第161話 今度は、学校へ帰ります
街へ行く方法について話し始めると、皆の視線がアヤメへ向きかけた。
「見ないで」
俺が先に止める。
「夜斗も見ようとしてたよね」
ヴィオラに言われた。
「俺も含めて止めたんだよ」
「依頼を聞くことまでは拒みません」
アヤメはそう言ったが、続きを促しはしなかった。
一度、街へ入れた。
だから次も頼める。
次も引き受けてもらえるとは決めつけない。
「街の様子は、必要な時に確認したい」
俺は皆を見る。
「でも、領主との話を今すぐ決めるために、何度も誰かを街へ入れるのはやめよう」
「保留するのですね」
ミネットが尋ねた。
「うん。放っておいていいとは思ってない。でも、今ある入口を見せるのも、領主館へ行くのも危ない」
「何もしないの?」
「時々、様子を確かめる。そのたびに、誰が行くか、何を確かめるか、危険はないかを決める」
アヤメへ固定するつもりはない。
エウリオへ継続的に頼むつもりもない。
「それなら、今決めることは少ないね」
アヤメが言う。
「次に確認する必要が生じるまで、窓口は閉じておく」
「閉じたままだと、向こうで何が起きたか分からないけど」
「開け続ければ、こちらのことも分かられます」
「……そうだな」
領主との関係は、何も解決していない。
探索者組合が最後まで俺たちの記録を守るかも分からない。
噂が消えるとも限らない。
それでも、分からないからといって、全員の生活まで止め続けるわけにはいかなかった。
◇
「私は、学校へ戻ります」
ミネットが言ったのは、その日の昼だった。
食卓には、街の話を整理した紙がまだ残っている。
ミネットの前には、別の紙が置かれていた。
授業の日程。
提出する課題。
縁との契約後に確認する訓練項目。
「危なくない?」
最初に聞いたのは俺だった。
「安全とは言えません」
「じゃあ、もう少し待つのは」
「いつまでですか?」
答えられなかった。
領主の疑いがなくなるまで。
街の噂が消えるまで。
第二接続地点を公開しても安全になるまで。
どれも、いつ終わるのか分からない。
「終わりの分からないまま、学業を止め続けたくはありません」
ミネットは静かに続けた。
「私は、縁と契約したことで卒業資格を得ました。しかし、まだ学ぶと決めています」
足元にいた縁が顔を上げる。
「分からないことを理由に、学業を諦めたくはありません」
「学校へ行ったら、領主のことを聞かれるかもしれない」
「その可能性はあります」
「何て答える?」
「私が知っていることを、私が話してよい範囲で答えます。知らないことは知りませんと答えます」
「《淫獄》のことは?」
「私だけの判断で、場所や住民について詳しく話しません」
「隠してるって疑われたら?」
「実際に話していないことはあります」
ミネットは否定しなかった。
「ですが、それでダンジョンを奪ったことにはなりません」
いつもの言い方だった。
その言葉を聞くと少し安心する。
「学校で街の情報を集めなくていいからな」
「はい」
「先生や学生から、領主の話を聞き出したり」
「しません」
「探索者組合への伝言も」
「学校へ戻るだけです。連絡役は引き受けません」
「うん」
それは、最初から決めていたことだった。
ミネットの学業を、俺たちの都合で情報収集へ変えない。
「誰か一緒に行く?」
リゼが聞く。
俺たちの顔が、どこまで知られているか分からない。
街へ近づけば、ミネットより同行者の方が目立つ可能性もある。
アヤメなら目立たず動けるかもしれない。
でも、だから同行するとは決まらない。
「今回は、一人で行きます」
ミネットが答えた。
「縁は?」
ヴィオラが床を見る。
縁はミネットの椅子のそばに座っていた。
「私からは尋ねます」
ミネットがしゃがむ。
「縁。一緒に来ますか?」
縁は動かない。
耳だけが、小さくこちらを向いた。
「今すぐ決めなくてもかまいません」
ミネットは抱き上げずに立った。
◇
ミネットの荷物は、学校へ戻るには少なく見えた。
教本。
記録帳。
筆記具。
着替え。
縁のために学校から指示された物。
それらを一つずつ確認し、鞄へ入れていく。
「これだけで足りますか?」
ファステが尋ねる。
「学校に置いてある物があります。足りない物は、向こうで確認します」
部屋には、本が二冊残っていた。
畳まれた衣服も一組ある。
「これは忘れてる?」
俺が聞くと、ミネットは首を振った。
「置いていきます」
「戻ってくるから?」
少し直接すぎたかもしれない。
ミネットはすぐに答えなかった。
「次に使う日を、今決めることはできません」
「うん」
「ですが、ここで使う物まで、すべて学校へ持ち帰る必要はないと思います」
ファステが本と衣服を分ける。
「戻られた時にお使いになる物として、保管しておきます」
「お願いします」
部屋を空にするわけではなかった。
だからといって、いつ戻るかを約束したわけでもない。
その両方でいいのだと思った。
◇
邸宅の入口から少し出たところで、第二接続地点へ入口を開く。
一度細く開き、向こうの音と空気を確かめる。
目立った異常はない。
広げた先にも、人影は見えなかった。
「学校へ着いたかは、こっちから確認できない」
最後に、もう一度だけ言った。
「分かっています」
「帰りたくなったら、《帰還目印》を使って」
「はい。ただし、届いたことに夜斗さんがすぐ気づくとは限りません」
「できるだけ確認する」
「学業の間ずっと見張る必要はありません」
「でも」
「すぐ入口が開かなくても、ここを帰れる場所だとは思っています」
困った。
それを言われると、待ち続けるとは言いにくい。
「学校、続けたいんだよな」
「はい」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ミネットが入口へ足を踏み入れる。
向こう側へ渡ってから、振り返った。
縁は、こちらに残っていた。
ミネットは呼ばない。
戻って抱き上げない。
ただ、待った。
縁が立ち上がる。
入口の手前まで歩き、一度だけ床の境目を嗅いだ。
それから、自分で前足を出す。
小さな身体が境界を越え、ミネットの足元へ寄った。
「一緒に行くみたいだな」
「はい」
ミネットが笑う。
入口を閉じた。
無事に学校へ着いたかは、まだ分からない。
連絡がないことは、失敗した証拠ではない。
成功した証拠でもない。
それでも俺は、今すぐもう一度入口を開かなかった。
今度の入口は、誰かを《淫獄》へ迎えるためではなく。
ここで暮らした人を、その人が選んだ生活へ戻すために開いた。




