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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第二章 「マイホームから始まる引きこもり」

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第45話 縁から見た家



 硬いものが触れ合う音がした。


 一つ。


 少し間を置いて、もう一つ。


 縁は寝床の中で耳だけを動かした。


 食べ物を入れる器の音。


 そのあとに、軽い足音が続く。


 急がない足音。


 近づいてきても、すぐには手を伸ばさない足音。


 食べ物と水の匂いもする。


 縁は目を開けた。


 庭は明るくなり始めていた。


 家の中からは、毎朝よく聞く音が重なってくる。


 器の音。


 土間で金属が触れる音。


 小石が床を滑る音。


 光る丸いものが、指の上で弾かれる音。


 少し遅れて、眠そうな足音。


 外の森とは違う。


 知らない獣の匂いは薄い。


 何かが葉の陰から飛び出す音もしない。


 毎日、似た音がする。


 縁は前脚を伸ばし、背を反らした。


 寝床から出る。


 まず、水の匂いを確かめた。


 次に、庭の端へ鼻を向ける。


 昨日までより薄い匂いがあった。


 少し前には、そこに布と土と外の風が混ざった匂いがあった。


 寝ていた場所。


 荷物が置かれていた場所。


 庭の石が一つなくなった場所。


 縁は順番に嗅いだ。


 匂いは残っている。


 でも、その匂いを持つものはいない。


 少し探した。


 いなかった。


 なら、今はいない。


 近くで小さな虫が動いた。


 縁の耳がそちらへ向く。


 前脚を一度伸ばす。


 虫は土の隙間へ消えた。


 縁も、薄い匂いを探すのをやめた。


     ◇


「縁」


 知っている音がした。


 縁は顔を上げる。


 静かな足音の人が、浅い器を持っていた。


 水。


 もう一つの器からは、食べ物の匂いがする。


「ごはんですよ」


 もう一つ、知っている音。


 縁は近づいた。


 人は途中で止まる。


 器を置き、一歩下がる。


 縁が食べ始めるまで待つ。


 この人は、よい匂いを持ってくる。


 足音が静かで、手もゆっくり動く。


 縁は器へ鼻を近づけた。


 昨日と同じ匂い。


 少し口へ入れる。


 危なくない。


 食べていると、人が寝床へ手を伸ばした。


 ずれていた布を直そうとしている。


 近い。


 縁は器から顔を上げ、二歩離れた。


「すみません。驚かせてしまいましたね」


 声が低くなる。


 手が止まる。


 追ってこない。


 縁は少し待ち、また器へ戻った。


 布は、食べ終わって遠くへ行ったあとに直された。


     ◇


 家の出入口が開いた。


 外の匂いが流れ込む。


 土。


 汗。


 金属。


 知らない草。


 遠くにいた獣。


 強い足音の人が戻ってきた。


 縁の身体が少し低くなる。


 本能が、すぐ近づくなと告げる匂いだった。


 腰には硬く尖ったものがある。


 手にも外の匂いがついている。


 だが、この人は縁を追わない。


 無理に持ち上げない。


 近くにいる時、外の危ない匂いは庭まで来ない。


 何度も、そうだった。


「ただいま」


 意味は分からない。


 でも、よく聞く音だった。


 家の中からいくつかの声が返る。


 強い足音の人は土間で金属を外し始めた。


 縁は逃げなかった。


 怖い匂いがする。


 でも、逃げなくていい匂いだった。


     ◇


 庭の少し離れたところに、もう一人が座った。


 よい匂いの布を身につける人。


 以前は、縁を見ると手がすぐ動いた。


 近づきたい匂いが強くなり、身体が前へ傾いた。


 最近は違う。


 座る。


 手を床へ置く。


 待つ。


「おいで」


 知っている音。


 縁はすぐには行かなかった。


 水を飲み、庭を一周し、寝床の匂いを確かめる。


 それでも手は動かない。


 縁は少しだけ近づいた。


 指先の匂いを嗅ぐ。


 花に似た匂い。


 乾いた草の匂い。


 食べ物ではない。


 手はまだ動かない。


 縁は鼻先を離した。


「今日はここまでですわね」


 明るい声がした。


 縁が離れても追ってこなかった。


 だから次も、少しくらいなら近づいてよかった。


     ◇


 強い声が庭へ響く。


「餌が一つ多いぞ」


 縁は耳を伏せた。


 迷いのない足音が来る。


 器の前で止まり、中身を一つ取る。


 この人は声が強い。


 動く時も、まっすぐ動く。


 けれど、水が減れば足す。


 寝床の布が濡れていれば替える。


 餌は毎日、似た量だけ置く。


 縁が寝床から出たあと、屋根の位置まで確かめる。


「これでよい」


 短い声。


 縁には意味が分からない。


 ただ、この声のあとには、自分の場所がいつもの形へ戻っている。


 声は強い。


 でも、寝床を壊す人ではない。


 縁は少し離れた場所に座り、その人が去るのを待った。


 それから整えられた布の上へ戻った。


     ◇


 光が床を走った。


 丸い。


 小さい。


 転がり、跳ねて、指の間へ戻る。


 縁の目が追う。


「やっぱり気になる?」


 よく笑う声の人が、光る丸いものをもう一度転がした。


 縁は前脚を伸ばす。


 触れる直前に、丸いものが消える。


 指の反対側から出てくる。


 もう一度。


 届かない。


「にゃう」


「飲み込ませるな」


 強い足音の人の声。


「分かってるよ」


 縁に言葉の意味は分からない。


 でも丸いものは、口へ入る前に必ず引かれる。


 縁は丸い光より、その光を出したり消したりする指を追い始めた。


 指が右へ動く。


 耳が右へ向く。


 左へ動く。


 頭が左へ向く。


「コインより手の方が気になるみたいだね」


「遊ばれておるのは、そなたの方ではないか?」


 強い声。


 笑う声が増えた。


 縁には分からない。


 ただ、丸いものは面白かった。


     ◇


 遅い足音の人は、庭の端に座っていた。


 強い匂いが少ない。


 動きも遅い。


 縁が近づいても、急に手を伸ばさない。


 逃げると追ってこない。


 近くへ座っても、出入口を塞がない。


 以前、家の中が怖い匂いになった時。


 縁はこの足の近くへ行った。


 一番動かなかったから。


 左右に逃げる場所が残っていたから。


 足の持ち主は、上から触ろうとしなかった。


 それから何度も、近くにいて危ないことが起きなかった。


「縁」


 知っている音がする。


 縁は耳だけを向けた。


 行かない。


 呼んだ人も追ってこない。


 少しして、遅い足音は家の奥へ消えた。


 縁は庭を回ったあと、その人が入った場所の前まで行った。


 入口は開いている。


 中では横になっている。


 縁は入らなかった。


 入口の匂いを嗅ぎ、姿を一度見る。


 足音の人が動く前に、庭へ戻った。


 追ってはこなかった。


     ◇


 昼を過ぎた頃。


 縁は家の中を歩いていた。


 足の裏へ伝わる床の硬さが、一か所だけ違った。


 音はしていない。


 匂いも、いつもと同じ。


 それでも、そこにはまだ鳴っていない音のようなものがあった。


 動いていない。


 でも、動く前の空気がする。


 縁は止まり、耳を向けた。


 待つ。


 この感じのあと、床や壁が少し変わることがある。


 今日も変わるかもしれない。


 しばらく待った。


 何も起きなかった。


 遠くで器が鳴る。


 食べ物の匂いがした。


 縁は耳を戻し、そちらへ歩き出した。


 鳴らない音より、ごはんの方が近かった。


     ◇


「非常食一号」


 聞き覚えのある長い音に、縁の耳が動いた。


「まだ覚えてる?」


 笑う声の人がいる。


「名前より先に覚えた言葉だからね」


「呼ぶでない」


 強い声が返る。


「縁」


 今度は遅い足音の人が、短い音を出した。


 縁は反対の耳を向ける。


「両方に反応してるな」


「どちらも自分を呼ぶ音だと思っておるのではないか?」


「非常食一号は忘れてくれていいんだけど」


 いくつもの声が続く。


 縁には、多くの意味は分からない。


 短い音のあとには、食べ物が来ることがある。


 長い音のあとには、笑う声が増えることが多い。


 どちらも、自分の方へ向けられる音だった。


 縁は一度だけ尾を振り、寝床へ戻った。


     ◇


 家が暗くなる。


 一人ずつ、足音が自分の場所へ離れていく。


 器を片づける音。


 水の音。


 金属を置く音。


 小石を集める音。


 光る丸いものを弾く音。


 遅い足音が一度奥へ行き、また共用部屋へ戻る音。


 笑う声。


 強い声。


 静かな声。


 毎日少し違い、毎日よく似ている。


 それが、この場所の夜だった。


 縁は寝床の上で身体を丸める。


 家は今日も、たくさんの音がした。


 食べ物の音。


 足音。


 笑う声。


 光る丸いものが床を転がる音。


 そして、ときどき。


 まだ誰も気づいていない音。


 縁は耳を一度だけ動かし、目を閉じた。

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