育を受けてきたこと。
起きる時間。
食べるもの。
着る服。
学ぶ内容。
会う相手。
外出先。
将来の相手まで、周囲が決めてきたこと。
「嫌じゃなかったのか?」
「クロフォード家の令嬢として、当然のことだと思っておりました」
反抗してきた人物ではない。
むしろ、求められた役割へ応えるため、完璧であろうと努力してきた。
「ですが、晩餐会の途中で窓の外を見て……ふと、考えてしまったのです」
「何を?」
「今日も、自分で選んだものが一つもない、と」
初めて、レイナの笑顔が薄れた。
「市場で自分の好きなパンを買うこと。小さな食堂で食べたい料理を注文すること。自分で服を洗い、狭い部屋で誰かとくだらないお話をすること」
どれも、俺にとっては普通すぎる生活だ。
「一度くらい、普通の暮らしをしてみたかったですわ」
そう思った直後、ここへ来た。
レイナはそう説明した。
俺は、先ほどの二つ名を思い出す。
《籠の中の令嬢》。
豪華な籠。
丁寧に守られた生活。
それでも、本人が一度も扉の位置を選べないのなら、やはり籠なのだろう。
◇
「それで、この場所は……皆さまのお住まいなのですね?」
レイナが改めて《淫獄》を見回した。
「ああ。ただし、見てのとおり家具もない。食事もろくなものじゃないぞ」
「こちらは何ですの?」
俺の説明を最後まで聞かず、レイナは水袋の前へ屈み込んだ。
「水を入れてる」
「皆さまで汲まれたのですか?」
「そこに食いつくのか?」
「では、こちらの食材も?」
「外で採ってきたものだ」
「お食事も、ご自分たちで?」
レイナの目が、分かりやすく輝いた。
「簡単なものですが……」
ファステが戸惑いながら答える。
「私が食べられる植物を選び、リゼさんに火を起こしていただきました」
「まあ……!」
「何で嬉しそうなんだ、この女」
リゼが露骨に眉をひそめる。
だが、レイナは気にしていない。
「こちらが火を起こす道具ですの? この短い壁は、皆さまでお作りになったの?」
「作ったというか、《淫獄》を少し調整した」
「寝る場所も、ご自分たちでお決めになったのですか?」
「そうだけど」
「素敵ですわ」
「どこが?」
俺には、本気で分からない。
椅子もない。
ベッドもない。
食料は野生の根や木の実。
水だって、リゼに守られながらどうにか汲んできた。
名門令嬢の暮らしと比べれば、底辺どころの話ではないだろう。
それなのに、レイナは灰色の床へ並べた物へ身を乗り出している。
完璧だったドレスの裾が床へ広がり、整えられた髪が肩から流れる。
豪華な令嬢と、原始的な生活用品。
似合わない。
似合わないからこそ、妙に目を奪われた。
『《淫獄石》を5個獲得しました』
所持八個。
豪華なドレス姿だけで三個。
粗末な生活へ目を輝かせたら五個。
第6話で考えた仮説は、やはり間違っていないらしい。
「家具もない。食事もろくなものじゃないぞ」
俺は改めて念を押した。
「まあ……! 皆さまで一から暮らしを作っていらっしゃるの?」
「どこを見てそんなに目を輝かせてるんだ?」
「明日は、私にも何かさせてくださる?」
「明日もいるつもりなのか?」
レイナは、そこで初めて答えを急がなかった。
短い仕切り。
水袋。
食材。
ファステとリゼ。
最後に俺を見る。
「それを、今から考えたいのですわ」
完璧な令嬢の笑顔ではなかった。
何かを選ぶ前の、少しだけ不安そうな顔だった。
◇
レイナが休む場所を仮に決めたあと、俺は召喚画面を確認した。
『通常単召喚』
『召喚回数:2』
『次回必要《淫獄石》:300』
「三百……」
今回の三倍。
所持数は八個。
残り二百九十二個。
そこまで計算してから、俺は表示を閉じた。
違う。
今は三回目の話ではない。
まずは四人分の水と食料をどうにかする。
それが先だ。
ただ――Rの次にSRが出たという事実だけは、しばらく頭から離れなかった。




