第61話 待つ方も、仕事だった
リゼとヴィオラが街へ向かう朝。
俺は昨日決めた帰還手順を、もう一度口にしかけた。
「夜斗」
ヴィオラに止められた。
「昨日全部確認したよ」
「分かってる」
「今、同じことを確認してる」
「分かってる」
「今日は夜斗が確認しすぎない練習の日?」
「たぶんそう」
自分でも止められなくなりそうだったので、口を閉じた。
リゼは街用に調整した装備を身につけている。
武器は一本を中心にして、予備は上着に隠れる位置へ収めていた。戦えるが、戦いに来たようには見えない。そのための格好だ。
ヴィオラも、話しかけやすい旅人を意識した姿になっている。
「こちらをお持ちください」
ファステが二人へ水と携行食を渡す。
「帰還が明日になった場合も考え、少しだけ多めにしてあります。ただし、重くなりすぎない量です」
「ありがとう」
リゼが受け取る。
「お帰りになりましたら、すぐに食べられる物を用意しておきます」
「まだ帰る時間も決まってないよ?」
「帰ってこられた時に、何もないよりよいですから」
ヴィオラは少し目を細め、それから携行食を自分の荷物へ入れた。
千代が最後に記録を確認する。
「成果は不要じゃ。危険があれば何もせず戻れ」
「承知した」
「夜斗も、決めた時刻より早く迎えへ出るでないぞ」
「俺にも言うの?」
「そなたが一番守らぬ可能性がある」
否定できなかった。
「では、行ってくる」
リゼが言う。
「行ってらっしゃい」
ファステとレイナが見送る。
「気をつけてな」
俺は《淫獄》の入口を開いた。
二人が境界の向こう側へ進む。
リゼが周囲を確認し、ヴィオラがこちらを振り返った。
「ちゃんと待っててね」
「子供に言うみたいに言うな」
二人の姿が外界へ消える。
安全を確認してから入口を閉じた。
その瞬間、二人がどこにいるのか分からなくなった。
◇
リゼとヴィオラは、既知の経路を使って街の方向へ進んだ。
足跡を残しにくい地面を選び、必要のない寄り道はしない。
人の活動圏へ近づくにつれ、二人は警戒の見せ方も変えた。
周囲を何度も見回せば、かえって怪しまれる。
リゼは危険を確認しながらも、旅人が道を確かめているように振る舞う。
ヴィオラは普段どおりの歩調を維持していた。
「夜斗、今ごろ心配してるかな」
「してるだろうな」
「予定より早く迎えに来たりして」
「千代が止める」
「千代がいなかったら?」
「ファステが止める」
「それでも出ようとしたら?」
「レイナもいる」
「ずいぶん信用がないね」
「信用しているから、止める者を残してきた」
それが分かっているのか、ヴィオラは楽しそうに笑った。
◇
《淫獄》へ残った俺は、普段どおりに過ごそうとした。
まず、食事の片づけを手伝った。
邪魔になった。
次に、千代の記録を見た。
「まだ街へ着く頃でもないぞ」
「分かってる」
庭へ出た。
縁が囲いの近くを歩いていたので、少し眺める。
共用部屋へ戻る。
「まだ早い」
千代が言った。
「何も聞いてないけど」
「顔に書いてある」
外では、何が起きているか分からない。
道に危険なものが出たかもしれない。
街の入口で止められたかもしれない。
俺たちの知らない決まりがあり、その場で帰ることを選んでいるかもしれない。
任せたのだから、今は二人の判断を信じるしかない。
分かっている。
分かっていても、時間が気になった。
◇
街の入口には、数人の人間が並んでいた。
荷物を積んだ者。
徒歩の旅人。
荷役動物を連れた者。
リゼとヴィオラも、その後ろへ並ぶ。
順番が来ると、入口を確認していた男が二人を見た。
「名前は?」
「リゼ・アルノール」
「ヴィオラ・ベル」
「何をしに来た?」
「補給と情報収集だ」
「滞在は?」
「必要な用が済むまで」
ヴィオラが答える。
男の視線がリゼの武器へ向いた。
「武器は?」
「旅の安全のためだ」
「街中で抜くな。問題を起こせば拘束する」
「分かった」
出身地を詳しく尋ねられることはなかった。
武器を預けるようにも言われない。
二人を分断しようとする様子もない。
「通っていい」
事前に決めた撤退条件には、一つも触れなかった。
二人は並んで街へ入った。
◇
縁が俺の近くまで来た。
床へ座っていた俺の足へ身体を軽く預け、そのまま丸くなる。
最近は、この距離を選ぶことが増えている。
俺は触らず、縁が動きたくなるまでそのままにした。
「待つことは、お得意ではありませんか?」
帰還後の食事を準備していたファステが尋ねる。
「何も起きない待ち時間と、何か起きてるかもしれない待ち時間は別だよ」
「そうですね」
「否定してくれない?」
「私も、少し心配ですから」
ファステは手を止めなかった。
食材を分け、水を確認し、二人が戻った時にすぐ食事を出せる状態へ整えている。
「まだ帰ってくるって決まってないのに」
「帰ってこられた時に、何もないよりよいです」
朝にも聞いた言葉だ。
帰還が明日になる可能性もある。
何かを買えるかも分からない。
それでも、戻ってきた時のために用意する。
戻るという約束がなくても、戻れる場所を整える。
セリナが旅立った時にも、似たことを考えた。
「俺も何か準備する?」
「すでに水と治療用品は用意してあります」
「じゃあ何をすればいい?」
「予定の時間まで、こちらにいてください」
待つこと。
それが今日の俺の役割らしい。
◇
街へ入ったリゼとヴィオラは、すぐに仕事を探さなかった。
まず人の流れと道を見る。
食事を扱う場所。
安宿らしい建物。
塩や乾燥食材を並べる店。
縄、布、容器、武具の部品。
ヴィオラは店先の値段と客のやり取りを観察する。
リゼは街の出入口と、警備らしい人間の配置を覚えた。
「塩は、思ったより高くないね」
「私たちが一日に稼げる額が分からない」
「だから仕事を見る」
荷運びを募集している場所を見つけても、二人はすぐには引き受けなかった。
運ぶ物。
量。
距離。
終了条件。
報酬。
ヴィオラが一つずつ確認する。
リゼは積まれた荷物を見て、自分で運べる量か判断した。
「受けるかい?」
仕事を出している女が尋ねる。
「やる」
リゼが答えた。
「私も?」
「お前は交渉役だろ」
「荷物を運ばない交渉役にも報酬は出る?」
「数の確認と仕分けを手伝うなら出すよ」
「先に聞いてよかった」
二人は提示された条件で、短時間の仕事を引き受けた。
◇
リゼが運び、ヴィオラが荷物の種類と数を確認する。
乾燥食料。
縄。
補修用の金具。
水袋。
簡単な武具部品。
仕事をしながら、周囲の会話も自然に耳へ入る。
「また入口の巡回があったらしい」
「今は最低だろ?」
「最低でも見回りは必要だ。外へ出てからじゃ遅い」
近隣の地下入口の話だろう。
別の者たちは、最近訓練へ参加している若者について話していた。
「この辺じゃ見ない連中だ」
「剣を使う若い男がいるって?」
「魔法の派手な女もいるらしい」
ヴィオラの手が一瞬だけ止まった。
リゼと視線を合わせる。
「追わない」
リゼが低い声で言った。
「まだ何も言ってないよ」
「言う前に止めた」
二人で決めた条件の一つ。
学生らしい人物を見つけても、その場では追跡も接触もしない。
そもそも、噂の人物が夜斗の知る学生かどうかも分からない。
二人は仕事へ戻った。
◇
昼を過ぎたころ、俺は外へ出たくなっていた。
第一帰還地点で待っていた方が、少しでも早く二人を確認できる。
予定より早く着いて困ることもないのではないか。
「迎えへ出るには早い」
千代に止められた。
「少しくらい早くてもいいだろ」
「理由は?」
「……先に着いて待てる」
「予定より早く迎えへ出る理由にはなっておらぬ」
「でも、二人が早く戻るかもしれない」
「その場合も、決めた時間帯までは安全な場所で待つ方針であろう」
全部、昨日決めた。
早く迎えに行けば、俺が外で待つ時間が増える。
危険に遭遇する可能性も上がる。
「なら待て」
「簡単に言うな」
「簡単ではないから、そなたの役割なのじゃ」
外へ出たいわけではない。
二人の無事を確認したい。
そのために、自分で決めた計画を破れば意味がなかった。
「……分かった」
俺は共用部屋へ戻った。
◇
仕事が終わると、リゼとヴィオラは約束どおりの報酬を受け取った。
大金ではない。
それでも、夜斗たちが初めて自分たちの手で持ち帰る現地通貨になる。
「やっと買い物できるね」
「全部使うな」
「優先順位は覚えてるよ」
まず、少量の塩。
次に、武器や道具の補修へ使える最低限の用品。
丈夫な縄も確認したが、今回は値段を記憶するだけにした。
布、糸、針も同じ。
茶葉を扱う店も見つけた。
ヴィオラが足を止める。
「値段くらい見る?」
「ああ」
最低量なら、今の報酬でも買えなくはない。
しかし購入すれば、硬貨のほとんどがなくなる。
「今回は買わない」
リゼが言った。
「ファステ、少し残念がるかな」
「急がないと言っていた」
「夜斗は買いたがりそうだけどね」
「だから私たちが判断する」
目的は、街の様子と相場を確かめることだ。
二人は茶葉を買わず、価格だけ覚えた。
◇
予定した時間帯が近づく前に、二人は街を出た。
「もう少し見たかったな」
「予定どおり帰る」
「分かってる」
街から第一帰還地点へ直接向かわない。
一度別の方向へ進み、周囲の視線と足跡を確認する。
誰かが追っている様子はない。
それでも経路を変え、時間をかけて帰還地点へ近づいた。
準備したことを、本番でも省略しない。
◇
太陽の位置が、決めていた範囲へ入った。
「行ってくる」
俺は《淫獄》の入口を開き、外へ出た。
「決めた範囲を越えるでないぞ」
「分かってる」
「無理に探さないでください」
「それも分かってる」
入口を閉じ、第一帰還地点へ向かう。
昨日歩いた道だ。
距離も分かっている。
危険なものは見当たらない。
それでも、一人で外を歩くと普段より遠く感じた。
第一帰還地点へ着く。
二人はまだいない。
周囲を確認する。
物音なし。
人影なし。
太陽を見る。
まだ予定の範囲内だ。
「遅くない」
自分へ言い聞かせる。
待つ。
風が木々を揺らす。
遠くで鳥が鳴く。
もう一度太陽を見る。
まだ待てる。
それでも、頭の中では悪い可能性ばかりが増えていく。
街へ入れなかった。
仕事中に問題が起きた。
尾行された。
帰り道で何かに遭遇した。
第二帰還地点へ向かっている。
確認したくても、俺は決めた範囲から出られない。
その時、茂みの向こうから音がした。
足音。
俺は身構える。
「夜斗」
リゼの声だった。
二人が、木々の間から姿を現す。
「遅い」
「予定の範囲内だ」
「心配してた?」
ヴィオラが笑う。
「してない」
「即答が早すぎるね」
「とにかく、無事ならいい」
◇
すぐには《淫獄》を開かない。リゼとヴィオラが手分けして周囲を確かめる。
「尾行なし」
「今度は本当」
「前の冗談、まだ覚えてるからな」
「意外と根に持つね」
追ってくる人影も、不自然な音もない。
俺は《淫獄》への入口を開く。
三人で境界を越えた。
◇
「お帰りなさいませ」
ファステの声を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
千代とレイナも共用部屋で待っていた。
縁が少し離れたところから二人を見る。
リゼとヴィオラが荷物を下ろした。
少量の塩。
補修用品。
残った硬貨。
どれも小さなものだ。
それでも、俺たちが初めて街から持ち帰った品だった。
「塩ですか?」
ファステの表情が明るくなる。
「ああ。少量だが」
「十分です。ありがとうございます」
レイナは補修用品の作りを確認する。
千代は、仕事の条件、得た報酬、物価、街の入口で尋ねられたことを記録していった。
「茶葉もあったよ」
ヴィオラがファステへ言う。
「今回は値段を見ただけだ」
「はい。それで十分です」
ファステは残念そうな顔をしなかった。
茶葉が本当にある。
値段も分かった。
今すぐではなくても、いずれ買える。
それだけで約束はまた少し現実へ近づいた。
「学生らしい若者の噂も聞いた」
空気が変わる。
「この辺りでは見ない若い連中が訓練しているらしい。剣を使う男と、目立つ魔法を使う女の話があった」
「本人たちか?」
「分からん」
リゼははっきり答えた。
「確認にも行っていない。約束どおりだ」
「それでいい」
気にならないわけではない。
それでも今回は、それでいい。
◇
「結局、かなり持って帰ってきたな」
塩、補修用品、硬貨、相場、仕事、街の地理、学生らしき噂。
何も得られなくても成功だと決めていた。
結果として、二人は多くのものを持ち帰った。
「無理はしていない」
リゼが言う。
「賭け事もしてない」
「そこは褒めない」
「少しくらい褒めてもよくない?」
二人は自分で判断し、予定どおり帰ってきた。
俺の代わりに外へ出て。
俺の見えない場所で、決めた条件を守って。
秘密を持ち出すこともなく、無事に戻った。
『《淫獄石》を85個獲得しました』
『所持《淫獄石》:1,985』
「帰ってきただけで出た?」
ヴィオラが表示を見る。
「だけ、じゃないんだろ」
任せた。
待った。
約束どおり帰ってきた。
その全部に、俺が反応した結果なのだと思う。
◇
夜。
街から持ち帰った塩と硬貨が、共用部屋に置かれていた。
外の世界の物が、初めてこの家へ入ってきた。
俺は街へ行かなかった。
それでも、街の塩がここにある。
街の硬貨がここにある。
街で起きたことを、俺は二人から聞いている。
自分が行かなくても、物事は進む。
でも、自分が何もしなくても進むわけではない。
目的を決める。
任せる。
待つ。
迎えに出る。
帰ってきたものを受け取る。
そこまで含めて、たぶん俺の仕事だった。




