第159話 窓口は、ずっと開かない
街から持ち帰った紙を、翌朝もう一度食卓へ広げた。
領主側の通達。
探索者組合で確認できた話。
街で広がっている噂。
アヤメが自分で見たこと。
人から聞いただけのこと。
昨日のうちにも一度確認している。
それでも、アヤメが休んだ後で話し合った内容には、推測がかなり混じっていた。
「領主は、地下資源が欲しいんだと思う」
俺が言う。
「可能性はあります」
アヤメは肯定しなかった。
「でも、地下が消えて困ってるんだろ?」
「領主が困っていることと、地下資源だけを目的にしていることは同じではありません」
ミネットが記録帳へ書き込む。
「異空間の管理を望んでいる可能性もあります」
千代が通達を見る。
「未知の入口を領内へ残せば、統治する者として放置はできぬ。此方を危険と判断している可能性もあろう」
「責任を押しつけたいだけかもしれないよ」
ヴィオラが言った。
「可能性はあります」
アヤメの答えは変わらない。
「領主自身が、本当に夜斗を首謀者だと信じている可能性も?」
リゼが尋ねる。
「あります」
「全部あるじゃん」
ヴィオラが嫌そうな顔をした。
「確認していないものを減らすことはできません」
「じゃあ、何が分かったの?」
「少なくとも領主側には、夜斗を疑う理由があります」
アヤメが通達の一部を指す。
「夜斗の異空間が地下入口の途中へ現れた。その後、従来の入口が消えた。夜斗たちだけが、公開していない別経路から戻った。《淫獄》そのものは今も残っている」
「俺たちは異変を報告した」
「自分で起こした異変を報告する者もいます」
「巡回者も助けた」
「疑われないために助けた、と説明することもできます」
「魔物を止めた」
「自分が管理できる魔物だけを止めた、という噂がすでにあります」
「何を言っても駄目じゃん」
「今ある事実だけで、無実を証明することは難しいという話です」
アヤメは淡々と答えた。
責めているわけではない。
それでも、聞いていると少し腹が立つ。
「俺がやった証拠もないだろ」
「ええ」
「なら、向こうが証明するべきじゃないの?」
「そう考える者もいるでしょう」
「領主は違う?」
「領主本人へ確認していません」
また、それだった。
分からない。
確認していない。
可能性はある。
街へ一度入っただけで、領主の考えまで全部分かるはずがない。
頭では分かっている。
でも、何か一つくらい簡単な答えが欲しかった。
「噂を訂正できないかな」
俺は、アヤメが持ち帰った内容を見る。
「俺はダンジョンを盗んでない。通行料も取ってない。魔物も飼ってない。領主へ反乱するつもりもない」
「我は飼われておらぬ」
ナーヴァが言う。
「そこも訂正する?」
「竜がいると認めることになります」
アヤメが答えた。
「我がいることは事実だぞ」
「今は、街へ伝えない方がよい事実です」
「なぜだ」
「竜を従えて街を焼こうとしているという噂へ、竜が実在するという証拠だけを与えるからです」
「我は従っておらぬ」
「街の人間が、そこを正確に区別するとは限りません」
ナーヴァが不満そうに腕を組む。
「ならば我が直接話せばよい」
「やめて」
「まだ何も言っておらぬぞ」
「人型を解いて街の上から説明しようとしてない?」
「その方が我が竜であると伝わりやすいであろう」
「伝わりすぎるんだよ」
街の噂が一つ増えるところだった。
「アヤメさんが街で、本当のことを話して回るのは?」
ヴィオラが尋ねた。
「勧めません」
「どうして?」
「昨日初めて街へ来た旅人が、夜斗は無実だと触れ回れば、何者だと思われるでしょう」
「知り合い」
「そう判断される可能性が高いです」
アヤメが俺を見る。
「私とあなたたちの関係を、自分から知らせることになります」
「じゃあ、何も言えない?」
「噂へ一つずつ反論する必要はありません」
「でも、放っておいたらもっと増えるかもしれない」
「反論すれば消えるとも限りません」
「どうして」
「ダンジョンを盗んでいないと必死に言うのは、盗んだからだ。魔物を飼っていないと言うのは、隠しているからだ。そう受け取る者もいます」
「無敵だな、噂」
「噂を相手にするなら」
アヤメが探索者組合についてまとめた紙を引き寄せた。
「確認できる記録を使った方がよいです」
◇
探索者組合には、俺たちの報告が残っている。
異変が起きる前に知らせたこと。
巡回者を助けたこと。
魔物が門前空間へ侵入したこと。
巨大な魔物と戦ったこと。
全部を組合が確認しているわけではない。
それでも、俺たちが何も言わず地下を奪ったという話とは食い違う。
「組合に、もう一度説明する?」
「誰が?」
アヤメに聞かれ、言葉が止まる。
「俺たちは行けない」
「私が行くと決まったわけでもありません」
「……そうだな」
昨日、一度引き受けてもらった。
無事に戻った。
それだけで、次もアヤメが行くような気になっていた。
「ごめん。今のは頼む前に決めてた」
「確認しました」
「怒ってる?」
「いいえ」
「本当に?」
「繰り返すなら、今後の依頼を断るだけです」
「怒るより怖いな」
アヤメは否定しなかった。
「組合へ伝える内容だけ、先に作るのはどうでしょう」
レイナが言った。
「誰が運ぶかを決める前に、何を伝えるかは整理できますわ」
「それがよい」
千代が新しい紙を取り出す。
「噂への反論ではなく、此方が確認した事実と現在の方針を書く」
「現在の方針?」
「地下を奪っていないこと。従来の入口が失われた原因を此方も確定していないこと。現在、安全な地下通行路を外部へ提供できないこと」
「第二接続地点があることは?」
「領主側は、我らが別経路から戻ったことを把握しておる」
「ないとは書けないか」
「書かないことはできます」
アヤメが言う。
「ただし、秘匿したまま無実だけを主張すれば、疑いが消えないことは理解してください」
「入口を教えたら?」
「疑いが消えるとは限りません」
「調べれば分かるんじゃない?」
「入口を渡せば、次は内部を見せろと言われる可能性があります」
アヤメが食堂を見回す。
「《淫獄》を調べる。住民から事情を聞く。部屋を確認する。保有する物を調べる。魔物や竜がいないか確かめる」
ナーヴァが顔を上げた。
「いるぞ」
「だから困るんだよ」
「我を見つければ、噂の一部は正しかったことになるな」
「嬉しそうに言わないで」
ナーヴァは少し楽しそうだった。
「入口を明かして、調査を受け入れれば終わるとは限らない」
リゼが言う。
「一度中へ入れた者を、何も見つからなかったから帰れと言えるかも分からない」
「それに、第二接続地点は今残ってる唯一の外への道だ」
俺は言った。
「そこを領主に押さえられたら、俺たちは本当に外へ出られなくなる」
「では、入口は明かさない」
千代が決めつけず、全員を見る。
「異論はあるか?」
誰も手を挙げなかった。
アヤメも何も言わない。
「アヤメさんは?」
俺が聞く。
「私が決めることではありません」
「でも、昨日そこから出た」
「場所を知ったことと、管理する権利を持ったことは別です」
「意見は聞いていい?」
「意見なら」
アヤメは少し考えた。
「今、明かす利点より、奪われた場合の危険が大きいと思います」
「じゃあ、隠す」
「ただし、隠し続ければ疑いが強まる可能性もあります」
「どっちなんだよ」
「安全な選択だけがあると思わないで」
言い方は冷たい。
でも、そのとおりだった。
入口を見せても危険。
隠しても疑われる。
何もしなくても、噂は増えるかもしれない。
「それでも、今すぐ全部渡すよりはいい」
俺は言った。
「少なくとも、後から別の選択を考えられる」
「なら、その方針を書けばよいでしょう」
アヤメが紙を指した。
「現時点では、住民の安全を保証できないため入口を公開しない。地下への安全な通行も提供できない。異変に関して確認した情報は、探索者組合を通じて共有する意思がある」
「領主館へ行くとは書かない?」
「行くつもりがないなら」
「今は行かない」
「では書かない」
「調査へ協力するとも?」
「どのような調査か分からない状態で、先に約束しない方がよいです」
千代が頷く。
「断るのではなく、条件の提示を求める形にしよう」
書面の内容を、一つずつ決めていく。
俺が考えた文章は、何度も直された。
感情的すぎる。
証明できない。
不要な情報が多い。
相手を挑発する可能性がある。
「俺、文章向いてない?」
「今気づいたの?」
ヴィオラに言われた。
「ほとんど千代が書いてるよね」
「夜斗の名で出す以上、本人が理解し、同意した内容でなければ意味がない」
千代は俺の書いた部分を消しながら言った。
「でも、俺の文章が残ってない」
「意味は残っておる」
「本当に?」
「たぶん」
「千代まで、たぶんって言った」
「黙って確認せよ」
◇
昼を過ぎる頃には、短い書面ができた。
長い時間を使ったのに、紙一枚に収まっている。
俺たちはダンジョンの入口を奪っていない。
入口融合の原因は把握していない。
現時点で、外部の人間を安全に地下へ通せる経路は提供できない。
住民の安全を守るため、残された接続地点は公開しない。
探索者組合が保有する報告記録の確認を求める。
必要な情報交換には応じる意思がある。
ただし、方法と条件は改めて相談したい。
「これで無実だと信じてもらえる?」
「分かりません」
アヤメが答える。
「でも、何も言わないよりはいい?」
「それも、結果を見るまでは」
「何なら分かるんだよ」
「この書面だけでは、第二接続地点の場所は分からない」
「それは分かるんだ」
「はい」
最低限だった。
「届ける方法を考えないと」
俺が言うと、食堂が静かになった。
書面はできた。
でも、紙は自分で歩かない。
街へ入れるのは、今のところアヤメだけだ。
全員の視線が集まりそうになり、俺は先に止めた。
「見ないで」
「まだ誰も何も言ってないよ」
ヴィオラが言う。
「でも今、全員アヤメさんを見ようとしただろ」
「夜斗もであろう」
「俺もだけど」
アヤメは紙を見ている。
「次も行ってほしい」
俺は、今度は先に頼んだ。
「この書面を、探索者組合へ届けてもらいたい」
「昨日、同じ顔で街へ入りました」
「うん」
「二度目は覚えられている可能性があります」
「それでも頼みたい。でも、危険が大きいなら断っていい」
「報酬は?」
「え?」
「仕事なのでしょう?」
考えていなかった。
昨日も、アヤメの活動に必要な金だけを渡した。
食事や買い物へ使う分。
情報収集そのものへの報酬は決めていない。
「昨日の分も必要だよな」
「昨日は、私も情報を必要としていました」
「だから無料?」
「無料とは言っていません」
「言ってないんだ」
「帰還後に条件を決めるとも言っていませんでした」
「じゃあ、昨日の分は?」
アヤメが少し考える。
「昨日は、互いに必要な情報を得た。それで終わりにします」
「次からは?」
「先に決めます」
千代が共同資金の容器を持ってくる。
「購入費、入街に必要な費用、活動中の食費は共同資金から出す。それとは別に、依頼そのものへの対価を用意しよう」
「我の金ではないのだな?」
ナーヴァが聞く。
「共同資金からです」
「ならばよい」
自分の金を勝手に使われないことを確認すると、ナーヴァは興味を失った。
「金額はどうする?」
俺には、この世界の情報収集の相場が分からない。
アヤメにも、この街の相場は分からない。
「今回は、街へ書面を届け、組合側の反応を確認するところまで」
アヤメが仕事内容を区切る。
「返答を持ち帰ることは?」
「その場で受け取れるなら?」
「内容を確認せず持ち帰ることはできます。ただし、待機や別の場所への移動を求められた場合は、その場で判断します」
「組合の人と交渉は?」
「依頼に含めません」
「質問されたら?」
「書面を届けるために預かったとだけ答えます。それ以上を求められた場合は、持ち帰って相談する」
「一度で全部済ませないんだ」
「私にどこまで決める権限を渡すか、決めていないでしょう」
確かにそうだった。
アヤメが勝手に条件を決めれば、俺たちは後から従うしかなくなる。
逆に何も決める権限がなければ、その場で会話もできない。
「今回は届けるだけ。追加の条件は持ち帰る」
「それなら」
アヤメが、千代の示した金額を見る。
高いのか安いのか、俺には判断できない。
街へ入る危険を考えれば、安すぎる気もする。
「少なくない?」
俺が聞く。
「共同資金の残りを考えれば、これ以上を毎回支払うのは難しい」
千代が答えた。
「毎回?」
「今回限りなら増やすこともできる。しかし、今後も頼む可能性を考えるなら、続けられぬ額を最初に示すべきではない」
「アヤメさんは?」
「金だけが対価ではありません」
「ほかに何が欲しい?」
「私が元の場所へ戻る方法を探すことを妨げないこと。街でその情報を調べる時間を、依頼の外で確保すること」
「うん」
「私が得た私個人に関する情報を、すべて報告するよう求めないこと」
「危険な情報でも?」
「《淫獄》へ危険を持ち込む可能性があるなら伝えます。それ以外は私が判断します」
「分かった」
「それから、必要な物を街で購入する場合、私個人の金と共同資金を分けること」
「それも分ける」
以前、ナーヴァの金を分けた時と同じだ。
アヤメが街で得た物まで、全部《淫獄》のものにはならない。
「では、次の一度については引き受けます」
「ありがとう」
「まだ条件があります」
「まだあるんだ」
「顔や行動を疑われた場合は、依頼を中止します。書面も届けません」
「うん」
「追跡の可能性があれば、第二接続地点へ直接戻らないことがあります」
「その場合は?」
「追跡を避けられるまで待ちます。《帰還目印》の反応が遅れても、すぐ探しに出ないで」
「それは前にも言われた」
「守れますか?」
「……皆で決める」
「今、守るとは言わないのね」
「アヤメさんが捕まったって分かったら、絶対に探しに行かないとは約束できない」
「分かりました。その時は、あなたたちが出てくる可能性も考えて動きます」
納得したのか、諦めたのかは分からない。
「それで全部?」
「今回については」
「今後も、毎回これをやるの?」
「必要なら」
アヤメは当然のように答えた。
「条件が変われば、同じ依頼ではありません」
「窓口になってくれるなら、もう少し簡単にならない?」
「誰が窓口になると言いました?」
「今、二回目を引き受けてくれたから」
「今回ごとに依頼してください」
「そうだよな」
分かっていたはずなのに、期待してしまう。
街へ行ける人がいる。
情報を集められる。
書面も届けてもらえる。
なら、この先もずっと頼める。
そう考えかけていた。
「窓口が必要なら、窓口を作る方法も相談します」
アヤメが言った。
「私が担う場合も、一回ごとに閉じます。ずっと開いている窓口は、侵入路と変わりません」
《淫獄》の入口と同じだった。
開けられることと、開け続けることは違う。
「必要な時に条件を決めて開く。それなら考えます。続けられなくなれば閉じます」
厳しい。
でも、間違ってはいなかった。
「分かった。その条件で頼む」
「引き受けます」
二回目の依頼が決まった。
◇
書面は、その日のうちには届けなかった。
アヤメの体調。
街へ入る時間。
衛兵が交代する頃合い。
昨日と同じ外套を使うか。
髪形や話し方をどこまで変えるか。
一度目より確認することが増えている。
「昨日は入れたのに、今日も同じじゃ駄目なの?」
ヴィオラが聞く。
「昨日入れたからこそ、同じではありません」
アヤメが答える。
「門番が、昨日の旅人だと覚えている可能性があります」
「旅人が二日続けて街へ行くのは変?」
「それだけなら変ではありません。ただ、何をしに来たかを前と同じように聞かれるかもしれない」
「買い物って言えば?」
「昨日は物資と情報を求めていると答えました。今日は探索者組合へ書面を届ける。説明が増えます」
「じゃあ、すごい変装をする?」
「目立つ変化は避けます」
アヤメが昨日とは違う色の布を髪へ巻く。
外套は同じだ。
ただし、前を閉じる位置が違う。
荷物の持ち方も変えている。
「それだけ?」
「昨日の私を細かく覚えていない者には、これで十分です」
「覚えてる人には?」
「誤魔化そうとしません。昨日も街へ来たと認めます」
「変装しないの?」
「二日続けて来たことを隠すために姿を変えていたと知られる方が危険です」
「難しいな」
「相手が何を知っているか分からない状態で、嘘を増やさないだけです」
俺たちとの関係だけは隠す。
しかし、昨日街へ来た事実までは無理に消さない。
アヤメは、何もかも別人になって潜り込むわけではなかった。
必要な部分だけを隠す。
残りは、普通に見える方を選ぶ。
「今日は、出発しません」
準備を終えたアヤメが言った。
「え?」
「もう昼を過ぎています。組合で書面を渡した後、戻る時間が短い」
「準備したのに?」
「今日はもう戻る時間が足りません」
「そうだけど」
「明日の朝、体調を確認してから決めます」
アヤメは外套を脱いだ。
畳んで、自分の部屋へ持っていく。
二回目を引き受けた。
それでも、今日行くとは決めなかった。
明日の体調が悪ければ行かない。
街の様子が変わっていれば中止する。
顔を覚えられていれば、そこで閉じる。
アヤメは、外との窓口になったわけではなかった。
必要な時に。
条件が合う時に。
本人が開くと決めた時だけ開く。
月野アヤメという窓口は、俺の入口よりずっと勝手が利かなかった。
だからたぶん、俺の物にはならないままでいられるのだと思った。




