第18話 欲しいものを選ぶ
「まだ漏れてないな」
昨日持ち帰った素材を、俺たちは共同作業台の上へ置いていた。
樹皮にも殻にも見える、厚くくぼんだ素材だ。
内側を洗い、少量の水を入れてから、しばらく経っている。
昨日拾った物よりは優秀らしく、底から水滴が落ちる様子はない。
「これなら完成でいいんじゃないか?」
「まだ早いですわ」
レイナは容器候補を持ち上げ、底と側面を確かめた。
「ここをご覧くださいませ」
指さされた部分は、周囲より少しだけ色が濃い。
触れてみると、内側から染みた水でわずかに柔らかくなっていた。
「このまま置けば、いずれ形が崩れる可能性があります」
「水が漏れる前に、容器の方が負けるのか」
「運搬用として試す価値はありますが、保存には使えませんわね」
レイナは言い切った。
水場から《淫獄》までの短い距離なら、少量の水を運べるかもしれない。
だが、貯めておくのは無理。
日常用と予備へ完全に分けることも、まだできない。
「一歩前進、半歩後退くらいか」
「前には進んでおりますわ」
「なら一歩前進、一歩分の課題発見」
「増えてるじゃねえか」
リゼの指摘は無視した。
素材候補の横へ、俺は小さな印代わりの石を置く。
短距離運搬用。長期保存不可。継続試験。
ゲームなら容器のアイコン一つで済むのに、現実の拠点づくりは面倒が多い。
いや、その面倒を一つずつ解決するのが楽しい部分でもある。
ただし、喉が渇く問題さえなければ、もっと純粋に楽しめた。
◇
「もし町で物を手に入れられるなら、何を優先する?」
朝の食事を終えたあと、俺は五人へ聞いた。
今すぐ町へ行くつもりはない。
そもそも、町がどこにあるかも分からない。
だが、人のいた痕跡は見つけている。
今後、人里へ近づけたときに何を探すか、先に決めておく意味はある。
「水を保存できる容器は必要じゃ」
千代が最初に答える。
「一つでは足りぬ。日々使う分と備蓄を分け、火と食料を管理する道具も要る」
「丈夫な袋と、装備の補修に使える物だな」
リゼが自分の防具へ触れた。
「持ち運べる水入れも欲しい。両手を塞がず、走っても簡単に外れない物がいい」
「調理道具と食器があれば、使える食材も増やせると思います」
ファステは少し考えてから続ける。
「保存できる食料も必要です。それから、もし見つかれば……茶葉と、カップも」
最後だけ、声が少し柔らかくなった。
「紅茶の約束もあったな」
「はい。ですが、まずは皆さまの生活に必要な物からお願いいたします」
「順番はそのとき決めよう。候補には入れておく」
ファステが小さくうなずく。
「レイナは?」
「品質のよい容器が最優先ですわ。今の素材は水を運ぶにも不安がありますもの」
レイナは待っていたように指を折る。
「丈夫な布も必要です。寝具、衣服、傷の手当てにも使えます。食器、洗うための道具、火へかけられる器、替えの衣服もそろえるべきですわね」
「まだある?」
「生活用品はいくらあっても困りません。質の悪い物を何度も買い直すより、最初から長く使える物を選ぶべきです」
さすが令嬢。
買い物の基準に、安さではなく品質が最初に出てくる。
もっとも、今の俺たちは金すら持っていないので、安物さえ買えないのだが。
レイナの挙げた物を頭の中で並べる。
容器。
布。
食器。
調理道具。
衣服。
「それ全部、みんなが使うものだよな」
「当然ではありませんこと?」
レイナが首を傾げる。
「必要な物を優先するお話でしょう?」
「それはそうだけど。レイナ自身が欲しいものは?」
レイナの指が止まった。
◇
「私自身が、ですの?」
「みんなに必要とか、長く使えるとかじゃなくて。レイナが好きだから欲しい物」
「好きだから……」
レイナは、意味の分からない言葉を聞いたわけではない。
むしろ、好きな物ならいくつもあるように見えた。
綺麗に整えられた衣服を見れば目で追う。
食材を選ぶときも、色や形の違いによく気づく。
寝床の素材を集めたときには、手触りのよい物を何度も確かめていた。
「好みなら、ありますわ」
やがてレイナが答えた。
「色も、形も、衣服も。装飾品についても、何も思わないわけではありません」
「じゃあ、今まで自分で選ばなかった?」
「選んでおりましたわ」
そう答えたあと、レイナは自分で言葉を止めた。
「……いいえ。選択肢の中から選んではいました」
「違うのか?」
「家にふさわしい物。私の立場にふさわしい物。お会いする相手や、出席する場にふさわしい物。その中から、最も問題のない物を選んでいました」
「自分が好きかどうかは?」
「それだけで選ぶことはありませんでしたわ」
レイナの声音は落ち着いている。
嫌な記憶を無理に吐き出している様子でもない。
彼女にとって、それが普通だったのだ。
衣服も、食事も、交友関係も、外出先も。
婚約の候補さえ、自分の好みより家と周囲の判断が先にあった。
「なら、練習してみるか」
「何のですの?」
「好きだから選ぶ練習」
◇
共同作業台の上へ、今は使っていない素材を並べる。
色の違う小石。
表面に模様のある薄い破片。
寝床には短すぎた柔らかな繊維。
光を受けると少しだけ艶の出る素材。
どれも、今すぐ生活を改善する物ではない。
「この中から、一つ選んでみて」
「用途は?」
「ない」
「耐久性は?」
「考えなくていい」
「何に使うかも決まっていない物を?」
「うん」
レイナの眉が寄る。
「役に立たないものでも?」
「欲しいなら、それだけで理由になるだろ」
「簡単におっしゃいますのね」
「難しく考えない練習だからな」
「言っている本人が、何でも理屈をつける方ですのに」
「俺を悪い見本として活用してほしい」
レイナは呆れたように息を吐いた。
それでも、並べられた素材へ手を伸ばす。
一つを持ち上げ、戻す。
別の物を光へかざし、隣と比べる。
「選ぶの、長いな」
リゼが横から言う。
「急かさないでくださいませ。今までとは基準が違いますの」
「好きなら持ってればいいだろ」
「その『好きなら』を考えておりますのよ」
「面倒だな」
「リゼには向いておらぬ練習じゃな」
千代が静かに笑う。
「役に立たぬ物を持つこと自体は、悪いことではない。城にも、戦にも暮らしにも直接役立たぬ品はあった」
「千代でも、そういう物を持ってたのか?」
「人が己を保つために必要な物もある。役に立たぬと切り捨てる方が、時には国を貧しくする」
話の規模が急に国になった。
でも、言いたいことは分かる。
レイナはしばらく迷ったあと、薄い小さな破片を持ち上げた。
表面に淡い模様が走り、傾けると少しだけ色合いが変わる。
「……これが、好きですわ」
「じゃあレイナの」
「そんな簡単に?」
「選んだんだから」
それは食料にもならない。
水も運べない。
何かを直す道具にもならない。
けれどレイナは、自分が選んだ物を手のひらへ載せ、何度も角度を変えて眺めていた。
上流の家で育った令嬢が、誰の目も基準にせず、使い道すらない小さな破片を大切そうに見つめている。
役に立つからでも、ふさわしいからでもない。
ただ好きだから選んだ。
その事実と、選んだあとの少し幼い表情が、俺の好みに思った以上に刺さった。
『《淫獄石》を20個獲得しました』
『所持《淫獄石》:180』
「こういうのにも反応するのか……」
「どうかなさいました?」
「俺の趣味がまた細分化された」
「以前から十分細かいのではなくて?」
否定できないのがつらい。
◇
「問題は、それを置く場所だな」
俺はレイナの寝床を見る。
五人分の寝床はある。
だが、個人の物を分けて置く場所はない。
共同で使う道具と食料には置き場を作ったが、私物という発想自体がほとんどなかった。
「寝床の横に、小さな置き場を作るか」
《淫獄》の床へ意識を向ける。
大きな棚も、個室もいらない。
通路を塞がず、小物が転がらない程度の浅い窪み。
レイナの寝床の横に、手のひら二つ分ほどの小さな段差を作る。
「ここなら、その破片を置ける」
レイナは新しい置き場と俺を交互に見た。
「私だけですの?」
「いや。便利そうだから全員分作る」
「……そうですの」
一瞬だけ、声が低くなった気がした。
「レイナだけ特別にすると、ほかの物が混ざるだろ」
「何も聞いておりませんわ」
「ならいいけど」
ファステ、リゼ、千代、俺。
それぞれの寝床の横にも、同じくらいの小さな窪みを作る。
ファステは自分の場所へ何を置くべきか迷い、リゼは装備の手入れに使う布を置いた。
千代は予備の紐を入れ、俺はポケットに残っていた現代日本の小物を一つだけ置く。
個室ではない。
目隠しもない。
ただ、自分の物を自分の物として置ける、小さな場所だ。
「将来、物が増えたら棚か箱が欲しいな」
「先に水入れを作れ」
「分かってる。これは大規模改修じゃなくて、床の有効活用だ」
「そうやって拠点作りが始まると、急に元気になるな」
「得意分野だから」
◇
レイナは自分の窪みへ、選んだ破片を置いた。
しかし、すぐにはその場を離れない。
共同作業台に残った素材を見て、何かを考えている。
「まだ欲しいのがある?」
「そうではありません。ただ……」
レイナは俺へ向き直った。
「では夜斗さんは、私には何が似合うと思います?」
「俺が選ぶの?」
「私が自分で選ぶ練習をしたのですから、今度は夜斗さんの好みも聞いてみたいですわ」
「それだと、また人に決められることにならないか?」
「気に入らなければ断ります」
レイナは即答した。
「あなたに選んでもらうと決めたのは、私ですもの」
なるほど。
誰かに決められるしかなかった過去とは違う。
選ばせる相手も、受け入れるかどうかも、今のレイナが決めている。
「分かった。じゃあ、ちゃんと選ぶ」
「お願いいたしますわ」
急に責任が重くなった。
適当に一つ選べばいい話ではない。
レイナの髪。
今の衣服。
普段の立ち方や話し方。
並んだ素材を見比べながら、頭の中で組み合わせる。
エロゲの衣装差分を選ぶ時より緊張している気がする。
画面の向こうのキャラクターなら、選び直しもできる。
現実の成人女性が目の前で答えを待っている状況に、やり直しボタンはない。
「これかな」
俺が選んだのは、柔らかな色の細い繊維だった。
そのままでは飾りにならないが、何本か束ねて結べば、髪へ添えられそうに見える。
「こちらですの?」
「うん。それが一番レイナっぽい」
「どの辺りが?」
「派手すぎないけど、近くで見ると色が綺麗なところ」
「それは、素材の説明ではなくて?」
「レイナっぽい理由の説明でもある」
口にしてから、かなり恥ずかしいことを言った気がした。
レイナも少し目を見開いている。
「……悪くはありませんわね」
「素材が?」
「どちらもです」
レイナは細い繊維を受け取った。
◇
「実際に合わせてみてもよろしい?」
「どうぞ」
「夜斗さんが選んだのですから、見ていてくださいませ」
レイナは俺の前で髪を片側へ持ち上げた。
首筋が現れる。
細い繊維を耳の近くへ当て、俺へ少し顔を寄せた。
「この位置で合っています?」
「もう少し後ろ」
「こちら?」
「行きすぎ。ちょっと前」
「難しいですわね」
レイナがさらに近づく。
髪から柔らかな匂いがして、目の前には露出した耳と首筋がある。
俺が選んだ物を、レイナが嬉しそうに身につけようとしている。
しかも、そうしてほしいと頼んだのはレイナ自身だ。
「夜斗さん?」
「そこでいい。似合ってる」
「本当に?」
「俺が選んだ意味がなくなるから、そこは信じてくれ」
レイナは髪を押さえたまま、わずかに笑った。
令嬢らしい整った微笑みではない。
自分で何かを選べた時と同じ、少し幼くて素直な表情だった。
上品な令嬢が自分の意思で俺へ近づき、俺の好みを聞き、俺が選んだ物を身につけて笑っている。
属性。
関係性。
シチュエーション。
俺の面倒なこだわりへ、全部まとめて刺さってきた。
『《淫獄石》を45個獲得しました』
『所持《淫獄石》:225』
「やっぱり設定込みで強い……」
「何のお話ですの?」
「俺の趣味が、見た目だけで終わらないという残念な確認」
「褒められている気がいたしませんわ」
「レイナは褒めてる。問題があるのは俺の方」
「それなら納得ですわ」
納得されるのも複雑だった。
◇
レイナは繊維を髪から外し、自分の私物置きへ運んだ。
自分で選んだ模様のある破片。
俺に選ばせ、自分で受け取った髪飾り候補。
二つを並べて、しばらく眺める。
「自分で選ぶのも、誰かに選んでもらうのも……こんなに違うものなのですね」
「嫌なら断っていいって分かってるからじゃない?」
「断っても、何も失わない?」
「少なくとも俺は、似合わないって言われたくらいで追い出したりしない」
「それは分かっております」
レイナはすぐに答えた。
その言葉が妙に嬉しかった。
俺が何を選んでも従う、ではない。
嫌なら断れる。
それでも選んでほしいと思ったから頼む。
たぶん、選択とは自分一人ですべてを決めることではない。
誰へ相談するか。
誰の意見を聞くか。
誰へ選んでもらうか。
それも含めて、自分で決めることなのだ。
「……どちらも、私が選んだものですわね」
レイナが二つの小物へ触れる。
「片方は俺が選んだけど」
「あなたに選んでもらうと決めたのは、私ですもの」
「なるほど」
それなら確かに、どちらもレイナが選んだ物だ。
自分で手に取った物と、自分で選んだ相手から受け取った物。
レイナは、俺が選んだ方をほんの少しだけ自分の寝床に近い位置へ置いた。
たぶん、並べ方にも本人なりの好みがあるのだろう。
『所持《淫獄石》:225』
『所持上限:1,000』
『次回必要《淫獄石》:1,000』
あと七百七十五個。
まだ遠い。
今日増えたのは、水を長く保てない容器候補と、五人分の小さな私物置きだった。
生活が劇的に変わったわけではない。
それでも、この何もなかった灰色の空間に、自分の物を置く場所ができた。
レイナの場所には、彼女が選んだ二つの小物が並んでいる。
役に立つ物ではない。
けれど、ここで暮らす理由は、役に立つ物だけでできているわけではないらしい。




