第24話 それ、貯め方を調べないの?
ヴィオラ・ベルが《淫獄》へ来た翌朝。
俺が目を覚ますと、彼女は灰色の壁を軽く叩いていた。
「何してるの?」
「見てる」
「叩いてたけど」
「音も聞いてる」
ヴィオラは壁から手を離すと、今度は床を靴先で二度鳴らした。
広いつばの帽子の下で、楽しそうな目だけが動く。
壁。床。出入口。五人分の簡易寝床と、新しく空けたヴィオラの場所。床から少し区切った私物置き。乾燥食材を分けた仮容器。物資の消費と補充を示す小石。
一通り観察した彼女は、腰へ手を当てた。
「王様の城っていうから、もう少し豪華なの想像してた」
「誰も城って言ってない」
「《淫獄の王》なんでしょ?」
「スキル名に王が入ってるだけ。あと、俺がつけた名前じゃない」
「王である以上、いずれ城は必要になろう」
近くで小石を並べ直していた千代が、当然のように会話へ加わった。
「話を大きくしないで」
「六人が暮らす場を、いつまでも洞穴同然にはしておけぬであろう」
「洞穴には壁を叩いて状態を確かめる賭け師はいないと思う」
「私のいた酒場よりは清潔だよ」
「比較対象が低すぎる」
褒められた気がまったくしない。
ヴィオラが加わったからといって、灰色の床から家具が生えてくるわけではないらしい。
◇
ヴィオラは、朝からよく人を見ていた。
ファステが少ない食料を人数分に分ける様子。
リゼが装備を確認し、今日外へ出る必要があるか判断する様子。
レイナが昨日持ち帰った素材の傷みを確かめる様子。
千代が小石を動かし、使った量と残りを比べる様子。
何となく眺めているのではない。
視線が止まる場所に、明らかな意味がある。
「あの子が食事と日常」
ヴィオラがファステを見る。
「口の悪いお姉さんが外と護衛」
「誰が口の悪いお姉さんだ」
「反応が早い方」
リゼが眉を寄せる。
「お嬢様が物の良し悪し。お殿様が全体の管理」
「誰がお殿様じゃ」
「そっちも反応が早いね」
次に、ヴィオラの視線が俺へ向いた。
「で、あんたは?」
「最終判断」
「ずいぶん楽な役だね」
「私もそう思う」
「千代、そこは王側についてくれない?」
「そなたが働けば済む話であろう」
「王が全部の現場作業をする方が非効率なんだよ。得意な人へ任せて、優先順位を決めて、最後に結果を確認する」
以前の俺なら、そんな言葉は出なかったと思う。
何をするか全員で話し、誰へ任せるか決め、決めた結果だけは俺も見る。
千代に言わせれば、それでもまだ甘いらしいが。
ヴィオラは俺と四人を見比べた。
「なるほど。自分が弱いって分かってる王か」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「本当に楽をしたいだけか、まだ見てるところ」
昨日来たばかりの相手に、もう観察対象にされていた。
◇
「それで、次はいくら?」
そしてヴィオラは、朝の仕事が一段落するのを待っていたかのように聞いてきた。
「何の話?」
「召喚」
分かっていた。
分かっていたが、認めたくなかっただけだ。
「3,000」
「今は?」
「ゼロ」
「じゃあ、どうやって増やすの?」
「聞くと思った」
「昨日は次の賭け金をどう貯めるか考えるって言ったからね」
「俺は一緒に考えるとは言ってない」
「でも、教えないとも言ってない」
言葉の隙間へ入ってくるのがうまい。
さすが賭け師というべきか、ただ性格が面倒なだけなのか。
「先に言っておくけど、普通の労働で増えるものじゃない」
「じゃあ何?」
俺は答える前に周囲を見た。
ファステは手を止め、リゼは露骨に嫌そうな顔をする。レイナは興味を隠さず、千代はすでに頭痛をこらえるような表情になっていた。
どうやら全員、これからどんな話になるのか分かっている。
「俺自身の性的欲望」
「へえ」
ヴィオラは引かなかった。
むしろ目が少し輝いた。
「それが強く動くと、《淫獄石》が生成される」
「単純に肌を見れば増える?」
「それだけじゃない。たぶん、外見や体型、衣装、職業みたいな分かりやすい部分も関係する。でも、それだけじゃ説明できない増え方もあった」
「例えば?」
「その人が何をしてるか。普段とのギャップ。俺との関係。誰と誰がどんな距離にいて、それをどう意識してるか。そういうのが重なると増え方が変わる……気がする」
「気がする?」
「正確な法則は分かってない」
ヴィオラは少し考え、あっさり言った。
「そこまで分かってて、検証してないの?」
「したくないんだよ」
予想どおりの質問だった。
◇
「誰を俺の隣へ座らせるか」
俺は、以前考えて踏みとどまった内容を話した。
「誰の前で、誰との約束を話すか。いつもと違う服を着てもらう。意図的に距離を近づける。そうやって条件を変えれば、何がどれくらい効くのか分かるかもしれない」
「なら、やればいい」
「簡単に言うなよ」
人間関係は、ゲームの数値ではない。
誰かが誰かを意識するよう仕向け、その反応を横から眺めて石へ変える。
想像するだけならともかく、現実の人間へ意図的にやり始めたら、何かが違う。
「石を稼ぐためにやれば、皆を資源生成の装置みたいに扱うことになる」
言葉にすると、余計に嫌な響きだった。
「人を石の材料みたいに扱いたくない」
ヴィオラは、すぐには答えなかった。
俺がどこまで本気で言っているのか確かめるように、目を細める。
「材料にしなきゃいいじゃない」
「どういう意味?」
「嫌がってる奴を、無理やり盤に乗せる必要はないってこと」
ヴィオラは一枚のコインを取り出した。
昨日、召喚されたときにも持っていたものだ。
「本人が面白そうだからやる。あんたも試したいからやる。先に条件を決めて、嫌ならいつでも降りる。それなら材料じゃなくて参加者でしょ」
「言い換えただけじゃない?」
「違うよ。勝負は、参加する人間が自分で張るから勝負になる」
ヴィオラは指先でコインを回した。
「乗ると決めた奴同士で条件を決める。それを守れないのは、賭けじゃなくてイカサマだよ」
「賭け師なのに、そこはまともなんだな」
「そこを守らない賭け師は長生きしないよ」
軽い調子だった。
だが、目は笑っていない。
彼女にとっては、たぶん本当に譲れない線なのだ。
◇
ヴィオラがコインを親指で弾いた。
銀色の円が空中で回る。
彼女は落ちてきたコインを手の甲で受け、その上へ反対の手を重ねた。
「表」
俺が言う。
ヴィオラが手をどけると、出ていたのは裏だった。
「外れ」
「何も賭けてないよ」
「じゃあ何のために投げたの?」
「落ちるまでに、表と裏のどっちが出てほしいと思ったかを見るため」
「今、表が出てほしかったの?」
「表って言ったのはあんたでしょ」
そうだった。
「コインで未来を決めるんじゃないのか?」
「決めるときにも使う。でも、決められないときって、本当に答えがないんじゃなくて、認めたくないだけのこともあるからね」
コインが落ちるまで。
表を願うか、裏を願うか。
出た結果に安心するか、がっかりするか。
コインは答えを与えるのではなく、自分がすでに持っている答えを見つける道具。
「選ばせるんじゃなくて、選んでたことに気づかせるのか」
「そういう使い方もある」
どちらも選ばなければ公平だと思っていた頃の自分を、少しだけ思い出した。
だが、ヴィオラは俺の表情を深追いしなかった。
「あんたも同じじゃない? 石が出てほしいと思った瞬間に、何が好きか分かるかもよ」
「俺を性癖診断するな」
「数字まで出るなら便利なのに」
「便利さの方向がおかしい」
◇
「じゃあ、一個だけ試そう」
「もうやる前提?」
「嫌ならやめる」
ヴィオラはあっさり言った。
引っ張るでも、煽るでもない。
選ぶのは俺だと、こちらへ返してくる。
本格的な検証はしたくない。
だが、一度だけ条件を変え、どう反応するかを見る程度なら――。
そう考えた時点で、たぶん俺は興味を持っている。
「……一回だけ」
「その台詞、好きだね」
「今回はガチャじゃない」
「まだ何をするかも言ってないけど」
「今からやめてもいい?」
「もちろん」
笑っている。
完全に遊ばれていた。
◇
最初に何を試すのかと思ったら、ヴィオラはファステへ声をかけた。
「何か手伝える?」
「よろしいのですか?」
「ここへ残ると決めたからね。何がどこにあるかくらい知っておきたい」
ファステは少し考え、乾燥食材を入れた仮容器を示した。
「では、こちらを種類ごとに分けていただけますか? 傷んでいる物があれば、別にしてください」
「分かった」
ヴィオラが帽子を外した。
長い茶色の髪が肩へ落ちる。
次に短い上着を脱ぎ、帽子と一緒に自分の寝床へ置いた。
身体へ沿うベストと旅装は残っている。ただ作業しやすくなっただけで、露出が増えたわけではない。
彼女は髪を手早くまとめ、袖をまくると、床へ片膝をついた。
「こういう仕事をするようには見えませんでしたわね」
レイナが言う。
「賭け師は勝負だけしてれば生きていけるわけじゃないよ。宿代がなくなれば働くし、酒場で皿を運ぶこともある」
「負けたことあるんだ」
「あるよ。勝ち続ける奴なんて、一番信用できない」
ヴィオラは真面目に食材を確かめ始めた。
普段の気だるそうな立ち方とは違い、指先の動きには迷いがない。
コインとカードを脇へ置き、乾燥した木の実らしき物を一つずつ拾う。
荒野の酒場で勝負をしていた女が、今は灰色の床へ座り込んで、俺たちの食料を分けている。
昨日まで存在しなかったはずの彼女が、すでにこの場所の日常へ混ざろうとしている。
「夜斗」
「何?」
呼ばれて近づく。
ヴィオラが仮容器を覗き込み、俺の方へ少し身体を寄せた。
まとめた髪から逃げた一房が、日に焼けた頬へかかっている。
「これ、何をどこまで分けるの?」
近い。
帽子を外した姿。
賭け師らしい鋭い目と、妙に生活感のある真面目な作業。
新しく来た女が、俺の家で暮らすために食料を整理している。
荒野の賭け師と共同生活。
属性と状況の組み合わせが、思った以上に強かった。
『《淫獄石》を24個獲得しました』
『所持《淫獄石》:24』
「……出た」
◇
ヴィオラは食材より先に俺を見た。
「いくつ?」
「24」
「じゃあ、仮説は当たり」
「一回で断定するな」
「じゃあ、仮説が少し強くなった」
「急に科学っぽく言うな」
「言い方を変えただけだよ」
「さっき俺が言ったら否定したよな?」
ヴィオラは答えず、楽しそうにコインを指の間へ戻した。
やはり面倒な人だ。
「3,000まで、あと2,976」
「遠い」
「だから面白いんじゃない」
「そこが理解できない」
「すぐ届いたら賭けにならないでしょ」
「俺は賭けだと思ってないから」
「それはこれから決めればいい」
勝手にこれからを作らないでほしい。
◇
「夜斗様が無理をなさらない範囲でしたら……」
ファステは、心配そうに俺を見る。
試すこと自体を否定しているのではない。
俺が数字へ引っ張られることを気にしているのだと思う。
「今日はこれだけ。無理はしてない」
「本当に一回で終わったからな」
リゼは俺ではなく、ヴィオラへ釘を刺すように言った。
「こいつを煽りすぎるな」
「まだ24しか増やしてないよ」
「数字の問題じゃない」
「分かってる。嫌だと言ったらやめるよ」
ヴィオラの答えを聞き、レイナが頷く。
「本人が何をするのか、自分で選べることは必要ですわ」
「そこは同意」
「あなたとは、もう少し意見が合わないと思っていました」
「賭ける物を他人に勝手に決められるなんて、私も嫌だからね」
意外なところで、レイナとヴィオラの意見が一致した。
千代だけは腕を組み、深いため息をついている。
「遊びで国庫を作るな」
「国庫じゃなくてガチャ資金」
「なお悪い」
反論の余地がなかった。
◇
「それで、次は?」
食料の整理を終えたヴィオラが聞く。
「やらない」
「今日は?」
「その言い方やめろ」
「明日なら考える?」
「考えない」
本格的な検証はしない。
誰が一番増えるのか。
どんな衣装が強いのか。
どういう距離や関係が最大なのか。
そんなことまで比較し始めれば、本当に引き返せなくなる気がする。
「考え方の一部は分かった。でも、今日はここまで」
「分かった」
今度もヴィオラは、意外なほど素直に引いた。
退き際を知っている。
本人が言っていたとおり、何でも張ればいいと思っているわけではないらしい。
ところが彼女は、《淫獄》の中をもう一度見回した。
「ところで、ここって何して遊ぶの?」
「遊ぶ?」
「食べる。寝る。働く。外へ行く。それ以外」
聞かれて、俺は答えに詰まった。
娯楽。
俺が現代日本で最も時間を使っていたもの。
それが今の《淫獄》には、ほとんどない。
「生きるので精一杯だったから」
「でも今は、昨日より余裕があるんでしょ?」
「少しは」
六人目の寝床を急いで作る必要はある。
水用の容器も未完成。保存設備も、本格的な棚も、安定した食料供給もない。
余裕があると言い切るには、足りないものばかりだ。
それでも、最初のように今日の水だけで頭がいっぱいではなくなった。
「じゃあ、次は遊びだね」
ヴィオラはファステたちへ、できそうな遊びを聞き始めた。
石を稼ぐためではない。
ただ、自分が退屈だから遊びたい。
少なくとも、彼女の順序はそうなのだろう。
その結果として俺の欲望が動けば、石まで増える。
嫌なほど合理的だった。
『所持《淫獄石》:24』
『次回必要《淫獄石》:3,000』
まだ2,976。
俺はまだ、ガチャのために石を稼ぐつもりはなかった。
ただ、その日から《淫獄》には、俺より先に次の3,000を気にする女が一人増えた。
そしてたぶん、石より先に、こいつはこの場所の退屈をどうにかするつもりらしい。




