第56話 待ってる間にも、暮らしは進む
「同じ時刻に行けば、同じものしか見えぬ」
朝食後、千代が巡回記録を見ながら言った。
「今日は少し遅めに行く」
「巡回者より、こっちの生活が巡回中心になってきたね」
「嫌な言い方するな」
出発までには時間がある。
待っている間、何もしないわけではなかった。
◇
「探索が長くなるなら、今のままでは足りません」
ファステが並べていたのは、乾かした食材と加熱済みの物だった。
持ち運べる。すぐ食べられる。だが密閉できる容器がなく、塩も少ないため、長くは保たない。
「長くしない予定だけど」
「予定どおりに戻れない時のためです」
反論できなかった。
快適に暮らすために覚えたことが、今は安全に帰るための準備になっている。
庭の試験区画には、採取してきた植物候補が少しずつ並んでいた。
食べられるかもしれない物。繊維に使えるかもしれない物。香りが強い物。保存に役立つ可能性がある物。
まだ、どれも「かもしれない」段階だ。
「最初は庭ができただけで満足してたのにな」
「使ってみると、欲しいものが増えますね」
ファステは少し楽しそうに答えた。
◇
「実用だからといって、何でもよいわけではありませんわ」
レイナは、探索装備を整えた際に使った布と留め具を確かめていた。
「そこまで?」
「毎日使うものほど大切です。留め方が悪ければ動きにくくなりますし、肌へ触れる部分が粗ければ傷にもなります」
見た目だけではないらしい。
布の質、汚れにくさ、着心地。ファステが使い方を考え、レイナが素材と仕上がりを見る。
誰かが命じた役割ではない。
千代の前にある記録も増えていた。
食料。採取場所。地下入口。巡回。応急処置用品。備蓄。
「なんか管理項目、増えてない?」
「人が暮らせば増える」
「六人と一匹しかいないのに」
「六人と一匹もおる」
言い直されると、急に多く感じる。
ファステは食事と日常生活、植物。
リゼは外の安全と戦闘、探索。
レイナは品質、衣服、生活用品。
千代は記録、備蓄、計画。
ヴィオラは情報、観察――。
「私だけ最後に遊びが入りそうな顔してない?」
「自分で入れただろ」
「娯楽も共同体には必要だよ」
「それ自体は否定できぬ」
「ほら」
「賭け事まで必要とは言ってない」
いつの間にか、得意なことをそれぞれが担っている。
「俺、仕事を割り振った覚えないんだけど」
「得意な者がやっておるだけじゃ」
「必要なら手伝う。固定された役目でもない」
リゼが装備を締めながら言った。
命令して作った組織ではない。
必要なことを、自分で選んだ者がやっている。
それでも、最初の灰色の部屋に比べれば、ここはずいぶん複雑な場所になった。
◇
出発の時間になり、上着を取ろうとした。
その上に縁が座っていた。
「それ、今から使うんだけど」
縁は動かない。
「取れば?」
「逃げるだろ」
仕方なく、別の荷物から使える布を探す。
その間に縁は身体を丸め、目を閉じた。
「……寝た」
「安心しているのではないでしょうか」
ファステが声を潜める。
「甘やかしてないか?」
「せっかく自分から近くに来るようになったのに、追い払うの嫌だろ」
「親みたいになってきたね」
「違う」
結局、縁を起こさず別の布を使った。
◇
今回も、外へ出たのは俺、リゼ、ヴィオラの三人だった。
前回とは違う時間。違う観察地点。
入口から離れ、足跡が残りにくく、逃げ道を確保できる場所を選ぶ。
待っている間、入口とは別方向に古い踏み跡が見えた。小動物の足跡と、誰かが植物を採ったらしい跡もある。
「あれ――」
「今日は巡回を見る日だ」
「分かってる」
リゼに先回りされた。
◇
しばらくして、巡回者が現れた。
今回は二人。
前に見た者と同じかは分からない。装備の形式は似ているが、一人が持つ武器の形が違った。
標識を確認する。入口を見る。周囲の地面と植物を調べ、記録を残す。
今回も地下へは入らなかった。
「前回と完全に同じじゃない」
「でも、やることは似てる」
「二回分になっただけだ」
リゼの言う二回は、時刻、人数、滞在時間まで意識して記録した回数だ。
巡回者そのものを見たのは、最初の偶然の目撃を含めて三回目になる。
最初の目撃。前回の観察。そして今日。
三回とも行動は似ているが、完全に同じではない。規則がありそうには見えても、まだ周期は決められなかった。
二人が去ってからも、十分に時間を置く。
「帰るか」
立ち上がろうとしたところで、リゼが手を上げた。
「待て。もう一人来る」
再び身を伏せる。
管理側の追加巡回かもしれない。
森の別方向から、一人の成人女性が歩いてきた。
軽装。旅装。周囲を確かめながら進む、見覚えのある歩き方。
「……あれ」
「知ってる人?」
顔が見える。
「セリナだよな?」
「ああ」
「戻ってきた?」
「いや、ここ《淫獄》じゃないぞ」
◇
セリナは一人だった。
巡回者も兵士も連れていない。
入口へ入ろうともせず、まず周囲を見た。それから管理標識へ近づき、表示と地下入口を交互に確認する。
セリナが街で何を聞いたのか、俺たちは知らない。
ただ、地下へ入るつもりで来たようには見えなかった。
標識を読み終えたセリナが、わずかな物音に顔を上げる。
風とは違う。
動物とも少し違う。
「……そこにいるの、誰?」
◇
隠れ続ける意味はなくなった。
「どうする?」
「敵じゃない」
「隠れ続ける方が、後で面倒じゃない?」
リゼとヴィオラの言葉を聞き、俺は姿を見せた。
「俺」
セリナが目を見開く。
「……夜斗?」
「こんなところで何してるの?」
「それ、こっちの台詞なんだけど」
「面白くなってきたね」
「お前は黙ってろ」
街を避けて。
巡回者を避けて。
地下の音まで避けて。
その結果、入口の前で会ったのは、旅立ったはずの住民だった。
セリナは、少しも帰ってきた顔をしていなかった。




