第65話 どんな紅茶が飲みたい?
「安い物、中くらいの物、高い物。大きく分けると三種類ありましたわ」
朝食を終えた後、レイナが街で見た茶葉について説明を始めた。
聞いているファステは、普段より少しだけ姿勢が前へ傾いている。
「一番安い物は、香りが弱く感じました。葉の形もあまり揃っていませんでしたわ」
「細かく砕けていましたか?」
「ええ。少しだけ」
「保存されていた容器は?」
「蓋のある物でした。ただ、完全に密閉されていたかは分かりませんわね」
ファステは価格より先に、茶葉の状態や保存方法を尋ねている。
レイナも覚えている範囲で答えた。
「中程度の物は、少量でも売っていただけそうでした。安い物より香りがありましたが、わたくしには、それが紅茶としてどの程度よい物なのかまでは分かりません」
「高い物は?」
「香りは最も強かったですわ。ただ、現在の共同資金では難しいと思います」
「そうですか」
ファステは残念そうではなかった。
むしろ、街に本当に茶葉があり、その状態まで誰かが見てきてくれたことを喜んでいるように見える。
「結局、どれを買えばいい?」
俺が尋ねた。
「皆様がお飲みになるのでしたら、あまり癖の強くない物がよいと思います」
「皆じゃなくて、ファステは?」
ファステが止まった。
「私、ですか?」
「ファステが飲みたい紅茶」
「ですが、共同のお金を使うのでしたら、皆様が飲みやすい物を――」
「買うかどうかは後で決める」
俺は言った。
「今は、ファステの好みを聞いてる」
◇
ファステは、すぐには答えなかった。
茶葉について詳しくないからではない。
むしろ俺たちの中では、最も詳しいはずだ。
「以前は、どんな紅茶を淹れてたの?」
ヴィオラが尋ねる。
「用意された茶葉を使っていました」
ファステは少しずつ、召喚される前のことを話した。
使用人として、紅茶を淹れる機会はあった。
茶葉の量。
湯の温度。
蒸らす時間。
飲む者の好み。
美味しく淹れるために考えることは多かった。
しかし、自分で茶葉を選べる立場ではなかった。
「どなたへお出しするかによって、淹れ方を変えることはありました。ですが、茶葉そのものは用意された物を使っていましたから」
「自分の分は?」
「残った物をいただくことはありました」
「好きな物を選んだことは?」
「……あまり、ありません」
ファステは自分の手を見る。
「美味しく淹れることは考えても、自分が何を飲みたいかは、あまり考えませんでした」
誰かへ出すための紅茶。
誰かの好みに合わせるための紅茶。
そこに、ファステ本人の好みが入る余地は少なかったらしい。
◇
「でしたら、保存しやすい物がよいと思います」
しばらく考えたファステが答えた。
「少量で多く淹れられ、価格も高すぎず、皆様が飲みやすい物であれば――」
「それは共同体として買う茶葉の条件じゃ」
千代が遮った。
「そなた自身の好みとは少し違う」
「ですが、共同のお金を使うのでしたら」
「だから、買うかどうかは後で決めるって」
俺も繰り返す。
「今は値段も、保存性も、全員が飲めるかも考えなくていい」
「考えなくてよいのですか?」
「好みを決める間だけな」
買う時には、予算や用途を考える必要がある。
でも、それを最初から全部重ねれば、ファステはまた自分より全員を優先する。
「どんな香りが好き?」
レイナが聞いた。
街で見た茶葉について、もう一度特徴を説明する。
香りの弱い物。
しっかりした香りの物。
少し甘さを感じる香りが混ざった物。
実際に淹れたわけではないため、味までは分からない。
それでも、ファステは過去に扱った茶葉と照らし合わせるように考えた。
「強い香りより、穏やかな物が好きかもしれません」
「かもしれない?」
「自分の好みとして考えたことがありませんでしたから、まだ自信がなくて」
それでも、ファステは続けた。
「湯を注いだ時に、少し甘い香りが立つ物がよいです。食事の後にも飲みやすくて、落ち着けるような……」
そこまで言ってから、照れたように目を伏せる。
「私は、それがよいです」
『《淫獄石》を120個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,270』
「出たね」
ヴィオラが表示を見る。
茶葉の話をしていただけだ。
それでも、誰かのための答えしか持たなかったファステが、自分の欲しい物を選んだ。
使用人としてではなく、一人の女性として口にした小さな希望。
その変化と、俺たちの間に積み重なった関係が、俺自身の性的な好みへ結びついて刺さったらしい。
単に、ファステが喜んだから石になったわけではない。
「もちろん、無理に買っていただく必要は――」
「買うかどうかは皆で決める」
俺は表示を閉じた。
「でも、選ぶ時は今のを基準にする」
「……はい」
◇
次の問題は、嗜好品へ共同資金を使ってよいかだった。
茶葉は塩や補修用品とは違う。
なくても、すぐ生活に困るわけではない。
「必需品の備蓄を圧迫せぬ範囲であれば、共同生活のための支出として認めてもよかろう」
千代が言う。
「全員で飲むなら、ファステ一人だけの買い物でもありませんわ」
レイナも同意する。
「必要な塩と補修用品を確保した後なら、私は反対しない」
「家には、楽しむための物も必要だからね」
ヴィオラが硬貨を一枚弄ぶ。
以前、ここに暮らすなら何が欲しいか話した。
調理場所。
装備を置く場所。
私物を残せる空間。
備蓄できる場所。
遊べる場所。
一人になれる部屋。
生存に必要な物だけでは、家にはならなかった。
「共同資金の一部を、嗜好品や娯楽へ使うことも考えていいと思う」
俺が言うと、ヴィオラが笑った。
「国家予算に娯楽費ができた」
「数枚の硬貨で国家を名乗るな」
「最初の娯楽費は紅茶?」
「まだ買うって決まってない」
正式な予算制度を作るほど、金はない。
それでも今後は、
必需品。
生活改善。
嗜好や娯楽。
その三つを区別して考えることになった。
◇
「茶葉があっても、まともなカップがないんだよな」
俺は現在使っている簡易容器を見る。
水や食事には使える。
紅茶を飲めないわけでもない。
ただ、ファステが以前扱っていた物とは、かなり違うはずだ。
「今の器でも、お飲みいただくことはできます」
「ですが、せっかくでしたら、相応の物も選びたいですわね」
レイナが言った。
「カップだけではありません」
ファステも必要な物を挙げる。
湯を沸かす道具。
茶葉を保存する容器。
量を揃える方法。
葉を濾すための道具。
「茶葉を買えば終わりじゃないのか」
「なくても工夫はできます。ただ、よい状態で長く使うのでしたら、少しずつ整えた方がよいと思います」
「紅茶設備まで作り始めたら、また欲しい物が増えるな」
「欲望の方が家より広いからね」
ヴィオラが以前の会話を思い出したように言った。
「でも、最初から全部揃える必要はない」
茶葉を少量。
保存する物。
飲むための器。
順番に揃えればいい。
◇
「ところで」
ヴィオラが、何かを思い出した顔をした。
「最初の一杯は、誰と飲むんだっけ?」
ファステの身体が固まった。
「お前、覚えてたの?」
「面白い約束は覚えてるよ」
リゼとレイナもファステを見る。
千代は何も言わないが、知らなかった顔ではない。
以前、いつか紅茶を淹れられるようになったら、最初の一杯を俺と一緒に飲みたいと、ファステはそう言った。
あの時の俺は、茶葉とまともなカップも探そうと答えた。
「……夜斗様と、一緒にいただきたいです」
ファステは少し恥ずかしそうにしながらも、以前の希望を取り消さなかった。
「じゃあ、茶葉だけじゃなくて、カップも二つ必要だな」
「二つ……」
「最初に一緒に飲むんだろ?」
「はい」
やがて全員で飲むなら、最終的には六人分必要になる。
それでも、最初の一杯のために必要なのは二つだ。
俺は恋愛として深く考えたわけではない。
ただ、ファステが自分と飲みたいと言ってくれたことを、以前より少し特別に感じていた。
◇
「次の街訪問で、茶葉を買う条件も決めておくか」
千代が記録を用意する。
塩などの必需品を圧迫しないこと。
中程度の価格帯を第一候補にすること。
少量だけ購入すること。
ファステが希望した香りに近い物を選ぶこと。
保存方法も確認すること。
可能ならカップの価格も見ること。
高級品は買わない。
安いという理由だけで、香りが弱すぎる物も選ばない。
「私自身が見た方が、選びやすいとは思います」
ファステが言った。
俺はすぐに答えられなかった。
本人が選ぶなら、街へ同行するのが一番確実だ。
だが、ファステには逃亡者としての過去がある。
街と、彼女の元いた場所の位置関係は分からない。
顔を知る者や、元の関係者がいる可能性も完全には否定できない。
「行くなら、もう少し街の情報を集めてからだ」
リゼが言った。
「ファステのいた場所と関係がないか、分かる範囲で確認したい」
「はい。急ぎません」
ファステは素直に頷いた。
行きたいという意思を否定したわけではない。
安全に選べる状態を作るため、今は待つ。
俺が街へ行かないと決めた時と、少し似ていた。
◇
「では、次もわたくしが茶葉を確認いたしましょうか」
レイナが提案する。
「茶葉の状態や保存方法、価格でしたら見られますわ。ただ、紅茶としての好みまでは、ファステに教えていただく必要があります」
ファステが、希望する茶葉の特徴を伝える。
強すぎない香り。
湯を注いだ時に、少し甘く感じるもの。
日常的に飲みやすいもの。
可能なら、食事の後にも合うもの。
「覚えておきますわ」
「店で香りを確認できるなら、近い物を選ぶ」
リゼが言う。
「値段と量は私が見る」
ヴィオラも加わった。
本人がいないところで勝手に欲しい物を決めるのではない。
本人から預かった基準を使い、選ぶ。
今の段階では、それが一番よさそうだった。
◇
「皆様へ美味しい紅茶をお出しできるようにいたします」
話がまとまり、ファステが言った。
「仕事にしなくていい」
俺は反射的に返した。
ファステが少し驚く。
「紅茶を淹れないと、ここにいられないわけじゃない。できるようになったからって、毎日全員分を用意しなくてもいい」
「ですが」
ファステは、自分の胸元へ手を置いた。
「私が淹れたいのです」
言葉は控えめだった。
それでも、迷いはなかった。
「役に立つためだけではありません。皆様と飲めたら嬉しいと思いますし……最初の一杯は、夜斗様と一緒にいただきたいですから」
使用人として命じられた仕事ではない。
居場所を得るために、自分へ課した義務でもない。
ファステ自身が望み、自分で選んだ行為だった。
「じゃあ、任せる」
「はい」
ファステが安心したように笑った。
『《淫獄石》を180個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,450』
「紅茶そのものより、約束が育ってる方に出た?」
ヴィオラが表示を見る。
「分析しなくていい」
「同じ事柄であっても、関係が変われば意味も変わるのであろう」
「千代まで分析側に来ないで」
前にも似たことで石は出ている。
それでも、今回は意味が違った。
ファステが義務ではなく、自分の希望として選び直した。
最初の一杯を俺と飲みたいという関係も、以前より具体的な未来になっている。
その積み重なりが俺の性的な好みへ結びつき、改めて刺激された結果だった。
◇
ファステは、空の簡易容器を一つ持ってきた。
茶葉を保存するには十分ではないかもしれない。
それでも、候補として状態を確認するらしい。
縁が近づき、容器の匂いを嗅いだ。
「何もないぞ」
空だと分かると、縁はすぐに興味を失って離れていった。
「いつか、ここへ茶葉を入れられるとよいですね」
ファステが容器の蓋を閉じる。
「次に街へ行けば買えるかもしれない」
「急がなくて大丈夫です」
「買える状態になったからって、すぐ買う必要はないからな」
「成長したね」
ヴィオラが言った。
「ガチャの話じゃないから」
「ガチャでも言えるようになるといいね」
「それは関係ない」
◇
次の街訪問日は、まだ決めなかった。
共同資金の残額。
塩や補修用品の量。
次に受けられそうな仕事。
誰が同行するか。
ファステ本人が街へ行っても安全か。
確認すべきことは残っている。
それでも、買う物の候補は以前よりはっきりした。
最初の頃のファステは、何をすれば役に立てるかを考えていた。
何をすれば、ここへ置いてもらえるのか。
そのために働こうとしていた。
今は少し違う。
どんな物を飲みたいか。
何を自分の意思で淹れたいか。
誰と一緒に飲みたいか。
自分の希望として、少しずつ選び始めている。
俺は、それを恋愛と呼べるほど理解していない。
ただ、自分と一緒に飲みたいと言われることは嬉しかった。
◇
夜。
ファステは、まだ空の茶葉用容器を保管場所へ置いた。
茶葉は、まだない。
カップもない。
紅茶を淹れるための道具も足りない。
それでも、どんな香りがよいのかは決まった。
誰が淹れたいのかも。
最初の一杯を、誰と飲みたいのかも。
空の容器は空のままだった。
でも以前より、そこへ入る物はずっとはっきりしていた。




