第36話 誰の部屋に行く?
「それで、誰の部屋に行く?」
ヴィオラが言った。
昨夜から引き継がれた質問に、朝食後の共用部屋が静かになる。
「何で俺を見るの?」
五人の視線が集まっていた。
「言い出したのはヴィオラだろ」
「私は誰かの部屋へ遊びに行こうと言っただけだよ」
「なら、自分で決めればいい」
「あんたが誰を選ぶか見てからでも遅くない」
「そういう言い方をするな」
誰かを選ぶ。
その言葉に、胸の奥が少しだけ重くなる。
高校にいた頃、誰の味方なのかと聞かれたことを思い出した。
どちらかを選べば、選ばなかった方を傷つける。
そう考えて、俺はどちらも選ばなかった。
結果的に、それでも誰かを傷つけた。
「好意の順位を決める話ではないぞ」
千代が俺の沈黙を切った。
「誰を最初に招くかで、その後に招けなくなるわけでもあるまい」
「一人一回、短い時間にしようか」
ヴィオラが規則を足す。
「参加したい者だけ。招く相手も本人が決める。断ってもいい。入る前に声をかけて、返事を待つ。途中で出たくなったら出る」
「また検証する気?」
「今日は部屋を見せ合う遊びだよ」
「石が増えた場合は?」
「記録はする」
やはり検証も兼ねている。
「で、誰から?」
「あの」
ファステが小さく手を上げた。
「よろしければ、私のところへ来ていただけますか?」
最初の一人は、俺が選ぶ前に決まった。
◇
ファステの個人空間の前で声をかける。
「入っていい?」
「はい。どうぞ」
許可を得てから布の入口を開けた。
中はきれいに整っている。
寝床。
畳んだ衣服。
少しの私物。
家具らしい家具はない。
それでも、何もなかった頃の《淫獄》と比べれば、ここが誰の場所なのか分かる。
「座ってください」
「どこに?」
「こちらへ」
寝床の端ではなく、その隣の床を示された。
二人で座ると、かなり近い。
個人空間は一人で使う前提の広さだから当然だ。
「それで、見せたいものって?」
「まだ、ありません」
「ないの?」
「これから置きたいものです」
ファステは寝床の横にある、小さな空き場所を示した。
「いつか茶葉と道具が手に入り、紅茶を淹れられるようになったら。最初に使うカップを、どこへ置こうかと思いまして」
「共用の調理場所じゃなくて?」
「普段使う物は、そちらがよいと思います。ただ、最初の一杯に使う物は……私のところへ置いてみたいです」
第2話で生まれた目標。
第16話で交わした約束。
それを今度は、自分の場所へ置こうとしている。
「ここなら、寝床へ当たらない。出入口からも遠すぎない」
俺が位置を示す。
「では、そこにします」
「まだカップはないけど」
「置く場所が先に決まっていても、よいと思います」
ファステが柔らかく笑った。
二人しかいない狭い空間で、まだ存在しないカップの置き場所を決める。
未来の共同生活を、自分の部屋へ少しだけ予約するような状況だった。
『《淫獄石》を110個獲得しました』
『所持《淫獄石》:1,760』
「増えましたね」
「ファステまで普通に確認するようになったな」
「夜斗様の表情で、少し分かるようになりました」
近い距離で笑われる。
増えなかった。
どうやら、何でもかんでも反応するわけではないらしい。
◇
「次は私でいい」
共用部屋へ戻ると、リゼが言った。
「いい、というのは?」
「来るんだろ。私のところへ」
「招き方が命令なんだよな」
「嫌なら断れ」
「行きます」
リゼの個人空間の前でも、きちんと声をかける。
本人が目の前にいるのに必要なのかと思ったが、規則は規則だ。
「入っていい?」
「いい」
中は想像どおり、物が少なかった。
寝床。
予備の布。
装備の一部。
以上。
「何もないな」
「言うと思った」
リゼの声が少し不機嫌になる。
「悪い意味じゃない。リゼらしい」
「それも褒めてないだろ」
戦場では、持てる物しか持たなかった。
いつ移動するか分からず、自分だけの場所も作れなかったらしい。
「ここに物を増やしたいとは、まだ思わない」
リゼは奥へ座った。
「でも、何も置いてなくても、戻って装備を外せる場所は悪くない」
俺へ入口側を示す。
「そこへ座れ」
「何で入口側?」
「誰か来たら、お前が先に分かる」
「それ、俺が見張るってこと?」
「今だけ役割交代だ」
リゼは壁へ背中を預け、脚を伸ばした。
装備を外し、俺を入口側へ置き、自分は狭い部屋の奥で力を抜く。
普段なら絶対に逆だ。
「本当に休んで大丈夫?」
「お前がいる間くらいはな」
目を閉じる。
護衛する側しか知らなかった女が、自分の部屋へ俺を招き、短い時間だけ警戒を預けている。
『《淫獄石》を145個獲得しました』
『所持《淫獄石》:1,905』
「増えたか?」
目を閉じたまま聞かれる。
「145」
「そうか」
興味がないふりをしている。
でも口元が少しだけ緩んでいた。
◇
レイナのところへ行く。
「レイナ、入っていい?」
「少々お待ちください」
前回と同じ返事。
だが今日は、布の向こうから慌てて何かを隠す音はしなかった。
「どうぞ」
中へ入ると、彼女は自分の私物置きの前へ座っていた。
俺が選んだ髪飾り。
乾き始めた白い花。
自分で選んだ布の切れ端。
役に立つとは言いにくい物が、丁寧に並べられている。
「以前は、見せる物を選ぶこともできませんでした」
レイナが言う。
「部屋へ誰を入れるかも、置く物も、身につける物も。誰かが先に決めていましたから」
「今は?」
「今は、あなたへ見せる物をわたくしが選びました」
乾いた白い花を手に取る。
「枯れかけてるけど、捨てないの?」
「枯れたから価値がなくなるとは限りませんわ」
「でも、ずっとは残らない」
「だから、残っている間に見せたかったのです」
彼女が自分で選んだ花。
俺に似合う位置を選ばせた花。
今度は、自分の部屋へ俺を招いて見せると決めた。
「触れても?」
「花になら」
少しだけ笑いながら渡される。
指先が触れそうになり、互いにわずかに手を引いた。
近い。
意識はした。
それなのに。
表示は出ない。
「……あれ?」
「どうしましたの?」
「いや」
俺は《淫獄石》の数字を確認する。
『所持《淫獄石》:1,905』
変化なし。
「増えておりませんの?」
「うん」
レイナが少しだけ目を丸くした。
「嫌でした?」
「逆だよ。普通に良かった」
「では、なぜ?」
「分からない」
同じように近くても。
意味があっても。
必ず石になるわけではない。
「つまり、わたくしに魅力がないという意味ではありませんのね?」
「絶対違うから、その方向に考えるのやめて」
「なら結構です」
レイナは白い花を元の場所へ戻した。
むしろ少し機嫌が直ったように見える。
数字が出ない時間にも、意味はあるらしい。
◇
千代の個人空間には、記録用の小石と細い枝が並んでいた。
「物置でやるのと変わらなくない?」
「こちらは写しじゃ」
「写しまで作ってるの?」
「管理する者が記憶だけへ頼ってどうする」
寝る場所にまで仕事を持ち込んでいる。
「それ、休めてる?」
「そなたに言われたくはない」
ゲームをしていた頃、寝る直前まで拠点配置を考えていた俺には反論できない。
千代は小石を端へ寄せ、隣を空けた。
「座れ」
女城主の部屋へ招かれ、隣へ座る。
とはいえ豪華な物はない。
戦装束を脱いだ千代と、寝床と、わずかな記録だけだ。
「城主の部屋としては狭い?」
「比べるものではない」
千代は髪を下ろしたまま答えた。
「ここは城ではない。私も今、兵へ命を下しておるわけではない」
「でも、ずっと管理してる」
「必要なことじゃ」
「ファステみたいになってない?」
千代が黙った。
少し効いたらしい。
「なら、今だけ記録を見ない」
俺は小石の上へ布をかけた。
「勝手に隠すでない」
「嫌なら戻す」
「……しばらく、そのままでよい」
二人で壁へ背を預ける。
王としての判断も、城主としての管理も、今はしない。
ただ狭い個人空間で、何も決めずに座る。
「そなたは、王である前は何者であった?」
「大学生」
「それは立場であろう」
「引きこもり気質のオタク」
「それは何者なのじゃ」
「説明が難しい」
千代が小さく笑った。
「なら今は、王ではなく、その説明しづらい若者としておればよい」
女城主から王として見定められてきた。
その彼女の部屋で、王でなくていい時間を許される。
下ろした髪。
軽い服装。
近い肩。
何も決めなくていい静けさ。
『《淫獄石》を275個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,180』
「……275」
「多いのか?」
「かなり」
「そうか」
競っていないと言っていたはずなのに、千代は少しだけ満足そうだった。
◇
千代の部屋を出たあと、すぐ共用部屋へ戻る気になれなかった。
嫌だったわけではない。
むしろ逆だ。
王じゃなくていい。
そう言われただけなのに、妙に残った。
俺は入口近くの壁へ背を預ける。
まだ石の表示が頭に残っている。
二百七十五。
数字が大きかったから気になっているわけではない。
たぶん。
「夜斗?」
ファステに呼ばれ、ようやく顔を上げた。
「何でもない。ちょっと休んでただけ」
今は、それ以上考えないことにした。
◇
「最後はヴィオラか」
共用部屋へ戻った俺が言う。
「私の部屋へ来る?」
「その流れだっただろ」
「気が変わった」
ヴィオラは俺の個人空間を指した。
「あんたの部屋へ行きたい」
「何で?」
「全員の部屋を見たのはあんただけだろ。なら最後は、あんたが誰かを入れる番だ」
自分の場所へ誰かを入れる。
他人の部屋を訪ねるのとは違う抵抗があった。
俺の個人空間は、俺一人になるための場所だ。
誰にも見られず、話しかけられずに済む。
「嫌なら断っていいよ」
ヴィオラは急かさなかった。
だから、自分で決めるしかない。
「……来てもいい」
「返事を待つ規則は?」
「今、返事しただろ」
「入口でもう一度聞く」
こういうところだけ律儀だった。
◇
俺が先に個人空間へ入る。
入口の外から、ヴィオラが声をかけた。
「入っていい?」
一瞬だけ迷う。
「いいよ」
布が開く。
ヴィオラが入ると、ただでさえ狭い空間が急に小さくなった。
「本当に何もないね」
「悪かったな」
「褒めてる。あんたが一人になるためだけの部屋だ」
寝床の端へ俺が座り、ヴィオラはすぐ隣の床へ座る。
膝が触れそうな距離。
逃げ場がないわけではない。
どちらかが出たいと言えば、すぐ出られる。
それでも共用部屋より、互いの呼吸が近く感じる。
「落ち着かない?」
「少し」
「私がいるから?」
「一人用の場所に二人いるから」
「同じことじゃない?」
「違う」
たぶん。
ヴィオラは壁へ背を預け、俺の部屋を見回した。
「昔のあんたなら、誰かを入れた?」
「入れない」
「今は入れた」
「企画だから」
「参加は自由だった」
「検証にもなる」
「それ、賭けをする奴が好きな理屈だ」
第23話と同じ言葉で返された。
「一人になるための場所へ、自分で誰かを入れた」
ヴィオラは俺を見る。
「誰も入れないことと、入れる相手を自分で選べることは違う」
俺は黙る。
「今のあんたが欲しかったのは、たぶん後者なんじゃない?」
近い距離で、俺自身も言葉にしていなかった変化を見抜かれる。
この女は、やはり危険だ。
欲望も、言い訳も、その奥にあるものまで見つけてしまう。
『《淫獄石》を370個獲得しました』
『所持《淫獄石》:2,550』
「……370」
「私が一位?」
「一位とか言うな」
「千代より増えたね」
「だから順位にするな」
ヴィオラは笑う。
「でも面白い。外からあんたの関係を見るより、あんた自身の場所へ入った方が強く出た」
「人の部屋で分析を始めるな」
「次の検証項目ができた」
「もう出ていい?」
「部屋の持ち主が先に出てどうするの」
狭い場所でヴィオラが笑った。
◇
五人との短い訪問が終わった。
所持《淫獄石》は2,550。
次の召喚まで、残り450。
一日で九百増えた。
それでも、五人全員で増えたわけではない。
近ければいいわけでもない。
好意があれば増える、という単純な話でもなさそうだ。
「一日でずいぶん近づいたね」
ヴィオラは石の数を見て言う。
「召喚へ、だろ」
「それも」
余計な含みを持たせる。
誰の部屋へ行くか。
最初に聞いたとき、俺は選ぶことを少し怖いと思った。
ファステの部屋へ行った。
そのあとリゼの部屋にも行った。
レイナにも招かれ、千代とも座った。
最後には、自分の部屋へヴィオラを入れた。
誰かを選んだからといって、必ず誰かを捨てることになるわけじゃない。
……たぶん。
少なくとも、今日はそうだった。
高校の時のことまで、それで全部説明できるとは思わない。
あの時と今では、状況も違う。
それでも。
選ぶことそのものを避けなくてもいい場合がある。
そのくらいなら、覚えておいてもいい気がした。
「それで」
ヴィオラがまた聞いた。
「次は誰の部屋に行く?」
「今日はもう終わり」
「じゃあ、明日」
「検証は一回だけと言っただろ」
「これはガチャじゃないんだろ?」
自分の言葉を使われた。
俺は答えず、個人空間へ戻る。
入口の布を閉める前に、共用部屋を見る。
五人はそれぞれ話しながら、自分の場所へ戻る準備をしていた。
一人になるのは、やはり好きだ。
でも今は、ここから出た後に誰がいるかも知っている。
そして。
声をかけて。
相手がいいと言ってくれれば。
訪ねられる場所が五つある。
それで十分だった。




