第160話 昨日も来ていたな
翌朝、最初に確認したのはアヤメの体調だった。
「熱は?」
「ありません」
「吐き気は?」
「ありません」
「昨日より疲れてない?」
「質問が一つずつ増えています」
アヤメがファステを見る。
「昨夜から目立った異常はありません」
ファステが答えた。
「食事も取れています。ただし、街まで往復して問題がないことを保証できるわけではありません」
「分かっています」
アヤメは、自分の細い黒紐を手首へ結ぶ。
《帰還目印》として登録した物だ。
「本当に行く?」
「昨日、引き受けました」
「昨日と今日で体調が違うかもしれない」
「今朝の状態を確認して、実行できると判断しました」
「危ないと思ったら」
「中止します」
「書面を届けられなくても」
「戻ります」
「追われたら」
「第二接続地点へ直接戻りません」
「それから――」
「これ以上増えると、出発が遅れます」
止められた。
「夜斗」
「はい」
「出発しても?」
俺は皆を見る。
リゼが頷く。
千代も、ファステも異論を出さない。
「お願いします」
「引き受けた範囲だけ行います」
俺たちは、邸宅の入口から少し出た場所へ移動した。
第二接続地点へ、入口を細く開く。
外の音。
空気。
人影。
目立った異常がないことを確認してから、通れる幅まで広げた。
リゼが先に周囲を確かめる。
アヤメは、昨日とは外套の留め方を変えていた。
髪を覆う布も違う。
荷物の持ち方まで変えている。
それでも、顔そのものを別人に見せるような変装はしていない。
「同じ顔で大丈夫?」
「急に別人として現れる方が、不自然な場合もあります」
「昨日の門番に覚えられていたら?」
「その時に判断します」
アヤメが外へ出る。
リゼが戻った後、入口を閉じた。
黒紐から反応が届くまで、俺たちにできることはなかった。
◇
アヤメから帰還の反応が届いたのは、日が傾き始めてからだった。
昨日より遅い。
すぐに入口を開きたくなる。
でも、反応が届いた直後に開かないことも決めている。
追跡されている可能性がある。
入口を開けている時間を短くする必要もある。
少し待つ。
もう一度、同じ反応。
俺とリゼが外へ出る準備を整え、入口を指一本分だけ開いた。
決めていた合図を確認する。
広げる。
アヤメが素早く境界を越えた。
後ろに人影はない。
俺は入口を閉じる。
「遅かった」
「追跡がないか確認しました」
「されたの?」
「確認できた範囲では、されていません」
「何かあった?」
「ありました」
アヤメは手首の黒紐を解く。
「門で、昨日も来ていたなと言われました」
◇
アヤメが食事と水を取ってから、報告を始めた。
「同じ門番だったの?」
ヴィオラが尋ねる。
「昨日、門にいた者の一人です」
「別人のふりは?」
「しませんでした」
「どうして?」
「昨日の私と顔が同じなのに、別人だと言う方が疑われます」
「じゃあ、何て答えたの?」
「昨日も入りました、と」
「それで通れた?」
「滞在目的をもう一度聞かれました」
アヤメは、昨日と大きく変えない答えを返した。
旅の途中で必要な物を買う。
仕事や道の情報を見る。
短期間の滞在である。
「夜斗との関係は?」
「話していません」
「書面を持っていたのに?」
「荷物をすべて開かれたわけではありません」
「次も同じように通れそう?」
「分かりません」
アヤメは迷わず答えた。
「少なくとも、私の顔を覚えている者が一人います。この顔のまま同じ方法を使える回数は減りました」
「なら、次は変装すればいい?」
「昨日と今日の私を知る者がいる状態で、急に別人として出入りすれば、別の疑いが生じる可能性があります」
「変装できるのに?」
「使えば安全になるとは限りません」
「書面は?」
千代が本題へ戻す。
「探索者組合へ渡しました」
「誰に?」
「受付で目的を伝えた後、記録を扱う職員へ」
「中身を読まれた?」
「私の前で開封されました」
アヤメは、組合で聞かれたことを順に報告した。
誰から預かったのか。
夜斗本人と会ったのか。
どこで受け取ったのか。
返答を持ち帰れるのか。
条件を決める権限があるのか。
「何て答えた?」
「書面を届けるよう頼まれた。追加の条件があれば持ち帰る。それ以上を決める権限はない、と」
「俺と会ったことは?」
「答えていません」
「嘘はつかなかった?」
「はい」
書面を拾ったとも、知らない相手から頼まれたとも言っていない。
ただ、自分の正体と受け取った場所を明かさなかった。
「組合は、どうするって?」
「書面を記録し、領主側の要求と照合するそうです」
「俺がやってないって認めてくれた?」
「組合は、あなたを犯人と断定していないと言いました」
「じゃあ、味方?」
「そうとも言っていません」
期待しかけたものが止まる。
「組合には、あなたたちが異変前から警告した記録があります。巡回者を助け、魔物を止めた記録も残っています」
「うん」
「ですが、領主から正式に提出を求められれば、記録を隠すとは約束できないそうです」
「隠さなくていいんじゃない?」
ヴィオラが言う。
「助けた記録なんでしょ?」
「それだけではありません」
アヤメが答える。
「異空間が入口途中へ存在したこと。夜斗たちが内部から出入りしていたこと。異変後、別の場所から戻ったことも記録されています」
「入口を見せない理由は理解されたか?」
リゼが聞く。
「住民の安全を理由にしていることは受理されました」
「認められた?」
「受理されただけです。正当だと認められたわけではありません」
「組合側も、第二接続地点を確認できない以上、安全な場所だと証明できないと言っています」
「見せないと証明できない。でも、見せたら危ない」
「はい」
「何か返事は?」
「領主館へ直接出向かないのであれば、別の場所で話を聞く方法を検討する余地はあるそうです」
「どこで?」
「決まっていません」
「誰と?」
「決まっていません」
「安全は?」
「保証されていません」
まだ何も決まっていないのと同じに聞こえる。
それでも、領主館へ行くか、全部拒否するかの二つだけではなくなった。
「その場で返事をしなかったんだよな?」
「権限がありません」
「よかった」
「次に決めるのは、私をもう一度使うかではありません」
アヤメが俺を見る。
「あなたたちが、外の人間とどこまで話すかです」
「会うかどうかも?」
「はい」
「会うなら、誰が行くかも」
「はい」
「場所も、条件も」
「それを決めてから、必要なら次の依頼をしてください」
アヤメ自身が、次も行くとは言わなかった。
「今回は、これで終わり?」
「依頼された範囲は終わりました」
「ありがとう」
「対価は受け取ります」
「うん。決めた分を払う」
千代が共同資金から、約束していた額を分ける。
活動に使った分と、アヤメ本人への対価を分けて確認した。
アヤメは自分の分だけを受け取る。
◇
その日の夜、俺たちは組合から示された可能性について話した。
領主館以外で会う。
探索者組合に間へ入ってもらう。
書面だけでやり取りを続ける。
何もしない。
どれにも危険があった。
アヤメが街へ入れたからといって、問題は解決していない。
むしろ、二度目に顔を覚えられたことで、同じ方法を使い続けられないことがはっきりした。
知らない顔なら、街へ入れた。
けれど、知らない顔は、一度見られれば知られている顔になる。
窓口は、開くたびに外からも見つけられていく。
俺たちは、窓の向こうへ何を見せるのかを決めなければならなかった。




