第23話 選ばなかった俺と、選ばせようとする女
『結局、夜斗くんはどっちの味方なの?』
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まだ日本にいて、《淫獄》なんて言葉も知らなかった頃。
高校の放課後、教室でそんなことを聞かれた。
窓から差し込む夕日と、机の間に立つ何人かの影。
顔も声も思い出せるはずなのに、そこだけ薄い膜がかかったように曖昧だった。
たぶん、思い出したくないだけだ。
『別に、どっちでもいいだろ』
俺はそう答えた。
どちらかを選べば、選ばなかった方が傷つく。
何も選ばず、誰の側にも立たなければ公平だと思った。
それが一番、誰も傷つけない答えだと本気で考えていた。
『……そう』
短い返事だった。
それから何が起きたのかを、順番どおり思い出す必要はない。
確かなのは、全員が同じ場所へ集まることは二度となかったということだけだ。
誰かと深く関われば、面倒なことが増える。
誰かを選べば、選ばれなかった誰かが傷つく。
何も選ばなくても、それはそれで誰かを傷つける。
だったら最初から一人でいればいい。
そう考えるようになったのは、異世界へ転移するより、ずっと前のことだった。
ゲームの拠点は、配置を間違えても作り直せる。
キャラクター同士の関係も、画面の中なら壊れる理由が決まっている。
現実より、ずっと分かりやすかった。
◇
『所持《淫獄石》:1,000』
『所持上限:1,000』
『次回必要《淫獄石》:1,000』
『《住民召喚》を実行できます』
朝、目を覚まして最初に見たのは、その表示だった。
俺は昔から、人間関係は少ない方がいいと思っていた。
なのに今、俺の帰る場所には四人いる。
そして目の前には、五人目を呼べる機能がある。
「……満タンなんだよな」
今のまま《淫獄石》が生成されれば、上限を超えた分は消える。
昨日だって、本来どれだけ出たのか分からないまま超過分が失われた。
この状態を放置するのは合理的ではない。
別に、新しい誰かへ会いたくて仕方がないわけではない。
ガチャを回したくて理由を探しているわけでもない。
資源を無駄にしないためだ。
「使わない方が損だよな」
口に出すと、思った以上に正しい理屈に聞こえた。
◇
「というわけで、召喚しようと思う」
朝の食事を終えたあと、俺は四人へ伝えた。
「昨日は、明日でいいとおっしゃっていましたね」
ファステが確認する。
「今日がその明日だから、何も間違ってない」
「ずいぶん早く決めましたわね」
レイナの視線が少し鋭い。
「一晩かけて合理的に考えた結果です」
「眠る前から同じことを考えておったではないか」
千代が余計な事実を出してきた。
「考え始めた時間は結論の正しさに関係ない」
「で、本音は?」
リゼが聞く。
「上限から溢れるのがもったいない」
四人が一斉に黙った。
何だ。
これ以上なく合理的だろう。
「新しい方がいらっしゃること自体に、反対はいたしません」
最初に答えたのはファステだった。
「ですが、その方にも事情がおありになると思います」
「分かってる。召喚されたからって、俺の命令を聞く義務が生えるわけじゃない」
「戦える奴とは限らないぞ」
リゼが言う。
「それも分かってる」
「生活に役立つ能力があるとも限りませんわ」
「通常召喚だから、そこは完全にランダム」
「つまり、誰が来るかも分からぬのに1,000個を使うと」
千代が腕を組む。
「だからガチャなんだよ」
「嬉しそうに申すな」
「嬉しそうじゃない。仕様を説明しただけ」
自分でも、少しだけ声が弾んだ気はした。
気のせいということにする。
◇
四人が少し離れた位置へ移動する。
召喚される人物が、リゼのように武器を向けてくる可能性もある。
リゼはすぐ動ける場所。
ファステとレイナは、その後ろ。
千代は横から全体を見られる位置へ立った。
俺は表示を開く。
『通常《住民召喚》』
『召喚対象:成人女性』
『必要《淫獄石》:1,000』
『所持《淫獄石》:1,000』
本当に使うのか。
一瞬だけ、指が止まる。
人が一人増えれば、関係も一つ増えるだけでは済まない。
俺と新しい住民。
ファステと新しい住民。
リゼ、レイナ、千代とも、それぞれ新しい関係が生まれる。
増えるのは一人でも、組み合わせは一気に増える。
昔の俺なら、それだけで閉じていたかもしれない。
だが、今さら四人との関係をなかったことにはできない。
それに――満タンのまま置いておく方が損だ。
「実行する」
『1,000《淫獄石》を消費します』
『通常《住民召喚》を実行します』
床に光が広がった。
◇
乾いた音がした。
何か硬い物が床へ落ち、何度か跳ねる。
光の中から伸びた指が、それを拾い上げた。
コインだった。
「……これ、私が賭けに勝った結果?」
女の声。
光が消える。
そこにいたのは、見慣れない格好の成人女性だった。
つばの広い帽子。
旅の埃が残る短い上着と、身体へ沿うベスト。
腰には革のベルトが巻かれ、細身の脚を覆う実用的な服と長いブーツが続いている。
露出が多いわけではない。
それでも、荒野を歩いてきたような少し日に焼けた肌と、気だるく立つ姿には妙な色気があった。
長い茶色の髪は少し乱れ、鋭い目だけが楽しそうに周囲を見ている。
彼女は拾ったコインを親指で弾いた。
回転したそれを手の甲で受け止める。
「酒場じゃない。あの連中もいない。勝負が決まる前に場所が変わった、と」
混乱していないわけではない。
だが、怯えるより先に状況を観察している。
リゼがいつでも動けるよう重心を落とした。
女はそれを見て、口元だけで笑う。
「安心して。今すぐやり合う気はないよ。そっちが先に張らないならね」
その前へ、召喚結果が表示された。
『通常《住民召喚》結果』
『N《場末の賭け師》ヴィオラ・ベル』
N。
千代のSSRを見たあとだからか、その一文字へ目が止まった。
ほんの一瞬だった。
「ハズレを引いたと思った?」
ヴィオラと表示された女が、俺を見ていた。
「いや」
「今、止まった」
「レアリティを確認しただけ」
「同じ意味じゃない?」
「違う。レアリティは能力の希少度で、人間の価値じゃない」
言いながら、自分にも言い聞かせる。
彼女は俺の顔を数秒見たあと、楽しそうに目を細めた。
「なるほど。半分は本気で、半分は自分への言い訳か」
「初対面で人の内心を決めつけないでくれる?」
「決めつけてない。賭けただけ」
面倒そうな人が来た。
ファステは警戒しながらも、いつでも水を渡せるよう器を用意している。
リゼは武器へ手を伸ばしてはいないが、ヴィオラの指先から目を離さない。
レイナは旅装と立ち居振る舞いを観察し、千代は俺とヴィオラの間に何が起きるか見定めようとしていた。
新しい人間が一人増えただけで、四人の役割と距離が少しずつ変わる。
昔なら、その変化を面倒だと思ったはずだ。
今も面倒ではある。
ただ、嫌だとは思わなかった。
◇
『所持《淫獄石》:0』
『次回必要《淫獄石》:3,000』
『ヴィオラ・ベルを《住民》として登録しました』
「先に説明する」
俺は表示を閉じ、ヴィオラへ向き直った。
「ここは《淫獄》っていう異空間。俺の能力で呼び出されたらしい。システム上はもう住民として登録されてる」
「ずいぶん物騒な名前だね」
「俺がつけた名前じゃない。それだけは信じてほしい」
「名前より、住民ってところが気になるかな」
「登録されたからって、俺への忠誠とか好意とか、命令を聞く義務がつくわけじゃない。そこは別」
「へえ」
ヴィオラは俺ではなく、後ろにいる四人を見た。
ファステ。
リゼ。
レイナ。
千代。
順番に表情を読み、また俺へ戻る。
「それは本当みたいだ」
「何で分かる?」
「全員、あんたを見る目が違うから」
背後の空気がわずかに動いた。
俺は振り返らないことにした。
「元の場所へ戻す方法は?」
ヴィオラが聞く。
「分からない。今のところ、戻せる機能も見つかってない」
「じゃあ、あの勝負がどうなったかも分からない?」
「たぶん」
初めて、彼女の笑みが少しだけ薄くなった。
強がっているのかもしれない。
だが次の瞬間には、コインを指の間で転がしていた。
「分かった。降りられない勝負なら、まず盤面を見ないとね」
「ここに残るのか?」
「他に行く場所がある?」
「外には出られる。でも危険だし、俺たちも人里へ着いてない」
「なら、今はここへ張る」
ヴィオラは自分で決めたように言った。
召喚されたからではない。
システムへ住民と表示されたからでもない。
少なくとも今は、彼女自身がここへ残る方を選んだ。
◇
「それで、私を呼ぶのに何を賭けたの?」
一通り紹介を終えると、ヴィオラが聞いてきた。
「《淫獄石》を1,000個」
「それは高い?」
「最初は無料。次が100、その次が300。今回は1,000」
「回すほど上がるんだ」
「次は3,000」
「いいね」
「どこが?」
普通なら引くところだ。
千代は実際、表示を見たとき露骨に眉を寄せた。
ヴィオラは逆に、楽しそうになっている。
「次を見るための賭け金が上がる。払えるか、払えないか。払う価値があるか。それを考える余地がある」
「ガチャは賭けじゃなくて、住民を増やすためのシステムだから」
「何が出るか分からないんでしょ?」
「分からない」
「当たり外れもある」
「人を当たり外れで――」
「あんた、さっき私のNで止まったよね」
言葉に詰まった。
「能力や役割としての相性はある」
「それを当たり外れって呼ぶんじゃない?」
「表現が悪い」
「なら、期待値でもいいよ」
ヴィオラはコインを弾き、受け止める。
「で、どうして今回は張ったの?」
「上限が1,000だったから」
「それだけ?」
「満タンのままだと、新しく増えた分が全部消える。使わない方が損だった」
ヴィオラの笑みが深くなった。
「それ、賭けをする奴が大好きな理屈だ」
「違う」
「何が?」
「俺はガチャなんかにハマらない」
一拍置いて、ヴィオラが笑い出した。
「何だよ」
「いや、ごめん。ずいぶん面白いところへ呼ばれたと思って」
「こいつを煽るな」
リゼが警告する。
「まだ何も煽ってないよ」
「もう楽しそうだ」
「賭け師だからね」
ヴィオラは悪びれない。
「N? いいじゃない。最低から始めた方が、勝った時に面白いでしょ」
強がりなのか、本気なのか。
俺にはまだ分からない。
ただ、彼女が自分の表示を恥じていないことだけは分かった。
◇
『通常《住民召喚》回数:4』
『所持《淫獄石》:0』
『次回必要《淫獄石》:3,000』
3,000。
今までの三倍。
さすがに、すぐ回せる数字ではない。
「次は3,000か」
俺がつぶやくと、隣からヴィオラが表示を覗き込もうと顔を寄せた。
「私には見えないみたいだね」
「俺にしか見えない」
「じゃあ、あんたが数字を教えて。増える条件は?」
「それを知ってどうする?」
「決まってるでしょ。次の賭け金を、どう貯めるか考える」
「次を回すとは言ってない」
「でも、必要数はもう確認した」
反論できなかった。
これまでは、俺一人で理由を作っていた。
必要だから。
無料だから。
ここまで貯まったから。
上限から溢れるともったいないから。
その理屈を、ファステたちは心配し、リゼは呆れ、レイナは疑い、千代は止めようとしてきた。
だが、今度の住民は違う。
俺の言い訳を聞いて、止めるどころか面白そうに頷いている。
「安心して。今すぐ全部張れなんて言わないよ」
ヴィオラがコインを弾いた。
「勝負は、当たるか外れるかじゃない。いつ張るかだから」
落ちてきたコインを、彼女は片手でつかむ。
「だからまず、次に張る価値があるか、一緒に考えようか」
この出会いが何を始めるのか、そのときの俺が知るはずもない。
ただ一つ分かったことがある。
たぶん俺は、止める役を召喚できなかった。




