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このスキル、やばスギル。 ~ガチャ沼に堕ちたら俺の負け~  作者: 明日乃風
第十二章 「向こうから、つながった」

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第181話 今の主



 守れた後にも、仕事は残った。


 外門には、魔物が爪を立てた跡がある。


 狭間には黒い血がつき、ナーヴァの炎を通した石の道には煤が残っていた。


 ヴィオラが落とした障害物は、外門前へ倒れたまま。警報用の縄と木片は、もう一度使える位置へ戻さなければならない。


 応急処置区画の水と布も、数を確かめて補充する必要がある。


 小型ゴーレムは、自分に任された仕掛けだけを元へ戻していた。


 清掃も、物資の補充も、重い障害物を持ち上げることもしない。


「動かなかった方は?」


 ヴィオラが、内門の脇に立つ黒い人型ゴーレムを見る。


「傷は増えてない」


 リゼが、左手で表面を確かめた。


「仕事がなかったからな」


「じゃあ、ここにいなくてもよかった?」


「内門まで来なかったから、そう言えるだけだ」


 内門へ何かが触れていれば、黒いゴーレムが最後に止めるはずだった。


 動かなかったことと、必要なかったことは別だ。


「リゼは、それ以上持たないで」


 レイナが声をかける。


「これくらいなら左手で――」


「左手で持てることと、今リゼ様が重い物を持つ必要があることは別ですわ」


 右腕の痺れは、まだ残っている。


 悪くはなっていない。


 でも、治ったわけでもなかった。


 リゼは少しだけ黙り、点検用の紙へ視線を落とした。


「なら、私は記録をする」


「お願いしますわ」


 戦わなかったから、役に立たなかったわけではない。


 重い物を持たないから、何もできないわけでもない。


 一度守れたことだけを理由に、全部完成したことにはしない。


 点検する。


 洗う。


 補充する。


 使った物を元へ戻す。


 次に誰が何を見るのかを決める。


 そこまで終わって、ようやく次も使える防衛になる。


     ◇


 門の内側へ持ち帰った魔物は、生活場所から離れた区画に隔離していた。


 厨房からも、食堂からも、通常入口からも遠い。


 専用の布へ載せたまま、床へ直接触れさせていない。


 灰色の身体には、千代の刀が入った傷がある。


 焦げてはいない。


 ほかの死骸と重ねてもいない。


 前に調べた肉より新しく、一体の形が残っている。


 だからこそ、扱いを間違えれば、分けて持ち帰った意味がなくなる。


「刃物は二つでは足りません」


 アヤメが、用意した道具を見る。


「肉を切る物と、危なそうなところを切る物?」


「それだけではありません」


 アヤメは死骸へ触れず、少し離れた位置から指し示した。


「牙と爪。口や傷から出る体液。内臓。筋肉と脂肪。皮と硬い部位。分けられる物は、先に置場を分けます」


「毒がありそうなのは?」


「まだ分かりません」


 リゼを傷つけた個体と、同じ種類に見える。


 けれど、まったく同じかは確かめていない。


「膨らんだ器官があれば、危険部位の候補として扱います。毒腺だと決めるのは、調べた後です」


「毒袋かもしれない?」


「違うかもしれません」


 アヤメは空の器を並べる位置まで指定した。


 危険部位候補。


 肉。


 皮。


 牙と爪。


 体液がついた布。


 使い終わった刃物。


 一つずつ混ざらないように離す。


「洗えば同じ刃物を使える?」


「洗い方が十分だと分かってからです。最初から分けられるなら、分けます」


 調べる前に、調べた後の置場まで決めていく。


 ナーヴァは、布の上の魔物を見つめていた。


「それで、いつ食えるのじゃ?」


「まだ食べ物ではありません」


「焦げておらぬぞ」


「毒が見つからなくても、腐敗や寄生、魔力の影響は残ります。私が耐えられても、皆が食べられる証明にはなりません」


「少しならよいのではないか?」


「よくありません」


「我なら平気かもしれぬぞ」


「平気かもしれない、では試せません」


「別ばかりじゃな」


「混ぜると危険なものを、分けているところですから」


 ナーヴァは不満そうに死骸を見た。


 それでも、勝手に切ろうとはしない。


 焼こうともしなかった。


 俺も、アヤメを見る。


「アヤメが一番耐えられそうでも、最初に食べてもらう理由にはしないから」


「前にも聞きました」


「新しい個体が手に入っても、同じだから」


 前より状態がいい。


 調べられる部分も多い。


 だから、耐毒がある人へ少量だけ試してもらえばいい。


 そんな考え方が、前より簡単に浮かぶ状況だった。


 アヤメに頼むのが、一番合理的に見える。


 それでも、頼まない。


「必要なら、私から提案することはあります」


「その時も、アヤメが言ったからって、すぐやることにはしないよ。必要か、安全にできるか、皆で考える」


 アヤメは返事をしなかった。


 ただ、俺をしばらく見た後、並べた器へ視線を戻した。


「今日は、解体を始めません」


「いいのか?」


 ナーヴァが聞く。


「道具と保管場所が足りません。始めてから足りないと分かれば、途中で混ざります」


「では、今日は食えぬのか」


「最初からそう言っています」


 まずは、調べられる状態を作る。


 食べられるか考えるのは、その後だった。


     ◇


 隔離区画を出た後、俺とアヤメは城門側へ戻った。


 実戦で使った第一退避路を、もう一度確かめるためだ。


 アヤメが観察位置から入る。


 俺は少し後ろを歩いた。


 外から退避路の入口は見えにくい。


 扉も問題なく閉まる。


 ただ、曲がり角の壁に薄い擦れ跡が残っていた。


「ここ、袖が当たった?」


「急いで曲がった時に」


 アヤメが同じ動きをする。


 走らず、実戦の時よりゆっくりと。


 それでも、外套の袖が壁へ触れそうになった。


「少し広げる?」


「広げすぎれば、外から見た時に不自然になります」


「じゃあ、角だけ変える」


「床もです」


 アヤメが足元を見る。


 石の継ぎ目に、足を置きにくい場所がある。


 歩く時には困らない。


 急いで戻る時には、わずかな引っかかりになる。


 《領域構築》ですぐに変えず、候補として覚えておく。


 人も物も退避路から出した後で、小さく直せばいい。


 内門側へ抜ける少し前で、アヤメが足を止めた。


「夜斗」


 振り返らないまま、俺を呼ぶ。


「何?」


「なぜ、戻れと命じたのですか」


 狭い通路に、アヤメの声だけが残った。


「昨日のこと?」


「それだけではありません」


 毒を持つ魔物を調べようとした時にも、俺はアヤメを呼び戻した。


 昨日は、外門の向こうを確認したアヤメへ、最初から帰還まで命じた。


「私が残れば、もう少し情報を得られた可能性があります」


「死んだ可能性もある」


「情報収集には危険が伴います」


「だからって、危険なら全部やめてほしいとは言わないよ」


 アヤメは街へ行った。


 外でセリナを探した。


 城門の外を観察した。


 危険を全部なくせないことは分かっている。


「アヤメの情報収集は、今も必要だよ」


 俺は、そのまま続けた。


「毒の知識も必要だし、街や《万物迷宮》のことを調べてもらえなくなったら困る。頼んで断られたら、たぶんがっかりもする」


「それなら、なぜ」


「能力が必要なのは本当だよ」


 欲しくないふりはしない。


 必要としていないふりもしない。


「でも、役に立つなら死んでもいいとは思ってない」


 アヤメが、ようやく振り返った。


「私の能力を、失いたくなかっただけでは?」


「それもある」


 否定すれば、嘘になる。


 アヤメがいなくなれば、できなくなることは多い。


 街の情報も得にくくなる。


 毒を調べられる者も減る。


 俺たちが気づかない危険を見つける人もいなくなる。


「でも、能力を失うのも困るから、死ぬまで情報を取ってきてほしいとは思わない」


「……」


「情報より、能力より、アヤメに戻ってきてほしかった」


 アヤメの顔は、ほとんど変わらない。


 何を考えたのかも分からない。


 ただ、すぐには次の質問が来なかった。


「俺の命令を聞いたことより、戻ってきたことの方が大事だった」


「私は、あなたの命令に従いました」


「うん」


「それでも?」


「命令を聞かせたかったんじゃなくて、帰ってきてほしかったから」


 また沈黙する。


 遠くで、何かを動かす音がした。


 住民たちが、外門前へ落とした障害物を元へ戻している。


 この通路には、俺とアヤメしかいない。


「私には、すでに主がいます」


「知ってる」


「以前の主への忠義を、捨てるつもりはありません」


「うん」


「元の場所へ戻る方法も、探し続けます」


「それも、やめなくていい」


 アヤメの目が、わずかに細くなる。


「前の主を忘れなくていい。戻る方法も探していい」


「私が戻れば、あなたへ従い続けるとは限りません」


「その時は、またアヤメが決めて」


「命令が衝突した場合も?」


 まだ起きていないことだった。


 以前の主が、どんな命令を出すのか。


 俺がその時、何を望むのか。


 どちらも分からない。


「今ここで、ずっと俺を選ぶって約束はさせたくない。その時の事情を話して、アヤメが選べばいいと思う」


「主は、従う相手へ選択を委ねるものですか」


「普通は違うかもしれない」


「あなたは?」


「俺は、そうしたい」


 正しい主の形なんて、俺は知らない。


 そもそも、主になりたいと思ってアヤメを選んだわけでもなかった。


 情報が欲しかった。


 街へ行ける人が必要だった。


 苦しんでいるように見えた人を、そのままにしたくなかった。


 理由は一つではない。


 今も、アヤメの能力を必要としている。


 それでも、必要だからアヤメの帰る先まで奪いたいとは思わなかった。


「あなたは、私の能力が必要だと言いました」


「うん」


「ですが、使い潰そうとはしなかった」


 アヤメが、壁の擦れ跡へ一度目を向ける。


「戻る道も、残した」


 第一退避路。


 途中を使えない場合に備えた、第二退避路。


 俺だけで決めた道ではない。


 アヤメ自身が必要な形を話し、千代と皆で作った道だ。


 アヤメは俺へ向き直った。


 そのまま、片膝をつく。


「アヤメ?」


 立たせるべきか迷った。


 でも、今は止めない方がいいと思った。


 アヤメが、自分から何かを決めようとしている。


 俺は黙って、続きを待った。


「以前の主への忠義を、捨てるつもりはありません」


 同じ言葉を、今度は姿勢ごと俺へ向ける。


「元の場所へ戻る道も、探し続けます」


「うん」


「それでも、今この場所で従う主を、私は自分で選びます」


 アヤメが顔を上げた。


「夜斗様。あなたを、私の主と認めます」


 光は出なかった。


 音も鳴らない。


 目の前に能力表示も開かない。


 誰かに認められた証明は、何もなかった。


 必要なかった。


「分かった」


 それだけでは足りない気がして、もう一度言う。


「アヤメがそう決めたこと、受け取る」


「はい」


「でも、帰る道が見つかったら、その時はまた自分で決めて」


「今、主と認めた直後に言うことですか」


「言わない方がいい?」


「いいえ」


 アヤメは、ほんの少しだけ目を伏せた。


「選び直すことを許す方だから、今はあなたを選びます」


「そっか」


「はい」


 俺は、片膝をついたままのアヤメを見る。


「立ってもらっていい?」


「命令ですか」


「話を続けたいから」


「承知しました」


 アヤメは差し出す手を待たず、自分で立ち上がった。


 それでよかった。


 アヤメは以前の主も帰還の意思も捨てず、今この場所で従う相手を決めた。


 その決定に、能力は何も加えなかった。


     ◇


 隔離区画へ戻ると、ナーヴァはまだ死骸を見ていた。


「遅いぞ」


「退避路を見てたから」


「肉は待っておる」


「待たせておいて」


「いつまでじゃ」


 アヤメが、並べた器と道具を見直す。


「調べるなら、毒と食べられるかどうかを分けて調べます」


「どう分ける?」


 俺が尋ねると、アヤメがこちらを見た。


「まず、牙と体液を肉から分けます。危険部位候補も別にします。毒性が疑われる物と、食材になり得る部分を同じ刃物で扱いません」


「その後は?」


「加熱前と加熱後も別です。毒が弱まる可能性も、変質する可能性もあります。どちらも、今は確定しません」


「食べるのは?」


「まだ先です」


 ナーヴァが肩を落とす。


「夜斗が食えと言えばよいのではないか?」


「命令しないよ」


「命じられても、危険だと考える限りは反対します」


「ほら」


「何が、ほら、なのじゃ」


 アヤメは、必要な道具を書き出していく。


 俺は、その横で皆に確かめた。


 どの区画なら安全に分けられるか。


 洗浄用の水をどれだけ用意できるか。


 使った道具をどこへ隔離するか。


 誰も口へ入れないまま、何を見て、何を記録できるか。


 アヤメは命令を待たなかった。


 自分の知識で案を出し、足りないところを指摘し、分からないことは分からないまま残した。


 俺を主と認める前と同じように。


 そのまま考え、自分の言葉で話していた。


     ◇


 城門側では、障害物を元へ戻す作業が続いていた。


 警報を確かめる。


 血と煤を落とす。


 水と布を補充する。


 次に備えて、誰が点検するかを決める。


 城になっただけでは、守り続けられない。


 使う者がいる。


 確かめる者がいる。


 直す者がいる。


 その時ここにいる者が、自分で判断して動く。


 誰か一人を、門や設備の代わりに置き続けなくてもいい形を作ってきた。


 外へ出る者を閉じ込めるためではない。


 戻りたいと思った時まで、帰る場所を残すために。


 契約の光も、能力表示も、石の音もない。


 月野アヤメは、帰る道を残したまま、自分で今の主を選んだ。

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