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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第二章 「マイホームから始まる引きこもり」

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第30話 非常食一号



「飼うなら、まず水と食事が必要です」


 ファステが言った。


「逃げない囲いもだな」


 リゼが続ける。


「眠る場所も必要ではなくて?」


 レイナは土間の隅に置かれた布を心配そうに見つめていた。


「排泄物の始末はどうする。餌をどれほど食うかも分からぬぞ」


 千代はすでに飼育費用を計算し始めている。


「あとは名前だね」


 ヴィオラだけが楽しそうだった。


「いや、待て」


 俺は片手を上げた。


「まだ飼うと決めたわけじゃない」


 五人の視線が集まる。


 土間の隅では、昨日連れ帰った小動物が布の間から大きな耳だけを出していた。


 種族不明。


 性別不明。


 何を食べるか不明。


 食べられるかどうかも不明。


 今のところ、分かっているのは猫に少し似ていて、かわいいということだけだ。


「飼わないなら、どうするんだ?」


 リゼに聞かれた。


「安全を確認してから外へ戻すとか」


「どこで捕まえたか、正確に覚えておるのか?」


「だいたいは」


「親や群れがおるかも分からぬまま、適当な場所へ放すつもりか」


 千代の言葉が刺さる。


 連れ帰った以上、すぐ放せば全部解決とはいかないらしい。


「なら、判断できるまでは置いておくしかないか」


「一時保護ですね」


 ファステがまとめた。


「では、名前がいるね」


「その結論にはまだ早い」


「呼び方がないと不便だろ?」


 ヴィオラは布から覗く長い尾を眺め、少し考えた。


「非常食一号」


「最低だな」


「最初にペット兼非常食と言ったのはあんただよ」


「それは昨日の俺であって、今日の俺とは見解が異なる」


「一晩でずいぶん情が移ったね」


 否定しようとした瞬間、小動物と目が合った。


 丸い目が、こちらを警戒している。


「……仮称だからな」


「決まりだね、非常食一号」


 決まってしまった。


     ◇


 非常食一号を土間へ置き続けるわけにはいかない。


 外へ出るたび邪魔になるし、何かの拍子に共用部屋へ逃げ込めば大騒ぎになる。


 食料のある物置など、論外だ。


「庭の用途未定区画を使う」


 俺は庭へ出て、昨日決めたばかりの区画を見渡した。


 試験栽培用の場所。


 通路。


 休憩や遊びに使う余白。


 そして、何に使うかまだ決めていなかった一角。


「ここへ囲いを作れば、他の区画を潰さずに済む」


「狭くないか?」


 リゼが歩幅で大きさを測る。


「一匹を一時的に置くなら足りる。大きくなったら、そのとき考える」


「大きくなる種類かも分からぬがな」


「だから試験用」


 最初から完璧な設備を作ろうとすると、資材も場所も足りない。


 まず小さく作る。


 使って、問題を見つける。


 必要なら作り直す。


 拠点建築ゲームでも、いきなり最終形を目指すより仮設設備から始めた方が失敗は少ない。


「夜斗さん、楽しそうですわね」


「新しい設備を作るからな」


「非常食の家ですけれど」


「試験飼育区画と言ってくれ」


 言葉の印象は大事だ。


     ◇


 材料は、いま《淫獄》にある物で賄うことになった。


 外から持ち帰った枝。


 余っている布。


 短い縄。


 床や庭の端から動かせる、小さな石。


 本格的な檻は作れない。


 そこで枝を組んで低い囲いを作り、隙間へ細い枝を足す。上の一部には布を張り、日差しや風を避けられるようにする。


「この高さでは越えるぞ」


 リゼが囲いを見て言った。


「昨日の跳び方なら、倍は欲しいね」


 ヴィオラも同意する。


「小型だから低くていいと思ったのに」


「見た目で判断するなと昨日言っただろ」


 囲いは作り直しになった。


 開始から十分で設計変更。


 サンドボックス系ゲームなら資材が戻ることもあるが、現実ではほどいた縄も曲がった枝も勝手には新品へ戻らない。


「夜斗様、こちら側に出入口を作っていただけますか?」


 ファステが庭と土間を往復しながら尋ねた。


「ここ?」


「はい。食事や水を置くたび、囲いを大きく開けると逃げてしまうかもしれません。掃除もしやすい方が助かります」


 世話をする側の動線。


 俺は小さく開閉できる部分を追加した。


「ファステ一人で世話する前提にはしないぞ」


「ですが、食事の用意や掃除は私が――」


「毎日必要なら、毎日一人で抱える仕事にしない方がいい」


 ファステが何か言いかける。


 その前に千代が口を挟んだ。


「水と餌の確認は朝夕。汚れは見つけた者が知らせる。始末する者は日ごとに替えればよかろう」


「まだ排泄の仕方も分からないけどね」


「分からぬからこそ、一人へ任せるでない」


 ヴィオラに返しながら、千代は使った縄と布の量を数えている。


「餌も、我らの食料を無制限に分けるわけにはいかぬ。何を食うか確かめ、量を決める必要がある」


「食べる量が多かったら?」


 俺が聞く。


「飼い続けられるかを考え直す」


 容赦はない。


 だが、必要な判断でもある。


 かわいいだけで食料が増えるわけではないのだ。


     ◇


 レイナは、囲いの奥へ布を重ねていた。


「固い床へ直接寝かせるより、この方がよいでしょう?」


「布を汚す可能性があるぞ」


「洗えばよろしいのではなくて?」


「簡単に言うな。水も布も余ってはいない」


 リゼに指摘され、レイナは手を止めた。


「では、一枚だけにします」


 全部を諦めるのではなく、使う量を減らす。


 以前のレイナなら、自分の望みを口にする前に引いていたかもしれない。


 今は必要性を説明し、調整して残すようになった。


「入口から見えすぎると落ち着かないかもしれません」


 ファステが布の位置を変える。


「こっちに隠れられる隅を作りましょう」


「逃げ道にはするなよ」


 リゼは囲いを揺らし、枝が外れないか確認した。


 ヴィオラはその外側を一周し、小動物の目線までしゃがむ。


「ここ、穴に見えるかもね」


「塞いだはずだけど」


「外から見るのと、中から見るのは違うよ」


 細い隙間を指で示す。


 確かに、大きな耳は通らなくても頭が入るかもしれない。


 枝を一本追加した。


 俺一人で作っていたら、掃除用の出入口も、寝床も、隠れる場所も、脱走できそうな隙間も見落としていただろう。


 全体の形を考えるのは好きだ。


 でも、実際に使う者のことまで一人で考え切れるわけではない。


「王は全体を見る役、だったかの」


 千代がこちらを見た。


「今回はちゃんと見てるだろ」


「五人に直され続けておるがな」


「改善意見を採用できる柔軟な王と言ってほしい」


「ものは言いようだね」


 ヴィオラが笑った。


     ◇


 昼を少し過ぎた頃、試験飼育区画が形になった。


 大人がまたげる程度の囲い。


 布を張った簡易屋根。


 奥に置いた一枚だけの寝床。


 浅い水入れ。


 掃除や餌やりに使う、小さな出入口。


 檻と呼ぶには頼りなく、家と呼ぶには狭い。


 それでも、土間の隅よりはましだ。


「移すぞ」


 リゼが布ごと小動物を抱える。


 六人で囲めば怖がらせるため、囲いへ入れた後は全員で距離を取った。


 非常食一号は、布の中からすぐには出なかった。


 大きな耳だけが動く。


 しばらく待つ。


 やがて鼻先が現れた。


 周囲を嗅ぎ、前脚を一本だけ外へ出す。


「出ましたわ」


 レイナが小声で言う。


「静かに」


 ファステも声を抑える。


 小動物はいつでも布へ戻れるよう身構えながら、浅い器へ近づいた。


 一度こちらを見る。


 それから、少しだけ水を舐めた。


 レイナが両手で口元を押さえる。


 ファステはほっと息をつき、リゼは周囲と囲いを交互に確認している。


 千代は「水は飲む」と記録するようにつぶやいた。


 ヴィオラだけが俺を見ていた。


「何?」


「いや。ずいぶん嬉しそうだと思って」


「水を飲んだからな」


「あんたが?」


「非常食一号が」


「もう普通に呼んでるじゃない」


 しまった。


     ◇


 作業を終えた五人の服や手には、土や細かな木くずがついていた。


 ファステは袖をまくり、額へ少し汗を浮かべている。


 リゼは丈夫な枝を力任せに曲げたせいで、戦闘衣の肩がわずかにずれていた。


 レイナは汚れを気にしながらも、自分で選んだ寝床を満足そうに見ている。


 千代は髪をまとめ直し、すでに明日からの世話の分担を考えていた。


 ヴィオラは囲いへしゃがみ、指先でコインを転がしながら小動物の動きを観察している。


 成人女性五人が、それぞれまったく違う理由で一匹の世話を考えている。


 家ができて、庭ができて、今度は飼育区画まで増えた。


 俺が最初に望んだ、誰にも邪魔されない灰色の空間からは、ずいぶん遠い。


 それなのに、この光景を失いたいとは思わなかった。


 むしろ、全員がここで何かを選び、役割を持ち、同じものを気にしている状況が――かなり好みだった。


『《淫獄石》を90個獲得しました』


『所持《淫獄石》:500』


「今、増えたね」


 ヴィオラが即座に言った。


「お前は小動物じゃなくて俺を観察してたの?」


「両方。どっちも面白いから」


「俺の方を非常食一号と呼ぶなよ」


「二号ならいい?」


「よくない」


     ◇


 非常食一号が何を食べるかは、まだ分からない。


 植物候補も、庭へ植えられる物か確認できていない。


 飼育区画は枝と布で作った試作品。


 少し力をかければ壊れるし、雨の代わりになる現象が《淫獄》に起きるかも分からない。


「まだ飼うと決めたわけじゃないからな」


 俺は念のため言った。


「そうだね」


 ヴィオラが囲いの前で頷く。


「じゃあ、食べると決めるまでは非常食一号だ」


「その理屈だと永遠に改名できない気がする」


 囲いの奥で、小動物が布の上を何度か回った。


 やがて身体を丸め、長い尾で鼻先を隠す。


 眠ったわけではない。


 大きな耳は、まだこちらの物音を追っている。


 それでも昨日よりは、ほんの少しだけ力を抜いているように見えた。


 俺たちがこいつを飼うのか。


 いつか外へ戻すのか。


 本当に食べられるのか。


 何一つ決まっていない。


 決まっているのは、今日から庭の一角に、六人以外の寝床が一つ増えたことだけだった。

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