王は、出ない
外門の向こうから、新しい声はしなかった。
警報も鳴らない。
門を叩く音も止まっている。
だから、もういなくなったわけではなかった。
「まだ、います」
観察位置から戻ったアヤメが言う。
「四人とも、先ほどの位置から大きく動いていません」
「負傷者は?」
レイナが尋ねた。
「座りました」
「倒れたの?」
「いいえ。仲間が床へ布を敷き、その上へ自分で座りました」
立って待ち続けるのをやめただけらしい。
脚に巻いた布も外していない。
近くにいる女が、ときどきその布を見ている。
短い髪の女は門を見ているが、近づいてはいない。
弓を持った男は、今もこちらではなく、来た通路の方を見ている。
「待つと言ったからには、本当に待つつもりのようじゃな」
千代が言った。
「今のところは」
アヤメが付け足す。
待つと言って、実際に待っている。
それだけなら、言葉と行動は合っている。
でも、待たせている間も時間は進む。
本当に負傷しているなら、傷の状態は変わるかもしれない。
罠なら、向こうにも考える時間を与えている。
返事をしないことは、何もしないことではない。
さっき分かったばかりのことを、もう一度考える。
「俺が答えるのが、一番早いと思う」
皆の視線が、俺へ集まった。
「夜斗が?」
ヴィオラが聞く。
「うん。入口を開けるか最後に決めるのは俺だし、誰かに危ない役を頼むより――」
「夜斗が答えれば、向こうはお前をここの決定者だと思う」
リゼが遮った。
「代表じゃないって言う」
「では、誰の許可で話しているのか聞かれる」
昨日と同じところへ戻っていた。
名前を言わなければいい。
顔を見せなければいい。
そう簡単には分けられない。
誰かが閉じた門の向こうから質問し、開けるかどうかを決める。
それだけで、向こうからは決定権を持つ者に見えるかもしれない。
黒瀬夜斗。
領主側が探している名前だ。
外の四人が領主と無関係でも、その後でどこへ行き、誰へ何を話すかは分からない。
「それに、おぬしにしか扱えぬ入口がある」
千代が、生活区域側へ続く通路を見る。
通常入口。
外界へつながる、俺にしか開閉できない入口。
「外門へ気を取られ、そちらの異変を見落としてはならぬ」
「でも、俺だけ後ろにいるのも――」
「王であるから前へ出る、では守り方を考えた意味がない」
千代は短く言った。
「前へ出ぬことと、何もせぬことも別じゃ」
千代はナーヴァを見ずに続けた。
「誰が話すか。何を聞くか。どこで終えるか。それを決める者も要る」
俺が外へ出ない。
その代わりに、誰かを何も決めず前へ押し出すのでは意味がない。
だからといって、一言ずつ俺が言わせるのも違う。
話している途中でしか分からないことはある。
相手の答えを聞いた者が、その場で尋ね直さなければならないこともある。
「なら、誰が――」
「私が話しますわ」
レイナが言った。
俺が名前を挙げるより先だった。
「負傷者が、本当に助けを必要としているのかは分かりません」
レイナは外門の方を見る。
「門を開けるとは約束しません。治療できるとも申しません」
「それでも話す?」
「はい。今どの程度動けるのか、何を必要としているのかは聞けます」
傷を見ていない。
触れてもいない。
門越しにできるのは、本人へ状態を尋ねるところまでだ。
「一人で?」
ヴィオラが尋ねた。
「そのつもりでしたが……」
「レイナ一人だけを窓口にしない方がいいよね」
ヴィオラが自分の胸元を指した。
「私も聞く。人数とか、どこから来たとか、何が欲しいとか。言ったことも書いておく」
「ヴィオラも?」
「誰かがやらないと、ずっと待たせるでしょ」
それから、少し考えて言い直した。
「でも、今日話したからって、次も私たちがやるって決めるのはなしね」
「うん」
すぐに答えた。
「今回は、二人が引き受ける。次は次に決める」
外からは、レイナとヴィオラが窓口に見えるかもしれない。
その見え方までは消せない。
でも、こちらまで二人を恒久的な窓口に決める必要はなかった。
「私は表へは出ません」
アヤメが言った。
「観察位置から、相手の動きと返答を確認します」
「頼める?」
「はい」
千代とリゼは内門側から全体を見る。
ファステは今いる者と、必要な物を把握する。
ナーヴァは迎撃位置に残る。
「我が話してもよいのだぞ」
「最初になんて言う?」
「近づくな」
「もう近づいてないよ」
「ならば、そこで待て」
「待ってる」
「……よくできた者どもじゃな」
ナーヴァは少し感心していた。
◇
話す前に、決めることを決めた。
外門は開けない。
レイナとヴィオラは、外門と内門の間にある緩衝区画から話す。
内門を開けて二人を通した後、もう一度閉じる。
外から二人の姿は見えない。
こちらから名前は言わない。
《淫獄》という場所の名前も言わない。
俺のことも。
王のことも。
通常入口のことも。
中に何人いるかも教えない。
「嘘はつかない?」
ヴィオラが紙を持ちながら尋ねる。
「つかない」
「答えたくないことを聞かれたら?」
「答えられないって言う」
「分からないことは?」
「分からない」
聞くのは、今見えている四人以外に仲間がいるか。
後から来る者がいるか。
追われているか。
負傷者が今どの程度動けるか。
今、何を求めているのか。
「所属や証は聞かなくていいの?」
「聞いてもいい。でも、見せたから本物だとは決めない」
「今は開けないから、細かく見られないものね」
探索者の証を掲げられても、観察位置から細部までは見えない。
本物を知らなければ、比べることもできない。
相手が門へ近づく。
武器を構える。
見えない場所へ合図する。
答えが大きく食い違う。
そのどれかがあれば、会話を止める。
「ほかにも、危ないと思ったら止めて」
「何が危ないか説明してから?」
レイナが聞いた。
「説明する前に戻っていい。二人のどちらかが止めたいと思ったら、それで止める」
「分かりましたわ」
「夜斗に確認しに戻らなくても?」
ヴィオラが聞く。
「決めた範囲なら、二人で聞いていい」
一問ずつ俺が許可するなら、話すのは二人でも、言葉は俺のものになる。
それでは、二人に前へ出てもらう意味がなかった。
「夜斗様」
アヤメが言う。
「外側の動きに変化があれば、私から中止を伝えます」
「うん。アヤメも危ないと思ったら止めて」
「承知しました」
会話を始める者は二人。
止められる者は、二人だけではない。
千代も別の観察位置へ向かう。
リゼは内門脇へ立った。
右手は使わない。
それでも、皆の位置と二つの門を見られる場所にいる。
「準備はよろしいですか?」
ファステが尋ねた。
レイナとヴィオラが頷く。
内門を開ける。
二人が緩衝区画へ入る。
外門は、そのさらに向こうだ。
二人が決めた位置へ着く。
内門を閉じた。
俺は、内門のこちら側へ残った。
◇
しばらく、何も聞こえなかった。
外の四人も、まだ待っている。
レイナが息を吸った。
「聞こえています」
閉じた外門へ、声が届く。
観察位置から、アヤメが短く知らせた。
「門前の女が、顔を上げました」
レイナは続ける。
「ですが、まだ門は開けられません」
少し間があった。
「分かった!」
短髪の女の声が返ってくる。
「返事だけでも助かる!」
開けろとは言わなかった。
なぜ開けないのかと責めもしない。
今のところは。
「質問します」
今度はヴィオラの声だった。
「そこにいるのは、本当に四人だけ?」
「この隊は四人だ!」
「別に動いてる仲間は?」
「いない!」
返答は早かった。
「後から来る人は?」
「合流の予定はない!」
「じゃあ、ほかの人は絶対に来ない?」
少しだけ間ができた。
「ほかの調査隊が、迷宮のどこにいるかまでは分からない!」
四人だけだと言った。
でも、《万物迷宮》全体に自分たち以外の人間がいないとは言わなかった。
ヴィオラが、紙へ何かを書く音がした。
「誰かに追われてる?」
「今は見えていない!」
「今は?」
「ここまで来る途中で魔物を避けた! 同じ道から来ないとは言えない!」
安全だ、と簡単には言わなかった。
だから正直だと決めることもできない。
どう答えれば信用されるか知っているだけかもしれない。
それでも、言葉の範囲は分けている。
「弓を持っている方が後ろを見ているのは、そのためですか?」
レイナが尋ねる。
「そうだ! そちらの門を狙っているわけではない!」
「矢を番えないままにしてください」
「分かった!」
観察位置から、千代の声が小さく届く。
「弓の男が頷いた。手は矢筒へ伸ばしておらぬ」
言葉と動きは、まだ合っている。
◇
「脚を負傷している方は、ご自分で話せますか?」
レイナが尋ねた。
外側で、短い話し声がした。
すぐに別の男の声が返る。
「話せる!」
さっきの女より、少し低い声だった。
苦しそうに途切れてはいない。
「意識が遠のく感じはありますか?」
「ない!」
「息苦しさは?」
「ない!」
「出血は続いていますか?」
「布にはついてる! 急に増えてはいない!」
「足先の感覚はありますか?」
少し間があった。
「ある! 指も動く!」
「立てますか?」
「一人でも立てる! 歩くなら肩を借りたい!」
答えられる。
意識も、今ははっきりしているように聞こえる。
だから傷が浅いとは決められない。
「何で傷つきましたか?」
「道が崩れた! 落ちた石に左脚を挟まれた!」
「魔物に噛まれたり、針や体液に触れたりは?」
「覚えている限りでは、ない!」
本人が分かる範囲。
見えない小さな傷までないとは言えない。
毒や汚染がない証明にもならない。
「痺れ、吐き気、眩暈は?」
「ない!」
「巻いている布は、今は外さないでください」
レイナが言った。
「無理に歩き回らず、変化があれば教えてください」
「分かった!」
「治せそう?」
ヴィオラが、小さな声で尋ねたらしい。
内門越しにも、かろうじて聞こえた。
「今の話だけでは、傷の深さまでは分かりません」
レイナも小さく答えた。
大丈夫そうだとは言わなかった。
すぐ治療が必要だとも決めなかった。
今、本人が答えた状態だけを聞いた。
◇
「今度はこちらから聞きたい!」
短髪の女の声がした。
「ここは何だ!」
レイナとヴィオラは、すぐには答えなかった。
決めた質問だった。
「今は、お答えできません」
レイナが言う。
「話しているのは誰だ!」
「それも、今は答えません」
「名前もか?」
「はい」
嘘はついていない。
でも、渡さない情報は渡さない。
外側から、息を吐くような音がした。
「では、この門は迷宮の出口なのか?」
ヴィオラが答える。
「出口だとは言えません」
「安全な休息所か?」
「少なくとも、あなたたちが自由に出入りできる場所ではありません」
少し強い言い方だった。
それでも、違うとは思わなかった。
ここは、誰でも自由に入れる場所ではない。
外門の向こうで、短髪の女はすぐに言い返さなかった。
「……分かった」
さっきより声が低い。
「私たちが知りたいのは道だ。以前使えた道が塞がった。迂回して、ここへ出た」
「道を聞いた後は?」
ヴィオラが尋ねる。
「戻れる道があるなら戻る。負傷者を休ませられる場所があるなら、短い時間だけ借りたい」
「中へ入れてほしい?」
「安全な場所なら頼みたい。無理なら、ここで休ませる」
何が何でも入れろ、とは言わなかった。
入れないなら攻撃する、とも。
でも、安全な場所なら入りたいとは言った。
その安全を、誰が保証するのか。
中へ入れた時、こちらの安全をどう守るのか。
まだ決めていない。
ヴィオラの筆が止まった。
「もう少し確認します」
レイナが言う。
「そこから動かず、待ってください」
「どれくらいだ?」
当然の質問だった。
レイナは、できない約束をしなかった。
「正確な時間は約束できません」
「負傷者がいる」
「分かっています。状態が変われば、すぐに声をかけてください」
外側はしばらく黙った。
やがて、短髪の女が答える。
「分かった。門へは近づかない。ここで待つ」
アヤメの声が、観察位置から届く。
「四人とも、その場に留まっています」
武器を構えた者はいない。
新しい合図も見えない。
「会話を終えます」
レイナが外へ告げた。
返事が一度だけ返る。
「待っている」
それで、最初の会話は終わった。
◇
内門を開ける。
レイナとヴィオラが戻ってくる。
二人が境界を越えた後、もう一度閉じた。
「お帰りなさいませ」
ファステが言う。
「ただいま、でいいのかな」
ヴィオラが紙を持ち上げた。
「外には出てないけど」
「内門の向こうから戻りましたので」
「では、ただいまですわね」
レイナが答えた。
その言葉を聞いて、少しだけ力が抜けた。
外門は開いていない。
二人も外へは出ていない。
それでも、戻ってきたことに変わりはなかった。
「ごめん」
俺が言うと、二人がこちらを見る。
「何が?」
「外に負傷者がいるのに、二人に話してもらって、俺はこっちに残ってた」
「私が話すと言いましたわ」
レイナが答える。
「私も」
ヴィオラも続けた。
「でも、危ないかもしれなかった」
「危ないから、外門を閉じたまま話したのではありませんか?」
「それはそうだけど」
「夜斗が出れば、通常入口を見る者がおらぬ」
千代が言った。
「我らが決めた配置を守っただけじゃ」
「それに、話してる途中で夜斗に一回ずつ聞かなくてよかったよ」
ヴィオラが紙をめくる。
「私たちが聞いたんだから、私たちが分からないところを聞き返せた」
「勝手に話したとは思わない?」
「決めた範囲です」
レイナが言う。
「答えないことも、途中で終えることも認めていただきました」
俺が出なかった。
だから、二人が俺の代わりになったわけではない。
俺の言葉を運んだわけでもない。
レイナは、自分で負傷者へ聞いた。
ヴィオラは、自分で曖昧な答えを聞き返した。
二人で、会話を終えるところまで決めた。
「外の動きは?」
俺が尋ねる。
「変わりません」
アヤメが答えた。
「今のところ、門へ近づく者はいません」
「話の食い違いは?」
「見える行動との間には、大きなものはありません」
アヤメはそこで一度止めた。
「話が事実だと確認できたわけではありません」
「うん」
四人だけだと言った。
追っているものは今は見えないと言った。
負傷は落石によるものだと言った。
道を知りたい。
可能なら負傷者を休ませたい。
それらは、まだ相手の説明だ。
でも、門越しに話せる相手ではあった。
「次は、入れるか?」
ナーヴァが言う。
「入れるとしても、生活区域じゃない」
俺は、閉じた内門を見る。
その向こうにある緩衝区画。
外門と内門の間。
人を迎えるために作ったわけではない。
敵を一度に生活区域へ入れないために作った場所だ。
だからこそ、正体の分からない相手と、閉じた生活区域を分けたまま話せるかもしれない。
武器をどうするか。
四人を同時に入れるか。
負傷者をどこへ座らせるか。
誰が内側に残るか。
外門と内門を、いつ開けて閉じるか。
危険だと分かった時、どう出てもらうか。
決めることは、まだ残っていた。
この城の王は、門前へ出なかった。
名前も、姿も、声も。
まだ外へ渡さなかった。
それでも、閉じた門の内側から。
俺たちは初めて、外の人間へ声を返した。
その声は、俺が言わせたものではない。
レイナとヴィオラが、自分で引き受けた声だった。




