第50話 街に行けば、面倒が増える
「欲しい物だけなら、街へ行けばだいたいありそうなんだよな」
朝食後の共用部屋で俺が言うと、ファステの視線がわずかに上がった。
「茶葉、塩、調味料。それから保存に使える容器もあるかもしれません」
「布と糸、針も欲しいですわ」
レイナは自分の袖口へ触れた。
「今ある服を直し続けるにも限界がありますもの。身体や髪を整える道具も、見つかるのでしたら」
「武器と防具の補修用品。丈夫な縄。周辺の地理と危険な獣の情報」
リゼの挙げる物は相変わらず実用一辺倒だ。
「物の値、人口、治安、交易量、周辺勢力」
千代は買い物ではなく、敵国の視察でも始めそうな顔をしている。
「硬貨、噂、遊び、賭け事」
「最後の二つは必要か?」
「その土地で何が遊ばれてるかを見れば、人が何へ価値を感じるか分かるよ」
ヴィオラがコインを指の上で回した。
「賭け事は立派な文化調査」
「便利な言葉だな、文化調査」
「夜斗は何が欲しいのじゃ」
千代に聞かれ、俺は少し考えた。
「外へ出なくても暮らせるだけの食料と水。それを保存する設備」
「街へ行って手に入れた物で、街へ行かずに済ませるのですわね」
「一度の外出で今後の外出回数を減らす。合理的だろ」
欲しい物はいくらでもある。
人が暮らしている場所なら、俺たちだけでは作れない物もあるはずだ。
ファステの紅茶も、レイナが欲しがる布も、リゼの装備を直す道具も。
街へ行けば手に入るかもしれない。
問題は、街へ行って、欲しい物だけを持って帰れるわけではないことだった。
◇
「まず、俺たちが何者なのか聞かれる」
俺は床へ小石を一つ置いた。
「俺は日本から来た大学生。ファステはこの世界の出身だけど、元家主から逃げてきた。ほかの四人は、別々の世界や人生から召喚されてる」
「全員で同じ村の出身だと言うには、無理がありますわね」
「服も話し方も違いすぎる」
リゼが言った。
小石をもう一つ置く。
「次に金。店があっても、俺たちは現地通貨を持ってない」
「働けばよいのではないか?」
「何の仕事を、誰がする?」
俺が聞き返すと、千代は黙った。
働くこと自体はできるかもしれない。
だが、その土地の相場も、決まりも、仕事の探し方も知らない。
俺が勝手に、リゼへ護衛をしろ、ファステへ料理を作れ、レイナへ何かを売れと決めるわけにもいかない。
住民の能力は、俺が自由に売っていい商品ではない。
「物々交換も、交換に出せる余剰がない」
三つ目の小石。
「食料は俺たちが食べる分で精いっぱい。水も余ってない。道具は売るどころか足りない」
「情報なら高く売れるかもしれないよ」
ヴィオラが笑った。
「安全な異空間と、成人女性を呼び出すガチャと、欲望から生まれる石」
「一番売ったら駄目なやつだろ」
「需要はありそうだけどね」
「需要がありすぎるから嫌なんだよ」
四つ目。
「《淫獄》を隠す。入口を見られない。帰る時に追跡されない。住民の能力や出身も、どこまで話すか決める」
「相手が善人であっても、珍しい力を持つ者を自由に帰すとは限らぬ」
千代が俺の並べた小石を見た。
「保護、監視、徴用。名目はいくらでもあろう」
「税や規則だってあるかもしれませんわ」
レイナが続ける。
「知らなかったでは済まされない決まりもありそうですわね」
「街に入っただけで敵扱いされる可能性もある」
リゼは最悪の事態を当然のように足した。
「出る時だけ調べられることもある。入れたから安全とは限らない」
五つ目。
まだある。
取引をすれば相手との約束が生まれる。
一度だけのつもりでも、次を期待されるかもしれない。
こちらの持ち物に価値があると知られれば、出所を探られる。
そして学生たちがいた場合。
日本で終わったはずの人間関係まで、まとめて戻ってくる可能性がある。
「街へ行けば、物は手に入るかもしれない」
並んだ小石を見る。
「でも、物だけ持って帰れるわけじゃない」
「まだ会ってもいない相手との面倒を、よくそこまで想像できるね」
ヴィオラが感心したように言った。
「人付き合いで面倒が起きない方を想像するのが難しい」
「そこだけは妙に経験豊富そうじゃな」
「経験したくなかったから避けてきたんだよ」
誰かを選んでも、選ばなくても面倒になる。
高校の教室で学んだことが、異世界の街でも役に立つとは思わなかった。
役に立っているのかは怪しいけど。
◇
「私は、今は行かない方がよいと思います」
最初にそう言ったのはファステだった。
「茶葉や塩は欲しいです。でも、そのために皆様が危険になることは望みません」
街へ近づくことで、ファステの元家主や追っ手につながる可能性も完全には否定できない。
「接触相手、人数、退路、追跡された場合の対処。何も決まってない」
リゼも反対する。
「見に行くなら、もっと離れた場所から人の出入りを調べてからだ」
「わたくしも異論はありませんわ」
レイナは少し残念そうだったが、頷いた。
「布は欲しいですけれど、身分や出身を問い詰められてまで急ぐ物ではありませんもの」
「交易は始めれば責任が生じる」
千代が言う。
「一度買って帰れば終わるとは限らぬ。相手がこちらを取引相手と認識すれば、次を求められることもあろう」
「私は街を見てみたいけどね」
ヴィオラは正直だった。
「でも、相手が条件を握ってる賭けへ、手札も見ないで参加する気はないよ」
全員の意見は揃った。
街へは行かない。
正確には、今は接触しない。
「じゃあ、外へ出るのもやめる?」
ヴィオラの問いに、今度は千代が床へ簡単な図を描き始めた。
《淫獄》の入口。
既知の水場。
採取場所。
セリナが整理した道。
鐘が聞こえた方向。
そして、その反対側に広がる空白。
「外へ出ねば、生活に必要な物は増えぬ」
「なら、人がいる方を避けて、人がいなさそうな方を調べる」
俺は空白を指した。
「引きこもりが探索方針になったね」
「危険分散と言え」
「街の方向はどうするのじゃ」
「捨てない。たまに遠くから変化がないか見る。でも近づかない」
人がいる方向を避ける。
それでも、外の世界を知ることまではやめない。
俺たちは探索範囲を、街とは反対側へ広げることにした。
◇
探索へ出るのは、俺とリゼとヴィオラの三人になった。
「暗くなる前に戻ること」
出発前、千代が念を押す。
「未知の人工物を見つけても中へ入らぬ。追跡の可能性があれば《淫獄》へ直帰せぬ。大きな獲物を追わぬ」
「遠足の注意事項みたいになってきたな」
「そなたが守らぬから増えるのじゃ」
「今回は守る」
「今回は、か」
リゼが呆れたように言った。
「食べられそうな物を見つけても、その場で口にしないでくださいね」
ファステからも注意が飛んでくる。
「俺、そんなに信用ない?」
「以前、匂いを確かめようとしてリゼ様に止められていましたので」
「匂いは食べてない」
「反論が低いね」
ヴィオラが笑った。
縁は庭から俺たちを見ていたが、ついてくる様子はない。
今回は留守番だ。
◇
外へ出て、途中までは既に知っている範囲を進んだ。
そこから、鐘が聞こえた方角とは反対へ向きを変える。
少し進むだけで、景色は分かりやすく変わった。
轍がない。
切られたばかりの木もない。
道らしい道もない。
植物が好き勝手に伸び、地面には見えにくい高低差がある。
「人がいない場所って、安全じゃなくて、不便なんだな」
「当たり前だ」
先頭のリゼが、足元の蔓を避けながら答えた。
「街の面倒がない代わりに、道もない」
ヴィオラは俺の少し前を歩いている。
「どっちがいい?」
「今のところは、道がない方」
「筋金入りだね」
歩きにくいが、人の気配は薄い。
リゼは何度も立ち止まり、獣の足跡や枝の折れ方を確認した。
水分を多く含んでいそうな植物。
繊維に使えるかもしれない蔓。
硬く、加工できそうな枝。
食べられるかもしれない根と実。
俺たちはどれも少量だけ採取した。
「全部持ち帰れば早くない?」
「使えるか分からない物で荷物を埋めるな」
リゼに即答された。
セリナも同じようなことを言いそうだ。
外で見つける人がいなくなっても、教えられた考え方は残っている。
◇
「待って」
ヴィオラが足を止めた。
視線の先には、蔓と土に半分埋もれた石がある。
「何かいる?」
「違う。これ」
ヴィオラはしゃがみ、石へ触れずに輪郭を追った。
「自然にしては、並びすぎてない?」
一つだけなら、ただの岩に見える。
だが周囲をよく見ると、似た高さの石が一定の間隔で続いていた。
「また人の痕跡?」
リゼが近づき、表面についた土を払う。
「新しくはない」
石の隙間には根が入り込んでいる。
角も崩れ、苔のような物が広がっていた。
それでも、石同士が組み合わされていることは分かった。
自然に転がって、この形になったとは考えにくい。
「どけてみる?」
「最低限だけだ」
リゼが周囲を警戒する。
俺とヴィオラで蔓を外し、表面の柔らかい土だけを取り除いた。
最初に見えたのは、一段の石。
その下にも、同じ形の石がある。
「階段?」
さらに植物を避ける。
崩れかけた石段が、斜め下へ続いていた。
数段先からは暗く、光が届かない。
地下から、冷たい空気が流れてきた。
湿った土とも、外の森とも違う匂いが混じっている。
少し遅れて、奥で音がした。
石が落ちたのか。
水滴が響いたのか。
何かが動いたのか。
ここからでは分からない。
「これ、どう見てもダンジョンっぽくない?」
ヴィオラが楽しそうに言った。
「システムから何も出てない」
俺は《淫獄》の表示を確かめたが、新しい通知はない。
「なら、ダンジョンではない?」
「ただの地下室かもしれない」
「地下室にしては、入口が森に埋まりすぎだ」
リゼは階段の前へ立ち、暗闇を見た。
「入るなよ」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてある」
怖い。
でも、少し見たい。
その両方が顔に出ていたらしい。
「少しだけ見てみる?」
ヴィオラが俺の代わりに言った。
「照明が足りない。中の構造も、罠の有無も分からない。帰路は今見えている階段だけだ」
リゼは指を折る。
「夜斗を守りながら進む必要もある。留守番組は、この場所を知らない」
「地下で《淫獄》の入口を開けるかも分からないな」
俺は暗闇から一歩下がった。
興味はある。
奥に何があるのか、知りたい。
でも、その好奇心へ今すぐ答える必要はない。
「今日は入口を見つけた。それで十分」
周辺の地形と目印を確認する。
入口をさらに広げることも、石段へ足を置くこともしなかった。
◇
帰り道で、俺は何度か後ろを振り返った。
追ってくるものはいない。
地下入口も、少し離れれば植物に隠れて見えなくなった。
「人に会わない方を選んだのに、なんで地下への入口があるんだよ」
「面倒がない方を選んだんじゃなくて、面倒の種類を選んだんだよ」
ヴィオラが楽しそうに答える。
「選んだ覚えはない」
「見つけても入らなかっただけ、今回はましだ」
リゼが言った。
「今回は?」
「次も同じ判断ができれば褒めてやる」
「俺への評価が低すぎない?」
「適正だ」
◇
《淫獄》へ戻ると、俺たちは持ち帰った資源候補を土間へ並べた。
ファステが一つずつ分け、レイナが色や匂いを確かめる。
千代は、俺たちから地下入口の位置と周囲の地形を聞き取っていた。
「内部から冷気。音は一度。石段は見える範囲のみ。中へは入っておらぬのじゃな?」
「入ってない」
「それでよい」
「珍しく即答で褒められた」
「当然のことをしただけじゃ」
褒められてはいなかった。
「誰もお怪我がなくてよかったです」
ファステの言葉だけは素直に受け取っておく。
「地下へ続いているのでしたら、外とは別の植物や素材がある可能性もありますわね」
レイナは興味を隠さなかった。
「ですが、何も持たずに入る場所ではありませんわ」
縁は庭から戻ってきたが、採取物にも俺たちの話にも特別な反応は見せなかった。
入口を完全に放置するか。
周辺だけもう一度調べるか。
準備を整えて中へ入るか。
今すぐ決める必要はない。
「入るかどうかを決める前に、入ったら何が必要か考えよう」
「順序としては正しい」
千代が頷く。
「中で石が増えそうかも調べる?」
ヴィオラが余計な提案をした。
「それを判断材料に入れるな」
「増えたら数えるくせに」
否定はしなかった。
正確には、できなかった。
街へ行けば、面倒が増える。
だから俺たちは、人のいない方へ進んだ。
その結果見つけたのが、地下へ続く正体不明の入口である。
人付き合いより楽かどうかは、まだ分からない。
ただ一つ分かるのは。
面倒事というものは、避けた方向に何もないとは限らないらしい。




