第59話 俺、本当に行く必要ある?
街へ行くための準備を始めて、最初に分かったことがある。
俺の荷物だけ、用途が曖昧だった。
「水、携行食、布、治療用品、予備の縄。それから外套か」
共用部屋の床へ並べてみる。
地下探索の準備に比べれば少ない。それでも、日帰りの外出としては十分な量に見えた。
隣では、リゼが武器の位置を調整している。
街へ入ることを考え、普段より目立たない形にしているらしい。ただし、すぐ戦える位置は維持していた。
ヴィオラも腰の小袋を確認している。
中に入っているのは、例のコイン一枚だけだ。
現地で使える硬貨ではない。それでも本人にとっては必要らしい。
「夜斗は、街で何を担当するの?」
ヴィオラに聞かれた。
「最終判断」
「具体的には?」
「危なくなった時に帰るとか」
「それ、先に条件を決めるんじゃなかった?」
「……そうだった」
街で問題が起きた場合、その場で解決しようとせず撤退する。
前の話し合いで、すでにそう決めている。
「ほかには?」
「学生らしい人がいたら確認するとか」
「今回は探し回らないのであろう?」
少し離れたところで記録を整理していた千代が、顔を上げずに言った。
「それもそうだった」
「夜斗様でなければできないことが、ほかにもあるのではないでしょうか」
ファステが助け舟を出してくれた。
考えてみる。
街の物価を見る。
俺には相場が分からない。
仕事を探す。
交渉ならヴィオラの方が向いている。力仕事ならリゼの方が役に立つ。
街の危険を判断する。
それもリゼだ。
布や生活用品の品質ならレイナの方が詳しい。
「……ないかもしれない」
「正確な自己評価は大切じゃ」
「千代、その言い方だと俺が必要ないみたいに聞こえる」
「必要であることと、あらゆる場所へ同行することは別じゃ」
床へ並べた自分の荷物を見る。
水。
携行食。
縄。
外套。
必要な物ではある。
ただし、俺が持つ必要があるかは別だった。
◇
「俺、本当に行く必要ある?」
口にすると、共用部屋が静かになった。
リゼが装備から手を離し、俺を見る。
「怖くなっただけなら、そう言え」
「怖いよ」
そこは否定できない。
「人の多い場所へ行くのは嫌だ。知らない奴と話すのも嫌だし、変なところで注目されるのも嫌だ」
「正直だね」
「でも、行きたくないから理由を作ってるのか、本当に俺がいない方がいいのかは分けたい」
外へ出たくない。
できるなら一日中、《淫獄》の自分の場所で過ごしたい。
そんな俺の都合を、共同体の判断らしく言い換えているだけなら駄目だと思う。
けれど、俺が街へ行くことで増える危険もある。
俺は《淫獄》の主だ。
スキルのことを知っている中心人物でもある。
もし捕まったり、深く身元を調べられたりすれば、隠すべき情報が一番多い。
「俺が行っても戦えるわけじゃない。交渉もヴィオラの方が向いてる。危険判断はリゼの方ができる」
二人を見る。
「しかも問題が起きたら、その場で解決せず帰る予定だろ」
「ああ」
リゼが頷く。
「だったら、俺まで街へ行く意味って何だ?」
「外へ出たくないという気持ちがあるだけで、その判断のすべてが間違いになるわけではありませんわ」
レイナが静かに言った。
「欲望を除いて判断できる者などおらぬ」
千代も続ける。
「必要なのは、己が何を望んでいるかを自覚したうえで決めることじゃ」
外へ出たくない。
それは事実だ。
だが、その事実だけで、残るという選択まで間違いになるわけではない。
◇
「夜斗様が残られるのでしたら、《淫獄》側にもできることがございます」
ファステが、床に置かれた荷物を一つずつ戻しながら言った。
街へ行った者が戻る予定を管理する。
帰還地点へ迎えに出る。
《淫獄》への入口を開く。
帰還後の報告を受け、次の方針を決める。
留守番組と一緒に、食事や水、応急処置の準備もできる。
「全員で外へ出るより、戻る場所に誰かいた方がいいか」
「妾も残るが、そなたにしか開けぬ入口がある」
千代が言う。
「街組を迎え入れる役割は、そなたにしか担えぬ」
「俺、戦力にはならないけど留守番には向いてるな」
「誇るところ?」
「適性を見つけたと言ってくれ」
ヴィオラは笑ったが、否定はしなかった。
セリナのことが、少しだけ頭に浮かぶ。
セリナは俺が一緒にいなくても、街へ入った。
仕事を見つけ、金を稼ぎ、物資を確認し、ダンジョンに関する情報まで持ってきた。
それだけが理由ではない。
セリナが俺を変えようとしたわけでもない。
ただ、自分が行かなければ何も進まないわけではないと知る材料の一つにはなった。
「王がすべての場所へ出向く必要はない」
千代が言った。
「外へ出ない王って、それでいいのか?」
「出ぬことと、出られぬことは違う」
千代は俺をまっすぐ見る。
「任せることと、何も見ぬことも違う」
出発前に目的を決める。
誰へ任せるかを選ぶ。
越えてはいけない線を共有する。
帰ってきた者から話を聞く。
最後の判断を引き受ける。
「……そういうのも王の仕事?」
「少なくとも、何も考えず玉座へ座っているよりはな」
「玉座ないけど」
「今はの」
将来できる前提で言わないでほしい。
◇
俺が外へ出る必要がなくなったわけではない。
《淫獄》の能力を、その場で使わなければならない時。
俺にしかできない判断が必要な時。
学生本人との対話が目的になった時。
外界側と正式な関係を結ぶ時。
《淫獄》の存在を明かすかどうか決める時。
そういう場合は、俺自身が出る必要がある。
「必要になれば連れていく」
リゼが言った。
「連れていかれる側なの?」
「戦えない王だからね」
「事実だけど、言い方があるだろ」
今回は違う。
初めて街へ入れるか確かめ、仕事や物資の相場を見るだけだ。
問題があれば帰ってくる。
それなら、リゼとヴィオラの二人が一番いい。
「信用されてない?」
ヴィオラが尋ねた。
「どの部分についてだ?」
「私が賭け事へ寄り道すると思ってるところ」
「される行動をしろ」
リゼが即答した。
「ほら、止める人もいる」
「止められる前提で話すな」
二人なら役割が明確だ。
リゼが危険を見る。
ヴィオラが人を見る。
人数が少なければ、動きやすく、目立ちにくい。
「わたくしも必要でしたら同行いたしますわ」
レイナが言った。
「布や縫製品、生活用品でしたら、品質を見るお手伝いはできます」
それは大きい。
ただし、初回から人数を増やせば、その分だけ目立つ。
護衛する対象も増える。
「最初は二人でいいと思いますわ。わたくしが必要かどうかも、街を見てから判断できますもの」
「じゃあレイナは、二回目以降の候補で」
「ええ」
初回街訪問者は、リゼとヴィオラ。
まだ出発日は決めない。
まずは、二人へ任せる範囲を固める。
◇
「街にも撤退条件を作る」
リゼの提案で、千代が新しい記録を用意した。
地下用とは別だ。
身元を深く探られたら退く。武器を理由もなく預けさせられたり、二人を分断されたりしそうになった場合も同じだ。
尾行、争い、予定外の誘導についても、調べるより離脱を優先する。判断が割れたら安全な方を選び、予定時間を超えたら成果がなくても帰る。
「結局、条件は地下の時と同じくらいあるな」
「命が一つしかないからじゃ」
「前にも聞いたな、それ」
「命の数が増えておらぬからの」
街では、魔物が敵の姿をしているとは限らない。
そもそも敵がいるとも限らない。
だからこそ、危険かどうか分からない段階で戻る条件が必要だった。
「迷ったなら帰れ」
千代が言う。
「地下と同じ結論だな」
「危険の形が違うだけだ」
リゼが記録を確認する。
現地で危険を感じた場合は、仕事も買い物も情報収集も、二人の判断で中止してよいことにした。
「危ないと思ったら、俺への確認はいらない」
そもそも現地から確認する方法がない。
「何も得られなくても、二人で帰ってきたなら失敗にはしない」
「分かった」
リゼが答える。
持ち帰る物で最も大切なのは、二人自身だ。
次に、街への出入りと帰路に関する情報。
外から来た者がどんな扱いを受けるか。
仕事、物価、物資。
学生については、自然に情報を得られた場合だけ。
「塩も茶葉も、なくても今日死ぬわけじゃない」
「はい。お二人が無事に戻ることが最優先です」
ファステが頷く。
「賭け事も?」
「当然だ」
「残念」
◇
最大の問題は、帰り方だった。
俺が街へ同行しなければ、リゼとヴィオラは好きな場所から《淫獄》へ帰れない。
セリナにも伝えたように、俺たちが近くにいなければ外から迎え入れることはできない。
「まず、街道から外れた場所に第一帰還地点を決める」
リゼが簡易図を指す。
周囲から見えにくく、逃げ道があり、街からもダンジョン入口からも少し離れた場所。
そこを第一候補にする。
第一地点が使えない場合に備え、第二帰還地点も決める。
「時間はどうする?」
「正確な時計がないから、太陽で見るしかないね」
ヴィオラが窓の外を見る。
日没前の一定時間帯。
俺はそれに合わせ、第一帰還地点の近くまで迎えに出る。
二人が来なければ、事前に決めた範囲だけ確認する。
それでも合流できない場合は、決めた経路で第二地点へ移る。
「俺が探しに行くのは?」
「なしだ」
リゼが即答した。
「遅れている理由が分からないのに、お前一人で街方向へ来れば、危険を増やすだけだ」
「でも二人が帰ってこなかったら」
「私たちは安全を優先する。必要なら街側で一晩待つ」
日帰りに固執しない。
帰還時間へ間に合わせるため、危険な道を急いで戻る方がまずい。
「翌日になっても来なかったら?」
「それはその時の状況に合わせ、次の判断をする」
千代が言った。
「今の段階で、そなたが単独で深追いせぬことだけは決めておけ」
第一地点にも、第二地点にも二人が現れない。
その場合、俺は《淫獄》へ戻る。
不安だからといって、一人で街まで探しに行かない。
「待つ方がつらそうだな」
「だから役割なのだろう」
レイナの言葉に、すぐ返事ができなかった。
俺の外出が完全になくなるわけではない。
街まで同行する代わりに、帰ってくる二人を迎えるため、決めた範囲まで出る。
遠くへ行く外出から、戻る者を迎えるための短い外出へ。
それでも、十分に役割はある。
◇
残る側の仕事も決まった。
千代は行動計画と記録を管理する。
ファステは、帰還後の食事と水、必要なら応急処置の準備。
レイナは持ち帰った物の品質を確認し、街で得た情報を整理する。
俺は帰還予定を管理し、二人を迎え、報告を聞いた後の判断を引き受ける。
縁は留守番だ。
何かを感じ取る能力があるかもしれないという理由だけで、外へ連れ出すことはしない。
役割が決まっても、不安は消えなかった。
むしろ自分が同行しないと決めたことで、別の不安が生まれた。
自分で行けば、その場で何が起きているか見える。
危険を確認できる。
判断にも口を出せる。
見えない場所へ二人を送り出し、ここで待つ方が怖いのかもしれない。
でも、全部を見るために、全員の行動へついていくことはできない。
「俺が行かなくても、本当に大丈夫か?」
リゼとヴィオラへ聞いた。
「問題が起きれば戻る。決めた条件も守る」
リゼは迷わなかった。
「夜斗がいないからって、勝手をするつもりもないよ」
「お前が言うと少し不安だな」
「信用は、賭けてみないと増えないんじゃない?」
「人の安全で賭けるな」
「じゃあ、任せてみないと増えない」
言い直されると、反論しづらい。
「……分かった。二人に任せる」
「ああ」
「任された」
同じ言葉なのに、二人の返し方はまったく違った。
でも、それでいい。
◇
話し合いが終わるころ、縁が俺のそばまで来ていた。
床に座った俺の足元で一度止まる。
俺はゆっくり手を下ろした。
触ろうとはせず、床の上へ置くだけにする。
縁が鼻先を近づけた。
手の匂いを嗅ぐ。
俺は動かない。
少しして、縁は逃げずにその場へ座った。
「留守番仲間が増えたね」
ヴィオラが言う。
「俺は必要があって残るんだよ」
「縁もそうかもしれぬぞ」
「縁は何を担当してるんだ?」
千代が縁を見る。
「場を和ませることかの」
「俺より役に立ってない?」
「比較する必要はございません」
ファステが慰めてくれた。
たぶん慰めだった。
◇
初回の街訪問者はリゼとヴィオラ。俺は同行せず、予定された時間帯に帰還地点まで迎えに出る。
二人の目的は、街への出入りと物価を確かめ、可能なら短期仕事で現地通貨を得ること。成果より帰還を優先する。
ただし、今日出発するわけではない。
装備と経路をもう一度確認し、実際の出発日はその後に決める。
◇
夜。
自分の空間へ戻り、用意していた街行きの荷物を片づけた。
外へ出なくて済む。
そう思うと、少し安心した。
同時に、自分の見えない場所へリゼとヴィオラを送り出すことを考えると、胸の奥が落ち着かない。
外へ出ないことなら、昔から得意だった。
でも、今度は誰とも関わらないために残るわけじゃない。
外へ出る二人が、帰ってこられる場所を守るために残る。
見た目は同じでも、たぶん少し違う。
俺が行かなければ、何も進まないわけではない。
だからといって、何もしなくていいわけでもない。
任せて、待って、帰ってきた話を聞く。
それも王の仕事だと言われたら、少しだけ俺向きな気がした。




