第64話 噂の三人
木剣と木剣が、乾いた音を立ててぶつかった。
神崎蓮は一歩踏み込み、相手の胴を狙う。
だが、振り抜くより早く軌道を外された。
木剣が滑る。
崩れかけた姿勢を強引に戻し、横から迫る一撃を受け止めた。
重い。
両腕へ衝撃が走る。
「足が止まっているぞ」
相手を務める男が言った。
この街で兵士たちの訓練を担当している男だ。
年齢は蓮たちより上だが、老人と呼ぶほどではない。
実戦を知っていることだけは、構えを見れば分かった。
蓮は息を吐き、木剣を構え直す。
相手が踏み込む。
肩が動く。
次に剣が来る位置を予測し、半歩ずれた。
木剣が頬のすぐ横を通る。
避けた勢いのまま相手の腕を狙った。
「そこだ!」
蓮の一撃が、相手の腕へ触れる。
周囲から小さな歓声が上がった。
一本取った。
そう思った直後、足を払われた。
「うわっ」
身体が浮く。
背中から地面へ落ちる寸前、どうにか身体をひねった。
肩から転がり、木剣を手放す。
「今ので終わりだ」
立ったままの男が、蓮へ木剣を向ける。
「一本取ったと思ったんですけど」
「取った後に気を抜いた」
男は木剣を下ろした。
「実戦なら、相手の腕へ傷をつけて、自分は首を落とされている」
「割に合わないですね」
「だから訓練している」
差し出された手を取り、蓮は立ち上がった。
剣に関するスキルの補正はある。
構えを覚えやすい。
教わった動きを再現しやすい。
相手の動きへ反応する時、身体がわずかに早く動くこともある。
それでも、何も考えず勝てるわけではない。
体力は減る。
腕は痺れる。
判断を間違えれば、普通に転ばされる。
「街では、また神崎が勝ったって噂になるかもね」
訓練場の端から、高峰美咲が声をかけた。
「どこを見たら勝ったことになるんだよ」
「最初の一本だけ見た人」
「最後まで見てくれ」
「噂って、都合のいいところだけ残るから」
蓮は地面へ座り込み、息を整えた。
「噂を流した奴に、次の訓練を代わってほしい」
「無敵の剣士、頑張って」
「誰が無敵だ」
「少なくとも、街ではそうなりかけてるらしいよ」
迷惑な話だった。
◇
「次、高峰」
教官役の男に呼ばれ、美咲が訓練場の中央へ出る。
標的は、少し離れた場所へ置かれた木製の板だった。
「昨日と同じだ。威力を抑えろ」
「分かってます」
「標的だけを狙え。後ろの土壁まで壊すな」
「分かってますって」
美咲は片手を前へ向けた。
息を整える。
魔法を使う感覚には、転移してから少しずつ慣れてきた。
力を集める。
放つ方向を決める。
問題は、その間に必要以上の力が集まりやすいことだった。
「もっと小さく」
男が言う。
「やってます」
「まだ大きい」
「これ以上小さくしたら消えそうなんですけど」
「消えてもいい。今日は大きな穴を開ける訓練ではない」
美咲は不満そうに眉を寄せ、それでも集めた力を少しずつ抑えた。
やがて、手の前に光が生まれる。
周囲の空気が震えた。
「撃つ」
放たれた魔法が、標的へ向かう。
板の中心に命中。
乾いた破裂音とともに、木片が散った。
後ろの土壁にも、小さな傷がつく。
「……当たった」
「強すぎる」
「昨日よりは小さいです」
「昨日と比べればな」
美咲は手を下ろした。
「倒せるなら強い方がよくないですか?」
「強い魔法を撃つだけなら、敵にもできる」
男は壊れた標的を見る。
「味方の近くで、必要な場所へ、必要な威力だけ当てられて初めて戦力だ」
美咲は反論しかけ、口を閉じた。
以前、蓮が前にいる状態で魔法を使おうとして、狙いを変えたことがある。
あの時は撃たずに済んだ。
だが、実戦で毎回止められるとは限らない。
「……次はもっと抑えます」
「そうしろ」
◇
訓練を終えた美咲は、自分の状態を確認した。
意識を向けると、自分にだけ見える表示が開く。
転移した時から持っている、いくつかのスキル。
それぞれの名前。
現在の段階。
大まかな効果。
ただし、どれだけ訓練すれば成長するのかまでは書かれていない。
「まだ上がってない」
美咲が呟く。
「昨日も見てただろ」
蓮が水を飲みながら言った。
「訓練したら上がるかもしれないじゃない」
「一日で?」
「転移した時には急に使えるようになったんだから、上がる時も急かもしれないでしょ」
「便利なものだな」
教官役の男が二人を見る。
「俺たちは、教会へ行くか鑑定具を使わなければ、自分が何を持っているか正確には分からん」
「感覚でも分からないんですか?」
「得意になった、身体が動きやすくなったという感覚はある。だが、それが訓練の成果か、スキルを得たからなのかは鑑定するまで分からん」
「私たちは、自分でいつでも見られるのに」
「転移者だからだろうな」
理由まで知っている者はいないらしい。
「でも、五段階しかないなら、もう少し簡単に上がってもよくないですか?」
美咲の言葉に、男は呆れたような顔をした。
「三から先を簡単に考えるな」
「そんなに違うんですか?」
「四なら国が名を覚える。五なら歴史に残る」
美咲が自分の表示を見直した。
現在の自分は、五段階のまだ前半にいる。
「……遠い」
「だから五つしかないんだ」
数が少ないから、簡単に上がるわけではない。
後になるほど、一段の差が大きくなる。
◇
「神崎君、腕を見せて」
小川ひなたが、訓練場の端へ布と水を用意していた。
「大した傷じゃない」
「大した傷になる前に見るの」
蓮の腕には、木剣が擦れた跡があった。
皮膚が少し切れ、血が滲んでいる。
ひなたはまず傷を水で洗った。
「染みる」
「我慢して」
「治療の力で、そのまま治せないのか?」
「汚れたまま塞いで、中に何か残ったらどうするの?」
「そういうもの?」
「私も全部分かってるわけじゃない。だから、分かる範囲のことを先にするの」
出血を抑え、状態を確かめる。
その後で、ひなたは必要な分だけ治療の力を使った。
淡い光が傷を覆う。
出血は止まり、痛みも少し弱くなる。
しかし、傷そのものが最初からなかったように消えるわけではない。
「今日は強く動かさないで」
「もう訓練は終わりだろ」
「明日も痛かったら無理しないでね」
「分かった」
「本当に?」
「最近、俺の信用低くない?」
「前に同じことを言って、次の日も訓練したから」
ひなたの役割は、傷を光で消すことだけではない。
洗う。
見る。
判断する。
必要なら布や薬を使う。
能力で補えるところだけを補う。
毒や病気、重傷まで何でも治せるわけではなかった。
◇
三人が一組として扱われるようになったのは、能力の組み合わせが分かりやすかったからだ。
蓮が前へ出る。
美咲が離れた場所から大きな攻撃をする。
ひなたが二人の状態を見て、必要な支援を行う。
ただし、実際の連携はまだ十分ではない。
「神崎、前へ出すぎるな!」
教官の声が飛ぶ。
蓮が立ち止まる。
「高峰の射線から外れている!」
「俺が敵を止めれば当てやすいと思って!」
「止めた位置が悪い!」
「神崎、右へ動いて!」
美咲が叫ぶ。
「今動いたら相手も動くだろ!」
「だからこっちへ誘導して!」
「先に言ってくれ!」
「二人とも、一回止まって!」
ひなたの声で訓練が中断された。
教官が額を押さえる。
「三人で動くなら、一人の強さを三つ並べるな」
三人を見る。
「互いの隙を埋めろ」
蓮が敵の動きを制限する。
美咲が、蓮を巻き込まない狭い範囲へ魔法を合わせる。
ひなたが二人の位置と負傷を確認し、危険な方へ声をかける。
役割とスキルの補正がうまく重なれば、一人ずつ戦うより大きな結果を出せる。
だが、タイミングがずれれば、互いの邪魔にもなる。
「もう一回やるぞ」
「まだやるんですか?」
美咲が嫌そうな声を出す。
「連携は一人で表示を見ても成長しない」
教官の言葉に、三人はもう一度位置についた。
◇
休憩中、現地の兵士の一人が自分の鑑定結果について話していた。
「前に鑑定した時とは違うスキルが増えてたんだ」
「いつ取ったか分からないのか?」
蓮が尋ねる。
「分からん。最近、盾を使う時に前より身体が安定するとは思ってた」
「盾のスキル?」
「いや。鑑定では足運びに関するものと、周囲を見るためのものが出た」
「二つ?」
「たぶん、両方が盾を使う時に働いてたんだろうって話だ」
本人は盾そのものが上達したと思っていた。
実際には、複数のスキルが同じ行動を支えていたらしい。
「鑑定しなかったら分からないんですね」
ひなたが言う。
「俺たちはな。お前たちみたいに、自分で一覧を開くことはできん」
スキルが増えても、通知は来ない。
身体の変化や成功率から推測するしかない。
「転移者って、やっぱり珍しいんだ」
美咲が自分の手を見る。
「持ってるスキルも珍しいんですか?」
「俺には分からん」
兵士が答える。
「珍しいから強いとも限らないしな」
教官も会話へ加わる。
「珍しくなくても、五まで届けば化け物だ」
「化け物って」
「褒めている」
「褒め方が怖いです」
一般的なスキル。
珍しい条件で得られるスキル。
本人にしか確認されていないような固有の能力。
特定の種族に由来するもの。
分類はいくつかあるらしい。
だが、珍しいというだけで戦闘に役立つとは限らない。
「帰り道だけは絶対に忘れない、なんて珍しいスキルもあるらしいぞ」
「便利そう」
「旅人にはな。剣の試合では役に立たん」
使う場所によって、価値は変わる。
◇
「お前たち、街で噂になってるぞ」
訓練に参加していた若い兵士が、面白そうに言った。
「何の噂?」
美咲が警戒する。
「剣を使う若い男。派手な魔法を撃つ娘。治療が得意な娘」
「そのまますぎない?」
「分かりやすくていいだろ」
「よくない」
ひなたが困ったように周囲を見る。
「できれば、あまり目立ちたくないんだけど……」
「もう遅いんじゃないか?」
「神崎君が勝つから」
「さっき負けただろ」
「最初に一本取ったところだけ噂になってるんだって」
「だから最後まで見てくれよ」
蓮は頭を抱えた。
名前まで広まっていないだけ、まだましなのかもしれない。
◇
三人は現地の勢力から保護されていた。
食事。
寝る場所。
最低限の衣服と装備。
この世界で生きるための知識。
訓練を受ける機会。
何も分からない状態で放り出されるより、はるかに恵まれている。
一方で、完全に自由というわけでもなかった。
危険な場所へ勝手に行くことは禁止されている。
街の外へ出る場合は、監督する者がつく。
訓練への参加を求められ、スキルや能力についても確認される。
それが三人を守るためなのか。
将来、何かへ使うためなのか。
おそらく、どちらも含まれている。
「最近、訓練場の見学が増えてないか?」
三浦悠斗が、訓練を終えた三人のところへ来た。
「街の人?」
「街の人だけじゃない。記録を取ってる連中も増えた」
三浦は訓練場の端へ視線を向ける。
数人の成人が、教官と話している。
「強くなるのを手伝ってくれてるんじゃないの?」
美咲が言う。
「それだけならいいけどな」
「疑いすぎ」
「信用しすぎるよりはいい」
二人の間へ、水野葵が入った。
「今すぐ何かされるって話じゃないんでしょ?」
「ああ」
「だったら、気づいたことだけ共有しておこうよ」
水野は三人の疲れた様子を見る。
「それより、ちゃんと休んでる? ひなたも治療する側だからって、自分の疲れを放っておかないでね」
「うん。ありがとう」
三浦と水野も、この場所でそれぞれのやり方で状況を見ている。
ただし、街で噂になっている中心は蓮、美咲、ひなたの三人だった。
◇
「黒瀬のこと、どうする?」
三浦が口にした。
空気が止まる。
黒瀬夜斗。
転移後、行方が分からなくなった学生。
生きているのか。
どこにいるのか。
現地の者へ話は伝えた。
だが、どれほど探されたのか、学生たちには確認できていない。
地理を知らない自分たちだけで捜索へ出ることもできなかった。
「生きている可能性があるなら、何もしないままにはしたくない」
蓮が言った。
「でも、どこを探すの?」
美咲は腕を組む。
「方角も距離も分からない。見つけても、帰ってきたいと思ってるとは限らないでしょ」
「心配じゃないのか?」
「心配してないとは言ってない」
美咲の声が少し強くなる。
「黒瀬って、人に決められるの嫌いそうだったから。見つけて、勝手に連れ戻すのも違うんじゃないかって言ってるの」
「無事か確認することと、連れ戻すことは別だ」
「それは分かってる」
二人の言葉がぶつかりかける。
「決めつけたくない」
ひなたが静かに言った。
「無事だとも、もう駄目だとも」
蓮と美咲が黙る。
「探せるなら探したい。でも、今の私たちが適当に外へ出たら、遭難する人が増えるだけだと思う」
街の周辺に何がいるのか。
どの道が安全なのか。
どこまでが現地勢力の管理下なのか。
まだ十分には知らない。
「強くなれば、探せる範囲は広がる」
蓮が拳を握る。
「その頃まで、黒瀬が同じ場所にいる保証もないけど」
美咲が言う。
「だから、情報だけでも集めよう」
ひなたが二人を見る。
「外から来た人の噂とか、巡回で見つかった物とか。今すぐ探しに行けなくても、できることはあるから」
三人はそれぞれ違う理由で、その提案に頷いた。
◇
学生たちは、夜斗がどこかで一人きりになっている可能性を考えていた。
人との関わりを避け、安全な場所へ隠れているかもしれない。
助けを求めず、状況が落ち着くのを待っているかもしれない。
以前の夜斗なら、本当にそうしていた可能性は高い。
誰も知らない。
夜斗がすでに複数人と《淫獄》で共同生活を送り、外を旅するセリナとも《住民》としてつながっていることを。
自分の寝床だけでなく、帰ってくる者を迎える家まで作っていることを。
◇
訓練が終わった後。
教官と、学生たちを監督する立場らしい者が記録を見ていた。
「剣の適性は悪くない」
「魔法の出力も高い」
「治療役までいる」
「使えるようになる」
「まだ早い」
教官が短く答える。
「三人とも、実戦経験が足りない。連携も未完成だ」
「だから訓練している」
「急がせれば壊れる」
会話はそこで途切れた。
何に使えるようになるのか。
街を守るためか。
ダンジョンへ入るためか。
別の何かへ備えるためか。
本人たちは知らない。
◇
夕方。
訓練場の外では、今日も三人の噂が流れていた。
「剣の若いのが、また一本取ったらしい」
「魔法使いの娘も、的を一発で壊したって」
「治療役までいるなら、いい組だな」
噂だけを聞けば、よくできた三人組だった。
実際の三人は、用意された部屋へ戻る途中で疲れ切っていた。
「腕、まだ痛い」
「明日休めば?」
「訓練はある」
「また無理する」
「美咲も、魔法を撃った後にふらついてただろ」
「あれは足場が悪かっただけ」
「二人とも、明日の朝も調子を確認するからね」
連携は失敗する。
体力も足りない。
自分たちがなぜ育てられているのかも分からない。
夜斗を探す方法も見つかっていない。
◇
夜。
三人はそれぞれ、自分にだけ見えるスキル表示を確認した。
蓮は剣に関係するスキル。
美咲は魔法に関係するスキル。
ひなたは治療と支援に関係するスキル。
今日一日訓練しても、新しい通知はない。
レベルも変わっていなかった。
「今日も上がらなかった」
美咲が寝台へ座る。
「一日で上がるなら、五段階しかなくても苦労しないだろ」
「分かってるけど、確認したくなるの」
「上がらなくても、できることは昨日より増えてるよ」
ひなたが言った。
「神崎君は一本取れた。美咲ちゃんも昨日より魔法を小さくできた」
「土壁まで傷つけたけどね」
「昨日より小さかったんでしょ?」
「少しだけ」
表示の数字だけが成長ではない。
今日できなかったことが、明日少しできるようになる。
その積み重ねが、いつかスキルの成長として現れるのかもしれない。
◇
街では、三人は少しずつ噂になっていた。
剣を使う若い男。
目立つ魔法を使う若い女。
治療が得意な若い女。
噂だけを聞けば、よくできた三人組だった。
けれど本人たちは、自分たちがどこへ向かっているのかも、まだよく分かっていない。
そして三人とも。
黒瀬夜斗が、自分たちより先に帰る家を作っていることを知らなかった。




