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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第四章 「帰る場所があっても」

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第42話 行ってきますは、言わない



 セリナの旅支度は、驚くほど早く終わった。


 もともとの荷物が少ない。


 着替え。水袋。縄。刃物。火を起こすための道具。最低限の手当てに使える布。


 そこへ《淫獄》で用意した物を加えても、小さな荷物一つに収まっている。


 昨夜、セリナはいつもより早く寝た。


 今朝は誰より先に起き、庭と土間を一周している。


 出発前だから落ち着かないのかと思ったが、本人は「いつもやっている確認」と言った。


「忘れ物がないか?」


「違う。寝た場所を出る前に覚えておくの」


「もう戻らないかもしれないのに?」


「戻らないかもしれないからよ」


 調理場所。共用部屋。物置。庭。縁の試験飼育区画。


 セリナは物ではなく、その場所で誰が何をしていたかを見るように視線を動かした。


「旅先って、離れると細かいところから忘れるの。壁の色とか、朝にどんな匂いがしたとか」


「覚えておきたいのか?」


「今はね」


 未来の自分まで同じ気持ちだとは決めない。


 それでも、現在の気持ちをなかったことにはしない。


 短い滞在だったが、セリナなりにこの家を見ていたらしい。


「本当にそれだけでいいのか?」


「多ければ安心ってものでもないわ。持って歩けない荷物は、途中で捨てることになる」


 セリナは袋の口を締め、背負って重さを確かめた。


「少し左へ寄ってるな」


 リゼが言う。


「水をこっちへ移した方がいい」


「そうする」


 ファステは乾かした根と、試作した携行食を布へ包んでいる。


「こちらは先にお召し上がりください。こちらは、もう少し日持ちすると思います」


「思います?」


「まだ長期間の確認ができていません。匂いや色が変わっていたら、食べないでください」


「分かった。知らない物を無理に食べない」


 セリナが頷く。


 千代は持ち出す食料と水の量を確認し、残る側の備蓄へ小石を置き直した。


「不足ではない。されど余裕もない。追加はできぬぞ」


「十分よ。最初の水場までは分かってる」


 レイナは上着の留め具と靴を確認する。


「こちらは、少し緩んでいますわ」


「歩いてる間に外れそう?」


「今すぐではありません。ただ、毎日確かめた方がよろしいです」


「旅の途中で直せる場所が見つかったら直す」


 ヴィオラは壁へ寄りかかり、全員のやり取りを眺めていた。


「ずいぶん手厚く送り出すね」


「旅に出るのを止めないことと、何も持たせないことは別だろ」


 俺が言うと、セリナが笑う。


「そういうところ、気に入ってるわ」


「なら残れば?」


「それは別」


 昨日と同じ答えだった。


 ヴィオラが指先でコインを弾いた。


「餞別にこれ、持っていく?」


 回転するコインをセリナが片手で受け止める。


 表を見て、裏返し、ヴィオラへ投げ返した。


「いらない」


「運試しに使えるよ」


「道は自分で決める」


「コインが落ちるまでに、どっちを願ったか分かるかも」


「それなら、願った時点で決めればいいでしょ」


 ヴィオラは戻ってきたコインを受け取り、楽しそうに笑った。


「なるほど。あんた、賭けに向かないね」


「褒め言葉として受け取るわ」


「褒めてるよ。たぶん」


 縁が荷物の周囲を歩き、匂いを嗅いでいる。


 セリナがしゃがんで手を出すと、縁は一度だけ指先へ鼻を寄せ、すぐ庭へ離れた。


「名前は覚えてくれたと思う?」


「縁が自分の名前を理解しているかも未確定じゃ」


「そこからなのね」


 セリナは立ち上がり、縁の寝床へ視線を向けた。


「この子を外へ返す時は、ちゃんと自分で出られるようにしてあげて」


「正式に飼うかも決まっておらぬ」


「名前をつけて、餌をやって、寝床を作ってるのに?」


「観察じゃ」


「この家、言い訳が好きな人が多いわね」


 否定しようとした俺とヴィオラの声が重なった。


「一緒にするな」


「一緒にしないで」


 セリナは笑い、ファステまで小さく笑った。


「見送り?」


「餌が入っていないか確認しただけではないか」


 千代の現実的な意見に、セリナは肩をすくめた。


     ◇


 出発前、俺はセリナの胸元で揺れる物へ目を向けた。


 古びた方位磁針。


 何度見ても針は安定せず、方角を示していない。


「それ、壊れてない?」


「壊れてるよ」


「何で持ってるの?」


 セリナは方位磁針を掌へ載せた。


 金属の蓋には細かな傷があり、縁も少し歪んでいる。


「最初に旅へ出た時から持ってるから」


「最初から壊れてた?」


「途中で壊れた。それまでは役に立ったわ」


「直さないのか?」


「直せる人がいたら頼んでもいい。でも、壊れたからって捨てる理由にはならないでしょ」


 役に立たない物は、持たない。


 そういう人物だと思っていた。


 けれど、必要最低限しか持たないことと、大切な物まで捨てることは違うらしい。


「これを見ると、最初にどこへでも行けるって思った時のことを思い出すの」


 針が方角を示さなくても。


 それを持つ自分が、どこへ行くかは決められる。


 セリナは方位磁針を胸元へ戻した。


 そのまま庭へ出る。


 俺も後を追った。


 セリナは試験栽培用に分けた場所や、縁の寝床を眺めながら歩く。やがて何も置かれていない一角でしゃがみ、小さな石を一つ拾った。


 灰色がかった、本当に普通の小石だ。


「何してる?」


「これ、もらっていい?」


「ただの石だぞ」


「知ってる」


「外にもあるだろ」


「外の石じゃ意味ないの」


 セリナは土を指で払い、掌の上で転がした。


「帰る場所を忘れないため」


 予想していなかった言葉に、俺は黙った。


 帰る約束はしないと言っている。


 いつ戻るかも決めていない。


 それでも、帰る場所と呼ぶのか。


「……戻ってくるのか?」


「だから、決めてないって」


 セリナは笑った。


「迷子になった時の目印よ」


「そんな小石で場所が分かるのか?」


「分からない。でも、どこから来たかは思い出せる」


 壊れた方位磁針は、どこへでも行ける自分を覚えているための物。


 庭の小石は、どこから来たかを覚えているための物。


 どちらも道具としては、ほとんど役に立たない。


 だからこそ、セリナが持つ意味があるのかもしれない。


「一個ならいいよ」


「二個なら?」


「庭がなくなるから駄目」


「一個ずつで庭がなくなるわけないでしょ」


「前例を作ると全員持っていくかもしれない」


「住民全員が庭の石を欲しがる家って、ちょっと面白いわね」


 重くなりかけた空気を、セリナは簡単に笑いへ変えた。


     ◇


 出入口の前へ全員が集まった。


 ファステが、旅の荷物を背負ったセリナへ頭を下げる。


「お気をつけて。またお帰りください」


「帰るって約束はしないわよ」


「はい」


 ファステは困らず頷いた。


「帰りたくなった時に」


 セリナの表情が、ほんの少し止まる。


「……そういう言い方、ずるいわね」


「申し訳ありません」


「謝らなくていい。褒めてるから」


 リゼはセリナの肩を軽く叩いた。


「無茶はするな」


「そっちも」


「私は護衛だ。無茶と必要な危険は分けている」


「私も放浪者よ。そこは同じ」


 千代は最後まで納得しきれない顔をしていた。


「目的地を定めず出るというのは、やはり理解し難い」


「最初の方向は決めたわ。その先は、着いてから決める」


「戻る場所を定めぬのもか」


「未来の私が決めることよ」


 千代はしばらくセリナを見たあと、小さく息を吐いた。


「ならば、今日のそなたが決めた道を無事に進め」


「ありがとう」


 レイナはセリナの胸元へしまわれた小石を見る。


「本当に、戻らない可能性もありますのね」


「あるわ」


「それでも、その石は持っていくのですか?」


「戻らないと決めたわけでもないもの」


「曖昧ですわ」


「自由って、だいたい曖昧よ」


 ヴィオラがコインを指の間で回す。


「戻るか賭ける?」


「嫌」


「即答だね」


「自分で決めることを賭けにしたくない」


 ヴィオラはコインを止めた。


 からかうかと思ったが、少しだけ真面目な顔で頷く。


「それなら賭けは成立しないね。本人が張らないなら」


「分かってるじゃない」


「賭け師だからね」


 最後に、セリナが俺の前へ立った。


「ここに残れとは言わない」


「うん」


「戻れとも言わない」


「うん」


「危険だと思ったら戻ってこい、とは言っておく」


「それ、戻れって言ってない?」


「命令じゃない。選択肢の説明だ」


「便利な言い方を覚えたわね、王様」


 セリナが笑い、出入口の先へ一歩進む。


「行ってらっしゃい」


 そう声をかけると、セリナが振り向いた。


「言わないの?」


「何を?」


「行ってきます」


「それは出る側が言うんだろ」


「帰る約束みたいで嫌なのよね」


「帰る約束しないんだろ?」


「そうね」


 少しだけ間が空いた。


 セリナは外の森を見る。


 それから胸元の壊れた方位磁針と、荷物へしまった小石へ順に触れた。


「じゃあ、行ってくるわ」


「言うんじゃん」


「気分が変わった」


 約束ではない。


 帰還を保証する言葉でもない。


 ただ、その瞬間のセリナが、自分で言うと決めただけだ。


「行ってらっしゃい」


 今度は全員の声が重なった。


 セリナは片手を上げ、昨日推定した人里の方角へ歩き出した。


 誰も止めなかった。


 俺も、使った3,000個を理由に引き止めなかった。


 姿が木々の向こうへ消えるまで見送り、俺たちは《淫獄》へ戻った。


 庭を見る。


 小石が一つなくなっている。


 それだけなら、何も変わっていないように見える。


 けれど、食べ物がある場所を繋いだ採取ルートが残った。


 水場と休憩地点の情報が増えた。


 乾燥食と携行食の作り方が少し改善した。


 人里がありそうな方角も分かった。


 セリナ・ウェルズは、《淫獄》には残らなかった。


 それでも、彼女がいた数日間は、ちゃんとここに残っていた。


 住民管理を開けば、セリナの名前は消えずに残っている。


 システム上の住民であることと、今この家にいることは同じではない。


 俺たちにできるのは、彼女が選んだ道を塞がず、もし再び入口へ立った時に迎えられる場所を残すことだけだ。


 庭の小石が一つ減ったくらいで、家は何も困らない。


 食料も、寝床も、昨日までと同じように残っている。けれど共用部屋は、ほんの少しだけ広くなったように感じた。


 けれど、あの一つがいつか戻ってきたなら。


 たぶん俺は、石より先に持ち主の顔を見ると思う。

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