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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第五章 「外の世界は面倒が多い」

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第62話 塩ひとつで、家は変わる


「……うまい」


 朝食を口に入れた瞬間、思わず声が出た。


 使われている食材は、昨日までと大きく変わらない。


 近くで採れた根と葉。


 少量の肉。


 ファステがセリナから教わった方法で下処理し、火を通したものだ。


 違うのは、街から持ち帰った塩がほんの少し使われていることだった。


「今までも味付けはしていましたよ?」


 ファステが少し困ったように言う。


「分かってる。でも違う」


「確かに違いますわね」


 レイナも一口食べて頷いた。


「味がはっきりした感じがしますわ」


「少量でも変わるものだな」


 リゼはそう言いながら、いつもより少し早く次の一口を運んでいる。


「街へ行った最大の成果、塩だったりして」


 ヴィオラが言った。


「否定しづらい」


「学生の噂より?」


「食事中に必要なのは学生の噂より塩だろ」


 自分で言ってから、学生の扱いが軽すぎる気もした。


 だが、今ここにいる全員の生活へ、すぐ影響を与えたのは塩だった。


「もう少し使ってもよかったんじゃない?」


 俺が尋ねると、ファステは小さな容器を見る。


「まだ少ししかありませんから」


 街から持ち帰った塩は、それほど多くない。


 全員の食事へ何度も使えば、すぐになくなる量だ。


「塩は味付け以外にも使えます。食材の下処理や、保存方法を試す時にも必要になるかもしれません」


「塩一つで管理が始まるのか」


「資源とはそういうものじゃ」


 千代が当然のように答えた。


     ◇


 食事の後、千代は備蓄を管理する記録へ新しい項目を加えた。


 塩。


 これまでも食料、水、火に使う物、道具などは記録している。


 しかし塩は、採取してきた物とは少し違う。


 街で働いて得た金を使い、購入した物だ。


「そこまで細かく記録する?」


「街で金を使って得た物じゃ。残量を把握せぬ理由がない」


「使った分まで?」


「おおよそでよい。正確に量る道具もないからの」


 まだ帳簿と呼べるほどのものではない。


 それでも、どの程度残っているのか。


 何に使うのか。


 次に街へ行った時、どれだけ必要なのか。


 その判断材料にはなる。


「採ってくれば補充できる物と違って、お金も必要だもんな」


「その金も、今は安定して得られるわけではない」


 リゼが言う。


 次に街へ入れる保証はない。


 仕事が見つかるとも限らない。


 塩が同じ値段で売られているかも分からない。


 初めて得たことで、今まで存在しなかった問題まで増えたらしい。


     ◇


「では、《淫獄》の全財産を確認しようか」


 ヴィオラが、残った現地硬貨を共用部屋の床へ並べた。


 硬貨の正式な名前は、まだ分からない。


 色と大きさが少し違う物が数枚。


 表面には文字らしいものと、何かを象った刻印がある。


「これが《淫獄》の全財産?」


「現地通貨だけなら」


「少な」


「ゼロよりはよい」


 千代に言われる。


 確かに、昨日までは一枚もなかった。


「少ないからこそ、使い道が重要だね」


 ヴィオラが硬貨を指先で裏返す。


 いつものコインとは違い、賭けの道具にはしないらしい。


「そもそも、これって二人の金じゃないの?」


 俺が尋ねると、リゼとヴィオラがこちらを見た。


「仕事を受けたのは私たちだ」


「でも、街へ行った目的は《淫獄》のためだった」


 ヴィオラが一枚を持ち上げる。


「塩も補修用品も、みんなで使う物として買ったしね」


「だからって、自動でここの金になるわけじゃないだろ」


 俺が召喚した住民が働いた。


 だから、稼いだ物は俺のもの。


 そんな扱いにはしたくない。


「二人が稼いだ金を共同で使うなら、二人がそれでいいと決めてからだ」


「私は構わない」


 リゼはすぐに答えた。


「今回の仕事は、必要な物を持ち帰るために受けた」


「私もいいよ」


 ヴィオラも硬貨を床へ戻す。


「今回は共同資金ってことで」


「今回は?」


「今後、個人的に欲しい物を買うために働くこともあるかもしれないでしょ?」


「それは本人の金でいいと思う」


「では、個人で得た金と、共同のために得た金を分ける必要があるの」


 千代が記録へ新しい印を付ける。


 まだ制度と呼べるものではない。


 収入も安定していない。


 それでも、個人の金と共同の金は違う。


 その考え方だけは、最初から分けておいた方がいい。


「じゃあ、給料制にする?」


「まだ収入すら安定してない」


「王様から給料をもらえる生活、悪くないけど」


「その王様の所持金、今それだけだぞ」


 床に並んでいる数枚の硬貨を指す。


「一日で破綻しそうだね」


「始まってもいない」


     ◇


 補修用品も、さっそく使われた。


 リゼが土間へ道具を並べる。


 街から持ち帰った小さな金具と、革を補修するための用品。


 新品の武器ができるわけではない。


 装備が急に強くなるわけでもない。


 これまで紐や布で応急処置していた部分を、少しまともに直せるだけだ。


「壊れてから買い替えるより、壊れる前に直す方が安い」


 リゼは武器の留め具を確認しながら言った。


「直るだけでこんなに違うんだな」


「直せる状態を維持するのも装備管理だ」


 破損しかけていた革部分を補強する。


 緩んでいた金具を交換する。


 手入れを終えた装備は、見た目こそ大きく変わっていないが、動かした時の不安定さがなくなっていた。


「リゼさん、こちらにも使えるでしょうか」


 ファステが簡易容器の留め具を持ってくる。


 一部が緩み、閉じにくくなっていたものだ。


 リゼが確認する。


「使える。ただし、同じ金具を使うと武器用の予備が減る」


「では、急ぎません」


「いや、この程度なら直した方がいい。中身をこぼす方が困る」


 二人で相談し、必要最低限だけ使用する。


 さらに、入口付近の扉や荷物を固定する部分にも使える可能性が見つかった。


 装備の補修用品として買った物が、家の中でも役に立つ。


「一つの用途だけで考えない方がいいな」


「だから残量の記録が必要になるのじゃ」


 千代が少し得意そうに言った。


     ◇


 初めて街で買い物をしたことで、次に欲しい物も具体的になった。


「塩。それから保存に使える容器。茶葉と、ほかの調味料も、いつかは」


 ファステが順番に挙げる。


「茶葉より塩が先でいいの?」


「はい。皆様のお食事に使えますから」


「またそう言う」


「必要な順番です」


 レイナは糸、針、布。


 余裕があれば、身だしなみを整えるための道具も見たいらしい。


 リゼは補修用品の追加と、丈夫な縄。


 千代は地図、記録用品、相場の情報。


「私は情報と硬貨と娯楽」


 ヴィオラが言う。


「あと賭け事」


「最後また入ってるぞ」


「娯楽の一部だよ」


「消せ」


 街へ行く前から欲しい物はあった。


 しかし、本当に店があり、働けば金を得られ、買える可能性があると分かったことで、その内容が急に細かくなった。


「街があるって分かった瞬間、欲しい物が増えすぎじゃない?」


「欲しい物がなかったのではなく、手に入ると思っていなかっただけですわ」


 レイナが言った。


 その言葉に、全員が少し黙る。


 手に入らない物は、欲しいと口にしても仕方がない。


 だから考えない。


 けれど選択肢が生まれれば、欲望も具体的になる。


 それは《淫獄》が成長する仕組みにも、少し似ている気がした。


     ◇


 千代は希望を大きく三つに分けた。


 必需。


 生活改善。


 嗜好品。


 必需に近いのは、塩、補修用品、保存に関する物。


 生活改善は、布、糸、針。


 茶葉や娯楽は嗜好品になる。


「茶葉は急ぎません」


 ファステが言う。


「またそう言う」


「事実ですから」


 茶葉がなくても生きられる。


 塩や保存容器の方が、多くの場面で役に立つ。


 ファステの判断は正しい。


 それでも、急がないと言われると、逆に早く買いたくなる。


 いつか茶葉が手に入ったら、最初の一杯を俺と一緒に飲みたい。


 その言葉を思い出す。


 街には茶葉がある。


 価格も分かった。


 まだ買えない物ではなく、次に手を伸ばせるかもしれない物へ変わった。


「……値段は忘れないようにしよう」


「はい」


 ファステが少し嬉しそうに笑った。


 表示は出なかった。


 でも、その時間の意味がなくなるわけではない。


     ◇


 レイナは硬貨を一枚手に取り、光へ透かすように眺めた。


「重さと大きさが揃っていますわね」


「お金なんだから普通じゃないの?」


「同じ価値の硬貨を広い範囲で使うには、作る側と価値を保証する側が必要ですわ」


 表面の刻印を指でなぞる。


 摩耗しているため、細部までは分からない。


 文字らしいものは読めても、それが何を意味するのか判断できなかった。


「統一された貨幣が普通に流通しているのでしたら、かなり広い経済圏があるのかもしれませんわね」


「国家、あるいはそれに近い規模の勢力が存在する可能性は高いの」


 千代が答える。


「これ、どこの国の金なんだ?」


「分かりませんわ」


「帝国とか王国とか?」


「勝手に決めるでない」


 刻印だけで、国名や勢力を断定することはできない。


 今分かるのは、この硬貨を街の人間が普通に使っていることだけだ。


     ◇


 街へ行く前。


 俺にとって街は、自分たちを見つけるかもしれない危険な社会だった。


 誰がいるか分からない。


 どんな決まりがあるか分からない。


 《淫獄》の存在を知られれば、何をされるか分からない。


 その認識が間違っていたわけではない。


 ただ、今は家の中に街の物がある。


 食事へ使われた塩。


 装備と容器を直した補修用品。


 数枚の硬貨。


 物価や仕事に関する情報。


 そして、まだ買っていない茶葉の値段。


「街って、面倒だけど敵じゃないんだな」


 俺が言うと、リゼが手入れした装備を置いた。


「敵になる者がいるかもしれないだけだ」


「その違い、大きい?」


「大きい。街全体を敵と考えれば、何も利用できなくなる」


 知らない社会を、全部危険だと決めつけて避ける。


 それは簡単だ。


 でも、危険な相手がいる可能性と、そこに暮らす全員が敵であることは違う。


「だからといって、警戒をやめるつもりはないぞ」


「それは分かってる」


 次に街へ行く時も、同じ準備は必要だ。


     ◇


 学生らしい若者の噂は、千代の記録で別に扱われた。


 剣を使う若い男。


 目立つ魔法を使う若い女。


「まだ噂だからな」


「うむ。人物の特徴が部分的に重なるだけじゃ」


「神崎たちとは限らない」


 同じような年齢で、剣や魔法を使う者がほかにいても不思議ではない。


 期待も不安も、確定情報として扱うべきではなかった。


 噂は噂。


 次に自然な形で情報を得られた時、少しずつ確認すればいい。


     ◇


 昼の食事にも、ほんの少し塩が使われた。


 縁が料理の匂いに反応し、ファステの近くへ寄っていく。


「これは縁には駄目です」


 ファステが器を遠ざけた。


「塩が入ってるから?」


「身体の大きさも、必要な量も分かりません。今まで問題のなかった物だけにしましょう」


「何なら食べられるんだ、お前」


 縁は料理の匂いだけ嗅ぐと、用意された別の餌へ向かった。


 種族も、食性も、まだ分からない。


 人間がおいしいと感じる物を、そのまま与えるわけにはいかなかった。


     ◇


 食後、俺は共用部屋の床へ座った。


 縁が庭から戻ってくる。


 まっすぐこちらへ来たわけではない。


 途中で別の物の匂いを嗅ぎ、一度ファステの方を見てから、最後に俺の近くへ座る。


 俺はいつものように、手を床へ置いた。


 縁が近づく。


 手の匂いを嗅ぐ。


 ここまでは前にもあった。


 今日は、そのまま顔を少し動かした。


 柔らかい毛が、一瞬だけ俺の指へ触れた。


「……今、触った?」


「縁の方からですわね」


 レイナが声を抑えて答える。


 俺は固まったまま動かなかった。


「今なら触れるんじゃない?」


 ヴィオラが囁く。


「向こうから来たのに、こっちからやって逃げられたら嫌だ」


「慎重だね」


「ここまで来るのに何日かかったと思ってる」


 縁は少し離れ、俺の足元へ座った。


 まだこちらから触る必要はない。


 縁が選んだ距離に、俺が慣れていけばいい。


     ◇


 夕方。


 残った現地通貨をどう扱うか、小さな家計会議が始まった。


 結論は、次の街訪問まで保管すること。


 全部は使わず、緊急時にも使える分を残す。


「初めてのお金なのに、使わない話ばっかりしてる」


「お金って、使える状態で持っていることにも価値があるからね」


 ヴィオラが言った。


「賭け師なのに真っ当なこと言ってる」


「勝負する時に全部張る奴は、長く遊べないよ」


「お前が言うと妙に説得力あるな」


 次の街訪問を、すぐ翌日に行う必要はない。


 今回持ち帰った物を使い、本当に必要な物を確認する。


 仕事の条件や相場も整理する。


 そのうえで、誰が行くのか改めて決める。


 リゼとヴィオラがもう一度行くのか。


 物資を見るためにレイナが加わるのか。


 俺が同行する必要があるのか。


 それは、次の目的が決まってから考えればいい。


     ◇


 夜。


 共用部屋には、塩の入った小さな容器が置かれている。


 補修された道具がいくつかある。


 その近くには、残った硬貨が保管されていた。


 どれも大したものではない。


 塩が少し。


 硬貨が数枚。


 直せるようになった道具がいくつか。


 街へ行った成果としては、小さいのかもしれない。


 それでも、昨日まではここになかった。


 外の世界から持ち帰った小さな物が、食事を変え、道具を変え、これから欲しい物の順番まで変えた。


 昨日まで、なくても暮らせた。


 今日からは、ある方が少しだけいい。


 家というものは、たぶん、そういう小さな物で変わっていく。


 そういうものが少しずつ増えていく場所を、家と呼ぶのかもしれなかった。

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