第185話 門の外から、声がした
ミネットと縁が学校へ戻って、三日が経った。
摂食解析の魔法が、三日でできるとは思っていない。
いつ試すのか。
何が分かったのか。
聞くために入口を開くこともしなかった。
次に帰ると決めた日まで、ミネットには学校の生活がある。
俺たちにも、こちらの生活があった。
隔離した肉の容器は開けない。
危険部位候補と液体試料の蓋を外から確認する。
試験区画へ異常がないかを見る。
牙、爪、針、皮につけた札がずれていないか確かめる。
食べるための調査は終わった。
だからといって、置いてある物まで安全になったわけではない。
その日も、ファステとヴィオラが隔離物の記録を確かめていた。
俺は城門側の通路で、昨日直した扉の開き方を見ていた。
小型ゴーレムの低い音が鳴った。
◇
外門への衝撃を知らせる音だった。
門が開いた時の、高い音ではない。
内門へ何かが触れた時の、重い金属音でもない。
前に魔物が外門へ飛びついた時と、同じ低い警報だ。
「通常入口を見る!」
外門へは走らない。
俺は生活区域側へ戻り、通常入口を確認する。
開いていない。
外界とつながる光もない。
能力表示にも、入口や領域の異常は出ていなかった。
「こちらは閉じてる!」
通路へ声を出す。
「現在、内側にいるのは八人です!」
ファステの声が返ってきた。
俺。
リゼ。
ファステ。
レイナ。
ヴィオラ。
ナーヴァ。
千代。
アヤメ。
ミネットと縁は学校側。
セリナは旅の途中。
エウリオも、今日は来ていない。
いる者と、いない者を最初に分ける。
前の襲撃で決めた位置へ、皆が動いた。
レイナは応急処置区画。
ファステは人と物資の確認。
ヴィオラは遮断設備を動かせる位置へ行く。
千代とナーヴァは迎撃位置へ向かう。
リゼは剣を持たず、内門側から全体を見る。
右腕の痺れは、まだ完全には消えていない。
アヤメは観察位置へ続く道の手前で止まった。
俺は通常入口側から内門へ戻る。
低い音が、もう一度鳴った。
「二度目!」
ヴィオラが知らせる。
遮断設備は、まだ落とさない。
狭間から攻撃もしない。
外門は閉じている。
黒い人型ゴーレムも、内門の脇から動かなかった。
「前と、間が違うな」
リゼが言った。
「間?」
「魔物は、もっと続けて当たってきた」
前の魔物は、身体をぶつけ、爪を立て、門へ張りついた。
警報も、不規則に何度も鳴った。
今回は違う。
一度。
待つ。
もう一度。
また待つ。
門の向こうにいる何かが、こちらの反応を確かめているようにも聞こえた。
「人か?」
俺が聞くと、千代は首を振った。
「音だけでは分からぬ」
「規則正しいぞ」
ナーヴァが言う。
「規則を持つ魔物がおらぬとは限らぬ」
小型ゴーレムも、何も教えてくれない。
外門へ一定以上の衝撃があった。
だから低い音を鳴らした。
爪なのか。
武器なのか。
助けを求めて叩いた手なのか。
そこまでは分からない。
三度目の衝撃があった。
低い警報が鳴る。
その音が止んだ後。
「誰かいるか!」
門の外から、声がした。
◇
人の言葉だった。
意味も分かる。
ただ、抑揚が少し違った。
近くの街で聞いた話し方とも、セリナやアヤメたちの話し方とも違う。
それでも、何を尋ねているのかは分かった。
「聞こえているなら、返事をしてくれ!」
同じ声が続いた。
声を張っている。
怒鳴って脅しているようには聞こえない。
でも、声だけでそう決めることもできなかった。
「人じゃな」
ナーヴァが、外門側を見る。
「開けるか?」
「まだ」
「話せるのであろう?」
「話せることと、中へ入れていいことは同じじゃない」
「別です、じゃな」
「今は真似しなくていいから」
ナーヴァは不満そうだったが、迎撃位置から動かなかった。
「こちらに敵意はない!」
外の声が言った。
「道を尋ねたい! 負傷者が一人いる!」
レイナの顔が上がる。
「負傷者……」
「開ける?」
俺が尋ねると、レイナはすぐには答えなかった。
「傷の状態が分かりませんわ」
「だから見ないと」
「はい。ですが、観察位置から見るだけです。生活区域へは通しません」
今度は真似ではなかった。
レイナ自身の答えだった。
「外に負傷者がいるなら、助けられるかは考えるべきだ」
リゼが言う。
「でも、門を開く理由にも、まだならない」
声の主が嘘をついている可能性はある。
本当に負傷者がいる可能性もある。
どちらも、今は確認していない。
「夜斗様」
アヤメが俺を呼んだ。
「私が見ます」
「頼める?」
「そのための場所です」
外門を開けなくても、門前の一部を確認できる観察位置。
見つかった時に、内門を開けず戻れる二本の退避路。
城を作った時、アヤメ自身が必要だと言ったものだった。
「見える範囲だけ。外へは出ないで」
「はい」
「向こうが門へ近づいたら?」
「戻ります」
「奥から何か来ても」
「戻ります」
情報より、アヤメが戻る方を先にする。
もう一度言わなくても、アヤメは先に答えた。
それでも、確認はした。
「必ず戻ってきて」
「承知しました」
アヤメが第一観察位置へ向かう。
千代は別の観察孔へ続く道へ入った。
「我も見る」
ナーヴァが言う。
「三人で同じ場所へ行ったら狭い」
「目は多い方がよいぞ」
「ナーヴァは迎撃位置にいて。門が本当に破られたら、そっちの方が必要だから」
「見ずに焼けと言うのか?」
「焼く前に千代が教える」
「我にも見せよ」
「後で、相手が安全なら」
「安全なら焼けぬではないか」
何のために見たいのか、少し怪しかった。
それでもナーヴァは、決めた位置に残った。
◇
アヤメの声が、伝声用の細い穴から届く。
「見える範囲に、四人」
「四人だけ?」
「四人です。だけ、とは言いません」
曲がった通路の先までは見えない。
壁際や死角に、別の者がいる可能性も残っている。
「門の前に一人。少し離れています。短い髪の女。武器は腰にありますが、抜いていません」
声を出していた人物らしい。
「外門へ触れてる?」
「今は触れていません。片手を上げています」
敵意がないと示しているつもりなのかもしれない。
単に、こちらから見えると思っているのかもしれない。
「ほかは?」
「負傷者らしい者が一人。男。左脚に布を巻いています」
「立てる?」
「立っています。体重は反対側へ寄せています」
歩けないとは限らない。
歩けるから軽傷とも限らない。
「もう一人が、その近くにいます。女。いつでも肩を貸せる位置です」
「最後の一人は?」
「男。弓を持っています」
内門側の空気が少し硬くなった。
「こっちを狙ってる?」
「いいえ。門ではなく、来た通路を見ています。矢も番えていません」
四人全員が門だけを見ているわけではない。
一人は後ろを警戒している。
「追われてる?」
「見える範囲に、ほかの人影や魔物はいません」
見えないところには、いるかもしれない。
「荷物は?」
「背負い袋。縄。灯り。採取用具に見えるもの。紙もあります」
「探索者みたい?」
一度、間があった。
「探索者の装備と矛盾はしません」
探索者だ、とは言わなかった。
それらしい装備をしている。
確認できたのは、そこまでだった。
千代の声も、別の穴から届く。
「門を壊す配置には見えぬ。されど、四人で全てかは分からぬ」
「負傷者は?」
「今すぐ倒れそうには見えぬ。傷の深さまでは見えぬ」
二人の見たものは、大きく食い違っていない。
だから安全だと決まったわけではない。
同じ見間違いをしている可能性もある。
それでも、一人の目だけで決めるよりはよかった。
「もう一度呼びかけます!」
外の女の声がした。
少し聞き慣れない抑揚。
言葉は、はっきり分かる。
「私たちは探索者だ! 迷宮の経路を調べている!」
探索者。
初めて、向こうが自分たちをそう呼んだ。
「以前通れた道が塞がった! 別の道を回って、ここへ出た!」
俺は、リゼを見る。
リゼも俺を見た。
以前通れた道が塞がった。
俺たちが知っている入口にも、同じことが起きている。
「この門を探して来たわけではない! 地図にもない!」
本当なら、向こうにとっても予定外の場所だった。
でも、まだ向こうが言っただけだ。
「返事ができない事情があるなら、門へは近づかない!」
女が続ける。
「少し離れて待つ! 話せる者がいるなら、声だけでも返してほしい!」
アヤメが報告する。
「門前の者が下がります」
「ほかの三人は?」
「負傷者を含め、全員が門から距離を取りました。通路の片側へ寄っています」
「武器は?」
「変わりません。抜いていません。弓の男は後方を見ています」
近づかないと言って、実際に下がった。
待つと言って、門へ張りつかなかった。
言葉と行動は、今のところ合っている。
それは、信じてよい理由の一つにはなるかもしれない。
全部を信じてよい理由ではなかった。
◇
アヤメと千代が内門側へ戻った。
外門は閉じたままだ。
高い開閉音は、一度も鳴っていない。
黒い人型ゴーレムも動いていない。
「見えるのは四人」
アヤメが短くまとめる。
「武器は持っています。こちらへは向けていません」
「負傷者は?」
レイナが聞く。
「立てています。傷の程度は分かりません」
「ほかの人や魔物は?」
「見える範囲にはいません」
「つまり、危険はない?」
ヴィオラの問いに、アヤメは首を横へ振った。
「今見える範囲では、武器を向けず、門を壊そうともしていません。ただ、安全とは断定できません」
それ以外は、まだ向こうの話だった。
「組合の証は?」
「この距離と角度では確認できません」
四人以外の存在も、迷ったという話の真偽も、観察位置からは分からない。
分からないから攻撃するわけにはいかない。
分からないまま開けることもできない。
「声を返すだけなら、門は開けなくてよいのであろう?」
ナーヴァが言う。
「うん」
「ならば、返せばよい」
それも、一つの選択だった。
でも、返事をすれば、中に人がいると確定する。
声で男か女かは分かる。
言葉遣いで、育った場所や立場を推測されるかもしれない。
何人いるかは隠せても、少なくとも一人いることは伝わる。
「俺が答える」
言ってから、自分の名前を思い出した。
黒瀬夜斗。
領主側が探している重要関係者。
街では、俺の知らない俺が噂になっている。
顔を見せなければいい、とは限らない。
名前を名乗らなくても、話の中心にいることは伝わるかもしれない。
「夜斗が出れば、向こうはここの代表だと考えるだろうな」
リゼが言った。
「代表じゃないって言えば?」
「では、誰の許可を取って答えているのか聞かれる」
「誰かに代わってもらう?」
「代わった者の顔と声が、次から窓口になります」
アヤメの言葉で、街へ二度入った時のことを思い出した。
知らない顔も、一度見られれば覚えられる。
窓口も、開けば外から見つかる。
今度は、こちらから街へ出す窓口ではない。
向こうから来た者へ、《淫獄》側から何かを返す窓口だった。
「返事をしないのは?」
ヴィオラが聞く。
「無人だと思って帰るかもしれない」
「壁を調べ始めるかもしれません」
アヤメが続けた。
「別の入口を探す可能性もあります」
返事をしないことも、何もしないことではない。
相手がどう判断するかを、相手へ任せる選択になる。
負傷者が本当にいるなら、その時間も過ぎていく。
「待つと言ってるんだよな」
「今のところは」
「なら、その間に決めよう」
門を開けるか。
中へ入れるか。
治療するか。
取引するか。
そこまで一度に決める必要はない。
まず、誰が答えるのか。
どこから答えるのか。
何を尋ねるのか。
何を教えないのか。
危険だと分かった時、どうやって会話を終えるのか。
それを先に決める。
門の外にいたのは、牙を鳴らす魔物ではなかった。
言葉を使い、返事を待つ人間だった。
だからといって、開けてよい理由にはならない。
次に決めるのは、門を開くかではなかった。
この声へ、誰が答えるかだった。




