第175話 門を叩くもの
訓練の翌日、俺たちは見つかった問題を書き直していた。
担架と物資を別の道へ分ける方法。
邸宅玄関へ全員を集めず、所在だけを確認する方法。
仮設柵を、逆方向から来た者同士がぶつからずに通る方法。
考えることは増えた。
けれど、柵の位置をまた変える前に。
石製ゴーレムの警報が鳴った。
高く短い鐘ではない。
訓練の音とは違う。
「本物だ」
俺が立ち上がる。
続いて、遠くで重い音がした。
壁門へ何かがぶつかっている。
一度。
二度。
三度目は、少し低い位置から響いた。
同じものが繰り返している音ではない。
別々の場所から、何かが門を叩いていた。
◇
俺は壁門へ走らなかった。
先に通常入口を見る。
閉じている。
領域や入口に関する異常表示はない。
石が増えた通知も出ていない。
今、確認する必要があるものだけを見る。
「通常入口は閉じてる!」
通路へ声を出す。
「確認しました!」
ファステの返事が聞こえた。
ファステは住民の所在を確かめる。
ミネットと縁は学校。
セリナは旅の途中。
エウリオは自分の家にいる。
最初からここにいない者を、行方不明として探さない。
レイナは共用区画の家具を動かし、治療場所を空ける。
ヴィオラは、一人で運べる物資箱を持った。
リゼ、ナーヴァ、千代は壁門側へ向かう。
アヤメも外套を羽織り、短い刃物と布を持った。
「行くの?」
「私が確認へ行くと決めました」
「戻る場所は?」
「最初の仮設柵の内側」
「奥まで追わない?」
「壁門の外へは出ません」
前に決めたことを確認し、アヤメが先へ進む。
全員が同じ通路へ一度に入らない。
訓練で詰まった場所を思い出し、順番をずらす。
まだ完全には直していない。
それでも、訓練をする前よりは動けていた。
◇
壁門へぶつかる音が続く。
近づくほど、一つの音ではないと分かった。
上の方で、硬いものが壁を引っかく。
下では、何かが噛みついているような細かい振動が続く。
蝶番の近くへ、重い身体が何度も当たる。
「一体ではないな」
リゼが言った。
「何体じゃ?」
千代が尋ねる。
「見えない」
門は閉じている。
警報が鳴ったことは分かる。
でも、警報は数も種類も教えない。
「静かに」
アヤメが門の近くで片膝をついた。
耳を澄ませる。
門の下部で走る足音。
壁を擦る音。
重い体当たり。
「少なくとも六」
「見えておらぬのに分かるのか?」
「足音と、門を叩く位置が重なっています」
アヤメは門の左側を見る。
「下に複数。蝶番側に一つ重い音。上か壁際にも二つ以上。離れて動く足音もあります」
「六体で決まり?」
「正確な数とは言っていません」
音から推定しただけだ。
外に六体しかいないと決めることはできない。
その時、蝶番の近くで木と金属がきしんだ。
「下がれ!」
リゼが叫ぶ。
◇
壁門の端が、内側へ少し歪んだ。
細い隙間ができる。
灰色の前脚が差し込まれた。
鉤のような爪が床を引っかく。
リゼが刃を振るった。
前脚が落ちる。
外側から短い鳴き声が上がった。
すぐ、別の頭が同じ隙間へ押し込まれる。
小さい。
以前見た灰色の魔物に似ている。
ただし、同じ個体ではない。
頭を無理にねじ込み、肩まで入る。
門の隙間がさらに広がった。
「来るぞ」
リゼが一歩下がる。
魔物が内側へ転がり込んだ。
すぐに起き上がり、邸宅の方へ走ろうとする。
最初の仮設柵へぶつかった。
柵が揺れる。
魔物は正面から押し、通れないと分かると横へ向いた。
曲がる。
その数秒で、千代が間合いへ入った。
刃が灰色の首へ入る。
魔物が倒れた。
「役に立った」
ヴィオラの声が後ろからする。
「まだ見るな!」
リゼが言う。
次の個体が隙間へ身体を押し込んでいた。
門の外からの体当たりも止まらない。
仮設柵は敵を倒していない。
完全に止めてもいない。
でも、千代が来る時間を作った。
廊下の奥から重い足音が響く。
ナーヴァと人型ゴーレムが到着した。
◇
「焼けば早い」
ナーヴァが口元へ炎を集める。
「私たちまで焼くな」
リゼが言った。
門の隙間の正面には、リゼと千代がいる。
少し後ろには木製の仮設柵。
布を入れた物資箱も近い。
外へ向けて広く炎を吐けば、敵だけを焼けない。
「だから今は焼けぬ」
ナーヴァは炎を飲み込んだ。
隙間へ顔を近づけるのではなく、少し横へ立つ。
リゼと千代が離れた瞬間を待つ。
「今じゃ」
千代が声を出した。
ナーヴァが短く炎を吐く。
細い炎が、開いた隙間へ入った。
外から複数の鳴き声が上がる。
体当たりが一度止まった。
だが、門全体を焼いたわけではない。
少し離れた場所から、また爪が壁を引っかき始める。
「もっと広く焼ければ終わる」
「今は無理だ」
「分かっておる」
ナーヴァは不満そうだったが、次の機会を待った。
強い炎があっても、通す場所がなければ使えない。
◇
隙間へ、今度は少し大きな個体が入ってきた。
四足で、背が低い。
肩と頭に短い針が並んでいる。
顎の後ろには、左右へ膨らんだ部分があった。
牙と口元に、濁った液体が付いている。
「触れるな!」
アヤメが叫んだ。
魔物がリゼへ飛びつく。
リゼは牙を避けた。
刃を横から入れる。
魔物の前脚が跳ねた。
針の一本が、リゼの腕を浅くかすめる。
外套の袖が切れた。
皮膚に細い傷ができる。
リゼはそのまま魔物を蹴り、仮設柵へ押しつけた。
人型ゴーレムが首を固定する。
千代がとどめを刺した。
「傷を見せて」
アヤメが近づく。
「浅い」
「深さだけで決めないで」
リゼの指が、わずかに震えていた。
「熱いか、冷たいか、痺れるか」
「傷の周りが熱い。指先が少し痺れる」
「握れる?」
リゼが手を握る。
完全には閉じなかった。
「下がって」
「まだ戦える」
「戦えることと、今戻るべきことは別だ」
俺は通常入口側から声を出した。
前へは行かない。
でも、報告は聞こえている。
「握れない手で戦って、次も浅い傷で済むとは限らない」
リゼが俺を見る。
反論しようとして、痺れた手をもう一度握った。
「……分かった」
レイナが治療場所から迎えに来る。
「傷を口で吸わないでください」
アヤメが言った。
「しない」
「水で流して。使った布と、触れた装備はほかと分けて」
「毒なのか?」
千代が尋ねる。
アヤメは倒れた魔物を見る。
「牙と針に液体が付いています。顎の後ろの膨らみも、毒を作る器官に見えます」
「見えるだけ?」
「知っている毒に似ています。似ているだけで、同じとは決めません」
アヤメは素手で死骸へ触れなかった。
液体の色。
リゼの傷の熱。
痺れと握力の低下。
牙と針。
見えたものから、危険を推定している。
どんな毒でも分かる能力ではない。
「同じ形の個体が、外にいるか確かめます」
アヤメが門の隙間へ向かった。
◇
リゼは治療場所へ下がった。
前線には千代、ナーヴァ、人型ゴーレムが残る。
ヴィオラは仮設柵へ結んだ縄を握った。
次の小型個体が隙間から入り、柵を回ろうとする。
「今?」
「待て」
千代が敵の位置を見る。
魔物が柵の端へ身体を寄せた。
「引け!」
ヴィオラが縄を引く。
壊れかけていた柵が横へ倒れた。
魔物の前脚へぶつかる。
完全には押さえられない。
それでも姿勢が崩れた。
千代が斬る。
人型ゴーレムが別の一体を壁へ押さえつける。
ナーヴァは二人とゴーレムの位置を確認し、空いた隙間へ短く炎を放った。
リゼがいなくても、前線は崩れなかった。
「右の壁際に一体!」
治療場所からリゼの声が飛ぶ。
直接戦わず、聞こえた音と見える範囲から敵の動きを伝えている。
「次は下から来る。門の右側が浮いている!」
千代が位置を変える。
リゼは刃を持たなくても、戦線から消えたわけではなかった。
◇
アヤメは門の隙間近くに残っていた。
外側を直接のぞき込まず、床へ落ちる液体と、隙間へ近づく魔物の口元を見る。
「膨らみがある個体は、ほかにもいる?」
俺が尋ねる。
「一体、似た影が見えました。もう一体は不明」
門へ重い体当たりが来た。
壁門が揺れる。
アヤメのすぐ横で、木片が落ちた。
「下がって!」
「まだ数が――」
アヤメはその場へ残る。
次の衝撃で隙間が広がった。
灰色の牙が見える。
「アヤメ、戻れ」
「毒持ちが何体いるか確認できれば、前の三人へ――」
「もう十分だ」
アヤメがこちらを見る。
「情報より、アヤメが戻る方が大事だ。戻れ」
お願いではなかった。
アヤメが一瞬、動きを止める。
次の瞬間には身を翻し、最初の仮設柵の内側まで退いていた。
自分でも、動いてから気づいたように足元を見る。
「アヤメ!」
「戻りました」
短い返事だった。
なぜすぐ従ったのか。
俺にも、アヤメにも分からない。
今はそれでよかった。
命令を聞かせたことより、アヤメが戻ってきたことの方が大事だった。
◇
門の隙間から、最後の中型個体が入った。
千代が正面を避ける。
ナーヴァが横から短く炎を浴びせる。
灰色の毛が燃え、魔物が仮設柵へ突っ込んだ。
柵の一本が折れる。
それでも、直進は止まった。
人型ゴーレムが身体を押さえる。
千代の刃が首へ入った。
魔物が床へ崩れる。
門の外では、まだ足音がしていた。
ナーヴァが隙間へ向けて炎を見せる。
今度は吐かない。
近づけば焼かれると分かったのか、爪の音が止まった。
足音が遠ざかる。
一つ。
もう一つ。
最後まで残っていた重い足音も、やがて聞こえなくなった。
「追うか?」
千代が尋ねる。
「追わない」
俺は答えた。
生活区域へ入れないことが目的だ。
逃げた敵を全部倒すことではない。
◇
音が消えても、すぐ壁門は開けなかった。
全員の所在を確認する。
重傷者はいない。
リゼの腕には熱と痺れが残っているが、症状は広がっていない。
レイナが経過を見ている。
仮設柵は一本が折れ、もう一つも大きくずれていた。
壁門の蝶番付近は歪んでいる。
端の隙間も、襲撃前より広い。
水と清潔な布を使った。
壁門近くへ置いた布の一部には、魔物の体液が付いている。
ナーヴァの炎が近くを通った箱も、そのまま使ってよいか確認が必要だ。
人型ゴーレムの腕には、深くはないが傷がある。
俺たちだけで直してよいものではない。
「生活区域へは来てない」
ヴィオラが言った。
「通常入口も無事」
「守れた?」
「うん。今回は守れた」
作った柵は役に立った。
決めた手順も、全部ではないが動いた。
リゼが下がっても、前線は続いた。
訓練は無駄ではなかった。
◇
内側へ侵入した魔物の死骸は、そのまま残っていた。
《淫獄》へ吸収されない。
「素手で触らないで」
アヤメが言う。
毒を持つと思われる個体を、離れた位置から示した。
「牙、針、顎の後ろの膨らみを潰さないでください。ほかの死骸と重ねない。触れた道具と布も分けます」
「外の死骸は?」
「今は取りに行かない方がいい」
壁門を大きく開けば、逃げた魔物が戻ってくる可能性がある。
外に何体残っているかも分からない。
内側へ入った個体だけを、生活区域から離れた場所へ移す。
種類ごとに重ならないよう置く。
毒持ちと思われる個体は、さらに離した。
「食えるか?」
ナーヴァが尋ねた。
「今は決めません」
アヤメが答える。
「焦げたものは、悪くない臭いがするぞ」
「うまそうでも、今は食うな」
俺が言う。
「まだ食うとは言っておらぬ」
「顔に出てる」
「そなたも人のことを言えぬであろう」
「今は食欲の話だから」
戦闘後に少しだけ力が抜けた。
でも、死骸を食べるとも、素材に使うとも決めない。
分けて置き、触れたものを混ぜず、後で調べる。
◇
壊れた柵を壁際へ寄せる。
壁門の傷を、触れない範囲から確認する。
「同じ数が、明日また来れば?」
千代が尋ねた。
答える前に、周囲を見た。
折れた木材。
減った水。
使えなくなった布。
傷んだ壁門。
修理を頼む必要がある人型ゴーレム。
毒傷を負ったリゼ。
今日と同じようには動けない。
「もう一度なら、守れるかもしれない」
「二度、三度なら?」
「分からない」
一度の襲撃で、これだけ消耗した。
直す前に次が来れば、使えるものはさらに減る。
門を叩くものは、退けた。
俺たちが作ったものも、確かに役に立った。
けれど、一度守れたことと、守り続けられることは別だった。




