第67話 茶葉を買いに行こう
「今回は買える?」
共用部屋の床へ並べられた硬貨を見ながら、俺は千代へ尋ねた。
前回までの街訪問で得た共同資金。
塩や針、糸、布、補修用品を買ったため、最初より枚数は減っている。
それでも、全部なくなったわけではない。
「塩には、まだ余裕がある」
千代が備蓄の記録を確認する。
「補修用品も、今すぐ追加せねばならぬ状態ではない。少量の茶葉を買っても、生活を崩さぬ程度には残るじゃろう」
「じゃあ買える?」
「買うことを選べる、と言うべきじゃな」
「似たようなものじゃない?」
「違う」
千代は硬貨を種類ごとに分けた。
「次の街訪問で仕事を得られる保証はない。茶葉を買えば、共同資金が減ることに変わりはない」
それでも、買った瞬間に必需品が足りなくなる状態ではない。
ファステが自分で選んだ、飲みたい紅茶。
そのための茶葉を、ようやく購入候補へ入れられる。
「じゃあ、今回は茶葉を買いに行こう」
言葉にすると、ファステが小さく目を見開いた。
◇
今回街へ行くのも、リゼ、ヴィオラ、レイナの三人になった。
リゼは安全と撤退判断。
ヴィオラは値段と交渉。
レイナは茶葉や道具の品質を見る。
ファステ本人は同行しない。
「本人が行けた方が確実なんだけどな」
「確実さより安全を取る」
リゼが言う。
街と、ファステが以前暮らしていた場所の関係はまだ分からない。
顔を知る者がいる可能性も否定できなかった。
「お願いします」
ファステは三人へ頭を下げた。
行けないから諦めるのではない。
自分で選んだ希望を、三人へ預ける。
「強い香りではなく、穏やかな物をお願いします」
ファステが選択基準を伝える。
「湯を注いだ時に、少し甘く感じる香りがあれば。葉が極端に崩れておらず、湿気た匂いがしない物がよいと思います」
「量は?」
ヴィオラが聞く。
「一度にたくさんは必要ありません。まずは少量で十分です」
「保存状態も確認しますわ」
レイナが答える。
「以前見た中価格帯の物を中心に、香りと葉の状態を見ます」
「値段と量は私が見る」
ヴィオラが続く。
「危険があれば、買い物ごと止める」
最後にリゼが言った。
役割は決まっている。
あとは任せるだけだ。
「ファステが欲しいって言ったやつを買ってきて」
俺の言葉に、ファステが振り返った。
「私が、欲しいと……」
「違った?」
「いいえ」
ファステはゆっくり首を振る。
「それで合っています」
これまで街へ行く目的は、共同生活に必要な物が中心だった。
塩。
補修用品。
針と糸。
暮らすために必要な物。
今回は、その中へ一人の住民が自分で選んだ嗜好品が加わった。
◇
三人は前回までと同じ手順で街へ入り、尋ねられたことへ必要な範囲だけ答えた。
問題なく街へ入ると、まず短時間で終わる仕事を探した。
見つけたのは、荷物の仕分けと軽い運搬だった。ヴィオラが仕事量と報酬を確かめ、リゼが実際の荷物を見る。
レイナも品物の数を確かめる仕事なら手伝える。
「受ける?」
ヴィオラが二人へ確認する。
「ああ」
「問題ありませんわ」
三人は仕事を引き受けた。
大金にはならない。
それでも、茶葉を買った後に共同資金を少し残しやすくなる。
◇
仕事を終え、約束どおりの報酬を受け取った三人は、以前確認した茶葉の店へ向かった。
店には、香りも値段も違う茶葉が並んでいる。
最も安価な茶葉。
中程度の価格の茶葉。
現在の共同資金では手を出しにくい、高価な茶葉。
店の者へ許可を取り、レイナが安価な茶葉を確認する。
「香りは弱いですわね」
葉も細かく崩れている。
飲めない物ではない。
だが、ファステが希望した茶葉とは少し違う。
高価な茶葉は、袋を開けた時点ではっきり分かるほど香りが強かった。
状態もよい。
「こちらなら間違いない?」
ヴィオラが聞く。
「品質はよいと思います。でも、ファステが望んでいた穏やかな香りとは違いますわ」
「値段も穏やかじゃないね」
共同資金で買えなくはない。
しかし、ほとんどを使い切ることになる。
三人は最後に、中価格帯の茶葉を確認した。
レイナが、袋の近くで静かに息を吸う。
「これが一番近いと思いますわ」
強すぎない香り。
その奥に、わずかな甘さがある。
葉の形も比較的残り、湿気た匂いはしない。
「ファステが言っていた条件には合っている」
「値段も、予定の範囲だね」
ヴィオラが硬貨を確認する。
少量で売れるか。
最低量はどれくらいか。
以前見た時から価格が変わっていないか。
一つずつ店の者へ尋ねる。
無理に値切ることはしない。
試すには足りる。
しかし、長く備蓄できるほど多くはない。
その程度の量を購入することにした。
「本人がいないのに、これで決めていい?」
硬貨を渡す前に、ヴィオラが聞いた。
「本人から基準を預かっていますもの」
レイナが答える。
「完全に同じかは、ファステ本人が確かめるまで分かりません。でも、周囲だけで勝手に決めたわけではありませんわ」
「合わなければ、次に変えればいい」
リゼも茶葉を見る。
「一回で正解を選ぶ必要はない」
ファステ自身も、自分の好みを探し始めたばかりだ。
今回の茶葉が、想像した味と違う可能性もある。
それなら次に選び直せばいい。
買い物も、ファステの自己選択の続きだった。
◇
茶葉を購入した後、三人はカップを扱う店へ向かった。
粗い作りの日用品。
装飾の少ない陶器。
細かな模様の入った高価な品。
選択肢はいくつもある。
レイナは形と表面を確認し、シンプルなカップを二つ選んだ。
高級品ではない。
しかし、飲み口の形が大きく歪んでおらず、二つを並べても違いが少ない。
「二つだけ?」
ヴィオラが尋ねる。
「最初に必要なのは二つなのでしょう?」
レイナが答えた。
「全員分は後か」
「今は共同資金を残す方が先ですわ」
最終的には、六人分を揃えたい。
だが、それを一度の買い物で達成する必要はない。
今回必要なのは、最初の一杯を飲むための二つだった。
◇
帰る途中、以前と同じような噂が聞こえた。
「また、あの若い連中が訓練していたらしい」
「剣を使う男たちか?」
「魔法の娘も一緒だ」
三人は足を止めない。
直接見に行かない。
誰のことか尋ね回ることもしない。
今日の目的は、茶葉を買い、《淫獄》へ無事に持ち帰ることだった。
◇
決めた時間帯。
俺は第一帰還地点で三人を待っていた。
前回よりは落ち着いている。
それでも、木々の間から三人の姿が現れた時には、身体の力が少し抜けた。
「買えたよ」
ヴィオラが小さな袋を持ち上げる。
「茶葉?」
「それと、もう一つ」
包みの中身までは見せない。
リゼが周囲を確認する。
「尾行なし」
レイナも帰ってきた方向を見る。
不自然な物音や人影はない。
安全を確認してから、俺は《淫獄》への入口を開いた。
◇
「お帰りなさいませ」
ファステが三人を迎えた。
すぐに買った物を求めるのではなく、まず全員が無事に戻ったことを確認する。
「ありがとうございます。皆様、ご無事で何よりです」
「頼まれた物もあるよ」
ヴィオラが茶葉の袋を差し出した。
ファステは両手で受け取る。
袋を開き、香りを確かめた。
少しだけ目を閉じる。
誰も急かさなかった。
「どう?」
俺が尋ねる。
「……近いです」
「近い?」
「私が想像していた香りに、とても近いと思います」
完全な正解とは言わない。
まだ飲んでいない。
湯を注いだ時にどう香るかも、味がどうなるかも分からない。
それでも、ファステが自分で選んだ基準に沿う物が届いた。
「三人とも、ありがとうございます」
「ファステが選んだ条件を使っただけですわ」
レイナが言う。
「私たちだけで決めたわけではありません」
自分の希望を三人へ預ける。
三人がそれぞれの役割を使って選ぶ。
そしてファステが、自分の欲しい物として受け取る。
一人の嗜好を、全員で生活の中へ持ち込もうとしている。
その関係が俺の性的な好みへつながり、静かに刺さった。
『《淫獄石》を90個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,760』
「買い物成功で90個」
ヴィオラが表示を見る。
「茶葉に反応したわけじゃない」
「分かってる。選び方の方でしょ?」
「最近、説明しなくても理解されるのが怖い」
◇
「それから、もう一つ」
レイナが包みを開いた。
中から、二つのカップが現れる。
装飾はない。
色も形も素朴だ。
それでも、今まで使っていた簡易容器より、紅茶を飲むための器らしく見えた。
「二つ……」
ファステが呟く。
「本当に買ってきたんだ」
「必要と言ったのは夜斗でしょう?」
ヴィオラに言われる。
「そうだけど」
二つのカップ。
俺の分と、ファステの分。
最初の一杯を一緒に飲むための物。
今度は通知が出なかった。
約束が実現するのは、まだ次だ。
◇
「じゃあ、今飲む?」
俺が尋ねた。
茶葉はある。
カップも二つある。
湯を沸かせば、今日中に飲むこともできる。
しかしファステは、少し考えてから首を振った。
「明日にしませんか?」
「明日?」
「茶葉の量を確かめ、今ある道具でどのように淹れるか考えたいのです」
温度を正確に測る物はない。
茶葉を量る専用の道具もない。
葉を濾す方法も工夫する必要がある。
「最初の一杯ですから、急ぎたくありません」
「分かった」
「ちゃんと待てるんだ」
ヴィオラが言う。
「紅茶だからな」
「ガチャだったら?」
「今その話はしてない」
◇
茶葉は、新しく増えた棚へ置かれた。
空だった簡易容器へ、すぐ移すことはしない。
ファステが保存に向いているかを確認してから決める。
二つのカップも、その隣へ並べられた。
六人分には足りない。
本格的な紅茶の道具もない。
まだ一杯も淹れられていない。
それでも、空だった場所に茶葉が届いた。
カップも二つある。
明日。
その言葉だけで、今日は十分だった。




