第53話 最低危険度は、安全じゃない
街を出るなら、今日でもよかった。
方角は決めていない。行きたい場所が見つかってから決めればいい。
ただ、携行食はもう少し欲しい。街のことも、まだ知らないことが多い。
茶葉を買うには、手持ちの硬貨も少し心細かった。
「今日一日くらいなら、明日の私にも怒られないでしょ」
そう決めて、セリナは朝の通りへ出た。
定住するつもりはない。
出発を一日遅らせることと、ここへ住むことは別だった。
◇
見つけたのは、倉庫から荷を運び出す短期仕事だった。
働く時間、運ぶ量、報酬を先に確認する。
「前にも似た仕事をしたことがあるのか?」
「似た仕事なら。働いたあとで報酬を決めると言われるより、先に聞いた方が楽でしょう?」
「違いない」
雇い主は苦笑し、条件を説明した。
倉庫には乾燥食料や縄、水袋が積まれていた。ほかにも補修用の金具、簡素な武具の部品、油を入れた小さな容器がある。
旅人向けの品にしては、同じ物がまとまりすぎている。
「これ、旅人じゃなくて探索する人向け?」
セリナが縄の束を持ち上げると、一緒に働いていた男が頷いた。
「一部はな。巡回組に回す分もある」
「巡回?」
「近くの地下入口だよ」
セリナは荷物を下ろさず、そのまま続きを待った。
◇
「ああいう入口って、全部見張ってるの?」
次の荷を運びながら聞く。
「全部かどうかは知らん。けど、まともに国が動いてる場所じゃ、放っとかないだろ」
男とは別の、年かさの女性が口を挟んだ。
「魔物が出てくるからね。近くに人が住んでるなら、なおさらさ」
「入る人を見張るためじゃないの?」
「それもあるだろうけど、出てくる方が問題だよ」
地下入口は、探索者が入っていく場所であると同時に、向こう側から何かが出てくる場所でもあるらしい。
だから標識を置き、巡回し、異常がないか確かめる。
「危険度も付いてる」
「危険度?」
「今つながってる先が、どれくらい危ないかって目安だ」
「最低なら安全?」
二人が同時に首を振った。
「最低だって魔物はいる」
「安全なら巡回なんかしないよ」
聞き覚えのある理屈だと、セリナは思った。
人がいるから安全とは限らない。危険が低いから、安全とも限らない。
「今は何がいるの?」
「グール系が中心だ」
「強い?」
「上の連中と比べりゃ大したことはない。数も今のところ極端には多くない」
男はそこで顔をしかめた。
「噛まれりゃ危ないし、まとまって来られると面倒だ。何より汚い」
「倒して稼げないの?」
「稼げないから人気がないんだよ」
◇
休憩中も話は続いた。
現在つながっている場所には、価値の高い鉱石がほとんどない。薬草も少なく、グールから取れる物も高くは売れない。
「死ぬほど危険じゃない。だからって、わざわざ入るほど儲からない」
「危険度は低い。稼ぎも低いってことさ」
年かさの女性が水を飲みながら付け加えた。
「巡回する側には、人気なんて関係ないけどね」
「中はどんな感じ?」
「入口から石段と前室までは、いつも大して変わらん。その先だ」
男が床へ指で線を引いた。
地上の入口。下へ続く石段。管理に使われる小さな前室。
そこまでは基本的に同じ場所に残る。
変わるのは、その先だという。
「今は、その前室の奥がグールのいる区画へつながってる」
「道なのに、行き先が変わるの?」
「そういう場所だ」
接続先が変われば、出てくる魔物も、危険度も、採れる物も変わる。
過去の記録から変わりそうな時期を予測することはできても、完全には当てられない。次にどこへつながるかも、開いてみるまで分からないことが多いらしい。
「今の入口は、次に変わるのが2か月くらい先だったか?」
「予測ではね。早まることも遅れることもあるよ」
「その前に急に変わることも?」
「だから巡回するんだ」
昨日まで安全だった道が、今日も同じとは限らない。
古い地図だけを信じて歩かないのは、旅でも同じだった。
「グールって、近づいたら分かる?」
「臭いで分かることもあるが――石床を、ずるずる歩く音がするだろ」
男が片足を引くように動かした。
「最初は何かを引きずってるのかと思うんだよな。音だけ聞くと嫌な感じだ」
「気持ち悪そうね」
セリナはそれだけ答えた。
◇
午後も荷を運んだ。
重い物は二人で持つ。持ちにくい箱は縄を掛け、無理に腕だけで持ち上げない。
途中、別の荷運び人が話していた。
「最近、巡回や訓練に若い連中が混じってるらしいな」
「どこの?」
「知らん。この辺じゃ見ない雰囲気だって話だ」
それ以上の情報はなかった。
セリナも追及しない。
噂は、聞いた時点では噂でしかない。答えを急いで決めれば、次に見るものまでその答えへ合わせてしまう。
◇
仕事を終えると、約束どおり報酬を受け取った。
携行食を増やしても、少し余る。
市場の茶葉を見に行く。
最低量なら買えた。
買えば、ファステは喜ぶかもしれない。
けれど、旅立った後に何が必要になるかは分からない。次の街ですぐ仕事が見つかる保証もない。
セリナは茶葉と手の中の硬貨を見比べ、硬貨をしまった。
「今日買えることと、今日買うことは別」
買わない自由も、自分で選んだものだった。
◇
夜。安宿の寝台で、今日聞いた話を思い返す。
地下入口は管理されている。
最低危険度でも、安全ではない。
近くの入口は今、グール系の区画へつながっている。
危険度は低いが、資源価値も低い。探索者には人気がなくても、魔物が外へ出ないよう巡回は必要になる。
固定された入口と前室の先で、行き先そのものが変わる。
次の変動予測は、およそ2か月後。ただし前後する可能性がある。
知っておいて損はない。
それでも、明日どこへ行くかはまだ決めなかった。
危険度が低いから、安全とは限らない。
行き先が昨日と同じだから、明日も同じとは限らない。
旅を続けるなら、知っていることより、変わることの方を忘れない方がいい。
セリナは目を閉じた。
明日の行き先は、明日の自分が決めればよかった。




