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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十二章 「向こうから、つながった」

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第182話 食べる前に、分ける



 解体を始めたのは、翌朝だった。


 昨日は、道具も器も置場も足りなかった。


 足りないと分かったまま始める理由はない。


 一晩の間、魔物の死骸は生活場所から離れた区画に置いた。


 比較的涼しい場所を選び、専用の布へ載せ、別の布で覆ってある。


 冷やす設備があるわけではない。


 保存できたと確かめる方法もない。


 一晩置いて形が残っていても、安全はまだ確認できない。


「動いてはいません」


 アヤメが、布へ触れずに周囲を見る。


「外から分かる液漏れもありません。布の膨らみも、昨日から増えていないように見えます」


「臭いは?」


「昨日と大きく変わったようには感じません」


「では、腐っておらぬな」


 ナーヴァが期待した顔をする。


「大きく変わった臭いを感じない、までです」


「同じではないか?」


「違います」


 食べたいナーヴァと、食べられると決めないアヤメの話は、昨日からほとんど進んでいなかった。


 でも、準備は進んだ。


 刃物を用途ごとに分けた。


 内側の器と、それを収める外側の器を用意した。


 布も、水も、札も増やした。


 使った道具を置く場所と、作業を終えた後に身体を洗う場所も決めた。


「今日、やるのはここまで」


 俺は、皆で決めた範囲を読み上げた。


 外から見える部分を確認する。


 顎と首の周りだけを開く。


 針のような部分と、顎の後ろにある膨らみがどうつながっているかを見る。


 危なそうな部分を、ほかと混ぜずに取り出す。


 そこから離れた肉を、別の刃物で少しだけ分ける。


「全身は?」


「今日は開けない」


「焼くのは?」


「まだ」


「食うのは?」


「もっと先」


「何も進んでおらぬではないか」


「食べるところだけ見ればね」


 今日は、食べる日ではない。


 食べられるか調べるために、混ぜない日だ。


     ◇


 作業を始める前に、止める条件も決め直した。


 死骸が動いた時。


 予想していない液体や粉、気体、糸のような物が出た時。


 臭いが強く変わった時。


 誰かに痺れ、眩暈、吐き気、痛みが出た時。


 作業着や手袋が破れた時。


 器が足りなくなった時。


 何をどこへ入れるか分からなくなった時。


「どれかが起きたら、まず全員が手を止める」


「そこで終わりですか?」


 ファステが確認する。


「症状が出た時と、服や手袋が破れた時と、分けて置けなくなった時は終わりにする」


 液体や見たことのない物が出た時も、いったん止める。


 広がっていないか。


 別の器へ入れられたか。


 作業者に異常はないか。


 清潔な道具が残っているか。


 全部を確認してから、続けるかをもう一度決める。


「誰が決めるのじゃ?」


「全員」


「あなたか、私ではないのですか」


 アヤメが尋ねる。


 呼び方が変わった。


 でも、それを確かめるために皆の手を止める場面ではない。


「二人だけで続けることにはしない。誰か一人でも今日はやめた方がいいと思ったら、覆って終わり」


「分かりました」


 アヤメは、それ以上呼び方を説明しなかった。


 俺も聞かなかった。


 昨日、自分で決めたことを、今日の会話でも使い始めただけだ。


     ◇


 作業着を並べる。


 完成しているのは、リゼ、ミネット、ファステ、千代の四着だった。


 リゼは右腕に痺れが残っている。


 ミネットは学校にいる。


 今ここで本人が使えるのは、ファステと千代の二着だけだ。


「一番詳しいアヤメの分がないんだな」


「私がミネット様の物をお借りすれば――」


「使いません」


 ファステが言い終える前に、アヤメが止めた。


「体格が違えば、袖口と裾に隙間ができます。誰の物か分けて管理するための印も、意味がなくなります」


「少しくらい合わなくても、着ないよりはよくない?」


「合わない物を着て近づけると思えば、本来止めるべき作業まで行うかもしれません」


 作業着があっても、安全に扱えるとは限らない。


 これも同じらしい。


「私が切ろう」


 千代が自分の作業着を取った。


「刃の扱いなら、我がよい」


「では、わたくしが器と札を担当いたします」


 ファステも自分の一着を持つ。


「二人とも、本当にやる?」


「やると決めたから申しておる」


「わたくしも同じです」


 アヤメができないから、代わりに命じられたわけではない。


 二人が自分で担当すると決めた。


 アヤメは、床へ引いた境界の清潔な側に立つ。


 そこから切る位置と、止める位置を伝える。


 レイナは水と布を並べ、作業する二人の顔と手を見られる位置へ立った。


「気分が悪い、目が痛い、手が痺れる、息がしにくい。少しでもあれば、すぐに仰ってくださいませ」


「分かった」


「承知しました」


 ヴィオラは、外側の器と札を順番に並べる。


「閉じた器だけ、ここへ置いて。私がこっちの器へ入れるから」


 直接受け取らない。


 長い挟み具を使う。


 どの順で置かれたかも紙へ残す。


 俺とナーヴァは、そのさらに外にいた。


「我は何をする?」


「近づかない」


「それは仕事ではない」


「今日は、かなり大事な仕事だよ」


 ナーヴァは不満そうだったが、境界を越えなかった。


 作業着は、完全な防毒服ではない。


 水も通さないとは限らない。


 呪いや牙を防ぐものでもない。


 普段着へ直接汚れがつく可能性を減らし、使い終わった後に分けやすくするための服だ。


 着たから安全ではない。


 だから、着ていても止まる条件は変わらなかった。


     ◇


 布を全部は外さない。


 顎と首の周りだけをめくる。


 灰色の皮膚。


 口の奥に並ぶ牙。


 その近くにある、短い針のようなもの。


 顎の後ろには、小さく膨らんだ部分がある。


 千代の刀が入った傷は別の場所だ。


 血と、それ以外の体液かもしれない汚れも、位置を分けて記録する。


「近いな」


 俺が言うと、アヤメがうなずいた。


「近いことは確認できます」


「針と、あの膨らみが?」


「はい。ただし、近いからつながっているとは限りません」


 ファステが、採取物を入れる空の器を一つずつ読み上げる。


「針状器官。顎後方の袋状器官候補。体液。周辺組織」


 それとは別に、使用済みの布と刃物を入れる容器も確認する。


 切ってから置場を考えない。


 置場がない物は、切らない。


 千代が細い刃物を持った。


「どこからじゃ」


「顎の下から、浅くお願いします」


「膨らみには触れぬように、じゃな」


「はい。まだ周囲だけを見ます」


 刃が灰色の皮膚へ入る。


 必要な長さだけ進み、止まる。


 ファステが布で切開部分の周囲を支えた。


 千代が刃先を少しだけ動かす。


 皮膚の下から、細い筋のようなものが現れた。


「管か?」


「そう見えます」


 針の根元に近い場所から、顎の後ろへ続いている。


 その先には、袋のような器官があった。


 千代は、まだ触れない。


「つながっておるように見えるぞ」


「見える範囲では」


 アヤメが少し身を寄せる。


 境界は越えない。


「管の下を、もう少しだけ」


 千代が周囲の組織へ刃を入れた。


 その時だった。


 管の切れ目なのか、袋の表面なのか。


 濁った液体が、一滴だけにじんだ。


「止めて」


 アヤメが言うより先に、千代の手は止まっていた。


 刃を抜かない。


 動かさない。


 ファステが用意していた小さな布を近づける。


「そこへ触れさせてください。拭き広げないように」


 アヤメの指示で、布の端だけが液体を受けた。


 ファステは布を内側の器へ落とす。


 蓋を閉める。


 受け渡し位置へ置く。


 ヴィオラが長い挟み具で器をつかみ、ひと回り大きな外側の器へ収めた。


「顎と首。一番目。濁った液体」


 札へ書く。


 外側の蓋も閉じた。


 誰も、次の刃を動かさない。


     ◇


「千代、気分は?」


 レイナが尋ねる。


「変わらぬ」


「目の痛みは?」


「ない」


「手の痺れ、息苦しさ、吐き気は?」


「ない」


「ファステ様は?」


「今のところ、何もありません」


 症状を訴える者はいない。


 だから安全だとは決めない。


 今、症状が出ていないことだけを確認する。


「服と手袋は?」


「破れておらぬ」


「こちらも問題ありません」


 液体は布へ移し、二重の器へ収めた。


 床や別の器へ広がった様子はない。


 液体に使った布と刃物は、もう肉には使わない。


 清潔な布も、器も、別の刃物も残っている。


 アヤメが、閉じた外側の器を見る。


「針へ続いているようには見えます」


「やっぱり毒?」


「まだです」


 すぐに否定された。


「ですが、つながっていても、毒を送る管だとは確定できません」


 液体の色。


 少し粘りがあるように見えたこと。


 顎の後ろから出たこと。


 確認できたのは、それだけだ。


 肌へ塗らない。


 舐めない。


 直接嗅ぎ込まない。


 別の生き物へ与えない。


 それでも、見た形は残せる。


「今日は終わる?」


 俺は全員を見る。


「我は続けられる」


 千代が答えた。


「わたくしも、今のところ異常はありません」


 ファステも続ける。


「私は、袋のような器官を周囲ごと外すところまでなら、続けられると考えます」


 アヤメは、全身を開くとは言わない。


 範囲を狭くし直した。


「レイナは?」


「異常が出た場合、すぐに終了する条件であれば」


「ヴィオラは?」


「外側の器は足りる。今の札も混ざってないよ」


「リゼは?」


 右腕を使わず記録を見ていたリゼが、作業場所と退路を確かめる。


「続けるなら、今決めた範囲だけだ。広げない方がいい」


「ナーヴァは?」


「続けよ」


「食べたいからじゃなくて?」


「それもある」


 隠さなかった。


「でも、勝手に近づかないなら」


「分かっておる」


 誰も終了を求めなかった。


 俺とアヤメだけで決めたわけでもない。


 袋のような器官を、周囲ごと分ける。


 そこまでで、もう一度止まる。


 範囲を決め直してから、作業を再開した。


     ◇


 千代は、袋状の器官そのものへ刃を当てなかった。


 少し離れた周囲の組織を切る。


 ファステが器を近づける。


 針状の部分。


 そこから続くように見える細い管。


 顎の後ろの袋状器官。


 つながった形をなるべく崩さず、一つの器へ移した。


 蓋を閉じる。


 ヴィオラが外側の器へ収める。


「これで、毒袋は取れた?」


「夜斗様」


 アヤメの声が、昨日より少しだけ固く聞こえた。


「まだ、危険部位候補を分離しただけです」


「はい」


 呼び方より、訂正された内容の方が大事だった。


 袋状だから、毒袋ではない。


 針へ続いているように見えるから、毒を送っているとも限らない。


 濁った液体が出たから、毒液でもない。


 分けた器には、危険部位候補と書いた。


 毒器官とは書かなかった。


 使った刃物と布も、別の容器へ入れる。


 その後で初めて、肉用の刃物を出した。


「傷口からも、顎と首からも離れた場所を」


 アヤメが位置を示す。


 千代が別の刃物で皮を開き、筋肉を少量だけ切り分ける。


 ファステが新しい布で受けた。


 危険部位候補とは別の器へ入れる。


 色。


 臭い。


 弾力。


 切断面の変色と、見える異物。


 大きな異常は見えない。


 それも、見える範囲だけだ。


「肉じゃ」


 ナーヴァが身を乗り出しかける。


「そこまで」


 境界を越える前に止まった。


「危険そうな場所は分けたのであろう?」


「危険部位候補を分けても、残った肉の安全は確認できていません」


「離れた場所の肉じゃぞ」


「液体が全身へ回っている可能性は残っています。別の危険がある可能性も、加熱で変化する可能性もあります」


「では、まだ食えぬのか」


「ようやく、次に調べる肉を分けられました」


 ナーヴァにとっては肉だった。


 アヤメにとっては、まだ試料だった。


     ◇


 残った死骸を、新しい布で覆う。


 開封回数、切った場所、液体が出た位置、使った刃物、取り出した部位を紙と札へ残す。


 危険部位候補、濁った液体を受けた布、肉の試料、牙と爪、皮を別々に置く。


「これは捨てる?」


 ヴィオラが、牙と爪の器を指した。


「今は用途が分かりません」


 アヤメが答える。


「ですが、あとで必要になる可能性はあります。ほかと混ぜずに残してください」


 使える素材かどうかは、まだ調べない。


 分からないから捨てるのではなく、分からないまま別に残した。


 使用済みの道具。


 残りの死骸。


 同じ場所へまとめない。


「危険部位候補。一番」


 ヴィオラが外側の器の印を読み上げる。


「顎と首の液体。二番」


 アヤメが記録を見る。


「合っています」


「肉の試料。三番」


「合っています」


 俺の紙とも同じだった。


 ヴィオラは一つずつ置場へ運ぶ。


 少し重い器は、無理に一人で持たない。


 俺が清潔側から運ぶのを手伝った。


 長く保存できるとは限らない。


 明日も同じ状態とは限らない。


 見た目や臭いが変われば、調べ続けるより処分することも考える。


 今分けたから、いつまでも残せるわけではなかった。


     ◇


 最後に残ったのは、作業着だった。


 千代の手袋には、小さな濃い汚れがある。


 ファステの袖口にも、灰色がかった跡がついていた。


 外皮が擦れたものか。


 体液なのか。


 どちらも分からない。


 分からないから、汚れているものとして扱う。


「まず、袖口と裾を緩めてくださいませ」


 レイナが清潔側から手順を読む。


 ヴィオラは、作業着用の容器と、手袋・道具用の容器を離して置いた。


「こっちが服。こっちが手袋。入ったら私が蓋を閉める」


 ファステと千代が向かい合う。


 以前、清潔な作業着で練習した時と同じ組み合わせだった。


 でも、動きは同じではない。


 本当に汚れがあるかもしれない。


 袖が外へ振れれば、相手へ触れるかもしれない。


 ファステが千代の襟へ指を入れ、外側へ触れないよう肩から落とす。


 千代がファステの袖を裏返す。


 途中で、二人の手が止まった。


「次は、どちらの袖でしたかしら」


「そのまま動かないでくださいませ」


 レイナが位置を見る。


「千代様が、ファステ様の右袖を先に。ファステ様は、その間、千代様の襟から手を動かさないでください」


 急がない。


 練習したから、迷わないわけではない。


 迷った時に、勝手に動かず止まれる。


 そのための練習でもあった。


 二枚の作業着が、外側を内へ巻き込みながら裏返っていく。


 床へ落とさない。


 普段着へ触れさせない。


 順番に専用容器へ入れる。


 ヴィオラが蓋を閉じた。


 手袋と使った布も、別の容器へ入る。


 刃物は刃先を覆ってから、さらに別だ。


 以前、同じように互いの作業着を脱がせていた姿を見た時とは違った。


 今は、袖口の汚れがどこにも触れていないかを見る。


 蓋が閉まったかを見る。


 二人の手が震えていないかを見る。


 ほかへ意識を向ける余裕はなかった。


「皮膚に違和感はありませんか?」


 レイナが尋ねる。


「ない」


「わたくしもありません」


「目や喉は?」


「問題ない」


「手足の感覚も、今のところ変わりません」


 今のところ。


 それ以上には広げない。


 二人は決めた場所で身体と普段着への付着を確認し、必要な部分を洗った。


 作業着は、安全な洗い方が決まるまで容器から出さない。


 脱衣は終わったが、汚染の有無はまだ分からない。


     ◇


 清潔な場所へ戻り、確認できたことを並べる。


 針状の器官の根元付近から、細い管が続いているように見えた。


 管の先には、袋のような器官があった。


 そこか、その周囲から、濁った液体が出た。


 危険部位候補は、肉に使う道具と分けて取り出した。


 離れた場所から切った肉には、見える範囲で大きな異常がなかった。


 確認できていないことは、もっと多い。


 濁った液体が毒なのか。


 針から何かを注入するのか。


 肉へ回っているのか。


 肉が腐敗や変質をしていないのか。


 加熱すれば安全になるのか。


 加熱したことで、別の危険が生まれないのか。


 人が食べられるのか。


 竜なら食べられるのか。


「次は、加熱前と加熱後を分けて見ます」


 アヤメが言う。


「焼くのか?」


 ナーヴァの顔が明るくなる。


「厨房は使いません。普段の鍋も、刃物も、皿も使いません」


「食事ではないのか」


「観察です」


 火を使う場所。


 専用の器。


 加熱していない試料と、加熱した試料を置く場所。


 煙や臭いを生活場所へ流さない方法。


 また先に決めなければならないことが増えた。


 ナーヴァは、肉が器へ入ったことで食事へ近づいたと思っていた。


 俺も、危険そうな部位を取り除けば、少しくらいは安全へ近づくような気がしていた。


 実際には、ようやく調べる物を混ぜずに置けただけだった。


 食べるために最初に必要だったのは、味付けでも焼き方でもない。


 危険なものと。


 分からないものを。


 食べる前に、分けることだった。


 危なそうな場所は、分けられた。


 毒を運んでいそうな器官も、形を崩さず取り出せた。


 それでも。


 危険部位候補を取り除いても、残った肉はまだ食べない。

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