第47話 会う? 会わない?
「表なら会う。裏なら会わない」
朝食後の共用部屋で、ヴィオラがコインを掲げた。
「今回はコインで決めない」
「まだ投げてないよ?」
「投げる前に止めてるんだよ」
昨日、俺とリゼとヴィオラは、森の向こうから鐘の音を聞いた。
建物も人影も見ていない。
それでも、道具を使う何者かの生活圏がある可能性はかなり高い。
そこで次の問題である。
会うか。
会わないか。
「今日決めるのは、行く道じゃない。会うかどうかだ」
「だからコインが便利なのに」
「皆の生活に関わる判断を偶然へ委ねるでない」
千代がぴしゃりと言った。
ヴィオラは残念そうにコインを指の間へ戻す。
「王が決める前に、得られる物と失うかもしれない物を並べるべきじゃ」
「じゃあ、まず欲しい物から?」
俺が聞くと、ファステが控えめに手を上げた。
「茶葉と、塩があれば嬉しいです。調味料や、保存に使える容器も」
「最初に茶葉なんだ」
ヴィオラが笑う。
ファステは少し頬を染めた。
「以前からの目標ですので」
最初の一杯は、俺と一緒に飲む。
あの約束は今も残っている。
「布、糸、針も必要ですわ」
レイナが続けた。
「今ある服を直すにも限界がありますもの。できれば、身体や髪を整える道具も欲しいですわね」
「武器と防具の補修用品。丈夫な縄。それから地理と危険な獣の情報だ」
リゼの要求は実用的だ。
「物の値、人口、治安、交易量、周辺勢力」
千代は買い物へ行くというより、新しい領地を調査する顔をしている。
「コイン。酒場。賭け事。噂」
ヴィオラが指を折った。
「お前だけ目的が違わない?」
「噂は情報だよ」
「賭け事は?」
「文化調査」
「絶対違う」
「夜斗は?」
レイナに聞かれ、俺は少し考えた。
「外へ出なくても生活できるだけの食料と水」
「結局、引きこもるためなのですね」
「安全な家から出る回数を減らす。合理的だろ」
欲しい物はいくらでもある。
人の暮らす場所と取引できれば、《淫獄》の生活は大きく改善するかもしれない。
問題は、俺たちが欲しい物ばかりで、相手へ渡せる物がないことだった。
◇
「店があっても、買う金がない」
俺が現実を口にすると、部屋が静かになった。
現地通貨は一枚もない。
そもそも、どんな形なのかも知らない。
「物々交換はできぬのか?」
「交換に回せる余剰がない」
千代の問いにリゼが答える。
食料は毎日必要だ。
水も余っていない。
道具はむしろ不足している。
「金がないなら、物か情報か働きで払うことになるね」
ヴィオラが言う。
「情報って、《淫獄》のこと?」
「高く売れそうだよ」
「却下」
「早いね」
「売ったあとが怖すぎる」
安全な異空間。
成人女性を生成・召喚する機能。
欲望から生まれる《淫獄石》。
どれも他人へ説明してよい情報ではない。
説明したところで信じてもらえるかも怪しいが、実際に見せろと言われたらもっと困る。
「では、何者として会うのじゃ」
千代の質問に、誰もすぐ答えられなかった。
俺は現代日本の大学生。
ファステはこの世界の出身だが、元家主から逃げてきた。
ほかの四人は、《住民召喚》によって異なる人生からここへ来た。
全員が同じ国や集落の出身だと名乗るのは無理がある。
「遠方から来た、とだけ言うのは?」
ファステが提案する。
「嘘ではありません」
「どこの遠方だと聞かれたら?」
「……困りますね」
存在しない国名を作れば、知っている相手には一発でばれる。
正直に異世界から来ましたと言うのも危険だ。
「言葉が通じる理由も分からないしな」
「服装も、向こうでは珍しい可能性がありますわ」
レイナが自分の服を見る。
「一度に全員で行くのは避けるべきじゃ」
千代は即座に判断した。
「家の正確な位置も明かさぬ。《淫獄》、召喚、石については話さぬ。セリナについても、本人の許可なく語るべきではあるまい」
「隠すことだらけだな」
「だから準備が必要なのだ」
◇
「じゃあ、誰が会う?」
ヴィオラが全員を見回した。
「夜斗は最終判断をする王。でも外だと弱いし、人と話すのも得意じゃない」
「否定できないけど、本人の前で言う?」
「リゼは護衛向き。でも武装して警戒してる女が来たら、向こうも警戒する」
「必要なら武器は隠す」
「隠した武器が見つかる方が印象悪くない?」
リゼが黙った。
「ファステは穏やかだけど、相手の機嫌を気にしすぎる」
ファステは反論せず、視線を落とした。
「レイナは話し方が上品。でも、その上品さがこの辺りでどう見られるか分からない」
「否定はできませんわね」
「千代は?」
「交渉と統治の経験がある」
「相手が無礼だと、城主の顔で圧をかけそう」
「礼節を欠く相手へ、相応の態度を示すだけじゃ」
「ほら」
最後に全員の視線がヴィオラへ向く。
「私は人を見るのが得意だよ」
「面白くなったら予定にない賭けを始めそう」
「その時は勝つよ」
「始めるなと言ってる」
誰を出しても少しずつ不安だ。
全員で行けば安全になるとも限らない。
人数が多ければ目立つし、逃げるのも難しくなる。
「学生たちがいるなら、話は早いかもしれない」
俺は以前聞いた日本語らしい声と、拾った紙片を思い出した。
同じ講義室にいた誰かなら、少なくとも俺の出身は説明できる。
だが、それだけだ。
今、学生たちが誰と行動しているか。
どんな立場なのか。
現地の人間へ何を話しているのか。
何も分からない。
「知り合いなら安全とは限らない」
リゼが言った。
「分かってる」
日本にいた時だって、同じ大学の学生全員を信用していたわけではない。
異世界へ来たから急に仲間になると思う方がおかしい。
◇
次に、最悪の場合を並べた。
拘束。
追跡。
よそ者としての敵視。
敵対勢力との誤認。
能力の利用。
《淫獄》入口の発見。
住民を人質や交渉材料にされる可能性。
「悪人じゃなくても、珍しい情報を持った相手を簡単に帰すとは限らないよ」
ヴィオラが珍しく笑わずに言った。
「善意で保護されて、外へ出してもらえなくなることもある」
「保護なのに?」
「本人のため、みんなのため、安全のため。理由はいくらでも作れるでしょ」
善人なら安全。
悪人なら危険。
そんな単純な話ではないらしい。
俺は全員の顔を見た。
欲しい物はある。
得られる情報も多い。
いつかは外の人間と関わる必要があるかもしれない。
それでも、今は足りない。
「会わない、じゃない。今は会わない」
俺は言った。
「対価がない。何者として話すかも決まってない。どこまで隠すかも、追われた時にどう戻るかも足りない」
全員が黙って聞いている。
「会っても帰れる状態を作ってからにする」
「それは、判断を先送りにするということか?」
千代が尋ねた。
「条件を決めて、それが揃うまで待つ。何も考えず後回しにするのとは違うつもり」
千代はしばらく俺を見た。
「よかろう」
短く頷く。
「会わぬことを決めたのではなく、会うための条件を決めたのであればな」
「私は賛成です」
ファステが続いた。
「茶葉は欲しいですが、皆様が危険になることは望みません」
「わたくしもですわ」
レイナも頷く。
「布は、逃げませんもの」
「相手は逃げるかもしれないけどね」
「ヴィオラ」
「冗談だよ」
リゼは、床に置いた目印を指した。
「なら、次に調べることを決めるぞ」
遠方から出入りと警備を観察する。
現地で価値のある物を探る。
《淫獄》について、全員で話さない範囲を揃える。
接触役と護衛を決める。
帰還経路と追跡対策を作る。
交換に使える物や働きも考える。
やることは増えた。
でも、無計画に会いに行くよりはいい。
◇
その夜、俺は個人空間で今日の話を思い返した。
街へ行けば、欲しい物が手に入るかもしれない。
学生たちにも会えるかもしれない。
外の世界について分かることも増える。
それでも、今は行かない。
会わないと決めたわけじゃない。
会っても帰れるようになるまで、会わない。
俺たちの結論は、それだった。




