第27話 拠点が、家になった
目を覚ました瞬間、何かがおかしいと思った。
背中ではない。
寝床も、昨日までと同じ程度には硬い。
違うのは、手のひらへ触れている床だった。
冷たくない。
灰色の石のような床ではなく、わずかに温かみがあり、木目に似た筋が走っている。
「……は?」
身体を起こす。
最初に見えたのは、天井だった。
昨日までも空間の上限はあった。だが今は、はっきりと梁のような形があり、壁との境目が見える。
壁も灰色ではない。
窓まである。
窓の向こうに見えるのは外界の森ではなく、淡い光に満たされた小さな空間だった。
「起きろ!」
リゼの声が響いた。
「何か起きてる!」
「見れば分かる!」
《淫獄》へ来た直後に聞いたような返答だった。
俺が寝床から出ると、他の五人もそれぞれの場所から集まってきた。
全員、眠気より驚きが勝っている。
◇
《淫獄》は、家になっていた。
豪邸ではない。
城でもない。
六人で暮らせば、むしろ狭いと感じる程度の小さな家だ。
それでも、昨日までの一続きの灰色空間とは明らかに違う。
中央には全員が集まれる共用部屋。
その一角に、火を使えそうな簡易調理場所。
奥には小規模な物置。
入口付近だけ床材が違い、外から持ち帰った物や装備を置ける土間のような区画がある。
壁際には六つの個人空間。
完全な個室ではない。簡素な壁で視線を遮り、出入口に扉代わりの仕切りがある程度だ。
だが昨日までの、床に寝床を並べただけの状態とは比べものにならない。
「本当に生えた……」
「家を植物のように申すな」
千代が呆れながらも、視線は忙しく動いている。
俺の前へ表示が開いた。
『居住者の欲望蓄積を確認しました』
『生活環境との適合を確認しました』
『《淫獄の王》の成長条件を満たしました』
『固有スキル:《淫獄の王》Lv.1 → Lv.2』
『居住形態を再構成します』
『生活領域を拡張しました』
「……上がった」
答えはない。
《淫獄石》は、昨日の時点で105個しかない。
石が貯まったから上がったわけではないらしい。
欲望の蓄積と、生活環境との適合。
表示されたのは、その二つだった。
「欲望だけでもなく、生活してるだけでもない?」
望んで、それが実際の暮らしになったから――なのだろうか。
何が条件だったのか、完全には分からない。
住民が六人になったからか。
役割分担ができたからか。
私物や娯楽が増えたからか。
昨日、全員で具体的な家を思い描いたからか。
たぶん何か一つではない。
だが、それ以上は分からなかった。
少lóなくとも、レベルと《淫獄石》は同じ階段を上っているわけではない。
俺が一人で石を増やすだけでは、たぶんここまで変わらなかった。
五人が欲しいものを口にして、それを六人の暮らしの中へ置こうとした。その積み重ねへ、《淫獄》が答えた。
今の俺に言えるのは、その程度だった。
◇
「調理する場所が……」
ファステは、新しい区画の前で立ち止まっていた。
簡単な台と、火を扱えるらしい場所。
水が出る設備も、立派な調理器具もない。
それでも食材を床へ直接置かず、寝床から離れて火を使える。
「ここなら、皆様がお休みになる場所を気にせず準備できます」
ファステが台へそっと触れる。
いつか紅茶を淹れる場所にもなるのだろう。
「入口は悪くない」
リゼは最初から家の内側より、出入口を確認していた。
開閉。外へ出る位置。武器を取るまでの距離。土間から生活空間への動線。
「装備をここへ置けば、泥を奥まで持ち込まずに済む。何か来てもすぐ取れる」
「家ができて最初に見るのが防衛なんだな」
「最初に見ない奴がいるから私が見るんだよ」
反論できない。
◇
「こちらは私の場所でよろしいの?」
レイナは六つの個人空間の一つを覗いていた。
小さな台が壁から出ている。
棚と呼ぶには簡素だが、私物を床へ直置きせずに済む。
「昨日の希望が反映されてるなら、たぶん」
レイナは髪飾りに使っていた柔らかな色の繊維を外し、その台へ置いた。
たった一つ置いただけで、何もなかった空間が彼女の場所に見え始める。
「まだ足りませんけれど、最初としては悪くありませんわ」
「何様だよ」
「住民です」
正しい。
千代は小規模物置へ入っていた。
「広さは足りぬ。しかし日常用と予備を分けることはできよう」
「家ができても評価が厳しい」
「浮かれて備蓄が増えるなら、いくらでも浮かれよう」
「その浮かれ方は見たくない」
口では厳しいが、千代の足取りは普段より少しだけ軽かった。
◇
「やっと王様の家らしくなったね」
ヴィオラは共用部屋の中央へ立ち、満足そうに周囲を見回していた。
「城から家に格下げされたのに、褒められた気がする」
「昨日まで洞穴だったんだから、大出世でしょ」
「そこまでひどくなかった」
「床で食べて、床で寝て、床へ全部置いてたよ」
「事実を並べて殴るな」
「ここなら遊べるね」
「最初にそれ?」
「私の希望も入ってるか確かめないと」
共用空間は、食事にも話し合いにも使える。
小石の数当てや簡単なカード遊びをする余地もある。
何もしなくていい場所。
ヴィオラが昨日口にした希望も、確かに少しだけ形になっていた。
◇
窓のような開口部の先には、もう一つ扉があった。
開けると、淡い光が差し込む。
「土です」
最初に外へ出たファステが、驚いた声を上げた。
外といっても、元の森ではない。
《淫獄》内部に続く、小さな庭だった。
歩けばすぐ端へ着く程度の広さ。
土と、まばらな草。
木も作物も、水場もない。
それでも、灰色ではない地面がある。
足を下ろすと、土がわずかに沈んだ。
靴底へついた茶色を見て、ここが昨日の想像を見せるだけの幻ではないとようやく実感する。
ファステはしゃがみ、指先で土を確かめた。
「植物を育てられるでしょうか」
「分かる?」
「土について詳しいわけではありません。でも、試すことはできると思います」
「まず食用になる物じゃ」
千代がすぐに言う。
「花も忘れないでくださいませ」
レイナが続く。
「遊べる広さも残して」
ヴィオラまで加わる。
「入口から見通せるようにしろ」
リゼは安全基準だ。
「要求が多いな、この庭」
まだ何も植わっていない。
それなのに全員、ここを使う未来の話をしていた。
◇
「これ、外へ出なくてもかなり生活できるようになってない?」
家へ戻った俺は、改めて各区画を見渡した。
「食料は外だ」
リゼが即座に現実を突きつける。
「そこを庭で何とかしたい」
「すぐには無理じゃ」
千代も容赦がない。
「水も出ぬ。保存設備もない。本格的な調理器具もない」
「これから作ればいい」
「早速引きこもる気か」
「家ができたのに外へ出る理由ある?」
「今、食料だと言っただろうが」
聞こえなかったことにしたい。
新しい生活の始まりにふさわしく、俺の引きこもり生活は着実に前進していた。
◇
自分の個人空間へ入る。
広くはない。
寝床を置けば、残る場所はわずかだ。
ゲーム機も、本も、机もない。
それでも仕切りの向こうに誰もいない。
視線がない。
話しかけられない。
「……最高」
久しぶりの完全な一人時間だった。
寝床へ横になる。
静かだ。
これなら何時間でも過ごせる。
そう思っていたのに、しばらくすると共用部屋から声が聞こえた。
「それはこっちへ置け」
「何であんたが私の帽子の場所を決めるの」
「入口に置けば邪魔だと言ってる!」
リゼとヴィオラだ。
「こちらの台は、食材用にした方がよろしいでしょうか」
ファステの声。
「日常用と予備を混ぜるでない」
千代が答える。
「私の場所へ置く物も探さなくてはなりませんわね」
レイナもいる。
うるさい。
一人にしてほしい。
そう思いながら、俺は身体を起こした。
「帽子はヴィオラの場所へ置けばいいだろ」
仕切りを開け、共用部屋へ戻る。
「もう出てきたの?」
ヴィオラが笑った。
「腹が減っただけ」
本当かどうかは、自分でも考えないことにした。
◇
新しい調理場所で作られた最初の食事は、豪華ではなかった。
火で温めた根と、木の実と野草。少量の小魚らしき物。
味つけもほとんどない。
昨日までと同じ、原始的な食事だ。
それでも床へ直接器を並べるのではなく、共用空間の低い台を囲める。
ファステは調理場所から料理を運ぶ。
リゼと千代は入口で装備を緩めている。
レイナは自分の場所へ髪飾りを置き、少しだけくつろいだ姿で座った。
ヴィオラは帽子を外し、長い髪を肩へ流したままコインを弄んでいる。
五人が、それぞれ昨日までと少し違う姿で家の中にいる。
ファステの生活感。
リゼの強さを緩めた姿。
レイナが自分の場所を持った満足そうな顔。
千代の威厳と、備蓄へ細かく口を出す家庭的な落差。
ヴィオラが早くも家へ馴染み、帽子を外してくつろいでいる距離感。
ここは俺の家で、五人の家でもある。
六人が暮らすために作られた場所で、全員が同じ食事を囲んでいる。
『《淫獄石》を75個獲得しました』
『所持《淫獄石》:180』
「今度はいくつ?」
ヴィオラがすぐに聞く。
「教えない」
「増えたことは否定しないんだ」
「食事中まで検証するな」
「私は食べてるだけだよ」
確かに、今回は誰も何も仕掛けていない。
家で暮らしているだけで増えた。
それが一番まずい気がした。
◇
「家ができたなら、次はここで何をして遊ぶかだね」
ヴィオラが言う。
「まず備蓄じゃ」
千代は譲らない。
「お庭も使えるか確認したいですね」
ファステは窓の向こうを見る。
「棚も欲しいですわ」
レイナは自分の小さな台に不満らしい。
「入口の安全確認が先だ」
リゼは最後までリゼだった。
「俺は寝たい」
「さっき寝てただろ」
「新しい家では何度寝てもいいんだよ」
根拠はない。
それでも、全員が次にしたいことを話している。
誰も、ここをすぐ離れる前提ではなかった。
俺が欲しかったのは、一人で引きこもれる場所だったはずだ。
なのに出来上がったマイホームは、最初から六人用だった。




