第49話 旅人は、まず稼ぐ
欲しい物は、見つけた。
食料。
布と糸。
丈夫そうな縄。
大小の容器。
刃物や、道具を直すための金属部品。
それから、茶葉に似た香りのする乾燥した葉。
昨日と同じ通りを歩きながら、セリナは店先へ並んだ品を一つずつ眺めた。
どれも旅に役立つ。
あの家へ持って帰れば喜ばれそうな物もある。
しかし、手元に現地の硬貨は一枚もなかった。
「見つけても買えないなら、まだ手に入れたことにはならないわね」
品物があると分かっただけでも収穫ではある。
けれど、今必要なのは眺めることではない。
この街で使える物を得る方法だった。
◇
セリナはすぐに仕事を探さなかった。
最初に見たのは、金の動きだった。
食べ物を受け取った客が、銅色の小さな硬貨を何枚渡すのか。
水や簡素な飲み物には、どれくらい使うのか。
荷運びを終えた者が受け取る硬貨と、休憩中に使う硬貨の差。
宿らしい建物へ入る者が、手の中で何を数えているのか。
銅色の物より価値が高そうな、別の色の硬貨もあった。
だが、その名も、正確な価値も分からない。
客と店主のやり取りを何度か見ただけで、すべてを理解した気になるのは危険だった。
「相場を知らずに働くと、安く使われるのよね」
旅の途中で、似た失敗をした者を見たことがある。
腹を空かせた旅人へ、食事を出すからと一日中働かせる者。
土地の値段を知らない相手へ、わずかな報酬を大金のように見せる者。
全員が悪人ではない。
だからこそ、自分の身は自分で守る必要がある。
自由に旅を続けたいなら、知らないまま頷いてはいけない。
◇
昼が近づく頃、通りの端に荷が積まれ始めた。
木箱。
布袋。
乾燥させた植物を束ねた物。
荷を運んでいた者が、周囲を見回して声を上げる。
「手の空いてる奴はいないか。向こうの倉まで運べば払うぞ」
何人かが振り向いた。
セリナも近づいたが、すぐ荷物には触れなかった。
「どれくらい運ぶ?」
声をかけた者がセリナを見る。
「ここにある分だ」
「どこまで?」
「通りを二つ越えた先の倉だ」
「何人で?」
「今いる連中と、お前が入れば足りる」
「終わったらいくら?」
そこで相手の眉がわずかに動いた。
「細かいな」
「働いたあとで決めると言われるよりいいでしょう?」
「違いない」
提示されたのは、小さな銅色の硬貨が数枚。
先ほど観察した範囲なら、簡単な食事と、保存の利く安い食べ物を少し買える程度だった。
寝床にも回せるかもしれないが、両方を十分に得られるほどではない。
「荷を全部、指定された倉へ運び終えたら、その枚数ね?」
「壊した分は引く」
「最初から壊れている物は?」
「……先に一緒に見る」
「それならやる」
条件を確認してから、セリナは荷物へ手を伸ばした。
◇
木箱は見た目ほど重くなかった。
反対に、小さな布袋の一つは持ち上げた瞬間、腕へ重みが集中した。
「それを上に積むの?」
セリナが尋ねると、別の運び手が振り返った。
「小さいだろ」
「小さいけど重い。下に置いた方が崩れない」
袋を下へ。
軽い木箱を上へ。
乾燥した植物の束は押し潰さないよう、最後に載せる。
種類の違う荷を同じ縄で乱暴に縛ろうとした者には、濡らしたくない物を分けるよう言った。
縄が緩んでいた場所は、引けば締まる形へ結び直す。
「慣れてるな」
雇い主が言った。
「運べない荷物を持たされたら、旅じゃ死ぬからね」
「大げさだな」
「水も食料も全部自分で運ぶ道を歩けば分かるわ」
一度で多く運べば、早く終わるように見える。
だが、転んで荷を壊せば報酬が減る。
腕を痛めれば、明日から自分の荷物すら持てない。
セリナは持てる分だけを持ち、確実に往復した。
力任せに大きな箱を抱えた者より歩みは速くない。
それでも休む回数が少なく、荷を置く手間も少ない。
二度目の往復からは、ほかの運び手もセリナの積み方を真似し始めた。
最後の植物束を倉へ入れた時、昼はとうに過ぎていた。
◇
「壊れた物はなし」
雇い主は荷を確認し、約束した数の硬貨をセリナへ渡した。
軽い音が、手のひらの上で重なる。
この世界へ来て、初めて自分で得た現地の金だった。
セリナはすぐ袋へ入れず、聞いた。
「これで何が買える?」
「何を買うかによる」
「食事と、持ち歩ける食べ物。できれば今夜の寝床」
「安い物を選べば食事と携行食。寝床まで欲しいなら、どれかを減らせ」
「それくらいなのね」
「不満か?」
「いいえ。次から条件を比べられる」
大金ではない。
今日一日で、旅の道具をすべて揃えられるわけでもない。
けれど、この街で仕事をすれば、その日の食事を得られる可能性は分かった。
それは旅人にとって、小さくない情報だった。
セリナは硬貨を握ったまま、昨日見かけた宿らしい建物も確かめに行った。
入口には、寝床を求めるらしい旅人が何人かいた。
個別の部屋へ通される者もいれば、奥の広い場所を示される者もいる。払っている硬貨の枚数も違った。
「一番安い寝床はいくら?」
受付にいた者へ聞くと、食事なしで示された枚数は、今の残金では少し足りなかった。
「荷物は自分で守る。騒ぎを起こせば外へ出てもらう」
「鍵は?」
「安い寝床にそんな物はない」
雨風は避けられる。
しかし、知らない者と同じ空間で眠り、荷物も自分で守る必要があるらしい。
金額だけでなく、何が含まれているかを聞かなければ意味がない。
「今日はいいわ」
「そうか」
引き止められなかった。
街へ入れたからといって、必ず宿を使う必要はない。安全に夜を越せる場所を別に確保できるなら、残った硬貨を食料へ回す方がいい場合もある。
その判断も、日が落ちる前にしなければならない。
◇
最初に買ったのは、温かい食事だった。
豪華な物ではない。
穀物を煮た物に、少量の野菜らしい物が入っている。
味は薄いが、森で採った物だけを食べるより腹へ落ち着いた。
次に、乾燥した携行食を少し。
残った硬貨は多くない。
通りの先に、昨日見た乾燥した葉が並んでいた。
セリナは店先へ近づき、香りを確かめる。
茶葉に似ている。
ファステなら、見ただけでもっと分かるかもしれない。
いつか、最初の一杯を夜斗と飲むと言っていた。
「これ、一番少ない量でいくら?」
店の者が示した枚数は、今の残りより多かった。
「まだ買えない」
残念ではある。
だが、無理に買う理由もない。
自分の旅を続けられなくなってまで、土産を優先するつもりはなかった。
旅のついでに買える時が来たら買う。
それくらいが、今のセリナにはちょうどよかった。
◇
食事をする者が集まる場所では、自然と話し声が増える。
セリナは器を返したあとも少しだけその場へ残った。
積極的に質問はしない。
聞こえてくる話の中から、必要な物だけを拾う。
荷車の遅れ。
街道の泥。
値上がりした品。
森で見た獣。
「そういや、あの若い連中はもう出たのか?」
一つの声に、セリナの意識が向いた。
「とっくに。長くいる連中じゃなかっただろ」
「この辺じゃ見ない格好だったって?」
「俺は直接見てない。若い男と女が何人か、護衛みたいなのと一緒だったって話だ」
「どこへ行った?」
「さあな。門の外まで追いかけたわけじゃない」
会話はすぐ、別の話題へ流れた。
若い男女が数人。
この辺りでは見ない雰囲気。
護衛らしい者と一緒にいた。
街へ長く滞在せず、どこかへ移動した可能性がある。
夜斗が探している学生たちかもしれない。
だが、人数も特徴も曖昧だった。
直接見た者の話ですらない。
ここで執拗に聞けば、今度はセリナ自身が怪しまれる。
「覚えておくだけでいい」
今は、それ以上の価値を決められない情報だった。
◇
「あんた、仲間はいないのか?」
昼に一緒に荷を運んだ者が、通りでセリナを見つけて声をかけてきた。
「今は別行動」
「森から来たんだろ。何してた?」
「長く歩いてた。ここへは補給に来ただけ」
「次はどこへ行く?」
「まだ決めてない」
「変な旅人だな」
「旅人なんて、だいたい変でしょう?」
相手は笑った。
セリナも笑って別れる。
嘘はほとんど言っていない。
仲間とは、今は別行動だ。
森を長く歩いてきた。
補給のため街へ入った。
次の行き先は決めていない。
ただ、《淫獄》について言わなかった。
夜斗に忠誠を誓ったからではない。
口止めを命じられたからでもない。
世話になった場所を、そこに暮らす者たちの許可なく他人へ売る理由がない。
それだけだった。
◇
夕方。
セリナは街の端に近い場所で、今日得たものを確かめた。
初めて自分で稼いだ現地の硬貨。
短い仕事を探せる場所。
食事や携行食へ必要な金の、おおまかな感覚。
外から来た旅人が、この街でどう見られるか。
少しだけ具体的になった、見慣れない若者たちの噂。
何一つ、大きな成果ではない。
それでも、昨日とは違う。
昨日のセリナは、街へ入れる旅人だった。
今日は、この街でも自分の力で食事を得られると分かった。
もう少しここで稼ぐか。
茶葉を買えるくらいまで働くか。
若者の噂を、怪しまれない範囲でもう少し拾うか。
別の場所へ向かうか。
《淫獄》へ戻る道を探すか。
選択肢は増えた。
だからといって、今すべてを決める必要はない。
「明日のことは、明日の私に決めさせる」
旅袋を開く。
壊れた方位磁針。
《淫獄》の庭から持ってきた小石。
そして、今日初めて自分で稼いだ硬貨。
旅袋の中に、知らなかったものがまた一つ増えた。
方位磁針は、もう正しい方向を示さない。
小石も、帰り道を教えてはくれない。
今日得た硬貨だって、使えばなくなる。
それでも、どれも無駄ではなかった。
壊れても持ち続けてきたこと。
戻りたいと思える場所が一つできたこと。
知らない街でも、自分の手で今日の食事を得られたこと。
旅を続けるには、それで十分だった。
明日どこへ行くかは、まだ決めていなかった。




