第32話 それ、本当に食べるの?
「食料の減りが、少し早くなっておる」
朝食の後、千代が言った。
共用部屋の低い台には、食料、水、火起こし用の素材を示す小石が並んでいる。
正確な重さも、何日分かも分からない。
それでも以前より増えたか減ったかくらいは把握できる。
「六人の食べる量が増えた?」
「急に全員の腹が大きくなったのでなければ、違うじゃろう」
千代は小石を一つ、端へ動かした。
視線の先は庭。
試験飼育区画では、非常食一号が浅い器へ鼻先を入れている。
「あいつの分か」
「一度に食う量は少ない。されど、毎日じゃ」
「まだ食べる物も一種類しか確認できておりません」
ファステが困ったように言う。
「他の物も試さなければなりませんが、体調を見るためには時間が必要です」
「食料を安定して得られるようになったわけでもないからな」
俺は並んだ小石を見る。
一匹増えたくらい、大したことはない。
そう言えれば簡単だった。
だが、俺たちは今も外から原始的な食料を少しずつ持ち帰っているだけだ。
採取できない日が続けば、すぐ余裕はなくなる。
かわいいは、食料を増やさない。
残念ながら、かなり重要な事実だった。
◇
話し合いは、庭へ移った。
非常食一号は囲いの中で毛づくろいをしている。
俺たちが集まっても、すぐ寝床へ隠れなくなった。
六人の声を、危険ではない音として覚え始めたのかもしれない。
「餌を増やすなら、採取量も増やす必要がある」
リゼが囲いの留め具を確かめながら言う。
「種類によっては、もっと食うようになるかもしれない。今の大きさのままとも限らない」
「それは昨日も話しましたわ」
レイナが答える。
「だから、いつまで様子を見るかを決めるんだ」
「すぐ決める必要がありますの?」
「すぐ決めないなら、決めない間も餌を使う」
言い方は厳しい。
だが間違ってはいない。
全員が言葉を探していると、リゼが非常食一号へ目を向けた。
「で、結局こいつは食うのか?」
全員が止まった。
非常食一号だけは気にせず、前脚を舐めている。
「……食べたいの?」
俺が聞く。
「そういう意味じゃない」
リゼは眉を寄せた。
「元は食料候補として連れ帰った。食わないなら、飼うのか、戻すのか、そのうち決めなきゃならないだろ」
「食べられるかも分からないけどね」
ヴィオラが付け加える。
「毒があるかもしれないし、解体の仕方も分からない」
「だから聞いてる。食えると分かったら食うのか?」
もう一度、沈黙が落ちた。
◇
「私は……」
最初に口を開いたのはファステだった。
「今すぐ、この子を食料として扱うのは難しいです」
声は控えめだが、言葉ははっきりしていた。
「毎日水を替えて、食事を用意してきました。まだ数日だけですけれど、それでも……」
ファステが囲いへ近づく。
非常食一号は逃げず、大きな耳を彼女へ向けた。
「私が来ると、食事を待つようになりましたから」
「わたくしも反対です」
レイナがすぐ続いた。
「この子を食べるなど、考えられません」
「感情だけで食料問題は解決せぬぞ」
千代が言う。
「分かっています」
レイナは反発せず、囲いの前へしゃがんだ。
「ですから、この子の分まで確保できる方法を考えるべきです。無理だと決まる前から、食べる方を選ぶ必要はないでしょう?」
以前なら、誰かに否定された時点で口を閉じていたかもしれない。
今は自分の望みを言い、そのために必要なことまで考えている。
「千代は?」
俺が聞く。
「食料が尽きかけておるなら、感情だけで残すとは言えぬ」
千代は小石を掌へ載せた。
「じゃが、食えるかも分からぬ物を、非常食として数えるのもおかしな話じゃ」
「そこ?」
「備蓄とは、必要なときに使えると分かっておる物を言う」
非常食一号は、千代の中で備蓄審査に落ちたらしい。
「毒かもしれぬ。肉がほとんどないかもしれぬ。そもそも食用に向かぬかもしれぬ。分からぬ物を食料の計算へ入れる方が危うい」
「つまり、食べない?」
「今すぐ食う理由がない、と言うておる」
ずいぶん遠回しだが、反対に近い答えだった。
◇
「ヴィオラは?」
全員の視線が、仮称を付けた張本人へ向く。
「私?」
ヴィオラはコインを指の上へ立てた。
「非常食一号と名付けたのはお前だろ」
「名前じゃなくて仮称だよ」
「なお悪い」
リゼに言われ、ヴィオラは肩をすくめた。
「正直に言うと、本当に食べる場面までは考えてなかったね」
「考えてなかったのかよ」
「あんたが嫌そうな顔をするから、面白くて呼んでただけ」
「最低なのは俺じゃなくてお前では?」
「でも、あんただって呼んでる」
否定できない。
仮称として便利だったせいで、完全に定着しかけている。
「選べと言われたら、今は食べない方に張るよ」
ヴィオラはコインを握った。
「見たことのない生き物を食べる賭けは、見返りの割に危険が大きい。それに――」
非常食一号が、彼女の指先にあるコインを目で追う。
「こいつが何をするか、もう少し見ていたい」
賭け師らしい理由であり、たぶん、それだけではない。
◇
「リゼはどうなんだ?」
問いを出した本人へ返す。
「必要なら食料にする判断は否定しない」
リゼは即答した。
ファステとレイナの表情が固くなる。
「ただし、それは食えると分かって、他に食料がなくて、飼い続ける余裕もない場合だ」
リゼは続けた。
「今は全部分からない。腹が減ってもいない。なら、殺す理由がない」
「じゃあ、聞く必要なかったんじゃない?」
「誰も口にしなかったから聞いたんだ」
リゼは囲いの緩んだ縄を締め直した。
「食わないなら食わないで、餌を集める必要がある。守る対象が増えたなら、その分の準備をしなきゃならない」
言いながら、非常食一号が頭をぶつけそうな枝の先を布で包む。
必要なら食料にする。
そう言った本人が、一番現実的にこいつの安全を整えていた。
◇
最後は俺だった。
食料候補として連れ帰った。
ペット兼非常食と言ったのも俺だ。
それから囲いを作り、掃除をし、警戒されながら近くで眠られた。
「俺は、食べたくない」
口にすると、思っていたより簡単な答えだった。
「かわいいし。少し慣れてきたし。今さら食料として見るのは無理」
ファステがわずかに息をつく。
レイナの肩から力が抜ける。
「でも、それだけでずっと飼うと決めるのも違うと思う」
食料は足りていない。
何をどれだけ食べるかも分からない。
病気を持っている可能性も、成長して危険になる可能性も、元の場所へ戻した方がいい可能性もある。
かわいいから全部無視するのは、責任ではない。
「今は食べない」
俺は全員を見た。
「食えるかどうかも、今は決めない。飼うか戻すかも保留。もう少し観察する」
「期限は?」
千代が聞く。
「決められる材料が揃うまで。ただし、食料が危なくなったら、その前でも話し合う」
「妥当じゃな」
「異論はない」
リゼも頷いた。
永久に飼うと決めたわけではない。
食用ではないと確定したわけでもない。
ただ今日、この場で食べるという選択だけはしなかった。
◇
話し合いが終わると、五人はそれぞれの作業へ戻った。
ファステは空になった水の器を替える。
レイナは囲いの外へ座り、前より少し近い位置から手を差し出す。
千代は非常食一号へ回す餌の上限を、小石で別に分けた。
リゼはさっき締めた縄をもう一度引き、寝床の近くにあった尖った枝を取り除く。
ヴィオラはコインを転がす。ただし囲いの中へは入れない。
「全員、食べないって決まった途端に世話へ戻るの早くない?」
「観察を続けるのでしょう?」
ファステが当然のように答える。
「必要な作業ですわ」
レイナも平然としている。
「餌を浪費せぬための管理じゃ」
千代はあくまで実務だと言い張る。
「逃げたら話し合いが無駄になる」
リゼは安全管理。
「私は面白いから」
ヴィオラだけが正直だった。
五人とも理由は違う。
だが、今は食べないと決まったことへ、少しだけ安心しているように見えた。
ファステの柔らかな横顔。
レイナが汚れも気にせず地面へ膝をつく姿。
言葉とは反対に寝床を直すリゼ。
餌を残すため小石を分ける千代。
楽しそうにコインを動かすヴィオラ。
強さも、立場も、考え方も違う成人女性五人が、建前と本音を抱えたまま一匹を守ろうとしている。
そういう面倒な関係が、妙に刺さった。
『《淫獄石》を120個獲得しました』
『所持《淫獄石》:700』
「今日は多いね」
ヴィオラが俺を見る。
「真面目な話の後に確認するなよ」
「真面目な関係ほど刺さることもある、か」
「勝手に分析結果を増やすな」
否定しながら、完全には否定できなかった。
◇
夕方、非常食一号は布の寝床から出て、囲いの端へ座っていた。
俺たちが話していても逃げない。
レイナが差し出した手へ近づくことはなかったが、以前ほど遠くへも下がらなかった。
「ところで」
ヴィオラが言う。
「食べないなら、いつまで非常食一号と呼ぶの?」
誰も答えなかった。
正式な名前は、まだない。
仮称が不便でないから、考えずに済ませてきた。
「じゃあ、名前を決めるか」
俺が言った瞬間。
ファステがこちらを見る。
レイナも姿勢を正す。
リゼは腕を組み、千代はわずかに眉を上げ、ヴィオラは面白そうにコインを弾いた。
「……何で全員、参加する気なの?」
「六人で世話をしているのですから」
ファステが答える。
「夜斗さん一人に任せる理由もありませんわ」
レイナも続く。
「ひどい名前を付けられても困る」
リゼには信用されていない。
「決め方から決める必要があるの」
千代は会議を始めようとしている。
「せっかくだ。勝負にしようか」
そしてヴィオラは、やはり余計なことを言った。
非常食一号の食用判定は保留になった。
代わりに次は、名前をめぐる別の問題が始まりそうだった。




