第37話 気づいたら、貯まってた
『所持《淫獄石》:2,550』
『次回通常《住民召喚》必要数:3,000』
残り、450。
数字だけ見れば、あと少しだ。
第36話では一日で900個も増えた。
同じことをもう一度やれば、簡単に届くかもしれない。
「今日は検証しないの?」
表示を横から覗いたヴィオラが聞いてきた。
「昨日やっただろ」
「残り450だよ」
「知ってる」
「少し試せば届くかもしれない」
「試さない」
即答した。
「全員の部屋をもう一周する?」
「絶対やらない」
「じゃあ、組み合わせを変えるとか」
「石のために生活を操作し始めたら終わりだろ」
住民が自分の意思で参加する検証まで否定する気はない。
だが、あと少しだから何かやってくれと言い始めれば、生活の順番が逆になる。
俺たちは石を作るために暮らしているわけではない。
「今日は普通に過ごす」
「へえ」
ヴィオラが笑う。
「何?」
「いや。明日まで続くといいね」
「何が?」
「その立派な決意」
信用がない。
◇
朝食の準備は、もうファステ一人の仕事ではなかった。
「こちらの水を運べばいい?」
「お願いいたします」
俺が水を運び、レイナが器を並べる。
リゼは土間で外出用の装備を確認しながら、火起こしに使う細い枝を選んでいる。
ヴィオラは全員を呼ぶ役だ。
一番楽な仕事に見えるが、個人空間へ勝手に入らず、声をかけて返事を待つ規則は守っている。
「この根は、今日使ってよい」
物置から戻った千代が言った。
「予備へ回さなくてもよろしいのですか?」
ファステが尋ねる。
「残りの量は確認した。今日の使い方は、そなたへ任せる」
「私が決めてよいのですか?」
「調理する者の方が、必要な量を分かっておろう」
千代は管理しているからといって、全部を自分で決めない。
ファステも、任されたことへ戸惑いながら根を二つに分けた。
「一つを今日使います。もう一つは、状態を見ながら明日以降へ残します」
「それでよい」
二人とも、以前なら自分だけで抱え込もうとしたはずだ。
今は互いの役割を認め、判断を渡し、受け取っている。
俺は、その変化を少し嬉しく思った。
表示は出ない。
「……増えないんだな」
つい小さく漏らす。
「何かおっしゃいましたか?」
「何でもない」
そりゃそうか。
何でも石になるわけじゃない。
二人の変化が消えたわけでも、朝食の価値がなくなったわけでもない。
むしろ、数字が出なくても嬉しいと思えたことの方が大事な気がした。
◇
午前、縁を監督下で囲いから出した。
リゼが庭の出口と土間の奥を確認する。
「今日はここまで。共用部屋へ入ろうとしたら止める」
「追いかけてはいけないのですわね」
レイナが縁から少し離れて座る。
「お前が近づけば逃げる」
「分かっていますわ。縁が来たい時に来るのでしょう?」
以前なら、あと少しと手を伸ばしていたかもしれない。
今日は掌を床へ置き、そのまま待つ。
縁は庭の匂いを嗅ぎ、囲いの周囲を一周した。
次にリゼの足元へ寄る。
装備の匂いを嗅ぎ、すぐ離れた。
「私には餌の匂いがないからな」
リゼは動かない。
縁がレイナの方を見る。
一歩。
止まる。
また一歩。
レイナは息を潜めていた。
縁の鼻先が、床へ置かれた指へ触れる。
レイナの目が大きく開いた。
それでも手を動かさない。
「そのまま」
リゼが小声で言う。
「分かっています」
縁はしばらく匂いを嗅ぎ、自分から二歩下がった。
レイナは追わない。
「触れませんでしたわ」
「来ただけで十分だろ」
リゼが少し笑う。
「次も来るかもしれない」
「そうですわね」
二人の間を、縁が歩く。
俺が何かしたわけではない。
誰かへ頼んだわけでもない。
リゼとレイナが互いのやり方を理解し、縁との距離を作っている。
俺を中心にしなくても、家の中では関係が増えていく。
その光景が、思ったより強く刺さった。
『《淫獄石》を80個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,630』
「増えましたの?」
レイナがこちらを見る。
「八十」
「なぜです?」
「分からない」
「今のは二人と縁の関係じゃない?」
いつの間にか来ていたヴィオラが言う。
「夜斗が混ざらなくても増える。面白いね」
「すぐ検証項目にするな」
◇
午後、共用部屋から小石のぶつかる音が聞こえた。
俺は個人空間で横になっている。
今日は普通に過ごすと決めた。
だから参加しない。
「今のは、わたくしの勝ちですわ!」
「線を踏んでおる。無効じゃ」
「投げる前に言えよ」
「皆様、順番にお願いいたします」
「次は私だね」
楽しそうな声が聞こえる。
小石遊びは、円の中央へ最も近く投げた者が勝ち。
昨日ヴィオラが作った、単純な遊びだ。
目を閉じる。
また小石が鳴る。
「夜斗は?」
ヴィオラの声が聞こえた。
呼ばれたわけではない。
ただ名前が出ただけだ。
俺は寝返りを打った。
三分後、個人空間の入口から共用部屋を覗いた。
「参加しないんじゃなかった?」
即座にヴィオラに見つかる。
「見てるだけ」
「じゃあ、そこから見てて」
「一回くらいなら投げてもいい」
「参加するんだね」
「ルールに問題がないか確認する」
俺は小石を一つ受け取った。
狙う。
投げる。
中央からかなり離れた場所へ落ちた。
「下手だね」
「床の状態が悪い」
「全員同じ床じゃ」
千代に正論で潰された。
結局、もう一投した。
今度は少し近づいたが、レイナより遠い。
全員に笑われた。
表示は出ない。
石は一個も増えなかった。
それでも、不思議と拍子抜けはしなかった。
「まあ、楽しかったなら、それでいいか」
「何か言った?」
「次は勝つと言った」
「言ってない顔だね」
ヴィオラは笑ったが、それ以上追及しなかった。
◇
夕方、縁を庭へ戻そうとする。
縁は俺の足元へ一度だけ来た。
以前なら、そのまま脚の後ろへ隠れたかもしれない。
今日は匂いを嗅ぐだけで離れ、ファステの方へ向かう。
「お水を替えますから、少し待ってくださいね」
ファステが器を持って囲いへ入る。
縁は次に千代の近くへ行き、並べられた小石の匂いを嗅いだ。
「動かすでないぞ」
千代は餌の残量を確認している。
レイナは寝床の布が少しずれていることに気づいた。
「こちらを直した方がよいのでは?」
「縁が自分で動かした可能性もある。すぐ戻すな」
リゼが囲いの留め具を確認しながら止める。
「では、様子を見ます」
レイナは手を引いた。
「これを置いたら遊ぶかな」
ヴィオラが小さな石を囲いへ入れようとする。
「飲み込むかもしれないから駄目」
俺とリゼの声が重なった。
「二人とも息が合ってきたね」
「お前が毎回同じことをするからだ」
誰かが役割を命じたわけではない。
今日は誰が何をするか、話し合ってもいない。
それでもファステは水を替え、千代は餌を確認し、リゼは囲いを見る。
レイナは寝床を気にし、ヴィオラは余計な遊びを持ち込もうとする。
「……いつの間にか、全員で世話してるな」
「正式に飼うと決めたわけではないぞ」
千代がすぐ返す。
「名前まで付けて、寝床を作って、餌を管理して、散歩までしてるけどね」
ヴィオラが指折り数えた。
「観察じゃ」
「それ、いつまで通す気?」
千代は答えず、小石を一つ動かした。
俺は笑った。
全員、建前だけはまだ一時保護を続けている。
そのくせ、縁がいる生活へ馴染みすぎていた。
『《淫獄石》を120個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,750』
「あと250」
ヴィオラが言う。
「数えるな」
「表示を見ただけだよ」
◇
夜。
六人で共用部屋にいた。
特別な話はしていない。
ファステは明日使う食料を考えている。
リゼは装備の紐を直している。
レイナは乾いた白い花を手にして、新しい置き場所を考えていた。
千代は今日減った物を、小石で記録している。
ヴィオラは遊びに使った石を指先で転がしていた。
俺は何もせず、壁へ背を預けている。
誰も俺を中心に動いていない。
会話が途切れても、気まずくならない。
庭では縁が寝床へ戻り、時々囲いの枝を鳴らしている。
やがて一人ずつ個人空間へ戻る。
そして翌朝になれば、また共用部屋へ出てくる。
俺は最初、ここへ誰も入れないつもりだった。
一人で逃げ、一人で引きこもるための場所。
灰色の床と壁しかなくても、安全ならそれでよかった。
今は六人分の生活音がある。
庭には縁がいる。
物置には全員で使う物があり、土間にはリゼの装備があり、個人空間にはそれぞれが選んだ物が置かれている。
静かではない。
何もかも自分の思いどおりになる場所でもない。
それでも、不快ではなかった。
むしろ。
この状態が、明日も続けばいい。
そう思った。
成人女性五人と暮らす家。
それぞれが俺とは別の関係を作り、自分の役割と自分の場所を持っている。
俺のためだけに動くわけではない。
それでも明日になれば、また同じ場所へ集まる。
家でしか見えない姿と、積み重なった関係と、この生活を続けたいという俺自身の欲望。
全部が重なった。
『《淫獄石》を250個獲得しました』
『所持《淫獄石》:3,000』
『所持上限:3,000』
『《住民召喚》を実行できます』
「……え?」
思わず声が出た。
ヴィオラがすぐこちらを見る。
「貯まった?」
「……貯まった」
五人の視線が集まる。
「じゃあ、引く?」
ヴィオラが当然のように尋ねた。
◇
3,000。
第5回通常《住民召喚》を、今すぐ実行できる。
所持上限にも達している。
このまま次の石が発生すれば、超過分は無駄になる。
第23話の俺なら、使わない方が損だと即座に合理化したかもしれない。
今も、その理屈が間違っているとは思わない。
だが今日は、石を集めるために過ごした一日ではなかった。
朝食を用意した。
縁を見守った。
小石で遊んだ。
全員で同じ家にいただけだ。
その一日が、表示一つで急にガチャの前準備へ変わるのは、少し惜しい気がした。
「……今日は引かない」
ヴィオラが目を細める。
「へえ」
「何だよ」
「いや。引かないんだと思って」
「引かないとは言ってない。今日は引かないだけ」
「それ、明日引く奴の言い方だね」
「うるさい」
ファステは安心したような、少し困ったような顔をしている。
リゼは「決めるのはお前だ」とだけ言った。
レイナは次に誰が来るのか気になるらしい。
千代は、召喚後に食料がさらに必要になることを忘れるなと釘を刺した。
その反応を聞いても、今日は表示を閉じた。
ガチャを引けるのに、すぐ引かなかった。
たぶんこれは、かなり大きな進歩だ。
――明日まで保てば。




