第20話 それぞれの距離
『所持《淫獄石》:300』
『所持上限:1,000』
『次回必要《淫獄石》:1,000』
あと七百個。
数字だけ見れば、まだ遠い。
だが、少し前まで所持数は八十個だった。
ファステと容器を作って百十二。
リゼへ外の判断を任せて百六十。
レイナが自分の好きな物を選んで二百二十五。
千代と物資の管理方法を決めて三百。
「普通に暮らしてるだけなのに、結構増えるな……」
ガチャを回すために何かをしたつもりはない。
生活上の問題を解決し、皆と話していただけだ。
それでも《淫獄石》は増えた。
人物の属性だけではなく、背景、状況、関係性まで俺の性的欲望に影響する。
そこまでは分かっている。
なら、どんな状況で何個増えるのか、意図的に試せば効率を調べられるのではないか。
「検証はしたい。でも、これを検証し始めたら人として何か大事なものを失いそうな気もする」
「朝から何を失いかけてるんだ?」
背後からリゼの声がした。
「人としての一線」
「まだ残ってたのか」
「残ってる。たぶん」
「自信がないなら、さっさと手を動かせ」
今日は外へ出ない。
昨日始めた物資管理を使いながら、《淫獄》の中を整える日だ。
◇
誰が命令したわけでもないのに、作業は自然に始まった。
ファステは、日常用の食料と火起こし用品を確認する。
リゼは防具の傷んだ留め具を外し、使える素材を選ぶ。
レイナは簡易容器を一つずつ調べ、ひびや汚れのある物を分ける。
千代は床に並べた小石を動かし、使った分と補充した分を確かめていた。
俺は全体を見て、物の置き場所と通路がぶつかっていないか確認する。
「そっちの容器、出口近くへ置いた方がよくない?」
「外へ持ち出す物ではありません」
レイナが即答する。
「内側に小さな傷があります。乾いた素材の一時保管だけに使いますわ」
「じゃあ予備側へ」
「火からも離してくださいませ」
「了解」
俺が口を出したのは、それくらいだった。
「もう俺が毎回全部言わなくても動いてる」
「そなたが細かく言えるほど理解しておらぬだけではないか?」
千代の指摘が痛い。
「結果として適材適所になってるから問題ない」
「言い方だけは立派になったな」
リゼまで乗ってくる。
俺の役割は、たぶんこれでいい。
全部を自分でやるのではなく、必要なら順番を決め、最後に結果を見る。
何もしていないように見えても、何もしなくていい形を作るのは重要だ。
決して楽をしたいだけではない。
八割くらいは合理性である。
◇
作業が一段落したところで、俺は壁際へ座った。
水を長く保管できる容器はない。
それでも今日飲む分ならある。
「お疲れさまです、夜斗様」
ファステが水を入れた器を持ってくる。
「ありがとう。ファステも休んだ方がいい」
「はい。では、少しだけ」
ファステは俺へ器を渡し、そのまま隣へ座ろうとした。
「そこ、空いております?」
レイナがやってきた。
ファステの動きが、ほんの一瞬止まる。
俺の隣を見る。
それから、いつもの穏やかな表情で少し横へずれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
レイナが俺の隣へ座り、ファステはその隣へ腰を下ろす。
三人並べるなら、誰がどこへ座っても同じだ。
ファステも水を配りやすい位置へ動いただけだろう。
なのに、彼女は一度だけ、俺とレイナの間を見た。
「ファステ?」
「何でもありません」
「疲れた?」
「いいえ。ただ……」
ファステは何かを言いかけ、自分でも分からないように首を傾げた。
「本当に、何でもありません」
なら、たぶん何でもない。
◇
隣に座ったレイナの髪へ、柔らかな色の細い繊維が結ばれていた。
昨日、俺が選んだ髪飾り候補だ。
正式な装飾品には程遠い。
それでもレイナの髪へ添えられると、拾った素材には見えなくなる。
「あれ、まだ使ってるんだ」
「当然ですわ。夜斗さんが選んだものですもの」
レイナは髪元へ触れ、少しだけ顎を上げた。
自慢しているようにも見える。
「壊れたら代わりがないから、大事にした方がいい」
「大事に使っております。ですが、置いておくだけでは選んだ意味がありませんわ」
「似合ってる」
「昨日も伺いました」
「今日も同じなら、選択は間違ってなかった」
「そういうことにしておきます」
口では澄ましているが、レイナの表情は嬉しそうだった。
その向こうで、ファステが自分の器を持ち直す。
「綺麗ですね」
「ファステさんも、何か選ばれてはいかが?」
「私は、まだ……置く物を決められていませんので」
「茶葉が手に入ったら、紅茶用の容器を置けばいい」
俺が言うと、ファステの表情が柔らかくなる。
「はい。最初の一杯のお約束も、覚えていてくださったのですね」
「忘れてないよ」
「最初の一杯?」
レイナが尋ねた。
「いつか茶葉とカップが手に入ったら、ファステの紅茶を一緒に飲む約束」
「お二人で?」
「最初は」
ファステが控えめに答える。
レイナの指が、髪飾りへ触れたまま止まった。
「そうでしたの」
「どうかした?」
「何もありませんわ」
今度はレイナが何でもないと言った。
少し離れた場所で装備を直していたリゼが、留め具を引く手を止めている。
「リゼ?」
「何でもない」
「まだ何も聞いてないけど」
「こっちを見るからだ」
「作業、止まってたぞ」
「素材の強さを確かめてただけだ」
リゼは急に力を込めて紐を引いた。
「切れる切れる」
「切れない」
本当に何でもないらしい。
たぶん。
◇
千代は、小石の列の向こうからこちらを見ていた。
ファステ。
レイナ。
リゼ。
順番に視線を移し、最後に俺を見る。
「何か変じゃない?」
「私に聞くでない」
千代が顔を背けた。
「何で目を逸らした?」
「逸らしておらぬ。物資を見た」
「明らかに壁を見てたけど」
「壁の状態も拠点管理には必要じゃ」
「《淫獄》の壁、何も変わってないぞ」
「ならば問題ない」
押し切られた。
千代は三人の様子を見て何かに気づいたようだが、教える気はないらしい。
自分は関係ないという顔をしている。
ただ、俺が視線を戻す直前、千代は自分のまとめた袖を直し、髪の結び目へ触れていた。
昨日、俺がその姿を見て《淫獄石》を増やしたと知っているからだろうか。
いや、まさか。
それこそ考えすぎだ。
◇
「せっかく休むなら、少しくらい遊ばない?」
俺は残った小石を手に取った。
「また数当てですの?」
レイナが反応する。
「新しい遊びを作る材料がない。今日は二人組で、合計を当てる」
それぞれが片手へ小石を隠す。
二人分の合計を、相手組が予想する。
一人は判定役。
役割は一回ごとに交代すれば、五人でも遊べる。
「最初の組み合わせは?」
「勝てる者同士にせよ」
千代が即座に言う。
「誰が強いか分からないから遊ぶんだろ」
「夜斗さん、こちらへ」
レイナが自然に俺の隣へ寄った。
「私と組めば、昨日の数当てよりよい結果を出せますわ」
「昨日の結果は?」
「その質問は必要ありません」
負けたらしい。
「では、私は千代様と」
ファステが言った。
声は普段どおりだ。
ただ、俺とレイナの組を一度見てから、小石を選び始めた。
「私は判定か」
リゼが腕を組む。
「次は交代するよ」
「誰でもいい。早く始めろ」
「じゃあ次は俺とリゼで」
「何で先に決めるんだよ」
「誰でもいいんじゃなかった?」
「……誰でもいい」
言い直すまでに、少し間があった。
人数が奇数だから面倒なだけだろう。
俺が誰と組んでも、勝負の条件は変わらない。
そう思っていたのだが、組み合わせを変えるたびに空気が少しだけ変わる。
ファステと組むと、彼女は相談するため俺へ顔を寄せる。
レイナはそれを見て、次の勝負では俺より先に予想を口にした。
リゼと組むと、彼女は「考えすぎるな」と俺の肩を軽く叩く。
ファステがその手を見て、持っていた小石を一つ落とした。
千代と組めば、彼女は勝つための合図を勝手に決める。
レイナが「それは反則ではありませんこと?」と妙に厳しく追及した。
「ただの小石遊びだよな?」
「勝負は勝負じゃ」
「不正を許せば遊びになりませんわ」
「合図を決めるのは不正なのか?」
「事前に全員へ伝えていなければ不公平だ」
リゼまで真面目に参加してきた。
俺だけが、遊びより組み合わせの調整で疲れている気がする。
◇
それでも、嫌ではなかった。
ファステは、水を配るたび自然に俺の近くへ来る。
いつか最初の紅茶を一緒に飲むという、小さな約束がある。
リゼはぶっきらぼうなままだが、外ではその判断へ命を預けられる。
俺が危険を見落としても、彼女が前に立つ。
レイナは、俺が選んだ髪飾り候補を大切そうに使っている。
誰かに決められたからではなく、自分で俺に選ばせた物だ。
千代は、俺をまだ王と認めきってはいない。
それでも「見定める価値はある」と言った。
四人とも、俺との関係は違う。
そして今は、彼女たち同士も、その違いを少し気にしているように見える。
ファステがレイナの髪飾りを見る。
レイナがファステとの紅茶の約束を聞く。
リゼは興味がないと言いながら、会話を聞いている。
千代は全員を観察し、自分だけ無関係な顔をしようとしている。
誰も怒っていない。
誰も取り合っていない。
ただ、以前なら流していたはずの小さな言葉や距離へ、互いの目が向き始めている。
「……これ、一人ずつじゃなくて、関係ごと刺さってないか?」
俺は思わずつぶやいた。
「何が刺さるのですか?」
ファステが尋ねる。
「いや、俺の中の面倒な部分に」
人物だけではない。
誰が誰をどう見ているか。
俺との関係を、別の誰かがどう意識するか。
その組み合わせまで、俺の好みへ影響している?
そう考えた瞬間、表示が開いた。
『《淫獄石》を150個獲得しました』
『所持《淫獄石》:450』
「……百五十?」
思わず声が出た。
「大きな声を出すな」
リゼが周囲を見る。
「何がそんなに刺さった?」
「こちらが聞いている」
「リゼに聞いたんじゃない。俺自身に聞いた」
「余計に面倒だな」
これまでの一回分より、明らかに多い。
特定の一人へ強烈に反応した感覚はなかった。
露出が増えたわけでもない。
何か特別な行為があったわけでもない。
一対一じゃない。
誰が誰をどう見ているか、その組み合わせまで含めて俺の好みに刺さってる?
だとすれば、《淫獄石》の増え方は思っていた以上に複雑だ。
◇
俺は四人の顔を順番に見た。
ファステは、さっき一瞬だけ座る場所を迷った理由を、自分でも分かっていない。
レイナは俺の隣を選んだが、それを恋愛だとは考えていないだろう。
リゼは髪飾りと紅茶の話を聞いていた理由を、どうでもいいで済ませる。
千代は三人を見ていたが、自分もこちらから見られていることには慣れていない。
そして俺は、この状況を恋愛として理解していない。
ただ、設定と関係性が増えて、組み合わせが複雑になった結果、好みに深く刺さったと分析している。
我ながら、情緒より先に検証項目が出てくるあたりが残念だった。
『所持《淫獄石》:450』
『所持上限:1,000』
『次回必要《淫獄石》:1,000』
あと五百五十個。
「……思ったより早くない?」
「何が?」
リゼが尋ねる。
「いや。何でもない」
もし今の状況を意図的に再現できれば、もっと早く増やせるかもしれない。
誰と誰を隣へ座らせるか。
誰の前で、誰との約束を話すか。
そんな条件を変えれば、反応の違いも調べられる。
そこまで考えて、俺は思考を止めた。
これを狙ってやり始めたら、何かが違う気がする。
「次は組み合わせをどうします?」
レイナが小石を持って聞く。
「普通に交代で」
「普通とは?」
「誰がどこへ座っても問題が起きない感じで」
「先ほどから、何も問題は起きておりませんよ?」
ファステが不思議そうに言う。
「そうだな」
誰も自覚していないのだから、説明できる問題もない。
俺たちはもう一度、小石を手の中へ隠した。
五人の距離は、昨日までと同じように見える。
ただ、それぞれが誰の隣を選ぶかだけは、ほんの少し意味を持ち始めていた。




