第38話 その頃、俺以外の転移者たちは
「神崎、右!」
鋭い声が飛ぶ。
神崎蓮は考えるより先に地面を蹴った。
直後、さっきまで彼がいた場所を、訓練用の木剣が横薙ぎに通り過ぎる。
「見えてる!」
「見えてるなら避けて!」
訓練場の後方で、高峰美咲が片手を突き出した。
その指先に淡い光が集まり、細い光弾となって神崎の脇を抜ける。光弾は彼へ木剣を振り抜いた兵士の足元へ着弾し、乾いた土を弾けさせた。
兵士の体勢が崩れる。
神崎は踏み込み、相手の胸当てへ寸止めの剣先を向けた。
「一本!」
見届け役の兵士が声を上げる。
だが、訓練は終わらない。
左から、もう一人。
神崎が振り向くより早く、薄い光の膜が彼の前へ広がった。打ち込まれた木剣が膜へ触れ、鈍い音を立てて止まる。
「蓮、前だけ見ない!」
「助かった、小川!」
「お礼は終わってから!」
小川ひなたは返事をしながら、もう片方の手を高峰へ向けていた。高峰の足元にも同じ光が薄く広がり、魔法を放った直後の隙を狙っていた兵士の踏み込みを阻む。
神崎が一人目を押し退け、二人目との間へ割って入る。
高峰が小さく息を吸った。
「三つ数えたら伏せて」
「先に言ってくれ!」
「今言ったでしょ。一、二、三」
「短い!」
文句を言いながら神崎が身を沈める。
その頭上を、熱を帯びた風が走った。
赤い光が扇状に広がり、二人の兵士をまとめて後退させる。直撃させず、逃げ道だけを塞ぐ正確な魔法だった。
神崎が立ち上がる。
左右へ一歩ずつ。
木剣の切っ先を、一人、二人と順に胸元へ当てた。
「そこまで!」
号令と同時に、訓練場を囲んでいた学生たちから歓声が上がった。
「また三人だけで勝ってるし」
「もう完全に勇者パーティーじゃん」
神崎は額の汗を腕で拭い、露骨に嫌そうな顔をした。
「だから勇者じゃないって」
「剣持って魔法使いと治癒役を連れて、それは無理があるだろ」
「連れてない。勝手に一緒にいるだけだ」
「その言い方、感じ悪いんだけど」
高峰が冷たい目を向けた。
「そういう意味じゃない」
「では、勇者殿ではなく神崎殿とお呼びしましょう」
相手をしていた兵士が、肩についた土を払いながら笑う。
「最初からそうしてください」
「ですが、三人は一組で動かした方が安定します。そこは認めていただきたい」
「それは……まあ」
神崎は高峰と小川を見る。
高峰はすでに、自分が放った魔法の着弾位置を記録していた。小川は神崎の腕を取り、浅い擦り傷を見つけて眉を寄せている。
「いつの間にできたの、これ」
「今の訓練じゃないと思う。昨日かな」
「傷を作った日くらい覚えてて」
淡い光が傷を包み、わずかな痛みが消える。
神崎が前へ出る。
高峰が周囲を見て、火力を通す場所を作る。
小川が二人の隙間を塞ぐ。
誰かがパーティーを組もうと言ったわけではない。
訓練と、数度の実戦を重ねるうちに、自然とこの形になっていた。
◇
訓練場にいる学生全員が、三人と同じように戦えているわけではなかった。
標的へ向けて魔法を放ち、何度やっても手前の地面を焦がす者。
手に入れた能力が、布の傷みを見分けることにしか使えないと落ち込む者。
補助の力はあるが、自分一人では魔物へ対抗できない者。
端では、一人の男子学生が木剣を握ったまま動けずにいた。
実戦で初めて魔物を斬ったときの感触が、手から消えないらしい。
「神崎たちはいいよな。分かりやすく強くて」
誰かが、悪意というより疲れた声で言った。
神崎が振り返るより先に、小川が答えた。
「強いから楽ってわけでもないけどね」
声は穏やかだった。
責める響きも、自慢する響きもない。
「ごめん。そういうつもりじゃ」
「分かってる。私だって、治せる力があってよかったとは思ってる。でも、人が怪我するのに慣れたかったわけじゃないから」
小川は自分の手を見る。
「慣れたくなかったけどね」
誰も、すぐには返事をしなかった。
力を得た。
食事も寝床も与えられ、この世界で生きる方法も教わっている。
それでも全員が、この状況を冒険だと楽しめるわけではなかった。
「帰る方法、本当に見つかるのかな」
訓練場の隅で、別の学生が呟く。
答えられる者はいなかった。
◇
「明日も訓練だってさ」
「その次はまた討伐らしい」
宿舎へ戻る石造りの廊下で、学生たちの会話が続いていた。
「今度は参加者を増やしたいって」
「嫌なら断れるんだろ?」
「そう聞いてる」
三浦悠斗は歩みを止めず、会話へ口を挟んだ。
「俺たち、いつの間にか戦う前提になってないか?」
「だから、嫌なら断れるって言われてるだろ」
「断れるのと、断りやすいのは別だろ」
その言葉に、何人かが黙った。
三浦は現地の人間を敵だと言いたいわけではなかった。
転移した直後、混乱していた学生たちへ最初に水と食事を与えたのは彼らだ。
着替えも、宿舎も、怪我の治療も用意された。
この世界の言葉や危険についても教えられた。何も分からないまま外へ放り出されていれば、すでに何人かは死んでいただろう。
「親切なのは本当だと思う」
三浦はそう前置きした。
「でも、親切なのと、俺たちを使いたくないのは別だ」
「疑いすぎじゃないか?」
「そうかもしれない。だから見てる」
決めつけないために見ている。
感謝しているからこそ、すべてを善意として受け取らない。
それが今の三浦の立場だった。
少し前を歩いていた神崎は、口を挟まなかった。
反論できなかったからではない。
三浦の警戒にも、自分が戦う理由にも、それぞれ筋があると思っていた。
◇
夕食時、翌日の予定を確認するため、参加できる学生の人数が数えられた。
そこで、空いた席の一つを見た誰かが言った。
「そういえば、黒瀬ってまだ見つかってないんだよな」
食堂の空気が、ほんの少しだけ変わった。
黒瀬夜斗。
同じ講義室から転移したはずなのに、混乱の直後には姿が見えなくなっていた学生。
現地の兵士たちは周辺を捜したという。
学生側からも何人かが捜索へ参加した。
けれど、痕跡すら見つからなかった。
「もう無理なんじゃないか」
「死んだって決まったわけじゃないだろ」
「でも、これだけ経ってるぞ」
「黒瀬なら、戦えないと思ったら逃げると思う」
水野葵が、硬いパンをスープへ浸しながら言った。
何人かの視線が集まる。
「それ、褒めてる?」
「全然」
水野は即答した。
「私だって、あいつと特別仲がよかったわけじゃないし。授業で何回か話したくらい。でも、危ないのに格好つけて前へ出るタイプでもないでしょ」
「まあ、目立つタイプではなかったな」
「案外、どっか安全な場所を見つけて、私たちより普通に暮らしてるかもよ」
数人が笑った。
張っていた空気をほどくような、小さな笑いだった。
「黒瀬が?」
「想像できるような、できないような」
神崎だけは笑わなかった。
悲観した顔もしなかった。
「生きてるなら、それが一番いい」
それだけ言って、食事へ戻った。
黒瀬を捜すことを諦めたわけではない。
けれど、見つからない一人のために、ここにいる全員の時間を止めることもできなかった。
◇
夜、神崎たちを含む学生数名が、小さな会議室へ呼ばれた。
机の向こうにいた現地の担当者は、最初に深く頭を下げた。
「近隣で魔物による被害が増えています。皆様には、現地兵に同行し、状況の調査と護衛へ協力していただきたいのです」
机上の地図には、宿舎から少し離れた場所が示されていた。
神崎たちがこれまで経験した街道沿いの小型魔物討伐や、村近辺の護衛より、移動距離が長い。
「先に申し上げます。これは命令ではありません」
担当者は学生たちを順に見た。
「参加を拒否しても、皆様への待遇が変わることはありません。危険がある以上、望まない方へ強いるべきではないと考えています」
三浦は、担当者の顔と周囲の兵士たちを見る。
言葉に嘘があるようには見えなかった。
少なくとも、今すぐ脅して従わせるつもりはないらしい。
ただし、期待されていることも明らかだった。
「俺は行きます」
神崎が最初に答えた。
「助けてもらっている以上、俺たちもできることをしないと。それに、力があるなら、やれることはやるべきだと思います」
担当者が安堵したように頭を下げる。
「神崎一人なら余計危ないから、私も行きます」
高峰が続いた。
「一人で行くとは言ってないだろ」
「放っておくと一人でも行くでしょ」
「それは……状況による」
「ほら」
小川がため息をつく。
「じゃあ、私は行かない選択肢ないじゃん」
「嫌なら残っていいぞ」
「そういう意味じゃない」
昼間とよく似たやり取りに、緊張していた学生の何人かが笑った。
そのあと、さらに数名が参加を申し出た。
三浦は手を挙げなかった。
戦う力に自信がないことも理由の一つだった。
もう一つは、誰が参加し、誰が残り、現地側がその選択をどう扱うのか見ていたかったからだ。
担当者は、不参加を選んだ学生にも態度を変えなかった。
少なくとも、その夜は。
◇
宿舎へ戻ると、神崎は借り受けた剣を布で拭き始めた。
高峰は机へ魔法の記録を広げ、今日の訓練で生じた光弾のずれを書き込む。
小川は治療道具を並べ、不足がないか一つずつ確認していた。
「それ、明日だけで使い切らないよな?」
神崎が尋ねる。
「使い切るような怪我をしないで」
「善処する」
「善処じゃ困る。約束して」
「無茶はしない」
「信用がない」
「右って言ったら避けてくれれば、治療道具も減らないけど」
高峰が記録から顔を上げずに言う。
「だから、見えてたって」
「見えてるなら避けて」
同じやり取りが繰り返される。
三人の前には、剣と、魔法の記録と、治療道具があった。
異世界へ来る前には、一つも触れたことのなかった物ばかりだった。
それが今は、明日へ備えるための日用品になり始めていた。
◇
「黒瀬、本当に生きてると思う?」
消灯前。
宿舎の窓辺で、女子学生の一人が水野へ尋ねた。
外には、日本では見慣れなかった星空が広がっている。
「知らない」
水野は答えた。
慰めのために、生きていると言い切ることはしなかった。
少しだけ間を置いてから、窓枠へ頬杖をつく。
「でも、あいつが魔物と正面から戦ってる姿より、どっかに引きこもってる姿の方が想像できる」
「それ、生存予想としてどうなんだよ」
「異世界では案外強いかもよ。引きこもり」
水野は冗談めかして笑った。
黒瀬夜斗が今どこにいるのか。
その夜、学生たちの中に答えを知る者は一人もいなかった。




