第39話 召喚したのに、出ていくらしい
『所持《淫獄石》:3,000』
『所持上限:3,000』
『《住民召喚》を実行できます』
朝から目の前に浮かべる表示としては、あまりにも心臓に悪い。
いや、違う。
昨日の時点で同じ表示を見ている。そこで俺はちゃんと「今日は引かない」と決めた。
つまり一晩待った。
一晩考えた。
これは衝動ではない。熟慮の末の決断である。
「朝からガチャの顔してるね」
「ガチャの顔って何だよ」
共用部屋へ入ってきたヴィオラが、寝起きとは思えない楽しそうな顔で笑った。
「使う理由を頭の中で並べてる顔」
「……違う」
「じゃあ、使わない?」
「それは今から相談する」
「ほら、ガチャの顔だ」
反論できないのが腹立たしい。
朝食のあと、俺は全員へ表示を見せた。
「次の住民を召喚しようと思う」
最初に反応したのは千代だった。
「食料と水は?」
「今すぐ一人増えても、数日は対応できる。ずっととなると改善が必要だけど」
「寝床は、空いている場所を整えれば用意できます」
ファステが言い、レイナが共用部屋と個人空間を見回す。
「私物を置く場所も、少し詰めれば確保できますわ」
「戦える奴とは限らないぞ」
リゼは土間の壁へ背を預けたまま言った。
「そこは分かってる。今必要なのは戦力だけじゃない」
「そうじゃない」
リゼが俺を見る。
「召喚された奴が、ここへ残るとは限らんだろ」
言われた瞬間、返事が止まった。
ファステは自分で残ることを選んだ。
リゼも、レイナも、千代も、ヴィオラも、それぞれの意思で今ここにいる。
分かっていたはずなのに。
ガチャで出た住民は、今まで全員残っている。
俺はいつの間にか、次もそうなると思い込んでいたらしい。
「それ、ガチャに慣れてきた奴の危ない思い込みだよ」
ヴィオラが面白そうに追い打ちをかけた。
「分かってる」
「今、分かった顔だね」
「……今、改めて分かった」
召喚された時点で、システム上は住民になる。
だからといって、俺に忠誠を誓うわけでも、ここで暮らすことを望むわけでもない。
「それでも、回すのじゃな?」
千代の問いに、俺は頷いた。
「回す。誰が来ても、まず本人に聞く」
「ならばよい」
全員が少し距離を取る。
縁だけは何が始まるか分からないまま、庭へ続く戸口の近くで長い尾を揺らしていた。
俺は表示へ指を伸ばす。
「第5回通常《住民召喚》を実行する」
『3,000《淫獄石》を消費します』
『実行しますか?』
「実行する」
光が弾けた。
『所持《淫獄石》:0』
『通常《住民召喚》回数:5』
『次回必要《淫獄石》:10,000』
「一万……」
思わず声が漏れた。
3,000を使った直後に見せる数字じゃない。
「もう次を見てる」
「見せられたから確認しただけだ」
「はいはい」
ヴィオラの声を無視して、光の中心を見る。
そこには一人の女性が立っていた。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。
使い込まれた上着に、動きやすそうな服。丈夫そうな靴は土と細かな傷にまみれている。背負っている荷物は、長旅をしてきた者とは思えないほど小さい。
腰には短い刃物と、丸めた細い縄。
首から下げた古びた方位磁針は、針が一方向を示さず、小刻みに震えていた。
『SR《気ままな放浪者》セリナ・ウェルズ』
『《住民》として登録しました』
セリナは怯えるより先に、部屋を一周見回した。
窓。扉。俺たちの位置。土間に置かれたリゼの装備。庭へ続く出口。
最後に俺を見た。
「あんたが王?」
「一応」
「強い?」
「弱い」
「戦える?」
「ほぼ無理」
セリナは数秒、俺の顔を見つめた。
それから吹き出した。
「正直ね」
「嘘をついても、たぶんすぐばれるし」
「そうね。立ち方からして戦う人じゃないもの」
召喚された直後の相手にも一瞬で見抜かれた。
異世界に来てから、俺の戦闘力に対する評価だけは誰からもぶれない。
「まず状況を説明する」
俺は《淫獄》と《住民召喚》について、分かっている範囲だけを話した。
セリナは途中で口を挟まず、時々、短く問いを返す。
「ここは外とは別の場所?」
「そうらしい」
「外には出られる?」
「出られる」
「自由に?」
「危険だから、出る場所や時間は相談してほしい。でも、閉じ込めるつもりはない」
「戻らなくても?」
その質問だけ、少し重かった。
使ったばかりの3,000という数字が頭をよぎる。
次は10,000だ。
ここで「戻れ」と言えば、俺は住民を得るために石を払った王になれるのかもしれない。
でも、それは俺が作りたい場所とは違う。
「……いいよ」
「いいの?」
「システム上は住民として表示されてる。でも、それを理由に命令するつもりはない。どこにいるかは、自分で決めていい」
セリナは、今度は笑わなかった。
確かめるように俺を見る。
「じゃあ、私は出る」
「え?」
理解するまで、一拍かかった。
「今?」
「今すぐじゃないわよ」
セリナが呆れたように肩をすくめる。
「放浪者と自殺志願者は違うわよ。外の地形も、危険な生き物も、水場も、人里の場所も知らない。そんな状態で飛び出すほど馬鹿じゃない」
「じゃあ……」
「二、三日泊めて。その間に、ここがどういう場所か、外がどうなってるか知りたい」
壊れた方位磁針を指先で持ち上げる。
「旅に出る前に、どこから出るのかくらい知っておきたいじゃない」
残るか迷うためではない。
出ることは、もう決めている。
そのうえで、安全に出る準備をするために滞在する。
俺にはない決断の速さだった。
「外へ出る前に、もう少し聞いていい?」
「分かることなら」
「出口は毎回同じ場所に繋がる?」
「今のところは。ただ、俺が出入口を開く必要がある」
「外から一人で戻れる?」
答えに詰まった。
ファステたちは俺と一緒に出入りしている。離れた住民が単独で《淫獄》へ戻れるかは、まだ確かめていない。
「分からない」
「じゃあ、戻りたくなっても戻れないかもしれないのね」
「そうなる」
セリナは不安がるのではなく、その事実を覚えるように一度頷いた。
「戻る方法が分からないなら、出るのをやめるか?」
「やめない。でも、帰り道がないかもしれない前提で準備する」
迷わない。
ただし危険を無視するわけでもない。
「危険な生き物は?」
「いる。俺は声を聞いただけで逃げる」
「それは聞かなくても分かった」
「何でだよ」
「弱いって言った時、悔しそうじゃなかったから」
それは褒められているのだろうか。
少なくとも、命を懸けてまで見栄を張る気がないのは事実だった。
「水場と採取場所は何か所かある」
リゼが会話へ加わる。
「だが安全が保証された道じゃない。私たちも見ていない場所の方が多い」
「十分。知らない場所が多いって分かっただけでも情報よ」
「武器は?」
「逃げ道を作る程度なら」
セリナは腰の刃物を軽く叩いた。
「勝てない相手を倒すためには使わない」
「なら、少なくとも自分の力量は分かっているらしいな」
「放浪者と自殺志願者は違うって言ったでしょ」
二人の間に、戦える者同士だけが分かる確認が成立したようだった。
俺は完全に外側である。
別に寂しくはない。安全になるなら何でもいい。
「寝床を整えますね」
ファステが言った。
「短い間でも、休む場所は必要ですから」
「ありがとう。あなた、ここの宿の人?」
「宿ではありませんが……生活のことを主に担当しています」
「私はリゼだ。外へ出るなら、勝手に先行するな」
「戦う人ね」
「護衛だ」
「レイナ・クロフォードですわ。必要な物があるなら、先に確認した方がよろしくてよ」
「荷物は少ないから大丈夫」
「少ないことと、足りていることは別ですわ」
「冬月千代じゃ。食料を持ち出すなら量を申告せよ」
「話が早くて助かるわ」
「ヴィオラ。旅立つ前に一勝負どう?」
「道に迷うかどうかを賭けるなら嫌よ」
「まだ何も言ってないのに」
一通りの顔合わせが終わったところで、縁がセリナの靴へ近づいた。
大きな耳を動かし、匂いを嗅ぐ。
「これ何?」
「分からない」
「飼ってる?」
「観察中じゃ」
千代が真顔で答える。
セリナは縁と、庭の寝床と、餌の器を順番に見た。
「ずいぶん手厚い観察ね」
「全員そう言う」
俺が答えると、縁は興味を失ったように庭へ戻った。
その日の夜。
新しく整えた簡易寝床のそばで、セリナは荷物を解いていた。
本当に少ない。
着替えと水袋、小さな火起こし道具、縄、刃物。あとは壊れた方位磁針くらいだ。
「こんなに壁のある場所で寝るの、久しぶり」
セリナは寝床へ腰を下ろし、天井を見た。
「落ち着かない?」
「少し。でも嫌いじゃない。雨の音を気にしなくていいし、起きた時に荷物が濡れてない」
「なら――」
残ればいい、と言いかけて止める。
快適だと思うことと、留まることは別だと、さっき教えられたばかりだ。
「何?」
「いや。二、三日はゆっくり寝られるなって」
「そうね。出る前に休めるなら休んでおく」
ファステや千代なら、休むことにも理由が必要になる。
セリナは必要だと思えば働き、必要だと思えば迷わず休む。
同じ家に入ってきても、暮らし方は全員違った。
「本当に出るんだな」
「出るよ」
「ここが嫌だから?」
「まさか」
セリナは家の中へ視線を巡らせた。
共用部屋ではファステが明日の準備をし、リゼが装備を確認している。レイナと千代は物置の整理について話し、ヴィオラは縁の前でコインを左右へ動かしていた。
「いい場所だと思う」
「じゃあ、残れば?」
口にしてから、引き止めるつもりに聞こえたかもしれないと思った。
けれどセリナは気を悪くしなかった。
「好きな場所と、今いたい場所は別よ」
そう言って、壊れた方位磁針を胸元へ戻した。
3,000個使って召喚した住民は、二、三日後には出ていくらしい。
ガチャとして考えれば、かなり想定外だ。
ただ、本人がそう決めたのなら。
俺が決めるべきなのは、引き止める理由ではなく、無事に出ていける方法なのだと思った。
少なくとも、勢いだけで家を出る人物ではない。それだけは信じてもよさそうだった。




