第169話 示された別経路
翌朝、セリナは旅装へ戻っていた。
洗った上着。
丈夫な靴。
腰の短い刃物。
背負い袋には、今日使う分だけが入っているらしい。
「まず、街の門を見る」
朝食を終えたセリナが言った。
「入らないの?」
「外から見て、夜斗の人相書きや兵が増えてないか確認する」
「何もなかったら?」
「入街料を払って、地図を売ってる店を探す」
「船の地図?」
「港までの地図。海の地図は、船に乗る人が持ってればいいでしょ」
「そうなの?」
「私が海で道を決めるわけじゃないから」
言われてみれば、そのとおりだった。
セリナが必要としているのは、ここから港までの道と、別大陸へ渡る船が出る場所だ。
船を操るための海図ではない。
「日が暮れる前に戻る?」
「街へ入れたら、地図と船の話を聞く。時間がかかりそうなら宿を探す」
「今日、帰ってこないかもしれない?」
「その可能性はある」
「先に言ってくれてよかった」
「入口を開けてもらう必要があるからね」
自分がどこで寝るかまで、俺たちへ許可を求めるつもりはない。
でも、帰還予定が変わる可能性は伝える。
その線は、セリナの中ではっきりしているらしい。
「港へ着いても、すぐ船に乗るわけじゃないんだよな?」
「船賃も、出る日も、必要な物も分からない。乗れない季節かもしれない」
「身分を証明する物が必要かもしれません」
ミネットが口を挟んだ。
学校へ戻るのは夕方だ。
記録帳を開き、自分の用事とは別に、セリナが挙げた確認事項を聞いている。
「国境を越えるなら、紹介状や許可が必要な可能性もあります」
「それも聞く」
「船の上で病気になった場合の備えは?」
「薬を買う。船に治療できる人がいるかも確認する」
「水と食料は?」
「自分で持つ分と、船賃に含まれる分を分けて聞く」
「寝る場所は?」
「それも船による」
ミネットの質問が増えていく。
セリナは嫌がらず、一つずつ答えた。
「もう船で行くって決めてるんだな」
「うん」
迷いのない返事だった。
◇
食器を片づけ始めたところで、黒い人型ゴーレムが食堂へ入ってきた。
壁門の近くに置かれている個体だ。
戦闘のためではなく、向こう側で大きな音や異常があれば知らせに来るよう役割を与えられている。
今は、片腕を上げて壁門側を示していた。
「何か来た?」
俺が立つより先に、ナーヴァが椅子を離れた。
「戦いか」
「まだ分からない」
リゼが武器を持つ。
俺たちは壁門まで移動し、内側から音を確かめた。
金属を三度、一定の間隔で叩く音がする。
「エウリオだよ」
扉の向こうから、眠そうな声が続いた。
「一人?」
「人間はね」
「魔物は?」
「ここまで来る途中で二体見た。もう動かない」
「周りは?」
「黒い個体に見させて」
壁門の内側にいる人型ゴーレムが、扉の隙間へ手を差し入れる。
外側からも、似た手が触れた。
同じ所有者の二体が、扉を挟んで確認しているように見えた。
リゼが小さく扉を開き、外を確認する。
灰色の通路。
吊り寝台。
それを運ぶ小型ゴーレム。
横には淡い人型ゴーレムが立っている。
近くに動く魔物はいない。
エウリオを通して、すぐに壁門を閉じた。
「何かあった?」
「何も起きていないうちに、人形を確認しに来た」
エウリオは、内側に残していた黒い人型ゴーレムの腕や脚を見る。
「壊れてから直す方が面倒だからね」
「来る途中で魔物を倒してるけど」
「あれを避ける方が遠回りだった」
エウリオは自分で戦った様子もなく、吊り寝台の上へ戻った。
淡い人型が近くに立ち、黒い人型の確認を続ける。
「ちょうどよかった」
俺が言うと、エウリオが嫌そうに目を細めた。
「その言い方は、仕事を増やす時に使うものだろう?」
「店の場所を聞くだけ」
「何の店?」
「地図」
「今の借家がある街なら、中央の大通りに一軒あるよ」
「詳しいね」
「看板を出す前に、周りの店は確認した」
エウリオの店へ行く方法を尋ねる前に、目的の店が分かった。
セリナがエウリオを見る。
「別大陸へ行く船が出る港も分かる?」
「どの別大陸?」
セリナが、旅先で聞いた地域の名前を出した。
俺には聞き覚えがない。
エウリオは少しだけ目を開いた。
「そこなら、前に住んでいたよ」
◇
「別大陸に?」
「そうだよ」
「聞いてない」
「言っていないからね」
「なんで?」
「必要なかったから」
エウリオは当然のように答えた。
「前にいた場所で仕事をしてたとは言ってたよね」
「言ったと思う」
「別大陸だったとは言ってない」
「聞かれなかった」
隠していたというより、本当に説明する手間を省いただけらしい。
「何をして暮らしてたの?」
セリナが尋ねる。
「今と同じ。魔道具士として看板を出した」
「《無為宮の王》だとは話した?」
「話す必要がないだろう?」
「ゴーレムは?」
「魔道人形として売ったよ」
エウリオが、自分の周りにいる個体を見る。
「運搬。清掃。倉庫の整理。設備の確認。同じ仕事を繰り返す個体は、それなりに需要があった」
「人の形をした二体も?」
「見せていない。性能が高すぎる物を見せると、説明も注文も増えるから」
「仕事を受けてたんだ」
「値段を高くすれば、大半は帰るよ」
「今と同じだ」
「使える方法を変える方が面倒だからね」
現在の借家に出している看板は、この地域で初めて考えた偽装ではなかった。
以前の街で使っていた方法を、そのまま持ってきただけだった。
「それなら、どうしてその街を離れたの?」
セリナが聞く。
「依頼が増えた。売った個体の修理も増えた。新しい役割を足してほしいと言う人も増えた」
「断ればいいでしょ」
「断る説明も増えた」
「だから街ごと離れた?」
「その方が早かった」
「追い出されたわけじゃない?」
「違うよ」
「正体がばれた?」
「ばれていない」
「何か悪いことをした?」
「していないと思う」
「思う?」
「仕事を断られた人から見れば、気に入らない魔道具士ではあったかもしれない」
犯罪を起こして逃げたわけではないらしい。
仕事が増え、断る仕事まで増えた。
それをまとめて減らすため、拠点そのものを変えた。
エウリオらしい理由だった。
◇
「船が出る港は?」
セリナは話を戻した。
「僕がいた頃は、大陸の西側に大きな港があった。こっちからの船がどこへ着くかは知らない」
「船では行ってない?」
「《万物迷宮》を通った」
セリナの目が少し細くなる。
「ダンジョンから、別大陸へ出られるの?」
「前は出られたよ」
「今は?」
「知らない」
「ここへ来た時も、その道を使ったの?」
俺が尋ねる。
「違う」
エウリオが俺を見る。
「あの時は、君から届いた気配を追った」
「俺から?」
「正確には、君が持っているものからだね。前にも説明しただろう?」
ずっと前に感じた、見返されたような感覚。
エウリオは、あの反応を辿ってきた。
「道を知ってたわけじゃない?」
「着くまで、どこへ出るかは知らなかったよ」
「それでも来たの?」
「無視し続ける方が面倒になったから」
最初に会った時と同じ答えだった。
「なら、ここへ来られたことと、別大陸への道が残ってることは関係ないんだ」
俺が言うと、エウリオが頷く。
「昔使った分岐が、今も同じ場所にある保証はない。《万物迷宮》は前と同じじゃないからね」
「出口がなくなってる可能性は?」
セリナが尋ねる。
「ある」
「途中が塞がってる可能性は?」
「ある」
「魔物が増えてる可能性は?」
「かなり高い」
「確認してない?」
「確認する理由がなかった」
エウリオの答えは短かった。
以前通れた。
今も通れるとは言っていない。
知っていることと、知らないことがはっきり分かれている。
「エウリオが案内すれば、確認できる?」
俺が聞く。
「嫌だよ」
答えは、最後まで聞く前に返ってきた。
「まだ、何を頼むか言ってないけど」
「案内して、魔物を避けて、昔の分岐を探して、出口を確かめて、セリナを向こうまで連れていく話だろう?」
「それで、戻ってくる」
「ほら。面倒すぎる」
「分かった」
それ以上は頼まなかった。
「私は頼んでないよ」
セリナが言う。
「船で行くって決めてるから」
「別の道があるのに?」
「今も道かどうか分からないでしょ」
「そうだね」
「案内する人もいない。途中で何が必要かも分からない。船なら、出る日と金額と着く場所を聞ける」
「船が沈む可能性は?」
「ある」
セリナは否定しなかった。
「嵐も、魔物も、病気もある。でも、乗る前に確認できることはダンジョンより多い」
危険がないから船を選ぶのではない。
危険の一部を、出発前に確かめられるから選ぶ。
エウリオが同行しないから、仕方なく船へ変えたわけでもない。
最初から、セリナは海を渡るための情報を集めようとしていた。
◇
「知っていることだけ、教えて」
セリナが言った。
「案内はしないよ」
「話を聞くだけ」
「同じことを、後でまた聞く?」
「必要なら、自分で書く」
エウリオは少し考えた。
「なら、一度だけ」
ミネットが記録帳を開く。
「私が記録してもよろしいですか?」
「セリナへ渡す分も作るなら」
「はい」
「あとで同じ説明をしなくて済むようにして」
「確認できていない情報は、そのように分けて記します」
食堂へ戻り、紙を広げた。
エウリオが話したのは、以前暮らしていた街の位置。
近くにあった大きな港。
当時使われていた貨幣。
安い宿が集まっていた区画。
仕事を探すなら避けた方がよい季節。
《万物迷宮》の中で覚えている分岐と、出口の近くにあった特徴。
ただし、どの話にも「当時は」が付いた。
今の船便は知らない。
今の料金も知らない。
港の管理者が変わっているかもしれない。
迷宮の分岐は、残っているか分からない。
「この貨幣は、今も使える?」
セリナが尋ねる。
「知らない。僕は移動の途中で、今の地域でも使える貨幣へ一部を交換した」
「どこで?」
「複数の街。全部を覚える必要がなかったから、場所は残していない」
「交換した時の比率は?」
「それも今は役に立たないと思うよ」
「分かった。向こうで確認する」
使えない情報へ執着しない。
セリナは、ミネットが書いた内容から、現在も確認に使えそうな部分だけを選んでいた。
「今日、街で聞くことが増えた?」
俺が尋ねる。
「少し減った」
「減ったの?」
「地図を探す場所と、港の候補が分かったから」
「でも、ダンジョンの道は増えたよ」
「使わない道まで、今日調べる必要はない」
新しい道を示された。
だからといって、セリナが選び直す理由にはならなかった。
◇
エウリオは人型ゴーレムの確認を終えると、長居せずに帰ると言った。
「もう行くの?」
「今日の仕事は終わったからね」
「昔のことを話すのは仕事に入る?」
「予定外の追加だった」
「ごめん」
「一度で終わるならいいよ」
俺たちへ話していなかった過去を明かしたことより、同じ説明を繰り返さずに済む方を気にしている。
セリナも、写された紙を背負い袋へ入れた。
「街へ行ってくる」
「今日中に戻れそう?」
「まだ分からない。戻るなら、暗くなる前に接続地点へ着くようにする」
「戻らなかったら?」
「街へ入れたか、宿を取ったと思って」
「危ないと思ったら?」
「街へ入らず戻る」
昨日と同じ答えだった。
俺は第二接続地点へ入口を開く準備をする。
セリナは、海へ向かうための地図を探しに行く。
別大陸へ続く道は、一つではなかった。
暴走前の《万物迷宮》を通った道。
今から調べる、海を渡る道。
新しい道を示されたからといって、選び直す必要はない。
セリナは最初から、海を渡るための条件を確かめようとしていた。




